第六十話
日が高くなり始めた頃。
「って事があってさ。」
「人間の国でも悪魔って、なんか呪われてんじゃないか。それ、シラルーナちゃんにはもう言ったの?」
「昨日のうちにな。」
「シラちゃん、怒りませんでした?」
「いや、それが」
「泣かれたか?」「泣かれましたか?」
「……分かってんなら聞くなよ。俺も悪かったとは思ってるし。」
ソルが拗ねた様に窓を向けば、随分と明るくなっている事に気づいた。そろそろ探してみるか、と立ち上がるタイミングで、もうひとつの影が起き上がる。
「……おはようございます、ソル様。」
「寝ボケすぎだろ。初日以来だぞ、その呼ばれ方。」
「ん、ん~?……おはよう?」
「……もう少し寝てるか? いや、やっぱ起こすか。」
今日はしっかりとした睡眠を取れた筈なのになぁ、と言いながら容赦なく窓を開け放つソル。風と日が部屋に入り込み、眠気を飛ばす。
「あぁ、折角の甘えん坊シラちゃんが……」
「ライ、そこは残念がる所では無いんじゃない?」
二人の会話が入っていたかは怪しいが、シラルーナの耳がピクピクと動き出した。ぼんやりと開いていた目が、パッチリと開きソルを見つける。
たちまちに朱の指す頬に、隣のライが破顔するのを感じ、ソルは苦笑する。
「あっ、おはようございます……ソルさん。」
「うん、おはよ。顔洗ってこいよ。」
「はい……」
下に水を貰いに行くシラルーナに、ライが着いていく。それを見送ったマカが、いつの間にか向かいのベッドに腰掛けているソルに口を開いた。
「そんで探し物っていうのが、その悪魔……なんだっけ?」
「マモンな。原罪は覚えといた方がいいぞ、危険だから。」
「まぁまぁ。それでそのマモンが宿った宝石を探してるのか?」
「あぁ、そうだ。正確には欠片とも言えない残滓だけどな。」
ソルは自分が街の傭兵団や衛兵達と共に、やっとの思いで追い詰めた悪魔をそう評した。自虐的なのか、取り逃がした物を小さく思いたいのか。マカには判断がつかなかった。
「それで、見つかったのか?」
「いや、それが宛一つ無い。持ってる奴が俺を何故か狙ってくるし……訳が分からん。」
「狙われてるって……そりゃ危ないからだろ? 魔術師って、僕から見ても強そうだしさ。」
「あそこまで出来るのは魔人だからだぞ。それもアイツ等からすれば、只の失敗作だし。」
俺が狙われる道理がねぇよ、と寝転ぶソル。取り敢えず遭遇して聞くしかない。
「それならどうすんだ?」
「今からか? まぁ、狂信者に関連しそうな建物を探るよ。幸いアジスが捜索してた街の地図をくれたしな。怪しいとこは分かる。」
「アジス様がそんだけ協力的なのも珍しいな。いつもは手出ししないのに。」
「そうなのか?」
アジスが獣人に手助けしないのは、本人の教育のつもりだ。しかし、マカはそこまで気付いてはいなかったらしい。ソルに協力的なのは、彼はアジスに教育される道理が無いからだ。
ソルとマカがのんびりとした朝を過ごしていると、下からシラルーナ達が戻ってきた。
「マカ~、朝御飯持ってきたよ~。」
「えっ? もう出来てたの?」
「アジス様達のついでじゃない? もう出てるみたいだから。」
「あぁ、軍部だっけ? もう顔出し再開したんだ。」
何故か四人分の食事を持ってきた彼女達が、それを部屋の机に並べる。部屋に食事を持ち込むのは良いのか? とソルは首を傾げた。
「ソルさんの分もありますよ。一緒に食べませんか?」
「あぁ……んじゃ貰うよ。」
もう食べた後だが、入らない量では無い。それに昼食に近い時間ではある。折角、持ってきて貰った物を食べないのも気が引けるので、ソルは席についた。
マカはソルが朝食を取った事に気付いていたが、席についたソルと、嬉しそうなシラルーナを見て黙ることにした。四人で朝食を取り、食器のぶつかる音が響く。
「マカはそろそろ動ける?」
「もうとっくに動けるってば。これ何度も言ったんだけどな。」
「じゃあ、この後四人で出掛けない? この前のリベンジ!」
「シラルーナちゃんは大丈夫?」
「はい、私も楽しみですから。」
ついこの間拐われたばかりのシラルーナに、マカが問いかけるが問題無いらしい。しかし、ソルは首を振った。
「悪いけど、俺は用があるからさ。」
「探し物か? 探索は苦手だろ、僕も手伝うけど。」
「まぁ、苦手だけどさ……向こうが見つけるって。」
「そうですか……ソルさん、気を付けて下さいね?」
「大丈夫だよ、昨日もそう厳しく無かったろ?」
無論、ソルとてイレギュラーを考えていない訳では無い。けれど、余裕を見せる事は強がる事だ。不安を煽らないように、敢えてソルは笑って言った。
ソルが一度始めたら、止まらない事は知っている。シラルーナは納得するしかなかった。
「まっ、大丈夫だとは思うけど気を付けろよ。」
「あぁ、気を付けるよ。俺は部屋に戻って準備してくるから、お前達も気を付けてな。随分と派手に騒ぎになったし、しばらくは大丈夫とは思うけど。」
「おう、二度と失態は犯さない!」
食べ終えた食器を持って、ソルが部屋を出る。その後ろ姿を見送り、ライが大きく息を吐いた。
「はぁ、緊張したぁ。そういえばシラちゃん、もっとお話しなくて良かったの?」
「じ、実は私も緊張しちゃって……二ヶ月ぶりだから、ですかね……」
「それ、本人が聞いたら多分へこむぞ。」
マカの溜め息は、少し様変りした友人への、同情と哀愁が含まれていた。
鞄を漁り、目当ての物を取り出す。暗くならなければ「影潜り」は使えない。それまでソルは、羊皮紙にひたすら線を書き込むことにした。
「あっ、少し違うか……? う~ん、やっぱり固有魔法は無理かなぁ……」
日が少し傾いた頃。今日はこれぐらいにしとこう、とソルが羊皮紙をしまう。塔から持ってきた物だが、未だに完成してはいない。何を作ろうとしているかと言えば、具現結晶の魔術版である。
本来、複雑過ぎる固有魔法は解析出来ない。しかし、ソルの半身は悪魔である。自分の使う魔法ならば或いは……? と魔法陣の解析を進めているのだ……僅かに。
「さてと、建物の外から見て回るくらいはするか。」
立て掛けておいた結晶の剣を持ち出して、腰に座したソルは宿を出る。帰って来ていたようで、獣人達が食事を取っていた……夕飯には早い気もするが。
「おっ? ソルか。どうした?」
「今から出ようと思ってな……カローズはもう今日は終わりか?」
「そうだな……て言うか、今日も俺はさ、街をブラついてただけなんだけどな。」
「まぁ、顔出しとか苦手そうだもんな。」
その通りだな、と笑い飛ばすカローズに手を振り、ソルは大通りを歩き出す。
裏通りの建物で、狂信者に関係しそうな物を探していく。とはいえ、それが明確に分かるわけでも無い。その為、明らかに違うものを探す感じだ。
「しっかし、何でこんな所を作るんだろ? 追い出したい奴に住んでくれって言ってるような物なのに……いや、敢えて集めてんのかな? 探す手間が省けるし。」
実際、ソルも広い王都ではなく限られた範囲で捜索出来ている。真意は定かではないが、そういう意図もあるのだろう。
「ここもバツっと……う~ん、一斉粛清とやらがここで響いて来るとは。そりゃ地元の衛兵なら狂信者の住処位、把握してるわな……」
見事に破られた扉。外には広がっていない争いの後。ここを担当した部隊は優秀なのが伺える。
悪魔の力を使っても、ここまで鮮やかに制圧出来るかどうか。ソルならば建物を壊しかねない。良くも悪くも、自身の戦場に塗り替える魔法だからだ。隠密は不得手である。
「大分暗くなってきたな……これなら屋内も侵入出来るか。侵入する所が無いけど。」
見つからない。孤独の魔人に、何かを探す力は無いのだ。探索とはある意味、探し物との縁なのだから。
ソルにあるのは自分を守り、変えることの無い力。今は何の役にも立たない。
「拒絶の魔人も、同じ様な物だろうな……いや本当に、何でこの二人で追い合わなきゃいけないんだよ……」
明らかに、自分から動く戦法を持たない魔人達。彼等が遭遇出来るのは何時になるのか、それは彼等にもわからなかった。
「……もう帰らない?」
「兄ちゃんだけで帰りなよ。俺は向こうも探すから!」
少年の走る先は箱の裏。かくれんぼでもしているのかと言いたくなるのを抑えて、ベルゴは箱の中を開いた。
「只の野菜詰めか……アリム君、もう少し奥じゃないといないかもよ? 衛兵さんだって無能じゃ無いんだし。」
「でも、奥は変な奴が多いんだぞ。」
「だから明日、明るくなってから、ね?」
既に一日、振り回されたベルゴの体力は尽きかけている。早く切り上げたいのだ。
煩そうだし、明日はバックレてやろうとか考えているのが伝わったのか、少年は一向に帰る気配が無い。勝手に帰って彼に行方不明にでもなられれば、目撃情報なんかから自身が捕まりそうだし帰るに帰れないのだ。
今更ながら、首を突っ込んだ事に後悔する。逃げるのにもリスクがある案件だと、何故思い至らなかったのか、と。
「……はぁ、分かったよ。光石を使おう。」
「兄ちゃん、あんな高いもの持ってるの?」
「そんな高く無いでしょ? 宝石と同じくらいだよ。」
「高いし……必要ないのに持ってる人いねぇよ。」
「でも、俺は持ってるんだよ。」
ガラスの筒に水を汲んだベルゴは、光石をその中につける。昼間に貯めた光をぼんやりと放つ光石。それは辺りを優しく照らし出した。
「さぁ、さっさと見つけて帰るよぉ!」
「兄ちゃん、目的変わってねえか?」
色々と吹っ切れたベルゴの後を、アリムが歩き先に進んでいく。暗くはあったが、光石の明かりが照らした裏路地は、歩けない程では無い。
大通りから離れるように進むほど、段々と暗くなる夜道。二人は石畳の音を聞きながら少女を探す。
「そういえば、リツちゃんはどんな娘なの?」
「えっ? う~ん……なんか子供っぽい奴かな。未だに黒い魔獣とか信じてるし、大聖堂が神聖だとか素直に信じてるし。」
(同じくらいの子供じゃ無いのか? だったら運ぶのは楽そうだなぁ……しょうがない、バレないでしょ。)
ベルゴが話を振った癖に黙るので、アリムは何かあったのかと覗き込む。一瞬、緑の瞳が紅く揺れたように見えた。
少し悪寒が走り、少年は後退る。風が吹くと、いつも通りのベルゴがアリムに向き直った。
「ふっふっふっ……アリム君、俺は分かってしまったよ。彼女の居場所がね。」
「はぁ? 今の話の、何処でそんなのが分かったんだよ。」
「生意気だねぇ? それなら俺は教えてあーげなーい。」
「ぐっ……よ、よろしくお願いします……」
「よろしい、ついておいでアリム君。」
二人は王都の端、東の門へと歩みを進めて行った。