第四十七話
雨の様に降り注ぐ結晶が、結晶の大地に当たり割れる音が響く。
ソルが結晶の大地を駆けて剣を振る。しかし、モナクスタロはそれを易々と回避した。
『どうした? 殺す気が無いのか?』
「いきなり殺り合えって言われて納得出来るかよ!」
『厄介だな、感傷か? ならば、諦めて消えれば良い。【具現結晶・狙撃】。』
鋭い結晶がソルめがけて躊躇なく放たれる。同情や共感と言った感情は、孤独の悪魔であるモナクスタロには無い。他人にたいして自分を重ねる様な感情は、孤独とは無縁だからだ。
一つの結晶がソルを掠めて、小さく傷を残す。
《孤独、でしたね。貴方はいつまでそうしているのです?》
《ヤッホー、孤独。けーきっての買いすぎたから、優しいベルフェゴール様が分けたげるよぉ。》
《俺は近づいただけだろ! 何でだよ! 来るな、来るなぁ!》
「っ!」
頭に流れ込んでくる悪魔たちの声が、ソルの頭痛をもたらした。モナクスタロは、そんなソルと同じく頭を押さえ呻いている。しかし、その顔に表情の変化は無い。
『なるほど。互いの魂を削り合うというより……侵食し合うと言った方が正しい様だ。』
「攻撃を加えれば相手に植え付ける訳か……死ぬことは無いみたいだけどな。」
すっかり治った傷痕は、痛みさえ感じない。ただ、先程の記憶が時折、痛みを起こすだけだ。
「表への道に行けるようになったとき、多くダメージ与えてりゃ勝ちって事だな。傷さえつかねえってんなら、遠慮なく行ける!」
『私をあまり甘く見ない方がいい。【具現結晶』
ソルが急遽、右に大きく走りだす。その先にあるのは結晶の壁、それを足場に飛び上がったソルが、空中で剣を振りかざす。
『貫通】。』
一拍遅れた大針が大地から空を貫く。対象を失った魔法は、役目を終えて霧散する。
「魔法陣で分かるんだよ! 何年使い込んだと思ってんだ!」
『【具現結晶・狙撃】。』
事前に盾の様に剣を前に持ってきていたソルが、鋭く飛ぶ結晶を弾きそのままモナクスタロに、一太刀を浴びせた。
『思想の空間で、人間が、ここまで動けるなんて……想定外……』
「魔力操作だけは散々練習したからな。現実よりも動きやすいかも知れない位だ。」
《×××、今日は何して遊んだんだ? ははっ、そりゃ楽しかったな。》
《ああぁぁ、母さん、父さん!》
《来い、No.7705。今日は憎悪が力を欲しているんだ。お前が適任だろう。》
モナクスタロは、その無表情も崩れずに頭を抱えてこちらを睨む……多分、睨んでいる。ソルも嫌な物を思いだし、顔をしかめた。
大きく袈裟斬りにした割にはあまり混ぜられていない様で、モナクスタロはすぐに動き出す。それともダメージに関係なく、モナクスタロが痛みに強いだけかも知れない。
『そこまでとは思わなかった。ならば、せめて多く意識は貰う。【具現結晶・戦陣】!』
壁が、床が、柱が。
剣が、槍が、鎚が。
具現結晶特有の武骨で洗練された結晶で織り成され辺りを覆う。
「くそっ、ついに出やがった!」
具現結晶が使えないソルは、こうなれば逃げ回るしか無い。
上手く「飛翔」で意表をつければ……来る一撃のチャンスを探しながら、ソルは剣を強く握りしめた。
マモンが爪を振るう度に、剣と打ち合い火花が散る。
未だに魔力を吸い続ける結晶は、マモンに大魔法の選択肢を失わせていた。一撃でも攻撃を受ければ魂を奪われる爪も、剣で受ければ問題無い。
『あぁ、うざってぇ! 一人ぐらい俺のモンになれや!』
「一人たりともやんねぇ、よっ!」
ミフォロスの大剣がマモンを弾き飛ばし、マモンが別の人間に襲いかかる。
「はいっ、させないよ!」
『邪魔だ!』
トクスの放つ矢が、マモンの爪に切り裂かれる。長弓から放たれた速く威力の乗った矢をすんなりと切り裂かれ、トクスが驚く。
「おいおい、悪魔ってのは魔法以外もとんでもないな。」
「無駄口を叩く前に攻めろ、アホ!」
矢が意味がないと悟るや否や、槍を手に飛び出す「白い羽」団長。元盗賊団、傭兵団と衛兵達の奮闘のお陰で、今のところ被害は出てはいないが、いかんせん避難する場所がない。
街の中には今にもこちらに攻めでて来そうな狂信者、街の外にはマモン。どうしようもない。
『いい加減にしろよ、【強欲】ぁ!』
マモンが自分の魔力が吸われるのも構わずに、黒いオーラを広く放つ。その先には動くことも出来ない、縛られた狂信者達。
「しまった!」
「ヤバッ!」
『ふぅ、助かったぜ。』
増えた魔力で強引に結晶を打ち消したマモンが、人間達を獰猛に見据える。
即座に散会しながら、自衛する力の無さそうな者を引き寄せて行く傭兵団や衛兵。マモンに向けて攻撃を加えようとする盗賊団。それら全てに、マモンは嘲笑うように大きく魔力を広げた。
『ここからが現実だぁ! 全員ぶっつぶれろ!【流星群】!』
「死んどけ、悪魔が!」
星の様に煌めく光弾が、地表に降り注ぐ一瞬前。鋭い短剣がマモンの魔力を強引に吸いだす一撃を放つ。
指輪に当たりそうな短剣を、身をよじり避けたマモン。そのせいで大魔法は甚大な被害をもたらした物の、人々の命までは奪う事は叶わなかった。
「「「親分!!」」」
『てめぇ、さっきの! 今度こそ殺してやるよ!』
「ゾクゾクする文句をありがとよ。金貨を付けて返してやるぜ!」
クレフの短剣とマモンの爪が、勢い良く交錯した。
『【具現結晶・防壁】。多連【具現結晶・狙撃】。』
「くっ、そ!」
左右を結晶に阻まれたソルに、結晶が連続で迫る。剣で凌ぎきったソルだが、反動に手が痺れを訴えてくる。
『どうした? 何故距離を詰めない。』
「詰めさせ無いのは誰だよ!」
具現結晶・戦陣の柱や壁を避けて、モナクスタロへ向かおうとするソルだが呆気なく離れられてしまう。
放れながらも結晶を放つモナクスタロは、ソルの間合いに絶対に入ろうとしない。
『諦めろ、No.7705。君に勝ち目は無い。』
「断る! 悪いけど、まだやることが残ってるんでね!」
剣で結晶を弾き飛ばし、ダメージを喰らわないソルにモナクスタロが焦れる。ついにモナクスタロが立ち止まり、全ての結晶を一つに集め始めた。
『君を乗り越え、私は孤独の悪魔であった自分に終止符を打つ! 放出!』
「そんなもん、関係ねぇだろ!」
一つに集められたエネルギーが、唸りをあげて結晶の大地を走る。光の筋を強い意思を持って剣で迎えたソルが、「飛翔」によって引き裂いて進む。
「孤独の、結晶だらけの空間になんて引き込もってんじゃねぇ! 俺達の軌跡はもっと喧しいモンだ!」
遂に結晶に到達したソルが、剣の一振りで打ち砕く。結晶に込められていたエネルギーが、美しい光の粒子になって降り注ぐ。
「孤独の結晶、コイツで打ち砕いてやる!」
『っ!』
モナクスタロの体を走り、結晶の大地に叩きつけられたソルの剣。そこから放射状に広がる亀裂が、嫌な音をたてる。
《ほう、こりゃ凄い。お主、もしかしたら魔術師の才能があるぞ。》
《私……貴方の側に居ていいですか?》
《僕はマカだ。よろしくな、ソル!》
《元気でな、結晶の。》
《俺達の故郷では戦場に向かう者に渡す御守りだ、持っていってくれ。くれぐれも気を付けてな、魔術師ソル殿。》
ガラスの砕けるような音が周囲に響く。思想の空間を覆っていた結晶が崩れ、崩壊を始めた。
『私は……それも感じない……空虚で……虚しい……』
「っ! 何してる! 表の道ってのも、もう潜れるだろ。急げ!」
ソルが「飛翔」で飛びながらモナクスタロを呼ぶ。しかし、モナクスタロはその翼を動かすことも無く奈落へと落ちていく。
『行け、No.7705。この命は君の物だ。』
「っ~! っざけんな!」
砕け、落ちていく結晶の中に飛び込んだソルは、隙間を縫いモナクスタロへと手を伸ばす。
「俺の目的にはお前の力が必要なんだ! この命は俺達のモンだ! 何でもかんでも一つに分けようとするんじゃねぇ!」
『君も深層意識に取り残されるぞ。行け、No.7705。』
「知るか、お前も来い! 勝手に引っ付けられといて、今さら逃がすか! お前の戒めも力も記憶も、既に俺達の物だ。勝手に持ってくな、バカ野郎!」
遂にモナクスタロを掴まえたソルが、彼の悪魔が表の道と呼んだ光へ飛ぶ。上へ上へと結晶を避けて全速力で。
「ラアアァァァ!」
『……我が儘だな、君は。それに私はバカ野郎では無い。』
光へ飛び込んだ二人の周囲は、真っ白な閃光に満たされた。確かに一瞬、しかし永劫の時を過ごしたような時間。そして、それは過ぎ去り……
大陸の東、何もない荒野にて。一つの結晶が音をたてて崩れ霧散する。大きなそれから出てきた魔人。
赤いバンダナの下から覗く結晶の角。紫のコートに僅かに紫がかった黒髪。薄い紫色の右目が濃い紫に縁取られた透明な魔力を吹き出す。
紫色の右目と水色の左目が閉じられ、次に開いた時には両目を彩るのは深紅。
「【具現結晶・加護】、そして【具現結晶・武装】。」
結晶の軽鎧を纏い、結晶の片手剣を携えて、八つの小さな結晶を周囲に浮遊させる。そして、かの魔人は街に向けて飛来する。伝説の幕開けである。
「かーつて現世のそのはしにー
ひーかりのさーす地がありましたー。」
「あーる時闇持つ人間がー
そーの地を暗くそーめましたー。」
「やーみは集いて型つくりー
翼を開いて飛びましたー。」
「世界を手中に納めようー
全てを嘆くその前にー。」
魔界を唄が飛び回り、命あるものにナニカを訴えかける。
「……うん? 少し早いな。僕も、少し急ごうかな。」
青年の足が早まる。と言っても、のんびりから普通になっただけだが。
「君が僕の前に立つことを楽しみにしているよ。このアルヒハオスの前に……ね。」
リュートが鳴り、魔界を音楽が包む。かの者は進む。一歩一歩、確実に。それが、かの者の役目だから。
「どうか、僕の殻が再び出る前に。僕らの過去を共有しよう。」
荒れ果てた大地を何処か悲しげに眺め、彼は歩き続ける。その土と岩の大地に彼は何を見たのか……彼以外にそれを知る術は無かった。