第五十話
「さて、アクションが向こうから無いなら、こっちから起こすしか無いよな。」
ソルが宮殿を歩き始め、静寂の中を音が響く。
「扉は……開かないか。となれば……此処だよな。」
モナクスタロにとって変化とは来訪と共にある。それを迎える巨大なホールは、扉を固く閉ざしているが上から取り入れ結晶で散らす日光が、荘厳な雰囲気を作る。
「結構凝り性だな、こう見ると。さて、階段を下って玄関から見れば、何かヒントの一つ位……」
玄関となる大扉を背にソルが、立つ。途端、大扉が音を立てて開く。飛び退いたソルの判断は正しく、その場に巨大な火柱が落ちる。
「危ないな! ノックの一つ位……」
慣れない左手に剣を創り構えるソルが、振り向いた瞬間には絶句する。そこに立つのは絶望の始まり。全てを灰塵に帰す者。
『……外したか。』
「アラス、トール……!」
燃える空気が音を立てて顔を撫で上げていく。ソルのバンダナが音を立てて揺れた。
『その様な姿で何をするつもりだ?』
アラストールが手を振るえば、投げられる様に小さな火の粉がソルの軽鎧に飛ぶ。燃え上がる炎がソルを包む。
「あがぁぁ!?」
『そのまま燃えろ。【処刑する炎】。』
「くっ!」
咄嗟に発動した「飛翔」で赤い魔法陣から離れたソル。結晶の軽鎧を燃やし尽くした炎が消え、ソルの呼吸も自由になった。
『やはり移らない火は厄介だな。いちいち全てに発火させねばならない。』
「【具現結晶・狙撃】!」
『そう急くな、【壁となる炎】。』
アラストールの魔力を燃料に、マナが激しい業火を出現させる。結晶を受け止めた炎の壁は、そのまま魔力の塊である結晶を焼き尽くした。
「アラストールの魔力からなら、他の物に引火するのか……」
身に纏っていた結晶も、手に持っていた剣も、かけていた加護も焼かれたソルに残る魔力はそれほど多くない。
目の前にいる悪魔の炎が宮殿を包み、頬を撫でる。その瞬間に甦るのは過去の記憶。全てを失ったあの日。
『全て燃えろ。』
アラストールが手を上げれば炎がその背丈を伸ばす。火に包まれた宮殿は崩れ落ち、いつしかそこは燃える村となっていた。
「あ、あぁ。」
ソルの前にいる悪魔が、巨大な炎を連ねて迫る。いつの間にか全てが大きく感じるのは、周りが大きくなったのか、ソルが縮んだのか。今のソルにはそれも判断は出来なかった。
炎から離れたい一心が体を動かす。近くの家屋に隠れれば、僅かに心が落ち着いた。
「ッハ、はぁ。今までで一番死んだかと思った。水の特性でも目覚めそうだ。」
しかし、いつの間にかソルが止めていた呼吸を、戻している時間さえ与えられない。木の板で作られた壁が、蒸発でもしそうな熱量で炎が迫る。
『どうした? 俺が怖いのか?』
「はっ、冗談。」
振り絞った声が僅かに震えている事は、炎にかき消されて瞬間に忘れ去られる。
ただ、ひたすらに離れる。妙に記憶に残っている村を駆け抜ければ、アラストールは次第に遠くなる。いつしかソルが居るのは他とは段違いに鮮明な家屋。
「……ははっ、笑えねぇな。ただいまってか。」
扉を開ける。その瞬間だけはきっと十一年前の、五歳の彼に戻っている気がした。
きしんだ音は、彼の父親が手作りをした扉が歪んでいるからだろう。幼い頃には慣れ親しんだ音だ。
「案外覚えているもんだな。間取りとか、材質とか……」
どちらかと言えば村を駆け回っていた印象だったが、しっかりと家も見ていたらしい。柱を撫でれば、小さな背丈の痕が刻まれている。
「と、確かこの辺りに、あった……そりゃ無いだろ、普通。」
彼が手に取ったのは村の絵描きの残した絵。精巧なそれは、村の風景を背景にして家の前に家族が並んでいる。しかし、その両親の姿は朧気で今にも消えてしまいそうなだった。
「ま、俺の記憶ってんなら、そうだよな。背中なら鮮明そうだ。」
炎のおまけ付きで、と顔を歪めながら歩む彼。外も穏やかな物で、青い空が見える。
『このまま此所にいたらどうだ? 悲しみも無くなる。』
「そうだな、それも……ハッ?」
彼が振り向けば、いつの間にか居間にモナクスタロが居座っていた。華奢と言うには逞しく、逞しいと言うには華奢なその体を椅子に沈め、無表情の顔で無機質に言葉を紡ぐ。
『私は君に届ける方法が下手らしい……けど、君からは恐怖が伝わる。』
「いや、何でお前が……統合したろ?」
『記憶も、経験も、力も、感覚も、思考も、確かに。しかし、魂の根幹は二つある。私もまた、君の生きる限り同時に存在する。
それに統合は不完全だ。完全にするには魔界の様な環境であの魔法を使う必要がある。』
「そういうもんか……良く分からないな。あの魔法ってのは、少し心当たりもあるけど。」
彼もまた、自然にモナクスタロの向かいに腰を下ろす。
「今日は良く会うな。」
『安定していないから。落ち着きさえすれば、また別れよう。』
「いや、別れてはねぇだろ。」
彼は俯き、机を撫でながらモナクスタロと会話を続けた。
『そうだな、君が共にあるのは心地良い。』
「そういうことを言うならさ、せめて表情変える努力は無いのか。」
『ならば、共に来るか?』
「ハッ?」
彼がモナクスタロの方に視線を戻すと、モナクスタロは立ち上がり扉に手をかけている。見慣れない扉だ。
『私の宮殿だ。この村とも繋がる。』
「なにそれ、便利だな。」
『再び問おう、No.7705。私と共にこの宮殿で一生……』
モナクスタロの開く扉は、奥に美しい宮殿が広がっていた。結晶が光を反射し、明るく照らされる。そこにはおぞましい炎も無い。
モナクスタロが彼に手を伸ばす。そっとその手を取り、彼は……ソルは言った。
「演技は良かったぜ、影野郎。」
引き寄せたモナクスタロを床に叩きつけたソルに、ゆっくりと黒く染まるヤツが問いかける。
『いつから……』
「アレの引きこもりは結果であって目的じゃない。自分から引きこもるぐらいならな、魔界の目立つとこに宮殿おったてないで僻地に行くわ。」
『ふふ、端から失敗だった、か。』
「じゃあな、影。いや、俺の弱音。」
既に完全に黒くなったヤツを踏めば、それは影となって家中に散った。今思えば影が無かったのも怪しいところだったのだろう。摩訶不思議な空間だから気にしなかったが。
「……俺は逃げるためじゃなく、あいつを滅ぼす為にここまで来たんだ。」
言葉にすることで意志が明確になり、家に穴が出来ていく。
「過去は置いていく。俺はもう俺じゃない。俺達だ。」
体の奥で何かが応えた気がした。途端、体に力が溢れる。
「逃げない。逃げてたまるか。俺が滅ぼす、この誓いは結晶となって残る。」
家が崩れ、風に流れていく。外は炎に包まれていた。
「止まらない。俺は……孤独の魔人であり、結晶の魔術師だ。」
『【処刑する炎】。』
「過去の虚像は必要ない、失せろ!」
天から落ちる炎の柱に、ソルの叫び声がぶつかる。消える炎を尻目に、目の前の悪魔に向けて滾る魔力を抑えること無く奮い、魔法を紡ぐ。
『燃えろ。』
「単調なんだよ、幻が。」
『【処刑する炎】。』
「【具現結晶・破裂】!」
走りよったソルが突き抜けるように放つ拳から、衝撃が結晶化していきアラストールを貫く。止まることを知らない結晶が村の一角に当たり、氷を割るように世界がひび割れていく。
「おかげで吹っ切れたけど……どうしてくれようか、マモンの野郎。」
世界の崩壊を待たずに裂け目に飛び込んだソル。
後に残った彼等の過去は、炎に包まれていた。そんな村が結晶に包まれ……そして崩壊した。
閃く短剣の先にいたマモンは、その体を影に溶け込ませて移動する。
「ちっ、またか! 来るぞ、ミフォロスの旦那!」
「分かってる、だが此方の心境も配慮してくれよ。」
「集中しろよ! なんだ、女か!?」
「そんな所だ!」
現れたマモンに振り下ろす大剣が、空を切り裂き地面を割る。
『ふん、お前の未練はそんなところか。やっぱアスモデウスの奴楽そうで羨ましいな、おい。ところで障害は何だった?』
「人生相談なら間に合ってるんだよ、インチキ霊媒師!」
クレフの短剣が何度も刺突を繰り返し、マモンは後退して回避する。随分と余裕を取り戻したマモンに、無理に攻める考えは無い。
「道楽なら他所でやれ!」
『あぁ、やるさ。此処で終わったらな! 【一閃する星】!』
マモンから放たれた光線は、クレフの足を貫き地面に刺さる。
「ハアァッ!」
唸りをあげるミフォロスの大剣も、マモンの足元から突き出た結晶に阻まれ、爪に腹を裂かれる。致命傷では無くとも、傷は深い。
『はぁ、やっとか。ったく、人間の癖にしぶといんだよ、お前ら。』
「そいつはどうも。」
クレフがナイフを投げながら返答するも、ナイフは炎に溶かされて落ちた。
「どんな熱量だよ……」
『今から味あわせてやるさ。あばよ、人間。』
炎がその顎を閉じる刹那の間。辺りが結晶に包まれ、炎を貫く。
『……起きたのか。』
「あぁ、帰ってきたぜマモン。」
右目から吹き上がる魔力は、その勢いを増している。新たに纏った軽鎧と小型結晶が、光を反射し輝く。
『一体何を越えたか知らないが、とっとと死んでもらうぞモナクスタロ。』
「過去だよ。ただ、それだけだ。【具現結晶・」
『【具現結晶・』
「『狙撃】!!」』
巨大な結晶がぶつかり合い、甲高い音を立てて弾かれる。拡散する二つの結晶は、無数の刃になって戦陣の上を滑って転がる。互いの魔力は結晶と黒い影になりぶつかり合い続ける。
片刃の剣を振るうソルが一歩踏み出せば、マモンは一歩下がる。
マモンが爪を振るえば、ソルはそれを剣でいなし前に出る。
影が牙となって襲いかかれば、ソルは下がりマモンが前に出る。
結晶の上で踊る剣閃と影が、魔力を散らしては翻る。
「旦那、生きてるか。」
「生きちゃいるよ……ただ、正直とっとと撤退したいな。情けない話、弟子に魔獣以上の化け物っぷりを感じてるよ。」
「いや、ありゃ怪獣戦争かなんかだろ……最初に渡した薬、上手くいくといいが。」
「薬? そりゃ何だ。」
「領主に聞け。製作者だ。」
片足を引きずりながら立ち上がるクレフが、足の調子を確認する。治りゃ走れそうだな、と呟くとミフォロスに手を伸ばす。
「お荷物は撤退だな。」
「しょうがない、か。」
クレフ、ミフォロス、戦線離脱。