第五十一話
『【蛮勇なる影】。』
「【具現結晶・防壁】!」
質量を持ち、無数の刃を蠢かせながら押し寄せる影の波を、結晶の壁が押し返す。
その中から飛び出たマモンが光線を放つが、ソルの周囲に浮く小型結晶が横に反射する。
『運の良い奴め!』
「黙れ、生きしぶとい奴!」
戦陣から放出されるエネルギーが影を打ち払う光となって吹き出す。時折天に昇る幾筋もの光は、きっと遠くからも見えているだろう。
熱エネルギーを吸収された冷たい空気を裂いて、マモンの爪がソルの紅い目に迫る。
「【具現結晶・貫通】!」
マモンを貫いた大針に、黒いオーラが巻きついて奪う。マモンの体を構成する魔力そのものを突破してマモンを攻撃するのは不可能に近い。
『そろそろ呑まれろ、【食い千切る炎】!』
「【反射する遊星】!」
反射されて上下に飛び散る炎を押し退け、マモンがソルの心臓を狙い爪を打ち出す。軽鎧に向かう爪には黒いオーラが纏われており、小型結晶で防いだソルは無事だが結晶を二つ壊された。
『残り三つ!』
「十分なんだよ、放出!」
マモンに近い結晶全てからエネルギーが放出され、圧力と熱量がマモンを貫く。しかし、指輪の付近には常に【強欲】が発動しているのか、守りきられた様だ。
マモンが黒いオーラを纏う前には瞬間の放出は止み、回収で回復したソルが剣を振るう。爪と剣が何度目になるか分からない鍔迫り合いに火花を散らす。
『くっ、いつの間にここまでの力を……!』
「その疑問はちと遅いよな、元原罪!」
『今もだ、モナクスタロ! 【強欲】。』
「【反射する遊星】!」
螺旋状にソルを包む黒いオーラに、三つの小型結晶が盾となり隙間を作る。魔力量にまかせて強引に逃げ道を塞ぐマモンだったが、「飛翔」を使うソルの機動力の方が上だった。
するりと抜け出たソルが、魔力を滾らせ魔法を紡ぐ。
「多連【具現結晶・狙撃】!」
無数の結晶が雨のように降り注ぎ、結晶の大地を打つ。当たっては拡散し周囲を攻撃する結晶から逃れる術は無い。
しかし、魔力で構成する体は千切れようとも痛くはない。魔力は減らされてもすぐに再生するからだ。マモンも再生するに任せて突っ込んでくる。
「まだまだぁ!」
『無駄なんだよ、モナクスタロ! 【食い千切る』
「【具現結晶・防壁】! 拡散!」
上下左右、大量の結晶がばら蒔かれキラキラと光る。そして、その全てが宙に停止した。
『あっ?』
「【具現結晶・牢獄】。ついでに混ぜとくぜ、【反射する遊星】。」
ソルの周囲に浮く小型結晶も、宙に静止した結晶の欠片も、地面にばら蒔かれた結晶の欠片も。その全てがマモンに飛び、一つの球体となる。「飛翔」で締め付け続ける球体から、結晶の触れ合う音が響く。
「お前には放出も拡散も意味無いだろうからな。吸収、及び反射。」
直にマモンに触れている結晶は、凄まじい勢いで魔力を吸い取る。段々とます輝きは、ソルが回収し「飛翔」につぎ込む分減っていく。
反射で脆くなった結晶が、内部から割られていく。しかし、その量は膨大で減っていく速度は緩やかだ。
「このまま貰えるだけ貰ってやるよ。」
戦陣さえ拡散させて追加するソルも、常に魔術を行使する疲労から汗が浮かぶ。
『……るな、嘗めんじゃねぇぞモナクスタロ!』
「ぐっ、力場系統の特性で押し返してきやがる……!」
欠片とはいえ原罪。その魔力量は回復し続けたソルに未だに凌駕する事を許さない。
ギリギリと擦れる結晶が、遂に増し続ける圧力に耐えきれずに割れる。砕けた事で反射の無くなった破片を奪い尽くしながら、マモンがソルに急接近する。
『モナクスタロおぉぉ!!』
「ありったけ叩き込む! 【具現結晶・」
『全て奪い尽くす! 【強欲】!』
「破裂】!」
結晶化する衝撃と黒いオーラが衝突する。魔力を奪われる結晶が解ける。しかし、結晶に押され衰退どころか増大した衝撃は、マモンの胸を貫いた。
『なっ、しまった!』
「間に合えぇ!」
マモンの中から飛ぶ指輪に、手を伸ばし飛翔するソル。すぐに振り返り後を追うマモンが、ソルの横から結晶を打ち込む。
打ち飛ばされながらもソルが、マモンを蹴り飛ばし互いに地面に落ちる。魔力の消耗が激しく、僅かによろける両者の間に指輪が地面に落ちて跳ねる。
『「貰ったぁ!』」
駆け出した両者の足が、地面を蹴って進む。足の長いマモンの方が早く指輪に手を伸ばすが、ソルはその懐から取り出した瓶を投げつけた。
割れた小瓶から飛び散る液体は、指輪に降りかかり指輪から黒いオーラが吹き出した。
『あがぁ!?』
「はっ、依代解除、完了。」
『貴様、貴様、貴様、貴様ぁ! モナクスタロおぉぉ!!』
依代から放され安定が失われたのか、形が崩れ巨大な黒い影となっていくマモンが、その爪だった部位を伸ばす。牙のように鋭い影がソルに迫るが、飛翔まで使い後ろに跳んだソルには当たらず地面に刺さる。
悪魔とて一人で何かに宿るのは楽じゃ無い。契約者も核も依代も無い悪魔は、ただ消えるのを待つ以外に道は無いだろう。
「まぁ、お前は他人の魂を奪い尽くして生きるだろうからな。此処で俺と戦い続けて貰うぜ!」
『ほザケぇぇ! すぐニウチ滅ぼしテヤる!』
辺りに広がり、ソルに迫る実体ある影は鋭い音を響かせる。ソルの結晶も奪われる事から、単純な影の特性では無い事はわかる。
「どうした? 討ち滅ぼすんじゃ無かったのか?」
『逃ゲルな、戦えモナクスタロ!』
「断る。元々具現結晶は守りの方が得意なんだ。このまま勝てるのに攻めるかよ。」
『ああアアぁぁぁァァぁぁ! 【鎖となる影】!』
「あぶねっ!?」
段々と日も傾き、広がった影から真っ黒な鎖が伸びる。ソルを縛ろうと蠢く鎖を、剣で尽く打ち払いながら回避を続けるソル。
マモンが警戒し街に行かない、かつ自身が安全な距離で回避を続ける。今や巨人の様な姿に成った悪魔に、ソルは余裕を取り繕い武器を翳す。
「どうした、そんなもんかマモン。全魔力が表に出てきた割にはショボいぜ?」
『煩いゾ! 黙って俺ノ贄にナれ、モナクスタロ! 【強欲】あぁぁ!』
「くっそ、出来るか!? 【反射する遊星】!」
八つの小型結晶がソルの周囲に創られ、回転し盾となる。それを包む黒いオーラが反射されては奪い合うが、マモンは更に魔力を厚く濃くしていく。
(……不味い、魔力持たねぇかも。どうする!? 何か……)
地上に降りてジリジリと後退するソルの足に、何かが当たる。視線を向ければそれは指輪。
しかし、これがあっても意味は無い。すぐに視線を外したソルだったが、何か思い返し視線を戻す。その視線を戻す先は割れた小瓶の中身。大きな破片に溜まっていた僅かな薬。
「あの指輪の中にマモンが居たのは、全然把握できなかったよな……一か八か、やってみるか。」
そう言ってソルは、僅かに残った薬を飲み干し……倒れた。
『……反射がキエたな。終わッタか?』
随分と縮んでしまったマモンは、その黒いオーラを戻し僅かでも再生を図る。
『ぐっ、セメて核があレバ……とニカく近場の人間を……』
『……静止を要請する。死んでくれ、マモン。』
『なっ!? その声……!』
振り向くマモンに巨大結晶が突き刺さり、その結晶にそっと手が置かれる。
『吸収。』
『モ、モナクスタロぉ……!』
『ふぅ、不安定な時期にとんでもない事をする。無理やり引き剥がす等。とにかく、No.7705を目覚めさせる魔力は君から貰う。』
『ふざ、ケルな!』
無表情でため息をつくモナクスタロは、マモンの黒いオーラを避けると倒れたソルの体に触れる。スッと薄くなったモナクスタロが消えると、ソルが起き上がった。
「……あぐっ、頭いてぇ。記憶もモナクスタロに植え付けたモンしか残ってないな、これ……しかも指輪無いといけなくなったな、こりゃ。」
右手の中指に嵌まっているのは、先ほどモナクスタロが依代にしていた指輪だ。無論、マモンが依代としていた指輪である。
よろめきながら立ち上がるソルは、手足が上手く言うことをきかず膝をついた。
「せめて形は後で彫り直そう。狂信者と間違われんの嫌だし。」
『余裕そうな感想ダナ、モナクスタロ……!』
「目の前でどんどん縮んでるからな、お前……」
核も依代も無いマモンは、悪魔というより純粋な魔力である。結晶の吸収は抵抗を受けずに働き、マモンの奪う力と拮抗していた。
後は核で纏まっていない魔力が勝手に散っていく為、マモンは構成する魔力が減り続けて縮んでいるのだ。互いに動けない状況、しかし勝負は既に決していた。
『……例え、お前が今は勝ったトシテも、原罪はすぐに集まルゾ。』
「じゃあもう一度十年間、魔界に引っ込んでてくれよ。それまでに簡単に滅ぼせる様になっとくから。」
『核も無イ俺に苦戦すル、オ前がか? 笑える冗談……ダナ……』
既に霧散した結晶は、風に流されて僅かに光の帯を作る。もはや人の影とも言えなくなっていくマモンは、その場に揺れる狐火の様だ。
一度は体中の魔力を指輪に移したソルも、段々と視界さえ歪む。
『俺の……モンだ……』
消え行く結晶に手を伸ばしたマモンは、その灯火を完全に消した……筈だった。そのままならば。
「……回収する。」
「お前、前に街で……! 何してる!」
「……私の足の依頼だから。」
マモンの僅かな魔力を宝石に宿らせ、黒い外套の少女が立ち上がる。
「それを、どうするつもりだっ! 事と次第によっちゃ行かせられない。」
「恐らく、私は貴方を倒せない。けど、撤退は容易。」
「っ~! 仕方ない、後悔するなよ。そいつは逃がせないんだ【具現結晶・貫通】!」
「無理をしては危ない。【天衣無縫・天球】。」
少女を包む光の球体は、下から突き出た結晶を押し留めた。ソルは極端に減った魔力のせいか、思考が追い付かず行動が鈍かった。
「さようなら、試験体……いえ、モナクスタロ。」
「待て……よ。」
「待たない。その方が貴方の拒絶が得られる。」
「……拒絶の魔人……か?」
「……さようなら。」
馬車の音が響き、小さき少女は立ち去る。生き残った安堵と、やりきれない思いの葛藤が、ソルの魔力を余計に疲労させる。
落ちる夕日が、一人の英雄の種子を照らし出していた。