第三十四話
破裂した岩壁。巻き起こる土埃。その中から現れたのは、壁を掘り進んで来たのだろう蠍の化け物。
「ほんっと、こうも最悪なタイミングだと、あの時みたいに嗜虐の介入疑うね。」
いつも嫌なタイミングで現れた蛇型を思いだし、ソルが舌打ちをしつつ、奥へと走る。一本道で後ろから現れた以上、奥に走るしかない。
此方に気づいたのか、寝起きの蠍型はその四対の足を動かして追ってくる。今は鈍い動きも、体温が上がれば活発になるだろう。
「早いうちに原因を探して、この辺りのマナ濃度を戻さないと。」
マナ濃度が変化するなど、魔界くらいの物だ。例え個体の中であろうとも大気中と変わらない濃度のマナが、異常に集まったのが魔界。マナ濃度が薄い等聞いたことが無い。
となると、魔獣ではなくこの現状の方が最悪のタイミングで起こされたのかもしれない。
「この世は全て、原因と結果で成り立っているってな。まぁ今回は人為的な原因だろうけど。」
少なくとも、こんな事が自然現象とは言えないだろう。マナの特性は自由過ぎるエネルギーで、魔力以外の干渉を受けない事くらいだ。自然現象で魔力が働くなら、きっとこの山は思考力の高い魂でも持っている。そんな訳はないが。
甲高い甲殻の音が後ろで響く。どうやら体も温まって来たようだ。
「さて、鬼ごっこでも始めようか? 俺が原因を捕まえるのが先か、お前が俺を食うのが先か。」
前から飛び出てきた小型のワームを切り伏せて、ソルは挑発的な笑みを浮かべた。
「親分、見つけました。あれです。」
「良くやった。この間の礼はたっぷりさせてもらうぜ。」
木陰に隠れ、獰猛な笑みを浮かべるクレフの睨む先は、狂信者の潜伏先だ。先日の狂信者をつけ回し、遂に辿り着いた。随分と上手く隠れたが、路地裏に知古の者が露店商をやっており、彼の情報が役立った。最近の無くし物は諦められないのか、ほんの僅かに違和感のある行動をしていたのだ。
「しかし、驚きましたね。まさかエーリシ商団の者だったとは。」
「そうか? 俺達の流す物の事を知れるやつなんざ限られていると思うがね。」
実際に買い取っている例の露店商か、この辺りを牛耳るエーリシ商団か。もしくは最近頭角を現してきたエルガオン商会か。
今回は偶々エーリシ商団だっただけだ。クレフにしてみれば、ただの邪魔者であり、それ以外の感想はない。とにかく生き抜くのも大変な御時世だ、特にクレフの生きている場所は、身分なんて関係ない世界である。
「とはいえ、こんな屋敷を潜伏先として持てるのは厄介だな。」
「俺、普通に誰か住んでると思ってました。」
「とにかくだ。野郎は、とっちめとかねぇとな。屋敷の中は不味い。外に出たら頃合いを見て招待させて貰え。」
「南でいいんですか?」
「あぁ、今や最南東になっちまった此処だからな。南か東にゃ、人が来ねぇ。」
東には関所があり、人目が届きやすいため却下だ。大きな街には大概防壁があり、エーリシの街も例外ではない。つまり、交易の無い南であれば、ほとんどの人物は興味さえ無い。何せ獣人と悪魔しか居ないのだから。
「来ました、奴です。」
「あ? ありゃ……」
「知り合いですか?」
「利益に煩い幹部格の一人だよ。稼げる大物の情報ぐらい知っとけ。」
「すいません。」
喋りながらも、気づかれずに尾行を続ける彼等の腕は流石だ。馬車に乗り込み、街から出るらしい標的。きっと関所の辺りに張り付いている部下が上手くやってくれるだろう。時には魔獣さえ相手にしてきた盗賊団は、望まずに少数精鋭になっていたのだから。
「よし、俺達も追うぞ。」
「了解!」
「ミフォロス、魔獣討伐だ。」
「確認しました。通っても良いですよ。次!」
「エーリシ商団のファティス様です。交渉に行くのですがよろしいか?」
「東門からですか?」
「最も近い門ですから。街中を馬車で行くわけには……」
「……」
馬車の音は煩い。声が聞こえやすい様に待つつもりでいたが、後ろの馬車の衛兵への説明が長引きそうなので、出発を待たずにミフォロスは話始める。今回はターゲットは蠍型。夜行性の魔獣の為、眠っている日中に移動して目的地にて休憩、活動を始める夜には戦闘に入りたい。此方が休む間に活動されては、イレギュラーの可能性が増えるからだ。
「よし、全員揃ってるな。馬と荷台忘れるなよ。」
「怪我人や素材でも乗せるのか?」
「あぁそうだ。あると終わった後に、かなり楽になる。」
「へぇ。」
古参のパーティリーダーは、ミフォロスとも顔を知った仲であり随分気さくだ。それに比べ、若い四人パーティの方は緊張が見て取れた。
「僕達、中型の猿型しか戦った事無いんですけど……」
「今さら何いってんだ。俺も魔獣なんざ二年前位の虎型が最後だぞ。」
「お前らな……まぁ、撤退さえ上手けりゃなんとかなるさ。行くぞ。」
無鉄砲な若者が、一人で先走ってしまった。馬を走らせて追い付く気でいるミフォロス達は知らない。その時にはソルは山に辿り着いていた事を……
飛び散る血飛沫が、岩を赤く染める。暗闇でも僅かに見ることが出来る自身の目をありがたく感じながら、ソルは小型の魔獣を切り裂き奥に進んでいた。
奥に行くにつれてどんどん薄くなるマナ濃度によって、「光球」はとっくに無くなってしまった。暗闇に慣れた目が物の形位はソルに届かせてくれる。
魔人の動体視力は、暗闇も大丈夫な様だ。光以外の何かを見ているのだろうか?、とソルが思考を巡らせていいると、後ろから風切り音が聞こえた。
「うわっ!? あぶねぇな……考え事なんてするなってか?」
いつの間にか追い付いている蠍型の尾が、ソルのすぐ横を通り硬い岩を貫いて止まる。鋏が届かないのを確認したソルは、すぐに反転し剣を突き立てる。
「っ! 硬すぎだろ!」
「飛翔」の後押しも弱い今、ソルの力では強固な甲殻類の体に小さな傷を付けるだけで精一杯だ。尾を引き抜き、ソルに向き直った蠍型が再び走り始める。
鋭い爪が岩を掴まえ、その巨体をソルに近づけていく。ソルは迫る巨体から離れるように走り続けた。洞穴を埋めるような大きさの蠍型を潜って、反対に走るのも至難の技だ。
この先は蠍型がソルの後ろに迂回した通路になっている筈だ。その時に外に出ていければ良い。
「とにかく外に出るか、マナ濃度を下げてる原因を探さねぇと。」
マナが無くては、悪魔や魔術師はなにも出来ない。高性能の馬車や良い御者の伝を持っていても、馬が居ない様な物なのだ。
外に出れば回避も簡単になる。今のソルでも軽い「飛翔」は使えるので、機動力は十分だ。問題はそこまで体力が持つかだが。
「でも、具現結晶が使えればそれに越したことは無いんだよな……」
とにかく逃げ続ける事。それが今のソルの出来ることだ。段々と苦しくなる呼吸に、体力の限界を感じる。ここ一週間、長い移動は飛んでばかりいたので、体が鈍ったのかもしれない。
ソルの動きが鈍くなったのを察したのか、蠍型の移動が少しゆっくりになり、鋏が動きだす。ソルも、鋏に気を付けて左右に動きながら走った。
ようやく奥が見えてくると、そこには見慣れた光を放つ物が作動している。
「あれって……魔方陣? なんでこんな所に。って、今はそれどころじゃ無い!」
かなり気になるが、下手に弄って効果が変わると現状が更に悪化するかもしれない。そんな事はしたくないソルは、蠍型が迫る後ろを振り返り走る。近づく魔方陣の全貌を見て断片でも読み取る。
(素材は魔力を発生させる鉱石か。魔道具だな。効果は……出力をあげてあるけど、なんだろ?)
細かく観察すれば分かるだろうが、生憎と時間が無い。直角に曲がった後に、弛く湾曲していく洞穴、をソルはひたすらに走った。
蠍型の足音が、岩肌を裂きながら迫る。避けるだけならまだ問題ない。だが、このまま体力を消耗したら? 向こうの方がスタミナが持つのは一目瞭然だ。攻撃を初めて速度が落ちた筈なのに、段々と距離が縮まる蠍型に向けて、ソルは剣を向けた。
「せめて足の一本は貰おうか!」
隠れるにしても逃げるにしてもこのままでは無理だ。警戒させつつ相手の速度を落とす。とにかく討伐よりも生き残るならばこれがベストだと判断した。
魔術も魔法も使えないソルは、少しはある魔人の特性を差し引いても少年だ。一人で討伐するには、とにかく体制を立て直す必要がある。
(敵のテリトリーに深追いは禁物だな。今回で良く分かった。)
蠍型の攻撃を避けて、一気に踏み込む。その勢いを殺さずに足に剣を叩きつけた。
硬質な物同士がぶつかる甲高い音が響き、ソルの剣が僅かに傷を残して弾かれる。すぐに「飛翔」で反動を相殺し、無理やりもう一撃加えた。傷の上から叩かれ、剣が深く入ったその瞬間、目の前の足がぶれて見えた。
「やばっ!」
咄嗟に剣を放して鞘を前に出し、受け止める。足を上に振り上げて蠍型がソルを蹴飛ばして来たのだ。あそこまで上にあげてくるとは考えていなかったソルは、軽々と吹き飛ばされて岩壁に叩きつけられる。もし、付与がなければ今の一撃でミンチになっていそうだ。
「くっそ、ミスった。」
剣はまだ足に刺さったままだ。手には鞘だけ、新しく創るにはマナが足りない。幸い怪我は無いものの全身に痛みがある。直に収まるだろうが、その僅かな時間が長く感じる。
上手く動かない足に苛立ったのか、その場で暴れる蠍型だがいつ気が変わるか分からない。このマナ濃度では新しく魔術を発動するのは難しいだろう。
(どうする? もう一度あの剣に辿り着いた所で抜けるか? 手に【具現結晶・固定】を掛けたら武器の代わりに……いや、リーチが足りない。今以上に反撃をもらいやすくなる。)
思考を巡らせるソルだったが、手段が見つかる前に蠍型が動き始める。此方に向き直る蠍型に、痛む体を動かしてソルが歩き出す。
とにかく一歩でも遠くに。距離が縮まる。ソルの頭の上に、影が差した。