第三十六話
コートの上から鋭い矢が刺さり、付与を施したソルの皮膚に食い込み、落ちる。刺さることは無かったものの、神経に強い刺激が走った。
「ってぇ!」
「坊主!?」
確かに、いきなり有り得ない高さに飛び上がったソルには、ミフォロスも驚いた。しかし、あんなピンポイントに誤射をする奴が、こんな討伐依頼に参加するだろうか。
「な訳無いよな、普通。」
多少不自然でも、死ぬよりは良い。ソルは、「飛翔」によって通常では有り得ない角度で蠍型から離れて落ちる。あわよくば釣られて顔を出すと思ったからだ。蠍型に集中していた今、魔人の反射神経を持つソルにも場所は分からなかった。
ついでに消耗した体力も戻そうと、ソルは固定によって矢を刺さった様に見せかけてそのまま倒れておく。
「……回収。他は邪魔だ、殺せ。」
「了解。」
ソルの演技の賜物か、全く関係ないのか分からないが、岩陰から出てきたのは何人もの黒装束の仮面達。その後ろの馬車からは血生臭い光景が溢れている。
「ちっ、洞穴にいる間に潜まれてたか!」
「安心しろ、ミフォロス。俺達の本業は対人だ!」
蠍型と目を行ったり来たりさせるミフォロスに、古参リーダーが叫ぶ。すぐに二手に別れ、三人が狂信者の一団と対面した。残りの二人の射手が、蠍型に矢をいかけ、注意を散漫にする。
「ぼ、僕らも援護します!」
若手リーダーと射手が一人、四人パーティから狂信者に相対する。五人の傭兵に動じることも無く、狂信者の一人が指令を下し、十人はいる狂信者が動き出す。
たまらず、交じろうとしたミフォロス。しかし、蠍型の尾が突き出され、かろうじて回避する。どうやら魔獣の方も逃がす気は無いらしい。
「くそっ、任せたぞ!」
「了解! 後で祝杯上げようぜ!」
せめて事故を少なくしよう。古参リーダー達の実力を信頼しているミフォロスは、蠍型を少しでも離そうと攻撃をしては過剰に離れる。他の四人もその動きに気付き、すぐに合わせた。
ちょっかいを掛けては逃げるミフォロス達に狩猟本能を刺激されたのか、蠍型はミフォロス達を追う。段々と離れる彼等を確認して、ソルの元に向かおうとした狂信者の一人の膝に、矢が突き刺さり倒れる。痛みに呻く彼から、照準を戻した古参リーダーがニヤリと笑う。
「さっきまで石投げ小僧みたいな真似してたんだ。後輩の手前、少しは格好つけさせな? 狂信者共。」
ミフォロス達は、なんとか蠍型を誘い足場のしっかりした場所に来た。討伐するために地形の下調べをしておいたのが役立った形だ。
射手が三人と剣士が二人。一パーティにも満たない規模だが、相手の足は片側を二本無くしておりバランスが悪い。尾にもソルの付けた傷が残っているし、頭にはソルの剣が刺さったままだ。よく刺さっている奴だな、とどうでもいい事をミフォロスは考えた。
「ミフォロスさん、どうしますか。」
「お前は奴の左に回れ。足が少ない分鈍重な筈だ。無理に攻撃をするな。相手は化け物だ、一撃二撃じゃ大して変わらない。よし、いくぞ!」
「はい!」
剣士であるミフォロスに射手の事はよく分からない。そのため指示をしなかったが、流石ベテラン達。すぐに役割を分担し、相手の注意を正面に剃らし続ける。
目に向けて降り注ぐ矢が、鋏によって弾かれる。つまり、蠍型の鋏は攻撃に使われない。尾と足に気を付けて接近したミフォロスは、力を込めすぎずに斬撃を叩き込む。
弾かれる事もなく甲殻に僅かに傷を残す程度の打撃。すぐに回避に移れる細かい攻撃を、強大な大剣で行っていくミフォロス。蠍型の気を引き付けて、隙を伺い少しずつ追い詰める。狩人の姿勢がそこにはあった。
「少しずつでいい。ミスをしなければ、いつか相手が隙を晒す。化け物を相手にした俺達の、人間の勝機は相手の隙を如何について仲間の隙を如何に潰していくかだ。」
蠍型の尾がミフォロスに避けられ、反対にいる若手の剣士が力一杯攻撃をした一瞬の硬直。それを知っている蠍型は攻撃に移る。戦闘本能に長けている魔獣だからこそ、移ってしまう。
ミフォロスがもう一本足を切り落としたのは、そんなタイミングだった。確かな感触の余韻に浸る隙も無く迫る、一つ横の足は大剣の腹でガードし事なきを得た。
「よし、その調子だ! 気を抜くなよ、若いの!」
「はいっ!」
自身の実力と役目を十分に理解している彼は、そこで功を焦る事もなく同じ動作を繰り返していく。利き手の右に盾を持っている事からも慎重な性格が伺えた。大型の魔獣狩りにはいい仲間だ、とミフォロスは安心して自分の大剣を握り直す。
その間にも顔に降り注ぐ矢が、鋏を動かさない。想像以上にいいパーティにミフォロスは笑みを溢す。
寝込みを襲われ、傷ついた魔獣。人数こそ減りはしたが、増した緊張感が良い方向に働いたパーティ。成功を確信したミフォロスが剣を振ったその時に、ふと違和感が襲う。
「……こいつ、普通の魔獣じゃねぇのか?」
反対側で動く三つの足。ミフォロスがそれに気付いた時には、若手の剣士の体は盾越しの衝撃を受けて宙を舞っていた。すぐに彼を連れて後衛の射手達の元に下がり、ミフォロスは振り返る。
唖然とする彼等の前で、咆哮にも似た音を出した蠍型は四対の足で大地を踏み締めて、此方に拡げた鋏を突き付けた。そんなものか? とでも言うように……
それは、ソルのコートの内側で僅かに揺れた。ソルが気付いた時には、既にそれは離れて宙を舞っていた。
戦慄。辺りを呑み込んだ空気はそう言った物だろう。膨大な魔力が溢れ、周囲を包む。途端にソルは脱力感に見舞われる。
「……あれ、悪魔の依代か! くそ、魔力を持ってかれた。」
ソルの得意分野である魔力の吸収。それをより完璧に成し遂げた悪魔が、宙を舞う指輪に宿っているのだ。あれは狂信者の持ち物だった。ならば最悪の可能性がある。なにせ、目の前の集団を指揮する仮面から奪った指輪に、悪魔が宿っていたのだ。
「っ契約者か!」
跳ね起きたソルが、契約者と思われる狂信者に剣を振るう。驚いた周囲とは裏腹に、狂信者は「飛翔」によって後押しされているソルの斬撃を片手に持つ剣で凌いだ。細身の割には相変わらずの馬鹿力である。
「……計画変更。No.7705の鎮圧を優先。」
「了解。」
残り数人となった狂信者が、指輪に触れて倒れていく。古参リーダー達は、その場の異様な雰囲気に勘づいてすぐに指輪と狂信者達から距離を取った。
ソルが畳み掛けるが、狂信者の振るう剣は異常に重く、攻めきれない。魔力が少なくなった影響もあり、決め手に欠ける状況だった。
「……助力を要請します、マモン様。」
『寝起きにゃ、重てぇ相手だな? 失敗作とは言えよぉ。』
均衡した場を崩したのは、狂信者サイド。
指輪から溢れた魔力はその身を形作り、黒い翼と鋭い角を持つ切れ目の男性が姿を現した。一目で悪魔とわかるそれらしい姿。
強欲の悪魔・マモンの再臨の瞬間だった。
「坊主、怪我はどうした? いや、それより気にすることがあんな……」
「ぼ、僕らの手に負えます? あれ……。」
悪魔から距離を取ったソルに、五人が駆け寄って来た。素直に敵人数の低下を喜ぶ能天気はいないようだ。
マモンは魂を奪う。その記憶、技術、才覚さえも。
最大のイレギュラーに、ソルの瞳が強く紅を放つ。マモンに向ける手の甲に、魔方陣が織り成されて行く。
「「岩石砲」!」
周囲の岩が「飛翔」によって浮かび上がり、マモンに射出される。後ろに引いた狂信者とマモンから振り返り、ソルが叫んだ。
「俺は魔術師だ! ここは任せて蠍型を頼む!」
「大丈夫なのか?」
「少なくとも俺が味方って点は大丈夫だと思ってくれて良い。」
「……増援は?」
「一軍隊揃ったら考えてくれ。」
「そうか、頼む。」
「先輩!? 良いんですか?」
困惑気味の若手リーダーを引っ張り、古参リーダーが離れる。この場にいても先程の狂信者の様に食事にされるだけだと悟ったのだ。
悪魔が脅威なのは、核を破壊しない限り蘇ることと、悪魔の秘術を使うからだ。魔術を使えるなら、もしかしたら……と考える位には損得勘定の得意になる世界なのだ、傭兵社会は。
「……障害の逃亡を確認。如何しますか? マモン様。」
『アイツ持ってきゃ、アスモデウスに恩を売れるんだろ? んじゃ、やるっきゃないっしょー。とっとと新しい核欲しいしねぇ。』
アラストールに消されたと聞いたマモンが、何故此所にいるのかソルには分からないが今はそれは重要では無い。
数人の魂を丸ごと、ソルの魔力をごっそりと持っていったマモンは、寝起きとは言っていたがかなりの脅威だ。なにせ、原罪の悪魔。彼等は、感情を持てる程知性がある生物を一方的に屠る為の特性を持つ。
人形は勿論、悪魔さえ只のエサ。魔人であるソルでさえ、今までのようなアドバンテージが無い。特にマモンは触れただけで魔力を奪う。ソルの特性である【具現結晶】最大の天敵だ。彼の結晶は魔力の塊なのだから。
『さてさて、それでは失敗作君? さようならぁ~。【強欲】。』
黒いオーラがソルに迫り、ソルは「飛翔」でそれを回避する。剣を振るいあれに当たれば、剣を形成する魔力さえ、マモンの力として取り込まれるだろう。
どうにか契約者か指輪を壊さなければいけない。マモンの発言から核が無いと考えたソルは、マモンの存在の依代となっている物に検討を付けた。
「【具現結晶・貫通】!」
「……対象の狙いを把握。しかし、無駄だとだけ言っておこう。」
足下に迫る魔力に気付いたのか、狂信者はすぐに横に跳び結晶の大針を避ける。マモンがそれを奪おうとし、ソルがすぐに霧散させた。
『おいおい、少しも力くれないわけ? さっきの魔力は力場しか無かったから結晶創れねぇんだけどぉ?』
「知るか、勝手にやってろコソドロ野郎。」
『へっ、口悪いな失敗作が。』
手に長い爪を生やしたマモンが、直接ソルに斬りかかる。マモンの攻撃は回避一択のソルは、後ろに迫る狂信者の重い一撃を正面から受け止める他無かった。
空に逃げても、狙いが地上にある以上無意味だ。剣を持つ手に汗が滲む。マモンの薄ら笑いが、ソルの目に焼き付いた。