第五十二話
もやもやと漂う霧は、透明ながらも僅かに紫がかって見えた。
その霧をかき分けて歩く(いや、地面と認識出来るものが無いが)。しかし、何処かにたどり着ける様ではない。
「俺、何処にむかってんだっけ。てか、何のために移動してんだ?」
進むことに飽きて、その場に立ち止まり周囲を見渡す。代わり映えしない光景だ。
「……何か、しなくちゃいけない事があったと思うんだけどな。何だっけ。」
何か心当たりになるものでも無いかと、軽く自身の服でもまさぐる。ふと手の先に当たる何か。
「……木のメダル? あぁ、そういや約束があったな。悪い、俺は行かなきゃ……って誰に言ってんだか。」
そういえばこの指輪も直そう、と考えながら次第に晴れ行く霧を眺める。
『……またね、×××。』
「……? 今、何か聞こえた?」
霧は晴れて、視界は白に覆われた。
「……っ。まぶしい……」
目を冷ましたのはベッドの上。周囲に人は居なかったが、置いてある物なんかから医療室だろう。となると傭兵団「白い羽」だと考えられる。領主の館や民間の治療院にしては無骨だし。
「あっ、そうだ。指輪変えとこ。」
四肢や魔力を動かしたり、小さな結晶を創って、体調に問題無いことを確かめたソルは、飛翔と具現結晶を使い指輪の装飾を全て潰して平らにした。嵌め込まれた宝石は結晶に変えておく。そこまで変えて効果があるか不安だったが、そちらの方が安定したので問題無い。
自分の体とは別に依代がある。何とも妙な話だが、二つとも無いと記憶や精神が安定しないので困り者だ。体の方が統合に慣れて安定すれば、徐々に指輪から戻る筈だが。
「この宝石……あの裏路地の情報屋にやれば、マモンの行き先が分かるかも。」
あのマモンでは暫くどうしようも無いだろうが、完全に消滅していないなら、核が無くとも復活が早まる恐れもある。出来れば確実に無くしたい。
一介の悪魔が足と呼べ、マモンを回収等と言い出すのはあの場にいた狂信者位の筈だ。
「よし、それなら早速……」
「寝てろアホ。」
「いてぇっ!?」
行動方針を決めて立ち上がろうとしたソルの頭に拳骨が落ちる。見上げたソルの視界はミフォロスの顔を写した。
「ったく、五日もぶっ倒れてた奴がすぐに立つな。」
「魔力が無くなりかけただけだろ。」
「それ、どうなるんだ?」
「植物みたいになる?」
「大事だ、たわけ!」
二回目の拳骨が落ち、ソルの頭に痛みが走る。病人にも容赦が無いのは、魔力が回復するものだとソルが言っていたのを覚えていたから、もう大丈夫だと判断したのだろう。
実際、目を覚ましたならば魔力切れは乗り切ったと言っても良い。下手をすればそのままポックリ逝くが、今回は大丈夫だった様だ。いや、今回も、である。
「まったく、心配かけた割には元気そうだな。」
「寝起きは良いんだよ。なぁ、街はどうなった?」
「災害の跡地みたいだよ。暫くは復旧作業だな。」
窓を開けながら言うミフォロス。確かに彼の向こうに見える街並みは無事とは言い難い。
「まっ、ここは商業都市だ。材料も職人も伝が大量にある。特にエーリシ商団が頑張っててな、大御所が動くのに他が動かないとはいかないんだよ。」
「「主犯のいた団体」から、「信頼持ってかれても街に尽くす大御所」になるもんな。協力しとかないと、街での評価下がるのか。」
「そういうこったな。まぁ、潰れて貰っちゃ困る領主様がそういう風に持ってったのもあるけどな。」
「何でそんな事しってんだよ。」
「団長が盗み聞きしてきた。」
領主の館も焼けたしな、と遠い目で笑うミフォロス。きっと暫く続く只働きを嘆いているのだろう。不安定な職業である傭兵は、得てして貯金が苦手だ。
「そういや、お前荷物本部に置いてたろ。後で取りに来いよ。」
「今じゃダメなのか?」
「洗うか着替えるかしろよ、その服。」
ミフォロスが指差すコートは、右腕の辺りが赤く染まり至るところは土汚れが目立つ。赤いバンダナも摩りきれている。
「……そうするわ。この辺、井戸ある?」
「裏手にあるぞ。」
簡単に告げたミフォロスは様子を見に来ただけだったのか、すぐに去っていった。
立ち上がったソルは、簡単な着替えを持つと裏手に行く。体を拭き、服を着替え、洗ったコートとバンダナに結晶で魔方陣を創り、魔術で風を送る。そういえば、と靴も洗っておいた。
「こうすると血の臭いが結構強かったんだな……ベッド、後で弁償しとこ。」
あれだけ大きな洗い物は久しくやっていない。塔の時はシラルーナが来てからは彼女が全てやっていたからだ。かえって血や土汚れが広がると困るし、手は出さないでおく。
乾いたコートとバンダナを付け、立ち上がる。角も少し隠すのに無理が出てきたかもしれない。また大きめに直さなくてはいけないだろう。
「俺がやると破れるし、そういう店残ってたかな。」
何はともあれ荷物を回収しようと、ソルは本部の中に入る。マモンとの戦闘もなかったお陰か、前の大通りが爆破されて壁に矢が刺さっている位の損傷である本部は、かなりの人が集まり過ごしていた。
荷物は何処か、ソルが探しているとポンッと肩を叩かれる。
「よっ、若いの。起きたのか。」
「トクスさん。さっき起きたばっかりだけど。」
「まぁ目が覚めたんなら何よっ!?」
「ソル君、おっはよー!」
「お、重ぇ……」
いきなりのし掛かられたトクスが不平を溢すが、脇腹を小突かれて黙らされる。
「リティスさんも元気そうで。」
「店は地下もろとも潰されたけどね、ちくしょう!」
元気そうな二人に、今日中には旅立つと伝えると、拠点を決めない傭兵は珍しくも無い為あっさりと頷かれた。
「また来いよ、若いの。」
「行かないでよ~、ソル君~。」
泣き真似を繰り返すリティスを置いて、ソルが隅にある一角に急ぐ。荷物が山と置かれたそこに、失せ物、と張り紙があったからだ。
「ヤッホー、ソル君。どうしたんだい?」
「ロイオスさん。無事でしたか。」
「おう、無事無事。ほんで何しに来たん。」
「荷物があると聞いたので……ミフォロスは?」
「んー、分かんないな。あぁ、でも君の荷物なら多分あれだろう?」
「あぁ、それです。ありがとうございます。」
ロイオスの指し示した机には、手荷物サイズの物が並べられている。その中の一つがソルの物だった。きっとここには永遠に取りに来ない主人を待つ道具もあるのだろう。
そんな事を思いながら、ソルが荷物の中を確認する。マモンが滞在していた位なので、物取りの可能性を考慮したのだが、どうやら取り越し苦労のようだ。干し肉一つ減ってはいなかった。
「揃ってたかい?」
「えぇ、全て。」
「そりゃ良かった。それで、君はこれからどうするの? あれだけの力、この街でって気は無いんだろ?」
「まぁ、そうですね。追いかけます。」
ソルが端的に言えば、マモンの事だと察したロイオスは顔をしかめた。
「仕留めきれなかったのか……まぁ、しょうがない事だね。相手は有名な原罪様だし?」
「それで、情報を欲しいんですが。狂信者の一団だとは思うんですけど、行き先が分からなくて。」
「あぁ、それなら我が悪友の出番だな。情報なら彼だ。」
ロイオスがそう言ってソルを連れていったのは、焼けた領主の館……の隣にある館だ。
「元は物置だったんだけどね。今じゃ居住できる場所だ。」
「物置……屋敷一つ……?」
「復興までだよ。街の顔は、すぐに建て直すからね。焼いたのが今から連れてくる人だけど。」
中の一室で待つこと数刻。ロイオスが連れてきたのはリロエスだ。
「あっ、路地裏の情報屋。」
「リロエスだ、無茶振り坊主。まさかお前だとはな。」
「何だ、知り合いだったの。さて、こっからは街を纏める人が居るのは不味いかな? 俺はさっさとサボ……見回りに行ってくるわ。」
「飲み歩きだろ、酒飲みめ。」
リロエスが悪態をついても、どこ吹く風とばかりにロイオスは出ていった。
しょうがないか、とため息をはくリロエスはソルに向き直る。
「それで? 今回はどんな無茶振りだ?」
「あの騒動の夕刻あたり、狂信者が出ていかなかったか?」
「狂信者が? ……商人らしき馬車なら幾つか見かけたな。どんな奴がとかどんな物がとか無いか?」
「黒い外套の少女がいるかも知れない。十歳位の……」
「とすると二つだな。どっちも西行きだ。」
「西か……そういや、オークションにも王国の人間がいたな。」
「奴隷商売経験済みとか、末恐ろしいガキだな。」
嫌そうな顔のリロエスに、宝石を放り投げてソルは立ち上がる。
ここから西ならケントロン王国とかいう国の筈だ。少し南に位置しているため、アナトレー連合国の南端である此処から真っ直ぐ西に行けば中央に近づける筈だ。
「はぁ~見事な宝石だな。どこで手に入れた? マモンのか?」
「これの。」
「あん? ……何だその指輪、模様すらねぇぞ。水晶は見事な物だが……」
「元狂信者の指輪だ。」
「うげぇ、捌くのに苦労しそうな報酬だな。」
捌けないとは言わないリロエスに、報酬は満足したと判断したソルは外に出る。行き先は決まったし、マモン位の次元なら近接戦闘も出来ると分かった。
性急に追い詰めたい奴がいる今、長居する必要も無い。ミフォロスでも探そうかと廊下をあるけば、目の前に彼が立っていた。
「おう、ソル。起きたばっかなのに、もう出てくんだって?」
「まぁな、目的があるし。」
「まっ、頑張れよ。「飛来する結晶」様なら大丈夫だとは思うけどな。」
「なにそれ。」
「噂になってんぞ。」
領主が挨拶したいとよ、といつぞやの待合室らしき所に行く。ミフォロスとの他愛ない会話を続けていれば、ロルードが顔を出した。
「待たせてすまない、ソル殿。改めて礼を言わせてほしい。ありがとう。」
「えぇ、っと? こ、こちらこそ?」
急な礼に困惑するソルに、ロルードは微笑んで続けた。
「マモンの撃退、多いに助かった。君以外の功労者へは既に礼を言えたのだがな。何か望むものはあるかね? 大した物は用意できる状態でも無いが。」
「それでしたら路銀が欲しいです。この前底をついたので……。」
現金な願いに予想がついていたのか、ロルードは机にあった袋をソルに手渡した。
「硬貨と、アナトレー連合国第二席の私からの勲章が入っている。役立ててくれ。こう見えて、他国にも少し縁がある。」
「ありがとうございます。」
その後、バンダナの手直しや食事等が振る舞われ、束の間の休息となった。
夜、街を出たソルは足を止めた。
「……物騒な挨拶か?」
「クソガキ相手に? 無茶言うな。」
物陰からクレフが顔を出し、その装飾が付いた短剣を弄ぶ。
「只、俺も暫く彷徨こうと思ってな。次に会う時がありゃ、敵にはなりたくないと思ってな。餞別だ。」
「はぁ? 餞別?」
「あぁ、ケントロン王国の王都にある大聖堂。狂信者共も勿論だが、魔法や悪魔もタブーだ。魔術師なら気を付けろよ。一応、国教だからな。」
「……そうか。ありがとうよ。」
クレフが去ると、その後を魔人のソルでも気づきにくい程消えた気配で何人もが追う。
「暗殺集団かよ……敵としちゃ会いたくねぇ奴らなのは、お互い様だな。」
夜闇の中、月の僅かな光が西へ飛ぶ結晶を照らし出した。