第六十五話
「……って事だな。だからベルゴってのから宝石を取り次第、すぐに出る準備はしといた方がいいよってさ。」
「分かりました。私の荷物はレギンスに積めるようにしておきますね。」
「出るとなったら、ソルさんの結晶で飛んで行けるだろうし……大丈夫よね?」
「ソルさんがなんとかしてくれますよ。」
マカから説明を聞きながら、部屋の荷物を粗方纏めたシラルーナが頷く。あまりに厚い信頼に、羨ましいような、大変だろうなと思う様な、複雑な気持ちがライに込み上げてくる。
「シラちゃんの中で、ソルさん絶対的過ぎない?」
「今までソルさんが失敗したことは無いですから。きっと今回も大丈夫ですよ。」
「なるほど、ボスみたいなもんか!」
「ん? ん~そう、なの?」
マカの自信満々な肯定に、ライも押し流される。
シラルーナも荷物を整えた所で、取り敢えず朝食をとろうという話になった。
「じゃあ食堂に」
「それが皆、賭けをやってて……」
「何賭けてるの?」
「今夜の肉だって。」
「よし、参加しよう!」
朝食もとれる、夕食が豪華になる。一石二鳥と判断したライが、食堂に移動する。
若干、否定的な二人もそこまで強く反対する気も無いため、彼女に着いていく事にした。
「……誰も居なくない?」
「あれ? おかしいな。さっきまで居たんだけど……」
三人が首を捻っていると、外から怒鳴り声が響く。何事かと思い、顔を出したマカの頬を掠め、壁に瓦礫がぶつかった。
「あっぶねぇ! 何何!?」
「どしたの? マカ。」
すぐに引っ込んだマカを、何をしているのかとライが尋ねる。しかし、その答えはすぐにもたらされた。
宿のガラスを破り、中に獣が放り込まれた。こんな街中に普通の獣は闊歩しない。魔獣である。
「何で王国に魔獣が!?」
「驚いてる場合じゃないですよ! 「鎌鼬」!」
立ち上がろうとする魔獣は狐だろうか。首をはねられて、何本もある尾を逆立たせて死んだ魔獣を、少し複雑な顔で見る双子。
「あっ、すいません……」
「いや、魔獣だし正しいんだけどね? この顔は悪意があるわ……」
「僕もそう思うよ……でも、これ外の方が大変じゃない?」
慌てて外に飛び出たマカに、いち早く気付いたアジスが声をかける。
「マカ! 王国騎士団に伝言を頼む!」
「はっ!」
「ライ、バカ猿を引っ張って籠れ!」
「はっ!」
アジスとの決闘が途中だったのか、終わった後だったのかは分からないが、カローズは既に傷が多かった。アジスにも打撲は見られるが、問題なく動ける様だ。
縦横無尽に跳び回り、鉄棒を振るうカローズ。爪を振るい咆哮するアジス。他にも戦える獣人が応戦しているのは、小規模だが魔獣の群れだった。
「アジスさん、どうしてこんなに魔獣が?」
「分からん。王都の外に出ていたから気付けたが、もし気付かなければこれだけの群れに奇襲を受けた恐れもあるな。」
「でも、何処かを目指しているみたいな……魔獣がこんな動きをするなんて。」
「何? ……確かに。これは大聖堂の方か?」
「そうみたいです……これを退けても、安心できないかもしれません。」
一度、塔を探ってきた魔獣達がいたが、あれ以外に組織だった動きをする魔獣は見たことが無い。外では大っぴらに魔術を使うわけにもいかず、シラルーナはすぐに引いた。
アジスに違和感を伝えるのが目的だった為、それでいい。それより宿の中ならば魔術を使ってもバレないだろう。治療に専念するため、シラルーナは急ぎ奥へと進んだ。
「順調の様だな。」
「当たり前だろう? 我の目は誤魔化せんよ。もっとも主のお陰ではあるが。」
「代償さえも上手く折り込むとは、悪魔の契約とは貴様の為にあるような物だな、正義。」
「だからそれは止めろと言うに。我は成底ないの偽善よ。」
「しかし、私の正義だ。」
「ぬ、主。それは自身を偽善と言い張る事ぞ。」
大聖堂の中にある、大司教の自室。普段は、教祖さえ軽々と入らないそこで、話し声がするのは珍しい。
机に光が描き出す地図には、動く光点が五つ。偽善の悪魔は、それらの居所を書き留め大司教に手渡した。
「これが今の位置よ。主がまた言いくるめてみせぃ。」
「分かっている。いくつか犠牲を出せば、貴様の【犠牲栄光】は発動する。悪魔が死のうと、兵士が死のうと利益しかない。」
「やれ、恐ろしい男よな。我とて本意ではないと言うのに。」
「許容するのは本意と同じだ。私の正義よ、貴様も同類という事だ。」
「つまり、主とて他の手段があればと思うか。」
「……ふんっ。次の居所を探っておけ。」
慣れない手つきで杖を掴み、扉を探った大司教は部屋を出る。強情よな、と呟いて偽善は光に向き直った。
「……五つ、か。何処の輩か。大聖堂に悪感情を集めたのは失敗だったか?」
王国を五十年の間、悪魔から守っていたのは何も距離では無い。
大聖堂の祈り、悪感情を薄くするように仕向けた集団心理の賜物である。旨味が少なく敵は大きい。悪魔さえ煙たがったのだ。
しかし、大聖堂に悪感情を集めれば、集中したそれに充てられる者も出てくる。先日はそういう年頃とは言え、随分とズケズケと悪態をつく少年が現れていた。それが増えたのだ。
「ここまで悪魔が集まるのは、正直想定外だ。この地に何か来たか……?」
今も動く光点を見つめ、偽善の悪魔はふっと笑みを浮かべた。
「まぁ、上々よな。どれ程の者であろうと、これだけの贄に地下のアレがあるなら、どうにかなる。いや、契約に従い、我がどうにかして見せようぞ。」
机に灯る地図に、短剣を突き立てて彼は姿を消す。悪魔にとって体とは魔力、思念である。契約を辿り、大司教の元へと移動する。
「……だ、期待している。」
「はっ! 必ずや、かの憎き悪魔を討伐いたします!」
走り去る兵士達は、綺麗とは言い難い方法ではあったが、大司教本人に救われた者達だ。王国騎士団ではあるが、大司教の私兵に近い。
姿を表すこと無く、契約者に語りかける偽善の悪魔。その顔が他人に見えるなら、少し嘆かわしさが浮かんでいただろう。
『良い子達よな、故に良き贄となる。』
「その通りだ。」
『……本当に良いのか?』
「貴様は偽善と言いつつ、それを許容しきれん甘さがあるな。」
『いざとなれば迷わん。不断の様に流されはせんよ。』
「悪魔にも要領の悪いのが居たか?」
『実験台になった、哀れな水の悪魔よ。主に言わせれば甘い奴であったな。』
「貴様に言われるなら、相当だろうな。」
杖で道を探りつつ、大司教は部屋に戻る。その足取りは左右に動く、不確かな物。しかし、決して止まらない覚悟を含む歩みだった。
高い、とても目では見えない高さの位置で、一つ結晶が宙に固定されている。
その上に寝そべる少年、ソルが紙に魔方陣を記しながら流れる雲を眺めていた。既に完成した物は魔力を込めてすぐに使えるように、未完成品は全て【具現結晶】に酷似している。
「こうじゃ無いんだよな、もっと……なんだろ、中心がズレてるのか?」
成功すれば初めての固有魔法の魔術化。凄いことだが、今必要では無い。つまり、それだけ暇なのだ。
地上にいれば追われる身、ベルゴもマカ達のいる宿が、一番遭遇しやすいだろう。ならば手の届かないところで休むのが、もっとも良い手だ。
「とはいえ、このまま夜まで暇だな……本当に出来ることって無かったっけ?」
思考を巡らせるソルだが、ベルゴを探す以外に目的も無く、自分で探すには難しい状況だ。王国側がどうやって悪魔に関する者の居場所を特定したか、せめてそれが分かれば掻い潜る方法も見つかるだろうが……
「やっぱり影が増えないと、俺の下手な「影潜り」じゃな……本当に特性があれば良いのにな。」
持っていない特性の魔術を使える。これは魔術を学んだ魔人にしか出来ない利点だが、それでは足りないほどに今は敵が多すぎる。
ソル本来が持っている力場の特性で、ベルゴを探すのは不可能に近いだろう。
「う~ん、色欲みたいに魔獣を使えればな……」
その体に染み込んだマナで、魔力を閉じ込めた魔獣の肉体。魔力を自在に操り、マナにも近しい存在の悪魔ならば、ある程度は誘導出来る。
もっとも、引きこもりがちなモナクスタロには、その方法や原理すら知識に無いが。色欲の様に使役など、出来る筈も無い。
「空を飛ぶのとか、小さいのとか……そうそう、例えばこんなの……ん?」
結晶に止まった魔獣を、一瞥したソルはふと違和感を持った。
「ケントロン王国に、魔獣……?」
「カァ!」
「【具現結晶・武装】!」
咄嗟に纏った軽鎧に、大烏の嘴が突き立てられる。宙を舞う八つの小型結晶を操り、連続で殴り飛ばす。今回は反射の性質を付与していない為、頑丈だ。
翼を開き、四つの目で此方を睨む大烏。翼を広げたその姿は、端から端まで測れば成人男性を優に超えるだろう。その翼は、朝日を受けて金属のような光沢を放っている。
「烏……! マモンか! あの野郎、【色欲】も使えんのかよ!」
足の爪を開き、ソルを刻もうと落ちてくる大烏に、片刃の剣を突き刺そうとする。しかし、左手に握る剣は、狙いがそれて爪に弾かれた。
胸の鎧に爪が当たり、ソルは宙に投げ出された。
「拡散!」
足場にしていた結晶が弾け、その破片が大烏を退けて追撃を許さなかった。因みに荷物は回収済だ。
落ちていっても仕方がない為、「飛翔」を使い飛ぶソル。右腕は咄嗟に剣を振るうレベルで、魔術では動かせない。しかし、左手では満足に剣を使えなそうだ。
「「飛翔」だと持って振るより数倍の力がいるし……柔らかい羽毛とは、思わない方が良いよな?」
元々剣は飛ばすものでも無い。補助ならともかくメインを張るには不利だろう。
「面倒な……恨むぞ、アルスィア。」
魔術を発動し、体制を整えるのに数秒。大烏が待ってくれる筈もなく、次は嘴が襲いかかる。
「煩い、【具現結晶・狙撃】。」
撃ち出すために創られた結晶は、十分な威力を持って大烏に突き刺さる。更に拡散。物理現象で空を飛ぶその体は、やはり地上の魔獣よりは脆く、簡単に肉が裂けて墜落していく。
「おいおい、マジかよ。晴れ後烏とか、冗談でも無ぇ……」
落ちる大烏の後ろに隠れていたのは、黒い空。
太陽さえ覆い隠すような大量の大烏が、王都の空へと羽音を響かせて進んでいた。