第三十三話
朝。日の昇る前からその扉は開かれる。多くの人が集まり、今日の予定を決めていく。そこは傭兵団の拠点。依頼を集めて提示したり、情報を集めて管理している。
「おはよう、ミフォロス。今夜一杯どうだ? あそこ追い出されたんだろ?」
「朝飯食ってるときから、そんな話題振るなよ。気分が落ち込むだろう?」
そんな中の一人であるミフォロスも、今朝は依頼が来ていないか探っていた。ミフォロスを指定した依頼も、食指の動く依頼も無く、懐も暖かいため今日は休日だと決めた。
それでのんびり朝食をとっていたら、これだ。昨日は飲み過ぎたな、と反省した。
「あの、ミフォロスさん。お客さんです。」
「うん? あぁ、分かった。こいつを食ったら行くよ。」
さっさと口の中に掻き込んだミフォロスは、奥の食堂から表に出ていった。
「……で、仕事場に押し掛けてくるか? 普通。」
「あの人が呼んでくれただけで、ここには資料漁りに来たんだよ。」
ソルが指差す先には、昨日「白い翼」で大騒ぎをした仲間が笑っている。後で殴ってやろうと決めてソルに向き直った。
「それで、どうすんだ?」
「どうせなら昨日の続きを話したいかな。」
ソルが辺りを珍しそうに観察する視線を、ミフォロスに戻して言う。ミフォロスが嫌そうな顔をしてソルを見た。
「俺は死にそうな弟子は取らねぇぞ? 魔獣狩りってのはイレギュラーの連続なんだ。」
「よーく知ってる。」
「俺は南に遠征することもある。」
「俺も南から来た。」
蛇型の鱗を一枚ミフォロスに渡して、ソルは反応を見る。
ひっくり返したり、撫でたりしながらミフォロスは鱗を観察し唸る。
「確かに見事なもんだ。討伐証明がありゃ一財産になる。」
「討伐証明?」
「依頼を通した証明だ。こいつが無いと半額にも届かねぇ。言ってみりゃ防衛に貢献した給料だな。」
こういう特典でも無いと、欲しい素材を集められんからな、とミフォロスが言った。ソルには初耳の情報だ。
「まぁ、話を戻そうか。取り敢えずそうだな……ここいらに最近迷い混んだ魔獣が居るらしい。蠍と言っていたかな。」
「ソイツを狩って来いって?」
「まぁこれが出来るなら俺の教えることも無いだろうけどな。」
蠍と言えば、思い付くのはアスモデウスだ。山羊や蠍、兎といった魔獣を好んで使っていた気がする。まぁ流石に関係ないだろうが。
「分かった。取り敢えず行ってくるよ。」
「待て待て、蠍の情報なら討伐記録がある。それに依頼が出てねぇのに行ったって儲からないだろ。第一、まず人を集うところから始めろよ。」
「了解、師匠。」
「……あっ。違う! 俺は納得してねぇぞ!」
快諾したことに驚いたミフォロスがつい助言をしたのを、ソルはからかいつつ書棚に向かった。溜め息を漏らしたミフォロスの肩を、先程ソルに指差された男が叩いた。
「お疲れさん。」
「……少し稽古つけてやるよ。」
「えっ? ちょっと待て。おい、俺はやるとは言ってないぞ!? おーい、助けてくれぇ~!」
哀れな男の絶叫は、広い庭と空に吸い込まれていった。
翌日。朝早くから傭兵団の拠点には人が集まっていた。
張り出された依頼は大型の魔獣の討伐。危険が多い魔獣狩りは富と名声が得られる分、挑もうとするベテランは少ない。若手の連中が張り切っているが、大型の魔獣では敵うものも少ないだろう。
「蠍型か。有毒の奴かな。」
「街に来たりしないよね?」
「依頼人は...ロイオス? 誰だっけ。」
「報酬良いなぁ。お前行ってこいよ。」
「大型に? 冗談きついぜ。」
多くの野次馬の奥には、傭兵団の人員や野良の傭兵がたむろしている。街の防衛に当たるため動けない衛兵達も、動向を気にして数人が待機していた。
「まさか大型だったとはな。あんの野郎、代金渋ったからって情報出し惜しみやがったな。」
ミフォロスが悪態をつきつつ本部に入ってくる。彼を集まっていた傭兵達が取り囲んだ。
「ミフォロス、部隊の編成なんだがどうする?」
「先行隊は任せてくれ。本隊の人選を頼む。」
「誰かそっちの若いの黙らせて来い!」
一気に捲し立てられたミフォロスが、顔をしかめながら依頼書の写しを手に取った。契約書として出される依頼書は高価な紙やインクを使っているため、基本的に手元に置いて話すときには写しを使うのだ。
「大型。報酬は三十万から。素材は契約者の自由で討伐証明は目玉と交換、か。まぁ妥当だな。三パーティ位か?」
「魔獣狩りなんざ分かんねぇよ。大型なんて、この辺りに出てきた事ないからな。」
「役に立ちそうなのは誰だ?」
「あっちの四人と、俺達のパーティ、後はお前以外は中型以上を相手したことが無い。」
相手の男が答えると、ミフォロスは顔をしかめる。彼は基本的に一人での依頼を好むため固定パーティは居ない。
「……マジか。お前の所は今何人だ?」
「最大の六人……と言いたいが一人休業中だ。足が治らなくてな。」
「二パーティに満たないとはな……まぁやるだけやってみるか。報酬は山分けだからな。」
「うへ、きっついな。」
ミフォロスとて、大型の討伐は一回のみ。その時は猿型であり、群れになる前に早急な討伐をする必要があった。それでさえ二パーティはいたものだ。
「呼んできてくれ。」
「あいよ。」
合流した後に依頼を受けることを納得させ、カウンターへ進む。ミフォロスだけはあの路地裏の露店商から情報を仕入れており、街へ進む危険性について知っていた。故に多少強引だが、四人パーティにも参加して貰ったのだ。
「蠍の依頼は何処だった?」
「あぁ、確かこの辺りに……」
数秒後には、ミフォロスは昨日の自分の発言を取り消したくなった。依頼書には、既に一つ名前が有ったからだ……ソル、と。
街の関所では出るものに対しては比較的弛い警備である。ここは商業都市。盗みにたいして人一倍敏感な住人が多いため、犯罪を犯して関所にたどり着ける者が少ないのだ。自己責任による所が強い風潮も大きく関係している。
そのため、少年が剣を腰に差して出ていっても止められはしない。少し注意を受けるくらいだ。街で多くを学びながら暮らす者に率先して外に出るものが少ないため、よっぽどの理由があるだけである。止めるだけ無駄なのだ。
「えっと、此方が焼かれた街だから東で……南にあるって言ってたよな、岩山。」
かなり遠くに見える、天高くまで佇む山脈を背にして南下するソル。街から良く見えない距離に来たのを確認して、「飛翔」で飛び立つ。
確認した依頼内容は討伐。目玉さえ持っておけば討伐成功とみなされ、本部が回収に動いてくれるようだ。生きている魔獣から目玉を綺麗に採取するのは難しいためだろう。
「おっ、ここだな。蠍なら今の時間は土の中か……? いや、岩か。」
土みたいにそうそう塞ぐことは出来ないので、何処かに穴が残っている筈だ。夜行性の蠍ならば、上手く見つければ寝ているだろう。
空を飛び回り探すソルだったが、ふと視線を感じて後ろを振り返る。その瞬間、鋭い矢がソルの頬を掠めた。
「そこか! 【具現結晶・狙撃】!」
矢の飛んできた方向に鋭い結晶が飛ぶ。明らかな殺意を持った相手に、魔術師である事を隠す必要は無い。死人に口無し、とは良く言ったものである。
「……狂信者? なんでこんな所に。」
腹を貫かれた死体は、少々ひょろかったが、先日の狂信者と同じ格好をしている。後何人この街にいるのか知らないが、ソルをつけてきたにしては足が速い。ソルは飛んでいたのだから。
「最初から此処にいたのか? ……取り敢えず埋葬しておこう。」
アスモデウスに心酔しているとはいえ、元はただの人間。仕掛けてきたのは向こうだが、気分が悪い事この上無かった。
どんな人物が敵対していたのか。確認の為に仮面を外したソルは、自身の軽率な行動を悔やんだ。
「まさか衛兵の人だったとはな……真面目に見えたのに。」
初めてエーリシの街に着いた時に、身元確認を行っていた衛兵だ。いつどこで会っているか分からない狂信者に少しゾッとする。
(まてよ? ……狂信者って俺の情報、知ってなかったか? だとしたら俺がエーリシの街に居るのがバレている? もしくは此所に居ることで奴等に好都合なのかもしれない。原因を探らないとな。)
埋葬を終えて思考を巡らせ始めたソルの視界に、ふと探し求めていた物が見つかった。
「……取り敢えず狂信者の目的なんかは、クレフに期待しよう。今は目の前の事に集中だな。」
結晶に弾き飛ばされたフェイクの岩の下に、巨大な地下洞穴の入り口が闇を広げていた。
「さて、悪魔が出るか魔獣が出るか……まぁ十中八九、魔獣だけどな。」
暗い地下空洞は明らかに自然に出来たものでは無い。乱雑に堀抜かれたその穴は、確かに爪痕が見て取れた。
ソルが大幅に歩いて二十歩程。上はもう少し低そうだが、結構な大きさの洞穴である。緩やかに下がりながら奥に続くデコボコ道を、ソルは「飛翔」によってスムーズに進んでいく。入り口の明かりが届きにくく成ったところで、「光球」を発動し、【具現結晶・付与】を掛けて警戒を増した。
「一本道がこうも続くと不安になるな。それに、なんだかマナが少ない様な……」
ソルが周囲の壁を撫でながら、魔力を手繰りマナを引き寄せる。何かに強引に引かれているマナが、魔力からスルリと抜けていく。
「……こりゃ魔術は使えないな。魔法も……付与と固定位かな、使えるの。」
「飛翔」は事前に発動していたため、飛び続ける限りマナが逃げる事は無さそうだ。しかし、常に逃げるマナを捉え続けるのは魔力を多く消費する。ソルは仕方なく地面に降りた。
「体内に一瞬なら発動出来るかな。跳んだり走ったりの補助には成りそうだ。」
動体視力や反射神経、回復力は常人とは比べ物にならないソルも、体力や力は一般的な十六才の少年でしか無い。何メートルもジャンプしたり素早く走れるのはありがたい。
「取り敢えずマナを引っ張ってるのを探るか。止めないと面倒だ。」
何か原因があるはずだ。それを探そうとしたソルの後ろで、岩壁が嫌な音を立てて破裂した。