第六十一話
影に潜んだソルが、通常ではあり得ない速度で路地裏をかける。怪しげな建物の全てを中に入り込み、痕跡を探していく。
(とはいえ、狂信者や魔法の痕跡なんてそうそう無いけどな。どこか潜伏するなら……やっぱり地下か?)
造るのにかなりの労力と知識を必要とするが、視覚に触れないという部分で優秀だ。水も豊富かつ、降水量の多くないケントロン王国では、地下に水路の類いも無いのも大きい。
しかし、地下室の入り口と言うのは大概巧妙に隠されている物だ。獣人並の感覚や、衛兵のような知識や経験の無いソルに、すんなりと見つけるのは不可能に近い。
「…………って事かな?」
「っ!?」
急に曲がり角から声が聞こえ、影に潜っているのも忘れてソルは物陰に隠れる。
「分からない。でも、貴方にも協力して欲しい。」
「却下かなぁ。君の試験データのお陰で生き残ったとはいえ、ねぇ。あまりにも僕のメリットが無いだろ。」
「それは……その通り。」
「わぁ、素直。君は損する性格だね。まぁ、見かけたら教えてあげるよ。」
「ん、十分。助かる。」
「はいはい、まったく。それじゃね拒絶の魔人。」
黒い外套は、拒絶の魔人と同じ。ソルのいる道を通るのは男だろうか?
ふと、フードの奥の暗がりから紅い目がソルを見つめる。息を殺すソルへ、男が手を伸ばし……
「どうかしたの? アルスィア。」
「……いや、何でもない。影の特性なんて持ってる奴は、僕以外は此処には居ない筈だしね。」
「……? そう。」
無感情な声に振り返った男は、そのまま夜闇に消えていった。想像以上に大物がこの国には潜り込んでいたらしい。
とはいえ、今のソルには関係ない。それよりもマモンの残滓の奪還が優先である。アルスィアと呼ばれた男が去り、少ししてから拒絶の魔人も動き出す。ソルは影の中で後をつける。
(ここは……やっぱり、ベルゴが行った筈の所か。あの野郎、片方は当たりだったのに黙ってたな。)
拒絶の魔人が入っていった家屋。扉が閉まる前にソルはするりと潜り込んで壁に背を着けた。
「……誰?」
流石に魔人と言うべきか、拒絶の魔人は魔術の気配は感知した様だ。もっとも、それが何かは分かっていない様だが。
「気のせい……?」
しばらく辺りを探っていた拒絶の魔人は、そのまま屋敷の奥へと去っていく。警戒は解いていないようだが。
ソルも、術式を準備したまま続く。後を着けて、マモンの残滓の在処を探るつもりで。隠してある扉(今回は敷物の下にあった)を開き、地下へ降りていく拒絶の魔人。
(扉は閉めないのか……まぁ、敷物戻せないしな。)
彼女の魔力は半透明な白だった。扉越しに敷物を動かせる程の力場の特性なんて無い筈だ。
それはともかく、ソルにとっては好都合だ。夕闇も終わりを告げる暗闇の中、ソルは地下へと降りていく。影から出ない限り、音以外の全てを隠す魔術は、使いにくさを除けば優秀過ぎる魔術だ。
「……【天衣無縫・法衣】。」
(ふ、塞がれた……まぁ、そうするよな。)
下へ続く階段に、光の幕が現れて揺れる。いかにも頼りなさそうなこれが、びくともしない防壁な事を知っているソルはそこで足を止めた。
とはいえ、やっと見つけたのに、諦める選択肢はない。幸い確信している訳では無いようだし、戻って来るか消えるかした時にチャンスは来る。
……しかし、彼女はその場から動かなかった。
「誰? 返答しないなら死んでもらう。」
無論、それで返答するなら最初から隠れて等いない。沈黙を確認した拒絶の魔人は、通路の上に手をかざし魔力を紡ぐ。現象を願う意思が魔法を発動させて、一瞬だけ魔法陣を空中に写す。
「【矢となる光】。」
「「光弓」。」
単純だが早い魔法。その魔法陣をすぐさま模倣し、ソルは魔術で迎撃する。魔力を自在に動かせる魔人だからこそ出来る芸当だ。
わざわざ放つのだから、光の幕をすり抜けるのは分かっていた事。そのため早い迎撃は、見事に成功しソルの身を守る。
「って、影無くなったか……まぁ、光だもんな。」
「貴方は! ……一体どれ程の特性を持っているの。」
「答えると思うか? それよりもマモンの残滓は渡してもらうぜ。」
「それは私の言い分。」
食い違う互いの主張。しかし、それが真実なのか惑わす戯れ言なのか、判断がつかない。
動かない状況に、最初に焦れたのはソルだった。
「まぁ、いいさ。取り敢えずこの地下室を調べてからでな。【具現結晶・狙撃】。」
「無駄。私には届かない。」
結晶は光の幕に当たり、落ちる。階段を跳ねる結晶が突如拡散し、その破片を撒き散らした。
破片一つ一つが、宙を舞って壁へと食い込む。それを確認したソルが、すぐに後ろへと駆け出した。
「っ!? 逃がさない。」
「いーや、逃げない。」
飛び交う光の矢も、飛翔で飛び始めたソルを捕らえることは出来ない。あっという間に地下室から出たソルが、結晶を探知して位置を探る。
「……この部屋からだな。」
「はぁっ、追い、付いた。」
「「切削」!」
「きゃっ!」
追いかけてきた拒絶の魔人だが、ソルが展開した魔術によって起こる砂埃に視界を塞がれる。
ソルはその魔術によって、真上から地下室の通路へと到達した。すぐ後ろに光の幕と、壁に埋まった結晶も見える。
「よし、うまくいったな。固定しといて……これで崩れないだろ。」
上を見れば、それなりの高さがある。五メートル位だろうか、暗闇に飛び込むには勇気がいる高さだろう。飛翔を使うソルにはあまり関係ないが。
とはいえ、追いかけてくるなら階段から来る事も出来る。急いだ方が有利なのは間違いない。階段を駆け降りたソルは、次々と扉を蹴破って進む。
「っと、ここが最後か? 只の部屋だな……何もない。」
部屋の中央に机が一つある以外は、何もない部屋。その机も、上には何一つ載っていなかった。
「でも、こんなとこに何もない部屋は作らないよな。何かあった筈だ。」
「白々しい、貴方は知っている筈。ここまで来れる人間は居ない。」
ソルが振り向けば、拒絶の魔人が入り口に立っていた。感情の乗らない声とは裏腹に、もし外套のフードが無かったなら、きっと射殺さないばかりの目付きが見えるだろう。それほどの威圧感を放っていた。
「悪いけど本当に知らねぇよ。悪魔の裏切りじゃないか?欲しがる奴は多そうだ。」
「こんな所に残滓があると知っているのも貴方だけ。」
「国単位なら知ってたけど、この家にあるとは知らなかったよ。」
「鼻が効くお仲間が居る筈。」
「……まぁ、情報は貰ったけど。それでもマモンの残滓は調べられ無ぇよ。」
互いに魔力を滾らせて少しずつ間合いを調整する。
調べ終えたソルは入り口に辿り着きたい、拒絶の魔人は逃がしたくない。
しかし、ソルは中距離で、拒絶の魔人は遠距離での攻防を好む為、動かない訳にもいかない。
「俺は知らないけどな、一つ当てが出来たよ。何処に行ったかくらい教えてやるから、そこを開けてくれないか?」
「壊した後なら意味が無い。私は名持ちになりたい。」
「……止めとけよ。力を増した所で録な物じゃないぞ。」
「それでも、私にはそれしか無い!多連【矢となる光】!」
「【反射する遊星】。」
八つの小型結晶が、光の矢を反射し部屋中に当てる。それと同時にソルは地下室にかけていた固定を解いた。
柱を焼き貫かれ、地下室が振動を始める。だめ押しにソルは壁に弱く【具現結晶・破裂】を叩き込んだ。
「……何?」
「じゃあな、拒絶の魔人。生きてたら二度と追って来んなよ。」
辺りを見渡した拒絶の魔人は、きっと地下室の危険性を知らなかったのだろう。ソルはアナトレー連合国で一度体験済みだ。
魔術を使い、直線の穴を掘って飛び出すソル。そのまま空高く飛び、地上を見返した頃には上の家屋ごと倒壊していた。
「……逃げよう。」
人が集まる前に逃げ出さなければ時間を取られる。ベルゴに話を聞く必要があると判断したソルは、ひとまず宿に帰ることにした。
暗い路地裏では、人々の生活音さえ聞こえない。ひっそりとしたその空間を、突如として足音が響く。その後に光石の仄かな灯りが続く。
「多分この辺りなんだよな~。」
「兄ちゃん、それ確かなのか?」
「俺を疑うの?俺が動いて解決しなかった事は無いぜ?」
「おぉ、凄そう……。」
事実は解決出来そうな事にしか、手を出していないだけなのだが。少年にそれを知る術がある筈も無い。
「まぁ、とにかく探してみよう。」
「分かってる。どっち?」
「それじゃ俺がこっちに行って……って?」
ベルゴが何かにつまづいて転げ、光石と水が地面に落ちる。くるりと転がると起き上がったベルゴが、その方向に目を向ける。
水溜まりに落ちた光石は畜光を放ち続けている。その灯りに照らされたのは少女。
「マジか……生きてる、これ?」
「あ、うあぁ……リツぅぅ。」
道の端に布をかけられていたのは、少し窶れた汚れた少女。生きているとは言い難いその様子、しかし体温も脈もある。
(分からないなぁ……二、三日このままだった訳? まぁ、少なくとも人間の仕業では無いよねぇ。)
声をかけようと、触れて揺すろうと、まったく反応しない少女に、ベルゴは悪魔と言う単語を脳裏に過らせた。
とにかく、少女は見つけた。ならば後は国の仕事である。ベルゴはアリムを急き立てて、少女を連れて行く。
「さて、このままだとお兄さん、犯人にされちゃいそうだし? 子供の君が偶然発見したってことで、治せる人探して貰いな。」
「う、うん。分かった。あ、ありがとな。兄ちゃん。」
「気を付けてな、アリム君。」
少女を一目見て、何故自分がこんなことをしているのか、そう思ってしまったらもうやる気が出なかった。
安全な範疇で出来ることも無さそうだし、ならば撤退に限る。
(あ~……宿どっちだっけ?)
取り敢えず離れられればいいか、とベルゴは歩き出す。月明かりのみが照らす中、路地裏から一切の気配が消え……現れた。
「あれ?居ない。まさか五感が切れてるのに動けたの……? ってそんな訳無いか、人が来たね。あちゃ~、バレちゃったかなぁ。」
黒い外套に身を包んだ青年は、地面に捨てられた布を拾う。
「まぁ、いっか。別のを回収すれば良いし……マモンの残滓か。良い事聞いたねぇ~。どっちみち拒絶じゃ出来ないし、僕が……」
再び捨てられた布が影に呑まれ、ズタズタに裂かれる。ゆっくりと歩き出す男、アルスィアの目が、暗い闇夜に紅く揺れた。