第四十五話
「やったか!?」
「どうだろ。あの氷は冷やして作っただけだから、マモンの特性なら封じられるとは思うんだが……」
「まぁ、悪魔にしちゃ力が無かったからな。」
「対生物に偏ってんだよな、マモンの特性は。」
ソルが瓦礫を下ろしながら地面に降り立てば、クレフも瓦礫から跳び降りて辺りを警戒する。バカ正直に氷から出てくると考えていないあたり、クレフの今までの生活が伺えた。
もっとも、圧倒的に優位のマモンはそんな事はする必要が無いが。
『いい加減にしろよ、人間共ぉ!』
「ちっ、既に持ってたか。結構、魔力使ったのに。」
誰から奪った力なのか、炎を纏うマモンが氷から姿を表す。立て続けに風の刃を放つマモンだが、ソルが結晶の壁を創り防いだ。
『二人まとめて贄にしてやる!【強欲】!』
「今度は俺だな。」
クレフが短剣を振るい、真っ直ぐに放たれた黒いオーラを切り払う。その隙間から前に出た二人が、そのまま距離を詰める。
『こっち来るか? なら死ね!【食い千切る炎】!』
炎を巨大な口のように広げ、獣が肉を噛み千切る様に閉じるマモン。そこから落ちていく結晶にさらに【強欲】を放つ。
間一髪で結晶を周囲に展開して身を守ったソル達に、その黒いオーラを避ける余裕は無く、呑み込まれた。
『ふぅ、やっぱり悪魔から直接貰う悪感情は堪んねぇな、おい。強欲でなくてもかなり旨い。』
「ちっ、グルメな野郎だ。」
すぐに「飛翔」で加速させて、結晶が奪いきられる前にオーラの外に脱出した二人。氷の上に着地し、マモンを下から見上げるその姿に、悪魔はまんぞくそうに頷いた。
『ヒャハハ、そうやって首曲げて見上げてんのが似合うなぁ、人間!』
「くっそ、降りて来やがれ臆病モンが!」
クレフが短剣を振りかざして怒鳴れば、すぐ横を水の刃が切り裂く。
『ちっ、細かい制御ってのは思ったより難しいな。』
「じゃ、お手本だ。「岩石砲」!」
ソルの飛ばした瓦礫がマモンにぶち当たる。硬質な物同士のぶつかる音は、マモンが【具現結晶・付与】を使った結果だ。
『けっ、貧弱なんだよ! 攻撃ってのはなぁ、こうやるんだよ!』
マモンが膨大な量の魔力を解き放つ。濃密な魔力は視界で捉える事さえ可能で、空をあっという間に多いつくす。
愕然とする二人に、マモンの宣告が落ちる。
『ヒャハハ、くたばれ人間。【流星群】!』
魔力は星となり、煌めく光弾が無数に地表に降り注いだ。
強い振動が辺りを揺らし、ロイオスは咄嗟に地面に手をついた。
「ふぅ、危ない危ない。瓶詰めなんだから割れたら困るんだよな。」
地下水道を走る彼は、懐の瓶が無事な事を確認してホッとする。これがあれば敵の勢力を一つ無力化出来る筈なのだ。もっとも、それが悪魔だったらどんなに良いか、とも思うが。
しかし、怪力以外特に取り柄の無いファティスは、マモンの契約を解除してしまえばただの商人だ。かじった程度の訓練をしたロイオスでも倒せる。
「今の音、悪魔だよなぁ。やっぱり相手はソル君かねぇ? ならこの薬は忙しい奴よりも……あ~やだやだ。俺が働くなんてまっぴら御免だ。」
しかし、現実は実に意地悪な様で楽をしたいと思う者にこそチャンスを寄越した。
ロイオスが角を曲がる前に、その先から足音がしたのだ。すぐに身を翻して壁の窪みに身を隠すロイオス。出てくる前に持ってきておいて正解だったのか、と薬品を僅かに騎士剣に塗る。
(もっとも、おかげで逃げるっていう楽ぅ~な選択肢が、カッコ悪くて選べなくなっちまったけど。)
コツコツと音を響かせる者がすぐそこに迫っている。こんな時に地下を悠々と歩くのは誰か。考えれば、子供でも分かるだろう。
(来いや、犯人。その角曲がったらこのロイオス先生が、痛い御注射で呪いを治してやる。)
剣を握る手に力が籠り、緊迫感が迫る。何故だか段々と冷えてきた空気は、恐怖だろうか?
コツリ、と足音が角で止まった。その後、音が無い。
(何故だ! 急に止まりやがって。)
ロイオスが少し剣をずらして、通路を鏡のように写す。そこにはじっと前をみるファティスの姿。剣の間合いには僅かに遠いだろう。
「……バレているぞ、出てこい。」
「……」
「返答なしか。ならば、潰れろ!」
突如壁を殴り付けたファティス。崩れる壁が窪みにも迫り、ロイオスは堪らず飛び出した。
「ヒュー、滅茶苦茶だねぇ。ちなみにバレたのって、やっぱり俺の隠せないイケメンオーラが原因だったり?」
「いや、そんなものは見えないな。通路の先に落ちていた氷に反射していたぞ。」
「……あらー、俺ってば御間抜けさん。」
何故こんなところに氷が? と思わなくも無いが、目の前の氷を見逃していたとは情けない話だ。ランプを消すことしか頭に無かった。
「さて、返答は満足か?」
「花丸あげちゃうよ。それじゃ、さようなら~。」
「逃がすと?」
「ですよねぇ~!」
投げつけられる瓦礫は、とても人が投げる大きさじゃない。
それでもいち早く逃亡の格好をしていたロイオスは、なんとか逃れることに成功した。
ぶつかり、崩れる瓦礫。ロイオスはそこを登り、向こう側に降り立った。
「あれ! こりゃ驚いた。なんでこんなとこに?」
「いってぇ……こっちが聞きてぇぜ。」
瓦礫と氷の山に埋もれながら、クレフが立ち上がる。温暖な気候のこの地の服では、あまりにも寒そうな格好だ。一応、高い位の人間であるロイオスは、もう少し装飾過多な暖かい服ではあるが、かなり寒い。
瓦礫を打ち崩して出てきたファティスも、それには同じ様で顔をしかめた。
「マモンが氷を使えたか? 新しく獲得した? いや、これ程の量ならば、数人の人間の魂では無理がある筈だ……」
違った様だ。抜け目の無いロイオスは、辺りを見回しているファティスの視界から既に届かない位置に移動していた。無論、クレフも、だ。
「見てなくていいのん?」
「あんたこそ。」
対面の無い二人だが、こういう時の行動は似ている。つまり、自然に揃って剣を構えた。ついでにロイオスが薬品をクレフの短剣にも塗る。
「なんだ、それ。」
「悪魔と他を引き離す薬。契約を切れるんだってさ。」
「どういう原理だ、そりゃ?」
「知らないなぁ。契約もなんだか良く分かってないし。でも、兄さんは信頼できる。つまり、契約は切れる。」
「けっ、殺した方が速そうだな。」
ファティスが彼等の間合いに入るまで、後三歩……
地面が割れ、轟音が響く。もし、付与が無ければいかに原罪とはいえ、欠片の彼では消えていたかも知れない。
『くそが、てめぇ何しやがった!』
「衝撃の結晶化なんてのは長い練習がいるんだ。教えても出来ないだろうさ、才能しか奪えないんじゃな。」
マモンの腹に打ち込まれた【具現結晶・破裂】は、その結晶も傷痕も、綺麗にマモンの魔力に呑み込まれたが、確かなダメージを残した。
マモンの中で、依代に結晶が付着したのだ。常に吸収し続ける結晶は、奪いつくすのは困難でソルが目の前にいる以上、そればかりに集中出来ない。
『あぁっ! うぜぇっ!』
「知るか、もっと寄越せ。」
言葉とは裏腹にソルの魔力はほとんど残っていない。結晶の維持に吸った魔力を全て与え、自身の魔力は今の【具現結晶・破裂】にほとんど注ぎ込んだ為だ。
マモンの守りを突破する術がそれしか無かった。あの一瞬で、マモンの元まで飛べたのは奇跡に近い。
『くそっ、奪いきれねぇ……欠片でさえ無けりゃ、失敗作のなんざすぐに打ち消してやるのに。』
「直接核に、いや依代か。それに付けたんだから、そうそう上回る吸収なんて出来るかよ。」
人間でいうなら心臓から血液を採るようなものである。当然、マモンは全魔力を奪うことに回す他無い。一度危うくなった悪魔が如何に存在し続けるのが難しいか、マモンは今、身をもって体感していた。
しかし、ソルも派手に結晶を創ろうものなら倒れてしまうだろう。魔力切れは意識を全て失う事。もし、魔力が少なくなりすぎれば、体が心臓を動かすといった本能さえ停止する。
『だったら、てめぇを片付けて解決してやるぜ、モナクスタロ!』
「やってみろ、マモン!【具現結晶・武器】、【具現結晶・付与】!」
マモンの爪とソルの片刃の剣が、激しくぶつかり合う。
体内に向けて動かす魔力は外に働かず、ソルの結晶の剣がマモンに奪われる事は無い。しかし、ソルの魔力も体を動かす補助に使う訳にもいかず、マモンの力に押し込まれ始める。
『言うほどじゃねぇな、モナクスタロ!』
「いい大人が子供にマジになんなよ、なっ!」
剣を持つ手の力を一瞬弛め、受け流したソルがマモンに剣を斬り込む。腕に浅く入った結晶の剣を通じて、マモンの魔力をまた少し吸収しすぐに距離をとる。
まともに打ち合って分かるのはマモンの脆弱な力だ。強力過ぎる魔力特性は、マモンから実体の頑丈さを取り上げたらしい。人間の成人男性が少し鍛えればあれぐらいだろうか。ミフォロスより低い位だ。
『ちょこまかと!』
「当たり前だ。存在し続けるのが簡単でも、死ぬのも簡単なんだぞ、こっちは。」
『知ったことか! 死人だろうが生者だろうが、全て俺の物だ!』
死んだ者からも奪えるのか、とソルが意外に思いながら距離をとる。
長期戦になれば体力に限りがあるソルが不利だ。しかし、そんな状況だからこそ、絶対に焦ってはいけない。向こうが消滅するまで此方は致命傷を負ってはいけないのだ。付与があっても過信は出来ない。
打ち合う。ひたすら無心に打ち合う。剣を振り下ろし、横に凪ぎ、切り上げる。爪を打ち、胴を凪ぎ、足を斬る。何百とミフォロスと打ち合った軌跡が脳裏に映り、その全てをなぞる。
『何故だ、何故当たらない!』
「さぁな、俺も分かんねぇよ!」
悪魔には到底理解できないだろう。彼等は人智を越えた奇跡の使い手、この世の法則に逆らう存在だ。物理的に起こる現象は、かえって遠い。例えば、近接戦闘の技術は。
マモンの体が僅かにぶれる。揺らめき、向こう側が見えた。
ソルの剣がその軌道を強引に変え、戻る。真っ直ぐに指輪へと。
『「貰ったぁ!』」
二つの声が上がり、互いの武器は交錯した。