第五十四話
照らされる石畳が太陽光を反射し、遮るものも無い明るい雰囲気の高台。多くの人が集うそこで、ソルも街並みを見渡した。
「あれが入ってきた関門だろ、あれが朝居た宿屋……なんだあの白い建物。」
しかし、狂信者とは関係が無さそうである。薄暗そうな場所、人が少ない場所を見繕う。
「……全部入り組んでるなぁ。もしも見つけても捕まえられるかどうか……とりあえず飯にするか。今日中にどうこうは出来ないしな。」
振り返るソルが高台に並ぶ出店を選んでいると、一つの店に人だかりが出来ている。
「……なんだ?」
つい、興味を抑えきれずに近づく。人を掻き分けて進めば、ふと甘い匂いが漂ってきた。
視界が開ければ、山。高価な砂糖を使った菓子を山と積んだ男性が、それを頬張っていた。
「すげぇな……」
「ありゃ、何処の富豪だ?」
「品が無いわね。」
「なんか気分悪くなってこないか?」
「胸焼けしてきた……あれ、三皿目だぜ?」
ずっと見てたのかよ、と心の中で突っ込むソルだが、確かに驚きである。別の意味で。
「なんで宝石……?」
男性の横におかれている皮袋。ソルも硬貨を入れるのに使っているが、そこから覗くのは宝石だ。どんな財力でもあれだけの宝石はまず揃わないだろう。しかも皮袋の膨らみから察するに複数。
男はそんな周囲の目線も意に介さず、みるみると減っていった最後の一つを平らげ、皿を持ち上げた。
「追加お願いっ!」
「「「まだ食うのかよっ!」」」
周囲の声と店員の声に、見事なサムズアップで答えた男性。
(こりゃ見てたら食欲無くすわ。近くでなんか買って食べよう、ここ以外で。)
なるべくなら昼食抜きは避けたいが、ここまで濃厚な匂いが漂っていると、流石に食べられない。甘い物は適量だから良いんだと思う。ソルに言わせれば甘味より旨味である。
さっさと食事にしようとするソルの視界。その端に何か黒いものがぶれた。
「っぶね。なんだ?」
咄嗟に加護を着けた手で弾いたのは石。もし当たっていれば大事である。
飛んで来た方向に視界を戻せば、そこには猿の獣人と男性が睨み合っている。
「で、俺の事が何だってハゲ野郎。」
「獣臭いと思えばシラミの巣が歩いてるっつったんだよ。聞こえなかったかエテ公。」
「おめぇ、俺に対してケンカ売ってんのか?」
「まさか、事実しか言ってねぇよ。お前に売るならケンカじゃ無くてバナナか、お仲間だよ。」
「ってめぇ!」
「なんだ、やる気か獣風情が!」
獣人の投げたカップが、ソルのすぐ横を通りすぎて行く。後ろに飛んでいったカップに目もくれず、ソルは手頃かつ両騒動から遠い屋台に歩く。
「いてっ! ったく、なんだよ……あっ。」
別の騒ぎが起きて、人々がそちらに集まり始めた。聞こえてくる会話から、どうやら奴隷商人恒例の手口で、ケンカ早い獣人に暴れさせて罪人として易く商品を仕入れる手段なのだろう。
歴史が深くなれば、見上げた手口も見下げ果てた手段も増えるのだろう。拐えば犯罪だし、普通に買えば高いから罪人を作る。労働力ならば獣人は一級品らしい。魔界では見向きもしないが。
「まぁいいや。おっちゃん、とりあえず串焼き一本。」
「肝座ってんな、坊主。」
「最近、他人の事がどうでも良く感じるんだよ。」
「ジジイか、その年で。ホラよ、一本。」
何気に売ってくれる辺り、慣れた騒動なのだろうか。ソルが串焼きをかじっていると、なにかが崩れる音が響く。
「おっ、終わったか?」
振り返るソルが見たものは、ケンカの終わりではなく宝石。咄嗟に屈むソルの頭上を通り、宝石が出店にめり込んだ。
嬉しいような悲しいような、と困惑する店主。しかし、困惑していたのは彼だけでは無い。
「残念、あぁ本当に残念だよ。俺がどれだけ楽しみに残していたか分かる君達が作ってくれるのかな、トリプルベリーブランデーチョコケーキ。」
「げほっ、何の話だ。」
「あ、危なかった……」
人間には当てないようにしてはいるが、その威力は並大抵の物では無い。どうやって投げたのか、気にかかる。
一方、直撃し出店に埋まった猿の獣人は、少しよろけながらも立ち上がった。歩いてよってくる男性に、出店の一部だった鉄棒を構える。
「いきなり何しやがる!」
「それはこっちの台詞だよ。俺の唯一の楽しみを邪魔しないでくれ。」
「だから何の話だ!」
鉄棒を振るい、横に跳びながら前進すると言う独特な間合いの詰め方で獣人が男性に攻撃する。足を狙うそれを、男性は紙一重……ギリギリ?で跳んで避けた。
「面倒だな……もう良いや、また頼むから。その宝石あげるから失せて?」
「舐めてんのか!」
さっさと宝石を拾い去っていく奴隷商と違い、宝石に価値を見いだせない獣人がそれで引くはずは無く。男性の後ろから獣人が殴りかかった。
「あだっ!」
「「「マトモに当たってんじゃねぇか!」」」
人死は不味い。騒ぎになれば目立ってしまい狂信者の捜索も難航する。そう考えたソルはすぐに獣人と男性の間に割ってはいった。
「おい、大丈夫か?」
「あ~、かなり痛い……」
「なんで突っかかったよ……」
「どけ、獣だなんだと煩い人間達め。」
「いや、獣ではあるだろ。」
鉄棒を構える猿の獣人に、ソルは先手とばかりに剣を腰から抜いて振る。勿論、鞘はついている。
斜めに構えた鉄棒を滑り上に逃げた剣筋は、ソルの脇腹をがら空きにした。すかさず蹴りを放つ獣人に、加護をかけたソルは膝蹴りで対応する。
「はっ、少しはやるか。」
「真面目にインファイトしたくねぇ相手だな。とりあえず止めにしないか?」
「ふざけんな、こちとら頭下げに来たんじゃねぇ。協力を申し出ただけだ。嘗められていられるか!」
「協力……あっ、あれか。
『んで、なんで獣人が王国に?』
『何でも魔界の拡大に共に備えようって事らしいぜ。ケントロン王国は、厳重な警戒の下だが獣人と僅かに貿易がある。良い魔獣素材と、食い物や布なんかを交換してんだな。』
『それで、王国なら話が通るからか。でも、王国って一番魔界から遠い様な……あんまり感心ないんじゃ?』
『そうでも無いぞ。獣人がいるから魔獣被害は少ないが、アナトレー連合国より南に近い。』
そういや、クレフが言ってたな。」
「知らないふりか? 人間に嘗められる訳にはいかないんだよ!」
「じゃもう少し落ち着けよ……って獣人は強者絶対主義だったっけ。それでか。」
「ごちゃごちゃ煩ぇ!」
拳、鉄棒、蹴り。人間に近い猿の獣人は、道具や体術を上手く使いこなしていた。大きな魔獣や、明らかにパワータイプなミフォロスに慣れたソルには若干きつい相手だ。ケントロン王国の街中で魔術や魔法を使うわけにもいかない。
「しまいだ!」
「させるかよ。」
激しく打ち合う二人。
獣人の体力と、密かに「飛翔」で体力を温存しつつ戦うソルでは、中々勝負がつかない。
「くそっ、物理戦闘なんて柄じゃ無いのに……まてよ、あれなら。」
「ちっ、防ぐのは上手いようだな。」
呼吸を整えるため、一度獣人が離れた隙にソルは懐からそれを取り出した。
「ストップ、これが何か分かるか?」
「あぁっ? ……勝利祈願の御守りか。木製だが、なんで人間が持ってる? 故郷の奴等は皆堕ちた筈だ。」
「ラダム士族長に貰った。」
「ラダム? あの魔獣殺しのラダムか!?」
どうやら知っているようだ。それなら、とソルは畳み掛ける。
「このとおり俺はこの国の人間じゃない。だから、俺の願いを聞いてくれるのは、別にこの国に負けてる訳じゃないだろ?」
「あん? ……そうか?」
「ほら、周りも集まってる。問題は起こすなとか言われてないか?」
「これは問題じゃないだろ。」
「ここまで集まれば人間は問題にする。」
顔をしかめる獣人は、鉄棒を片手でぶら下げた。葛藤はしているが戦う気は失せてくれたようだ。興が冷めた、という奴だろう。
「じゃ、互いに解散って事で……」
「「待った。」」
「俺も行くぞ。君、面白いし。」
「着いてきて貰うぜ。そんなもん持ってる奴をどうするか、上に判断して貰う。」
「め、面倒くさい……」
何故こうなった。猿の獣人に引きずられ、ケーキ男に着いてこられたソルは、深い溜め息を溢した。
何故か「旅人の宿所」に戻ってきた三人。時刻は夕方も迫る頃だ。
「なんでここ?」
「ここに泊まれって言われたから。」
「わぁお、デケェー……甘味あるかな。」
「「まだ食うのか……」」
入ってみれば、朝の喧騒は嘘のように静まっていた。数人の人間が清掃作業に勤しんでいる。
「あっ、兄ちゃん帰って来た! ったく、もう別の宿に行ったのかと思ったぜ。」
「よう、オディン。これは帰って来たんじゃ無くて連行されてきたって言うんだ。」
「ふーん。父ちゃーん、ほら、俺の連れてきたお客さん!」
「おう、待ってろ……どっちの人だ?」
「ちっこい方。」
「このケーキ男が無駄に高いだけで、俺は標準だからな。」
立ち上がりながらケーキ男を指差すソルに、彼は反論する。
「待って待って、ケーキ男は無いだろう?」
「そうか? 合ってるだろ。」
「だな、ケーキ男。」
「止めろよ、俺は……そうだな……ベルゴ。ベルゴって名前があるんだからな。」
「「胡散臭い。」」
左右の二人に言われても、ベルゴは既に厨房に興味を示しておりどこ吹く風だ。
「……あー、とりあえず君はお客さん?」
「そうですね。宿泊手続きいいですか? ソルです。アナトレー連合国から来ました。」
「はいよ、ソル……ね。何泊ですか?」
「しばらく滞在したいですが、できます?」
「退去の三日前に連絡してくれれば良いよ。」
「じゃ、それで。」
話を終えた店主は、部屋の鍵を渡すとベルゴの方へ向かう。はしゃぐベルゴの様子から、どうやら同じ宿になるだろう。
「同じ宿なら無理についてこなくて良いや。いつでも居場所分かるしな。俺はカローズだ、また会ったときは宜しくな、ラダムに認められた人間。」
「もしかして交渉に来た獣人、皆ここに泊まってるのか?」
「そうだが? 四十三人全員だ。」
「……何部屋あるんだろ、ここ。」
随分と賑やかな宿に泊まってしまったものだ、とソルは一人溜め息をついた……その彼の後ろで扉が勢い良く開かれた。