第六十三話
暗い。いや、黒い空間は光石の穏やかな灯りに照らされていた。
「……何、此所。」
緑髪の青年、ベルゴは自分の迷い混んだ場所をぐるりと見渡す。どうやら地下、それも鍾乳洞の様だ。鍾乳石や大理石が多く見受けられる。
「やっぱり過程は重要だよねぇ。今が全く分からなくなる。」
歩いて出ようか。そう考えたベルゴの耳に、人の足音が届く。
とっさに岩陰に隠れたベルゴ。暫くして、男が話す声が聞こえる。
「ふむ、かなり仕上がったな。」
「そうであろう? しかし、此処に集めたお陰で教会に影響も出ている。本当に出来るのか、いや殺ってくれるのか正義。」
「よせ。我は正義は正義でも偽善よ。正義を執行し、それによって淘汰される者も、過程で喪われる者も、目をつむり美談にすげ替える。」
「しかし、代償が無い力等信用ならん。あまりに都合が良すぎる。」
訳が分からない。しかし、何かとてつもない事が起こるのは確かだろう。ベルゴはそっとその場を離れようとした。面倒事は御免だ。
「今この地にいる獣に堕ちた者も、悪魔に魂を売った者も……全て犠牲になるぞ? それだけではない、主の守るこの国の民とて……」
「分かっている。しかし、これしかあるまい。今一度現実の見えぬ者を煽り立てるには。その為に光を代償に貴様と契約したのだ。」
「主の救う地さえ視界に写らぬと言うのに。」
「構わぬ、どうせ私は打ち首よ。近く、始めるぞ。切っ掛け等、探せばいくらでもある物だからな。」
(あぁ、早く逃げとけば良かった。)
面倒事に巻き込まれた予感に、心底落ち込んだベルゴ。やがて二人は去り、残ったのは黒い、大きなバケモノ。御伽の世より現世に来る、作られた悪夢である。
「はぁ? まだ帰ってないのか。」
「それよりさ、なんでお前は毎度怪我してんの?」
帰ってきたところ、すぐにシラルーナに見つかり、右腕の血を見られた。それで現状の説明が着くだろう。
思ったより深かった様で、包帯まで巻かれたソルが向かいのマカに、ベルゴの事を聞いた会話が先程の物である。
「腕動かないって重症じゃね?」
「これは怪我の所為じゃ無いからな、魔法だからな。」
「治せねぇの?」
「俺は魔法は力場系統と具現結晶しか使えない。力場の方も魔術に慣れてるし。」
「魔法の利点がねぇ……」
「魔方陣知らなくて良いのと、基本的に出力上だぞ。魔術はある程度、上限が決まってるからな。まぁ、俺は悪魔程は上手く魔力操れないけど。」
所詮 失敗例って事だな、とソルは動かない右手を「飛翔」で浮かべながら呟く。遅いし魔力は喰うが、取り敢えず日常生活に問題は無さそうだ。
「また目が紅くなってるぞ。」
「物としては魔方陣、使って無いからな。魔力を自力で操るのは、悪魔の力なんだよ。」
「いや、そうじゃなくて目の色。変わったら怪しくねぇ?」
「……さて、怪我の事をどう誤魔化すか。」
急に腕が動かなくなりました、怪我が原因ではありません。
とても通る理屈ではない。まず間違いなく時間のかかる面倒に巻き込まれるだろう。
「誤魔化す前に、怪我をしない様にするべきだと思います。」
「俺だって、したくてしてるわけでは無いからな?」
「狙われそうなのに、マモンの残滓? を追っているのはソルさんですよ。」
「シーナ、もしかして怒ってるか?」
「怒ってないです。ただ、ソルさんももっと気を付けてくれれば良いのに、と思ってるんです。」
王国内部で、魔術を使うわけにもいかず。魔人なので医者に行くのも好ましくない。ソルの治療は素人仕事な薬と包帯のみである。
マギアレクが積み上げた搭の蔵書を、ほとんど読み漁ったシラルーナの知識は、案外幅広い。その為、十分な処置ではあった。だが素人仕事には変わらない。
「ライさんも、そう思いませんか?」
「えっ、私っ!? えーと、ん~まぁ?」
「シラルーナちゃ~ん、そいつ、ソルにまだ緊張してんだから止めたげて~。」
本人の前でとんだフォローをかますマカ。謝るシラルーナと怒るライ、笑うマカ。
楽しそうで何より、とソルは溜め息を吐く。
「まぁ、西では魔術も広まってるとは聞くし。アラストールの手掛かりも跡絶えたんじゃ、これ以上はやれないよ。」
「ん? てことは、ソルは西に行くのか?」
「マモンの残滓と、完璧にお別れ出来たらな。」
「シラちゃんも?」
「ソルさんが今度こそ良いなら、着いていきたいです。」
「やっぱり根に持ってるじゃ無いか。」
「シラちゃん、ソルさんには素直だねぇ。」
羨ましそうなライを、マカが首を振って煽る。もっとも、それは視界の外だった様で無視されたが。
ちょうどその時、アジスが部屋に入ってきた。
「ん? 失敬、結晶のもいたか。」
「いや、構わないよ。それよりどうしたんだ? 席外そうか?」
「いや、問題ない。先程ボスが帰って来てな。交渉は成立したと。」
「「本当ですか!」」
「良く成立したな?」
「王国の西に被害が出たそうだ。それで獣人も潰れれば二方面作戦を強いられる、それを避けるためにという事だな。」
「……俺、西に行くつもりなんだが。」
「漏れなく防ぐのが無理なだけだろう。獣人は戦力なら問題なく、今まで軍事国家だった経験や地盤があるからな。」
つまり、西は今戦力不足だと。潜り込みたいソルには好都合な状況だ。現地を思えば、幸運とは言い難いが。
「南に進行を開始したいが、陣の作成以前の問題だ。」
「そうなんですか、アジス様?」
「王国内部での軍事力の統率もまだの様だし、獣人と南に行くなら更に訓練と慣れが必要だろう。人間と獣人は、最早別の生物の様に価値観の相違が在るようだしな。」
「「確かに。」」
それをいち早く体感していたソルとマカが、大きく頷いて同意する。
「それ、間に合うか?」
「何もしないより良いだろう。」
「そりゃそうか。」
間に合わなくてもある程度の地盤は作れる筈だ。問題等は行動しながら発見、解決していくのだろう。
「ラダム氏族長は自室か? 少し聞きたい事があるんだけど。」
「何だ?」
「南の進行は何年後になるかと思ってな。それに、久し振りに話したいからさ。」
「まぁ、お前ならボスも会うだろうが。一応、聞いてこよう。」
「頼むよ。」
本当は人払いに便利だっただけだが。マモン、アラストール、アルスィア。名持ちの危険な奴らの話は、あまり広く知らせるのは好ましくない。
しかし、もしもに備え、ある程度の影響力のある者には知っておいて欲しい情報だ。いざというとき、迅速な行動に繋がるだろう。
「なぁソル。ボスは英傑に選ばれてから、僕達でさえ気軽に会えないんだけど?」
「愚痴?」
「うっ、そうだけどさぁ!」
そういえばマカはラダム氏族長に憧れてたな、とソルは思い出した。もっとも、無駄に不安を煽る訳にはいかない無いので、マカも混ぜることはしないが。
「結晶の、会うそうだ。是非に、と。」
「ありがとう。すぐに行くよ。」
「ソルさん、私も……」
「えっ? ん~どうだ? アジス。」
「構わないだろう。」
「んじゃ、行くかシーナ。」
三人で奥の部屋に向かう。アジスの部屋を過ぎて更に奥、随分としっかりした造りの部屋だ。
アジスが部屋の戸を叩き、懐かしい声が返事をする。
「入れ。」
「アジスです。結晶のを連れて来ました。」
「ご苦労だった……久しいな、ソル殿。息災か?」
「変わらず……とは言いがたいけど。そっちも元気だったか?」
「程々に、だな。」
笑みを溢すラダムだが、その顔からは疲労が隠せていない。これから話す内容を考え、少し申し訳なくもなる。
「さて、ケントロン王国との連合がどうなるか、だったか。」
「それもあるな。」
「それも、か? 今から忙しくなりそうなんだが。」
「多分それと被る内容だよ。それで、どうなりそうなんだ?」
眉を潜めたラダムに先を促すと、ラダムが口を開く。
「来年中、とはいかないだろう。早くても三年か……」
「俺が十九歳になるな……長くないか?」
「貴殿がそこまで若かったのも驚きだが……そうだな。長い。」
それだけ受け入れられる体制では無かったと言うことか。良く成立したものだと、改めて思う。
「まぁ、動くとき位は分かるだろ。目立つだろうしな。」
「隠す必要も無いからな。それで?」
「あぁ、俺の方からはちょっとした情報かな。悪魔の。」
「それは……人間側にどう伝えるか。」
「まぁ、頑張ってくれ。それと見つけたら、教えて欲しいのもいる。アラストールって悪魔は、俺の手で終わらせたい。」
「ふむ……分かった。名持ちの情報は、積極的に広げるようにしていこう。」
その後、ソルは今分かっている名持ちの悪魔とその魔法。魔人の事、触媒によって悪魔に効率的にダメージを負わせる手段等を伝えた。
ラダムは、終始黙って聞いていたが、ソルが話を止めた所を見計らい口を開く。
「それは確かな情報か?」
「一応は。原理はともかく、実際にそれで撃退出来かけた。」
「マモン。強欲の原罪、か。しかし、もし魔界に行くなら魔獣はともかく、悪魔は名持ちに手を出すのは避けるのが妥当か。」
「まぁ、相手が空の上じゃな。魔界はマナの濃度も高いし……魔法も出力が高くなるからな。」
つくづく悪魔に有利な地だ。魔術はマナよりも魔力の量が関係するため、あまり関係無いというのも更に拍車をかけている。
「しかし、この地にいるアルスィアと言ったか。それだけは退ける位はせねばな。」
「王国が潰れたんじゃ、せっかく来た意味が無いもんな。」
「あぁ……それでだ。ソル殿、シラルーナ嬢。無理を承知で頼みたい。その魔人の撃退、手を貸してはくれないか。」
頭を下げて頼み込むラダムだが、ソルは顔をしかめた。
「ここで名を売っても、西ではあまり大きく無いんだが。それに、アイツの魔法は俺の具現結晶と相性が悪い。魔法を斬れるからな。」
「私は……その。力に成りたいとは思います。けど……」
「分かっている。ソル殿が西に行くなら、それと共に行かねば辿り着けないだろうからな。」
今は西も魔獣蔓延る地になっている。海の面した西に、嫉妬の悪魔・レヴィアタンが居るからだ。
それに、完璧な魔人は肉体に核が同一化する。あり得ない再生能力があるとはいえ、肉体の死は悪魔の死。殺害は容易になる。ソルがいなくてもどうにかなるだろう。
「……まぁ、襲ってきたら俺も迎撃するけど。ベルゴからマモンの残滓は回収しないといけないしな。」
「それで十分だ、恩に着る。」
今まで平和と栄光の保たれていた王都に、こうも物騒な事柄が集まるとは。西に行けば休めるだろうか、とソルは疲れた息を吐いた。