第三十七話
岩が砕かれ、辺りに轟音が響く。陰から跳び出したミフォロスは、すぐに別の岩陰に隠れて姿を眩ませる。
若手の剣士が蹴り飛ばされた事で、満足に動くのが難しくなった。一撃が、人間には致命傷として十分なのだ。むしろ良く耐えたと言える。
「ミフォロス、どうするんだ?」
「このまま隙を伺うしか無いだろうな。こっちだって体力の限界ってのがあるんだ、張り付いてはいられねぇ。」
「この距離で隙って……逃すだろ。」
先にその岩に居た古参の射手が、溜め息をつく。そんな事はミフォロスとて分かっているが、ミフォロスにそれほどの腕は無い。あんな大型に張り付いて討伐等、人間離れした技量と体力が必要なのは間違いない。
「若いのはどうなった?」
「二人が連れて下がってる。ありゃ、足が逝ったな。荷台に乗せるしかねぇだろうよ。」
「つまり、残ってんのは二人か……向こうは終わったと思うか?」
「並の奴ならな。」
「賭けだなぁ、そりゃ。」
狂信者達の元に残った五人がどうなっているか、ここからでは伺いようが無い。ソルが倒れた所しか見ていない為、防衛戦の様になっていると考えていた。
つまり、時間の掛かる戦いだ。期待出来ることも少ない。
「せめて戻らないなら殺りようもあるんだがな。」
「流石、狂信者の切り札ってとこだよな。」
「なんだそれ。聞いてねぇぞ。」
「リーダーの勘。狂信者達の動きが怪しいし、なんかやらかす時の手札だろうってよ。」
「なんで、んな事知ってんだよ。」
「荒事多いんで狂信者関連は必須だろ?俺達は魔獣は追わねぇし。」
「当て付けか、この野郎。」
ミフォロスが彼を叩こうとしてすぐに突き飛ばす。上から落ちてきた尾が、地面を抉り深く傷跡をのこした。
すかさず大剣を握り、勢い良く尾の節目に叩きつけるミフォロス。千切れた尾は放り捨てて、すぐにその場から距離を取る。横合いから鋏が迫り岩を砕く。ミフォロスを見つめる蠍型の瞳に、矢が放たれて注意を反らす。その間にミフォロスは安全圏まで離脱できた。
「助かったぞ、良い狙撃だな。」
「そっちこそ、アイツが治るんじゃなきゃ良い斬撃だったぜ。」
そう、ギリギリの危険を犯してもリターンが無いのだ。向こうは再生するに任せて無闇な突撃を繰り返せると言うのに。ミスがミスにならない。これは想像以上にミフォロス達の気を萎えさせた。
人間の一撃などでは、致命傷を受けないと理解しているのだろう。一方的に攻撃を仕掛ける蠍型は、狙っているのかすら怪しい攻撃を繰り返す。しかし、掠めても大怪我は確実な一撃はミフォロス達の疲労を着実に溜めていた。
『【強欲】!』
「「岩石砲」!」
黒いオーラに岩が飛んでいき、それを回避するマモン。オーラの向こう側では剣のぶつかる音が響き渡っている。
『あぁ、うざってぇな! とっとと寄越せや!』
「目的変わってんじゃねえぞ!」
ソルが律儀に叫び返し、岩を飛ばして来る。今度はしっかりと待ち構えていたマモンは、「飛翔」を使いその岩を返してきた。
「危なっ!」
「……剣の損傷を確認。以後お気をつけください、マモン様。」
『悪ぃなファティス。慣れてねぇから、上手くいかなくてよ。』
ソルは避けて、巻き添えになりかけた狂信者は剣で岩を弾き飛ばした。無茶苦茶な使い方をされた剣が折れ曲がり、ファティスと呼ばれた彼はそれを惜しげもなく捨てる。
ソルに向けて放つ拳は、型なんて知らない喧嘩の様な物だが、ファティスの怪力を持ってすれば付与をかけたソルにも痛みと硬直を与える事が出来る。
「【具現結晶・防壁】!」
「……対象の防衛を確認。厄介な。」
マモンの【強欲】が迫るが、すぐに霧散する結晶の壁はマモンに力を付けさせない。しかし、創ってはすぐに霧散させるソルは、集中力と魔力を大きく磨り減らしていた。
「どうにか、マモンの中にある指輪を壊せれば……!」
『やれんなら、やってみろよ? 魔法無しでなぁ、モナクスタロぉ?』
マモンが爪に黒いオーラを纏わせて接近する。咄嗟にソルが剣で防ぎ、吸収を使用して一瞬形を保つ。すぐに剣はオーラに包まれてマモンの中に呑まれていく。
『【具現結晶】も~らいぃ! 食らいなぁ! 【具現結晶・狙撃】ぉ!』
剣を失ったソルに、結晶が飛来する。腹に叩き込まれたそれは、ソルの守りを貫通し内臓に傷を付けた。
畳み掛けるファティスに、ソルは結晶を飛ばすがマモンの結晶がそれを弾く。金属さえ凌ぐ硬度と強度を持った結晶同士のぶつかり合いは、その軽い重量もありガラスの割れるような甲高い音を辺りに響かせた。
『うわっ、煩っ! 今度からぶつけねぇ様にしよう~っと。』
「……同意します。とにかく、これをアスモデウス様に」
ファティスが呻くソルを担ぎマモンに喋りかけるが、その言葉は途中で止まった。いぶかしんだマモンが振り返ると、首筋から血を垂らすファティスが一角を睨み付けている。
「……犯人の特定は終了。出てくると良い、盗賊風情が。」
「煩い合図で呼んでくれたのは、そっちだろ? 元は楽士か、金狂い?」
ナイフと短剣を構えるクレフが、大勢の盗賊団の手下を率いて登って来る。投げつけられたナイフを素手でへし折り、ファティスはそこに相対する。
「……現状は不安定。No.7705を抑えながらあれを全て迎撃出来ますか?」
『出来なくは無い。お前が自分の身を守りきれんならな。』
「……撤退を推奨。多勢に無勢です。」
『まぁ、契約期間が延びても得するのは俺だしな。別に構わないぜぇ。』
「させるかよ!」
クレフが素早く接近し、ファティスの首目掛けてナイフを振るう。マモンの爪が間に入りそれを防がなければ、ファティスが反応できたか怪しい速度だ。
その隙にファティスはソルを担ぎ上げて下ろうとするが、ソルがナイフを創り腕に刺した為、ソルを突き飛ばして逃走を始めた。マモンが翼を開き、ファティスを掴んで羽ばたく。
「追いますか?」
「止めとけ、飛ばれたから既に包囲の外だ。あれだけ離れられりゃ各個撃破されんぞ。」
「流石親分、引き際だけは男前っすね。」
「お前は逃げた先探れ、駆け足!」
「そんな殺生な!」
クレフが部下を弄り終えて振り返った頃には、ソルは苦手ながらも内臓を治癒し、歩くことは出来る様になっていた。走れば腹に力が入り激痛が走る。
「追ってたんだな、助かったぜ。」
「バカ言えよ、ちょくちょく上に岩打ち上げてた癖によ。どうせ先頭の奴が仮面新調してたからだろうが。」
「思いっきり当人だったからな。」
ソルが座り込むと、クレフは水を差し出して来る。それを受け取って飲み干したソルに、一つ貸しだといい放つクレフ。
「気が向いたら返してやるよ。それより、一仕事あるから手伝ってくれないか?」
「蠍型か? ありゃ、傭兵が何人か行ったろ。」
「そうだけどさ、手伝っておかねぇで怪我人が出ましたじゃ後味悪いだろ? こっちに誘き寄せてくれりゃ一撃で仕留めてやるから。」
「出来んのか?」
眉を潜めるクレフに、俺は魔術師だぜ? と笑いかけるソル。仕方なく協力の内容をクレフが聞く。
「そのあと、しばらく寝るからな。商会だとでも言って「白い翼」って宿に連れて帰ってくれよ。」
「見返りは?」
「宿に鱗あるから、いくつか持ってけば? どうせあの露店商とグルだろ。」
「目敏いこったな。」
「了承で良いんだな?」
「高くつくぜ?」
クレフが変装道具を持ち出しながら答える。ソルは、笑みを返す事でそれに答えた。
「ミフォロス、生きてるか?」
「おっせーよ!」
古参リーダー達がたどり着いた頃には、ミフォロス達は既に満身創痍だった。無尽蔵の体力を誇る甲殻類が永遠に再生を続けるのだ。しかも自身の体を食って。それを二人で凌ぎ続けるのは並大抵の仕事では無い。
「よし、撤退だ! ミフォロス以外まともに傷さえ付けられねぇんじゃ、どうしようもねぇ!」
「坊主は?」
「後で本人に聞けよ。とりあえずピンピンしてたぜ。」
「そうか、三人とは合流出来たか?」
「今頃荷台にたどり着いてるぜ。」
矢を射続ける古参リーダーの後ろにミフォロス達がたどり着く。八人が蠍型から離れる様に後退を繰り返していく。時刻は夕暮れ、そろそろ向こうの狩りの時間だ。
それまでにはなんとしてでも逃げ切りたい。消耗した上で魔獣の活動時間に合わせていたら本当に全滅する。
「よし、走れ!」
蠍型の視界が、射かけた矢に対し鋏を盾にする事で塞がれる。その瞬間に一目散に散る彼等は、上手く物陰を伝いながら移動する。
しかし、蠍型はその体が再生するのを良いことに、岩を物ともせずに突進を始めた。その先にいるのは……ミフォロス。
「ちっ、しつけぇな!」
「旦那ぁ!こっちだ!」
大剣を構えて往なす姿勢に入るミフォロスに、突如男性の声が掛かる。振り返ったミフォロスに、商人らしき男が再び声をあげた。
「少年がこの先に連れて来いっていってんだ! こっちだ!」
「坊主が?」
見ず知らずの男が言うことに、知っている情報があったこと、今が絶望的な状況であったことから、警戒は解かないものの着いていくミフォロス。
他の七人もミフォロスを援護しようとそれに追従した。
「おっ、来たな……」
「本当に大丈夫なのか、魔術師さんよぉ。」
「親分は行っちまったけど、俺達ゃ半信半疑だぜ?」
「んじゃ離れとけよ……」
既に狂信者が散った今、物好き数人を残して盗賊団は再び街の各地に散っていた。ソルとしては集中したいのに、うろちょろされてうっとうしい。
「もし失敗したらお前らも牽かれるぞ。魔力もギリギリなんだから。」
「うげ、勘弁!」
やっと散ってくれた彼等を他所に、ソルは魔力を集中させていく。遠くに土煙が見え始めた。
「やれぇ、クソガキ!」
「【具現結晶・防壁】。」
結晶で創られた壁が宙に固定され、その下をミフォロス達が通り抜ける。壁に激突して突進を止められた蠍型が鋏を振るい暴れた。
接近したソルが全魔力を込めて織り成した魔法が、その手に魔法陣を紡ぎだす。
「【具現結晶・破裂】!」
頭から尾に掛けて衝撃が走り、それが結晶となって蠍型を貫く。拡散した結晶は蠍型の甲殻を内から弾き飛ばし、その命を散らした。