第五十三話
「今、正に陥没せし世界の諸悪の権現こそ悪魔。我等に悪魔を寄せ付けぬ守りを授ける物は祈り、聖なる思いである。」
大理石を堀抜かれて作られた巨大な大聖堂は、上に嵌められたステンドグラスの光に照らされ、多くの白い法衣に身を包む者を照らす。
「……あれ、本当に悪魔を退けるのかな。」
「そうなんじゃ無いかな、お母さんも言ってたよ。」
「それ、悪い子は黒い魔獣に拐われるってのと同じだろ。」
「黒い魔獣もいるよ、多分。」
小さな子供達は外で暇そうに待っている。そんな彼等に、一人の男が近寄る。黒い外套に身を包む彼に、二人の幼子は怪しげな視線を向けた。
「……? お兄ちゃん、誰?」
「中に入るなら、教祖様の許可がいるぜ。差別だ、差別。」
「違うよアリム、しんせーな場所だからだよ。」
「そうなんだね。それじゃあ教祖様のお話が終わるまで、お兄さんとお話しないかい?」
「なんだ、怪しそうな奴。行こうぜ。」
「……私? 君は誰なの?」
「はっ? おい、行こうぜって。」
男は少女の手を引いてその場を立ち去った。少年は、訳も分からず立ち尽くすしか無かった……
「……迷った。完全に迷った。なんかエーリシでも迷ったけど、ここでも迷った。」
ケントロン王国の王都は広大だ。アナトレー連合国の街で言っても何個も入るだろう。
しかし、現在ソルが居るのは門から一キロ。小さめの村一つ分程である。今ソルがいる、日が照らすのは上の方ばかりの裏路地は、王都が広くて迷ったと言える範囲か怪しい距離だった。
「うーん、こっちが入り口なのは分かる。ただ、表通りってどっちだ?」
結晶を飛ばして約二週間。ケントロン王国の東領域は丸々スルーし、直接王都に飛んだソル。主な移動が夜中だったのが災いし、王都の地理がてんでわからないのである。
「とりあえず、歩き回って……って?」
ソルがつまづいて足元を見る。そこには微動だにしない少女が、体温を持って横たわっていた。鼓動も呼吸もある、死んではいないのだろう。しかし、目を見開きピクリともしない姿は死体そのものだ。
(……不味いかな? 今の俺は一応門は通ってきたけど、犯人になるには十分怪しいぞ? 弁護してくれそうな伝もねぇし……逃げるか。)
少女には悪いが今はマモンを追わねばならない。緊急では無いが何年も牢に繋がれる訳には行かない。
哀れだとは思うが、今彼に出来ることは無い。
(……しかし、ケントロン王国は悪魔被害は少ないって聞いたけど。こりゃ厄介なのも潜んでそうだな。上層部が気にしてないだけか。)
あまり意味は無いだろうがせめてと思い、道の端に寄せて近くの布を被せてやる。一連の動作を終えたソルがその場を離れ、歩き出す。栄華を誇る町並みとは裏腹に、裏路地は暗く、立派な家々の壁がかえって閉塞感を強めていた。
本当に何でこんなところを歩いているのか、段々と分からなくなる。途方にくれるソルに、今度は動く人間がぶつかった。
「くそっ、邪魔だ!」
「待て! 貴様ぁ!」
ソルを突き飛ばそうとした少年と、それを追う男。道を聞くにはどっちでもいいが、簡単に言うことを聞いてくれそうなのは前者だろう。
「よっと。」
「ぐわっ!?」
少年を壁に押し付けて匿い、男に足払いを掛ければ頭から石畳に転げる。ついでに腰に指す片刃の剣を鞘から抜かずに持ち、叩いて気絶して貰った。
「さーて少年。一つ聞きたいんだけど……。」
「な、なんだよ。金なら持ってないぞ!」
「金じゃ無くてさ、道教えてくんない?」
「はっ?」
ソルの頼みは、少年に快く叶えて貰った。
「……って言うわけさ。」
「つまり、一人で迷子になって腹いせに蹴っ飛ばしたら追いかけられた、と。自業自得だろそれ。」
「だってアイツ人拐いだし。八つ当たりに丁度いいじゃん、人助けみたいで。」
「偉いのか悪いのか判断に迷うな、それ……いや、やっぱりダメだろ。」
実家が宿屋を営んでいると聞いて、ソルは少年に案内を頼んだ。客が増えれば小遣いも増える。少年にも良い話だ。
「ん? でも迷子って事は……どこに案内してんだ?」
「え? 今は適当に歩いてるよ、なんとなくこっちな気がするから。大体それで帰れるし。」
「……まぁ、着くんなら良いけど。」
裏路地を過ぎれば、人と店の並ぶ大通り。多くの人が行き交うが、武装した者はいない。
肩や脛に甲殻で作った鎧を当てて、片刃の剣を腰に指すソルは中々に目立っていた。
「武器はともかく、コートの上の鎧は外した方がいいか。」
「それでも司祭様とか偉い人みたいな服だよな。コートもバンダナも外したら?」
「コートはともかくバンダナはダメ。てかコートも取らねぇよ、荷物にしたら嵩張るだろ。」
「どんな理由だよ、兄ちゃん……」
迷子の割には迷い無く進む少年。まぁ、どうせ迷っていたしどっちでもいいか、とソルは辺りに目を向ける。
元気に呼び込みをするもの。仲睦まじく歩く男女。急いで走る若い男性に、馬車を操る初老の紳士。店先でケーキをどか食いする男性に、走り回る子供達。
喧しい位の街並みは、流石王都と言わざるを得ない。孤独の価値観の所為か、ソルにはあまり好ましく無い。祭のようだ、と言えば少し楽しくも感じるが。
「色んなのが居るな。道に迷わない迷子とか……」
「変な呼び方すんなよな、俺にはオディンって名前があるんだぞ。」
「悪かったって。」
「ったく、兄ちゃんも迷子の癖に。」
「もって言ってんじゃん……」
「煩いな! 着いたから俺は迷子じゃねえし!」
オディンの指差す方向にはかなりの大きさの宿屋がある。周辺に観光よりも食品なんかの商品が多く、狙いは旅人や行商人だろう。
今のソルにはぴったりである。少し高そうではあるが、その分は安全だろう。マモン以外の脅威は相手にしたくない。
「ただいまー。」
「おう、オディン。丁度いい。裏の方から水汲んできてくれ、父ちゃん手が放せないから。」
「え~、母ちゃんは?」
「買い出しだ、肉が足らないんだ……」
入って早々に響くのは喧騒。凄い勢いで食事を量産していく主人と、その倍かと疑う速度で平らげていく客。しかし、ソルが驚いたのはそこでは無い。
客の顔ぶれである。熊、犬、山羊、猫……獣人である。人間の間で今まで獣人は、あまり良く思われていないようだったが……ここでは違うのだろうか。
「兄ちゃん、手伝ってくんね?」
「いや、俺客だぞ。」
「頼むって、なぁなぁ!」
「だぁ、煩い! その代わり少し割引しろよ!」
「やった、重いのやなんだよね~。」
「いや、お前も運べよ。」
えー、と文句を言うオディンにソルが水を入れた桶を渡す。二人で厨房に水を運び入れると、何人もの人が慌ただしく働いていた。
「……ここに置いとくな。後は任せた。」
「オッケー、あっちでなんか食べときなよ。父ちゃーん、水運んできたぞ~。」
ソルがその場を離れ、一階の食堂に戻る。空いた机に腰掛けると、周囲の様子を観察する余裕が出来た。
さっきは簡単に見回しただけだったが、ちらほらと人間の客も見える。エーリシでも獣人に対する話はあまり聞かなかったが、嫌っている者は多かった筈だ。ここではそんな事も無い……訳でも無さそうで、入ってすぐに顔をしかめて出ていった人がいた。
「例外も多いって事か……? そうか、南が獣人の国だから魔界からの被害が薄いんだったか。それで交流もあるから獣人嫌いも少ない……のか?」
他ではあまり獣人を見ないのは、北上できる余力が中央にしか無いのだろう。魔獣素材を買うしかないケントロン王国では、戦力を持つ獣人は案外いい取引相手なのだろう。同時に悪魔や魔獣より近い脅威でもあるが。
「そういえば、なんでこんなに獣人がいるんだろ。明らかに貿易って雰囲気じゃ無いのもいるんだけど……」
「お客さん、注文は?」
「えっ? あー、一番安いのを。」
「はいよ、在庫処理品になるがいいか?」
「腐ってなきゃ構わないよ。」
「そんなん出さねぇよ……出てきた事あんのか?」
微妙な顔のソルが頷くのは、アナトレー連合国とケントロン王国の国境で、手続きの際に安宿に泊まった時に出てきたからだ。因みに完食した。
注文を取りに来た男性は、ウチは大丈夫だ、と言うと厨房に戻っていった。あの忙しい中で客の状態も見るとは、流石プロだ。
「さて、まぁ獣人とかは気にしないし、宿はここでも良いな。食事も出来る……後は情報だな。魔獣も出ない、衛兵もしっかりいるんじゃ傭兵家業は出来ないよな……何か伝がありゃいいが。」
とにかく探るしかない。国教が狂信者を排他的に扱うなら、狂信者の事を知るのは少し道を外れた者達だろう。狂信者がいるところを追えば、マモンの残滓をもつ拒絶の魔人にも会える筈だ……多分。
最悪、アラストールだけでも追いかけたい所だ。確実に滅ぼすために。
「「闇の崩壊」……完成させておくんだったな。」
悪魔殺しの魔術。媒体に最適なものを研究出来ず、未完成だ。理論は完成しているし、候補となる触媒もいくつか選りすぐったが、細かい加工が難しく使用できる物が無い。
あのまま塔で研究していても魔界に入ってしまい、まともに生活出来ない為致し方無いが。それでも惜しいと思う。
「魔法にしようにもあそこまで細かく魔力は操れないしなぁ。原罪レベルなら易く使えそう……いや、そいつらに使いたいんだけどな。」
「お客さん、はいよ。」
「あっ、どうも。」
届いた料理は値段の割にはしっかりとした物で、久しぶりのマトモな食事に空腹感が刺激される。干し肉や本当の処理品だったりした二週間は想像以上に堪えていたようだ。
食事を終えたソルは、今は宿泊手続きも出来そうに無いと判断した。場所なら覚えたし、気をつけていれば迷わないだろう……多分。念のため宿屋の名前を覚えて(旅人の宿所だった)街を散策する。
「やっぱりデカいな……とりあえずどっか街を見渡せる所っ、と。あったな。」
街の各所にある高台。憩いの場所としての趣向もあるそれに向けて歩き出す。
広い道は人だかり、裏路地や狭い道は迷路のようで、辿り着くのに苦労した。太陽が随分と高くなったが、なんとか高台に上りきったソルは、今ほど「飛翔」のありがたみを知るときは無いな、とため息を溢した。