第二話
深い森の中。とある塔の上に老人が立って月を見上げていた。老人の肩で大人しくしていた鳥は、紙を足に括られると促されるままに飛び立った。
「犯人の有力候補は悪魔、か。それで、儂の下にこれを送ったのか……全く、人使いの荒い者め。」
腕輪が魔方陣を光らせ、手紙を燃やす。老人、マギアレクは深い溜息をはきながら塔から飛び降り、窓の側でブーツに仕込んだ魔方陣を起動する。
強い圧力の空気はマギアレクを押し出し、窓から廊下へとふわりと着地する。
「拐われた者たちを見かけたなら救出してくれ、か。儂は魔界ではなく魔界付近の会場に足を運ぶだけなんじゃがなぁ。」
深い夜の闇に、老人のぼやきは消えていった。
「おーい、じいちゃん。朝だぞー?」
遂に小屋を地下室に改造した事で、マギアレクに壊されないようになって一月。何度叫んでも降りてこないマギアレクに、痺れを切らしたソルが扉を開ける。
「あれ? 研究室にいねぇ……んじゃあ、じいちゃんの部屋か。」
まず研究室を覗かれる辺りにマギアレクの普段の生活が見え隠れするが、ソルにはその生活を危うく思うほどの常識はなかった。平然と移動を開始してマギアレクの部屋を開ける。
「あれ? いねぇし。もういいや。じいちゃんの朝飯も貰うか。」
呼んだんだし悪いのはじいちゃんだと勝手に納得し、塔を降りていく。一階の端に少し他よりせりだした台所があるため先程作った御飯をとりに顔を出すと、
「むぐっ、んぐっ、むっ?」
「……はっ?」
綺麗に平らげられた食器と、頬を脹らませたマギアレクがいた。
ゴックンとでも音が響きそうな勢いで口の中の物を飲み込み、マギアレクが言う。
「ソル、おはよう。それじゃ、儂、ちょっと出てくるから。」
「いや、え? 俺の飯……」
「留守番頼んだのぉ~。」
扉が締まり、一人で残されるソル。どんな魔術もお手の物の老人は既に遠くに行っているだろう。魔法も使えるソルの師匠として、親として、生活できる力と才能は伊達ではない。ソルもそれには尊敬と感謝がある。しかし、今だけは彼をこう呼んだ。
「こんの、クソジジイーー!」
食べ盛りの少年の叫び声は、誰の耳にも入らず虚しく響いた。
翌日、ソルが具現結晶を浮かせて細かい制御の練習を繰り返していると、馬の足音とガラガラと回る荷馬車の音が聞こえてきた。
「おっ、帰ってきたか。今夜は混入スープ振る舞ってやろう。」
一月前からマギアレクが大人気ないことをやらかすと食卓に上る、恐ろしいメニューの名を挙げながらソルが立ち上がる。精神的な成長期に入っているソルの、ここ最近の魔力制御の上達は著しく宙に舞う結晶の鍵が塔の扉を開けており、ソルが扉につく頃には役目を終えて霧散していた。
「お帰り、じいちゃん。今回はなんだった?」
「むっ? ソルか。今回はお主にやれる物はないぞ。ただ、あまり邪険にせんでやってくれな。」
「邪険?」
馬にくくられている多くの魔力触媒に、悪魔が魔法を使うさいに浮かび上がる魔法陣を書き写した物をはずしているソルが聞き返す。
「うむ、お主、結構人見知りじゃからなぁ。」
「いや、最初の態度の事なら多分当然の対応であって……?」
次に馬に引かれている荷台を下ろそうと布を捲ると……
「ひっ!」
「……人間?」
「あー、閉めてやってくれんか。日が高いからのお。」
「えっ? あぁ、分かった。」
荷台で怯える様にぼろ切れにくるまった動く物が頷いて(?)いるようなので取り敢えず閉めておく。
「で、じいちゃん。説明は?」
「残ったから連れて帰ってきたんじゃよ。」
「これは?」
「いや、誘拐とかではないんじゃって。」
「…………」
「本当に、じゃよ。」
ソルが白い髪の毛をマギアレクに示したが彼は首をふった。そう、荷台には「白い忌み子」の髪が落ちていたのだ。ソルはこの老人を信じているのと同じくらい老人の探求心を信じていたので、一応確認しておいたのだ。
「んじゃあ、残ったってのは?まさか人身売買でもやったんじゃ……」
「売ったんじゃなくて買ったんじゃ。悪魔の実験か何かに使われそうだったのが、何故か途中で捨てられたようでな。オークションに出されておった。人の町で買い物をする元手がほしかったんじゃろうな。」
「んで、残ったってのは?」
「家に帰してまわっとったんじゃが、この子の家は見つからんかったのでな。」
「ふーん。そっか。」
深く頷いたソルは荷物を浮かせて塔の中へ飛ばしていく。倉庫に運んだのだ。
説明は終わったとばかりにマギアレクが馬を引く。荷台を塔の近くまで運ぶのだろう。「白い忌み子」は日の光に弱いので、塔の中に急いで避難をさせる必要があるのだ。
悪魔を構成する魔力を受け入れやすく、恵みをもたらす日の光に痛みさえ訴える為に、多くの場合あまり好かれないのが白い忌み子である。そのためソルは家が見つからないと言われても、薄情な親がいたもんだとしか思わなかった。
荷台を片付け引き返してきたマギアレクに、ソルは振り返って言う。
「それで? どうするの?」
「面倒を見ようかとな。あわよくば髪や血を少し貰うかも知れんがまぁ、宿代じゃと思うて、のう。」
「うわ、腐った大人の考えだわ。」
「いや、拒否されんかったらいいじゃろう!?」
捨てる、強引に血肉まで貰う、実験なんてしてる悪魔に売る。
それこそ多くの選択肢があるだろうに、拒否されたら面倒の種になりそうな子を無償で面倒を見ると言い切る。
悪魔の出現であまり余裕があるとは言えないこの世界でのその言葉は、同じように面倒な存在なのに救われたソルには、どういうものかよく分かる。他の人ならこうはいかないだろう、とも。
「あの子は?」
「眠そうなので寝かしておいた。」
「んじゃ、飯は二人分かな。」
「しばらく起きんじゃろうしそれでいいじゃろ。」
その夜は混入もない美味しいスープが食卓に並んだ。
「……んっ。あれ? ここは……そっか。私、人間に買われたんだっけ。」
夜中の弱い月明かりは室内を優しく照らし出す。生活感の無いその部屋は余り物を集めて部屋にしました、とでもいえそうである。塔の中で少女はゆっくりと起き上がる。グレーのゆったりとした服と頭巾は、あの老人が置いていってくれたものだろう。彼女は、身を包んでいる少女の体躯に比べれば大きなぼろ切れから、かなり清潔なそれに着替えた。
「これから……どうなるんだろ。」
色々な所で時には御飯を分けてもらい、時には追い出され、時には髪や血を狙われた少女はある日、遂にある一団に捕まった。悪魔達に競り落とされ、そこで実験動物として過ごすしか道はなかったはずなのに。
温かく、柔らかいベッドから降りた少女は換気しようと窓を開けてから扉に手をかける。といっても逃げ出す気持ちは無い。悪魔達を黙らせ、問答無用とばかりに人間達を買い上げていったあの老人から逃げられる気はしない。それに……
(もう、疲れちゃったから……)
どこにいっても追われる生活。十歳になったばかりの少女にはきつい生活だったのだ。人間に追われるのは仕方がないと思っていた。誰も危険を省みずに見ず知らずの者に手を差し伸べたりしないと、少女は知っていた。仮に伸べられたとしても、そこには必ず何かしらの下心があるということも。
もし仮に彼女と、人間との違いを主張するものがその耳と尻尾だけであれば。同じように恐れられ、避けられる悲しさを知っている獣人達なら彼女を受け入れてくれていただろう。
半分人間、半分獣人。そんな彼女の最後の居場所さえ奪ったのは彼女の色だった。悪魔を受け入れる子供、どこにいっても長くは居られない。誰も悪魔の軍勢とやりあいたくはないからだ。
(悪魔の糊代。それが「白い忌み子」。何で、私なんだろう。)
最近は悪魔や悪魔の信奉者達が積極的に探していることもあり、更に遠ざけられている。自活能力の低い子供が生き残るのは本当に小さな可能性。
(色がほしいな。私にも色があったら、お父さんとお母さんも……)
上に登り廊下を歩き続けて、ぐるりと回ったのかさっき自分が出てきた階段が見えた。
もう一度眠ろうかと部屋に入ると、視界が急に暗くなる。
(……えっ?)
「ワゥッ!」
(野犬!? も、ここで死んだら、次は色のある人に……)
「【具現結晶・狙撃】。」
少年の声と共に犬が壁に叩きつけられる。ついで窓を跨いで紅い目の少年、ソルが入ってきた。
「なんか冷えると思ったら窓も扉も開いてるし、部屋には居ないし。塔の周囲回ってから戻ってみたらこれって、忙しい奴だな。」
「あっ、その……ごめんなさい。」
「それよりこっちに。その犬、多分魔獣だ。悪魔の追跡用じゃないかな。」
ソルが指差した先には腹に刺さった結晶を落とし、ゆっくりと此方を睨む犬の魔獣。
「あっ、おっきくなって……」
「ここでなんなよな、っと!」
「ギャウッ!」
ソルは手首に巻かれた結晶に仕込んだ「飛翔」の魔方陣を起動させて、落とされていた結晶で殴るように魔獣を窓から放り出した。子供ほどの大きさだったその魔獣は、地面に着地したときには体高二メートルを越える化け物へと変貌していた。
「オオオォォォン!」
月明かりに遠吠えが響いた。