第五十九話
「……やはり無い。何処にも。」
黒い外套に身を包んだ少女が、地下の一室へ足を運ぶ。何度も戻って確認したが、どうしてもふと戻っているのではないかと期待してしまう。
彼女の目的は狂信者達とは違う。そのため、王都に入った途端にマモンの宝石を持って逃走。此処に隠れたのだ。狂信者達の態度が変わらないのは、逃げられたと考えていないからだろう。半分が悪魔なだけで随分と信頼されているようだ。
「全て鍵もかけ、隠蔽さえしたのに……どうやって?」
マモンの宝石にはマモンの残滓が残っていた。それを使い名持ちへと昇華したかった。今の彼女にはとにかく変革をもたらすほどの力がいる。
自身への否定。それが彼女の行動原理だ。
「許さない……絶対。」
幼い声音とは裏腹に、感情を感じさせない声は地下の土壁に吸収されていった。
「そっちにいったぞ!」
「逃がすな、捕らえろ!」
朝から騒がしい街道は、別段珍しくは無い。が、逃げ惑う狂信者は珍しい。
「此方は終わりだ。」
「はっ!協力感謝します……犬め。」
耳の良いアジスには最後まで聞こえていたが、あえて無視をする。被害にはあっていなくとも、王国の誇り高い地に罪人として定めた獣人がいるのが許せないのだろう。
もっとも、その罪人が持ってきた魔獣素材で暮らしているのは彼等だが。
「カローズ、抑えろよ。」
「ちっ、高揚した気分が台無しだぜ。」
カローズは、若い者に珍しく悪魔や狂信者に攻撃的だ。狂信者を殴れたのが良いガス抜きになったのか、アジスの指示に素直に行動しているのは気づかないようだが。
「アジス様、これ以上捕まえると人間との関係に亀裂が入るかと。」
「彼等も軍人なら誇りがあるだろうしな。余計な挑発に繋がる行為は避けるか……撤退だ。」
交渉に来ている手前、気を使う程度はする。獣人達が引き上げたのは半分程の狂信者が捕らえられた辺りだった。
彼等が「旅人の宿所」に帰ると、ソルがベルゴを踏みつけていた。
「……結晶の。それは?」
「いや、コイツがいきなり飛び付いてきたから、ついな。」
「だからって踏むなよ~、結晶のソル君。」
ベルゴが何故飛び付いてきたのかは分からない。しかし、彼の扱いが少し酷い。
「放してやれば?」
「カローズ、お前はコイツが服を着てなかったとしてもそう言えるか?」
「それは……」
「誤解だよ~、替えの服を買ってなかったから借りに行ったんだよ~。」
「貸すか! てか、サイズが違うんだよノッポ野郎!」
バシリと音がするほど叩き、ソルはベルゴを解放する。
自由になったベルゴを見れば、確かに昨日と同じ服装である。本人曰く洗ってはいる。
「アジス達はどうしたんだ? まだかなり早いけど。」
「日の出ぬうちから狂信者を追い回していた。戦闘の出来るものは血の気が多いからな、ガス抜きだ。」
「なるほど。」
視線を向けられたカローズは、否定するように首を振る。しかし、アジスが言う血の気が多い奴は十中八九、カローズだ。
「我々は食事とするが、君達はどうする?」
「俺達は食った後だな。街でも見てくるよ、探し物があるんだ。」
「そうか。協力が必要なら声をかけてくれ、取引を行う者以外、時間が空いているんだ。」
「その時は頼むよ。」
ソルが出ていけば、外は快晴。昨日のうちにシラルーナに指輪を渡せて良かった、と考えながら歩く。
その後ろを、ベルゴは平和だねぇ、と呟きながら歩く。
「……いや、おかしい。」
「? 何かあったのかい。」
「お前だ、お前! 何で着いてきてるんだよ。」
「だってお金持ってるのは君だし。買い出し頼まれたんだよね~。」
「はぁ? なんで俺の金で」
「シラちゃん、君の妹弟子なんでしょー?」
「……本当にシーナなんだろうな、まったく。」
探し物と言っても、宛があるわけではない。狂信者の情報ならば国はそうそう教えてくれないだろうし、やはり気長に取り組むしか無いだろう。
あの少女。拒絶の魔人は何故かソルを狙っている様なので、此方が探しつつ彼方も出やすい場所に行くしか無いだろう。
「……とこれと、あとこれも?」
「人が考え事してる間に山作るなよ……果実?」
「と、その他もろもろ!」
「本当にシーナのなんだろうな……高い。」
ベルゴの運び込んだ物を精算した女性が、ソルの呟きに答える。
「まぁ、砂糖とか蜂蜜とか、この辺りで作ってないからね……お兄さん、止めとく? この人が勝手に選んでたし。」
「いえ、買います……魔獣素材売れるところってありますか?」
「多分加工できる所なら全部だね。あんまり売られないから専用の買い取り先は無いんじゃないかねぇ?」
「そうですか。っとお代です。」
「はい、お疲れ様。本当に払えるのねぇ……」
売店から出たソルに選択肢は残されていない。こんな大荷物を抱えて街を捜索できるなら、是非ともやって見せて欲しい物だ。
勿論、大半をベルゴに押し付けたソルは、宿に向かって進む。中途半端に遠い為に、時間がかかってしまったが仕方ない。
「さてと……シーナはマカの部屋か。」
「そうみたいだねぇ。」
近づいた事で魔力を感じとることが出来、そのままソルは進む。食堂になっていた一階に誰も居ないことから、アジス達とは入れ違いになったようだ。
それならライ辺りなら知っているか、と構わずに部屋に行く。ノックをすれば、すぐに中からライが顔を出した。
「あれ? ソルさん? どうしました?」
「お使いだよ。ベルゴは宝石しか持ってないだろ? それで財布にされた。」
「君が進んでなったんじゃないか。誤解を招くのは止してくれ。」
「お使い……あー、あれですか。あれ、ベルゴさんがシラちゃんに甘味作ってもらうためですよ? シラちゃん、お人好しだから材料があったら作るとは言ってましたけど。」
「…………おい。」
振り返ったソルの目には既にベルゴはいない。その逃げ際は、獣人の中でも素早い事に自信があったライでさえ、舌を巻くようなものだった。
「くっそ、わざわざ戻ってきて損した……」
「何か用事が?」
「宝石を探しててな……」
「シラちゃんにプレゼントですか?」
「えっ? ……あ~いや、悪魔関係。」
妙に嬉しそうなライに、荷物を押し付けながらベルゴの持っていた山を部屋に運び込んだ。
ソルの荷物を押し付けられたライが不満そうにそれを運ぶ。その原因がソルの答えなのか、押し付けられた荷物なのかは分からないが。
「おっ、ソル。おはよう……には少し早いか?」
「そうでも無いだろ、もう日は上ってんだし。」
「ソルの朝早いじゃん。いっつも結晶回してるイメージ。」
「最近は魔法じゃなくて剣だぞ。」
「早起きに変わりないし。」
ベッドで休養を取っているマカだが、ケガ自体は酷くは無かったようで元気である。血と体力の消耗が激しく、一時は死んだと思われたとは感じさせない程だ。
ちなみにシラルーナは勿論眠っている。昨晩まで緊張を強いられる場所にいたのだから、仕方ない。
「今更だけどシーナのでも俺が払うの、おかしくない?」
「本当に今更だな……まぁ、僕らは人間の金銭感覚? とか知らないけどさ。」
「はぁ、良いけどさ。なぁマカ、魔獣の素材って何処で売れるかな?」
「この辺のは弱っちいから安くね? 運べるのも少ないだろ?」
「魔界拡大の所為か、何体かデカイのが居たんだよ。アナトレー連合国だったけど。だから厳選して良い状態の奴をな。」
そういいながらソルが取り出したのは確かに良いものではあった。しかし……
「それ、何に使えるんだ?」
「これとこれは青の触媒、これは赤、こっちはなんと紫だな。」
「……王国で? それ、魔術だろ?」
「……あっ。」
ソルは出していた物をしまい込んだ。
「あー、危なかった。あの真っ赤な怒気、怖いなぁ。」
ベルゴはそう独り言つ。そんな彼のいる場所は宿から少し離れた大通りである。
「いやぁ、しかし……気分悪いなぁ。思い出してからは少しは良くなってんのに……」
大理石の山をくりぬいて造られた、白い大聖堂を眺めたベルゴ。そこから流れてくる聖歌に、若干顔を歪ませる。
「普通、宗教なんて物を政治に絡めたら、もっと腐敗しない? 清らかぁ~な歌だなぁ、もう。唄は十分なんだけ、ど……?」
「…………」
大聖堂から離れようとするベルゴに、小さな手がしがみつく。見下ろしたベルゴの視界にはあまり大きくはない男の子の頭が写った。
「……なぁ、兄ちゃん。」
「俺は君のお兄さんでは無いよ?」
「知ってるよ、そんな事……でも、助けてくれよ……」
(うわ、面倒事の予感……!)
今にも泣き出しそうな男の子に、ベルゴは後退る。子供と言うのは思い込みが激しい。魔力……意思が現実に干渉できるマナがあるこの世界では、時に思いもよらない行動を実行できてしまう事さえある。
そして、厄介な事にそれは彼等にとって紛れもなく真実なのだ。つまり人の都合や常識は二の次である。時に大人びた子供もいるが、人を捕まえて涙で濡らす子供に大人びた様子は無い。
「誰も助けてくれないんだ……リツを見つけてよ……」
「えー、お兄さんには無理かも……リツっていった?」
「話聞いてくれるのか?」
「……まぁ、話だけならね。」
彼の話を要約すれば、三日程前に獣人達が来てから親が大聖堂に籠りがちになった。二日前にリツという少女がいなくなった。そして昨日、衛兵たちも事件性有りとして動き出した。今朝、衛兵達に聞いたらもう探していないと言う。
(まぁ、狂信者狩り始まったら女の子一人にかまけてらんないよね、人拐いとか日常茶飯事になってそうだし……あぁ、面倒くさ。)
王国では人為的な物だが、外では悪魔や魔獣の蔓延る世界だ。人一人の、ましてや先程知った名前以外、まったく知らない少女に抱く感想はその程度。余裕など少ない世界では、あまりにもありふれた事なのだ。
もっとも、人間が犯人でそれが金儲けの為なら、余裕があるからと考えられなくも無いが。しかし、子供に理屈はいらない。周りが慣れていようと諦めていようと、彼には友達の喪失に耐えるほどのナニカが無い。
「なぁ、兄ちゃん。俺と一緒に探してくれよ!」
(やっぱりそうなるよなぁ~。面倒くさい……けど。)
「少しだけだからねぇ?」
「うん、絶対見つける!」
「いや、話聞いて?」
無駄だ、偶然だと囁く自分にそっと蓋をして。ベルゴは少しの自己満足の為に少年に付き添う事にした。