第二十九話
「おい、復讐。道を塞ぐな。」
「煩い。」
なんといったか記憶にも無い悪魔が炎に包まれ焼失する。魂を燃やすこの炎は悪魔さえ殺せる彼の魔法だ。
「……それと、俺はアラストールだ。復讐と呼ぶな。」
今さら過ぎる申告は誰の耳にも届かなかったが、たいして気にしていないのか彼は歩を進める。その先には薄暗い部屋が一つ。
「アスモデウス殿、今回はこれだけだ。」
「おや、アラストール殿。名持ちになってまでまだ力が欲しいのですか?」
「あぁ、そうだ。」
「即答ですか……ならばこの街に行けば、今は軍人の家族が多いですよ。復讐心も稼げそうですねぇ。」
「あの街か……遠いな。飛ぶのは苦手なのだが。」
「では、諦めますか?」
「まさか。情報感謝する。」
歩いていくつもりのアラストールに、アスモデウスは溜め息を吐く。きっとついでに多くの集落も潰すだろう。彼は人間が嫌いだ、きっと復讐のつもりなのだろう。
「では、私は実験を始めますかね。今貰ったのは……7687番目ですね。鉄板は何処にしまったかな……あぁ、そうだ。彼の後についていってください。きっとついでに収穫出来ますよ。」
アスモデウスが庇護下の悪魔に命じる。実際は意思疏通さえ難しいベルゼブブの居場所から遠ざけているだけだが、彼等はアスモデウスに従順だ……今のところは。
その日、3132体目の失敗作が棄てられた。死ぬか生きるかはアスモデウスは知ろうともしなかったが。
暗い部屋に、赤い炎がちらつきアラストールが出てくる。今しがた、7702~7705とナンバリングされた子供をアスモデウスに渡した所だった。
実験は既に5000体を過ぎていた。実験前に死ぬものもいるため、番号上では6000番台に入っている。アラストールには少し驚きの速さだった。この調子ならばすぐに次の桁に行きそうだ。
「ねぇ、大変だよ。」
「マモン様がベルゼブブ様に喰われたってよ~。」
「はぁっ!? 嘘ついてんじゃねぇよ、嗜虐。」
「いや、こいつの言ったこと本当だ。原罪が原罪を取り込んだんだ……」
「うへぇ、荒れるぞ。取り込むのって一苦労なんだろ?」
「取り込まれる側の僕達には知らないことだね~。」
三人の悪魔が話す内容にアラストールはゆっくりと振り向いた。悪魔を取り込む……? それが出来るなら、手っ取り早く力が手に入る。興味を持ったアラストールが、三人に近づいた。
「おい、悪魔を取り込むとはどういうことだ?」
「ん? 復讐か?」
「今はアラストールだ。それより取り込むとは?」
「名持ちになったの、羨ましい。それなら原罪の誰かか、モナクにでも聞きなよ。彼等の十八番だ。」
「モナクスタロ? ……孤独だったか?」
「まぁ、近づいたら取り込まれるかもね~。僕の知ってる限り、結晶の宮殿みたいなの作って引きこもってるよ。あっちだったかな~。」
嗜虐の指し示す方向は、やけに魔力の少ない地域だ。アラストールが魔法を大規模に使うか、魔界から離れればああなるだろう。つまり、あそこにいる存在はそれだけ強大な力がある。
「マナまで少なくなって無いから、魔法は使えるみたいだよ~。行ってみたら?」
「同格は取り込みにくいんだろ? 利益も怨みも無いのに行かん。」
「……僕らも結構力着けてるからね?」
「お前らは取り込まん。出来たとしても要らん、精神的に病みそうだ。」
「ひっど、聞いた~? 絶望、短慮。」
「聞いたけど間違ってないでしょ。嫌だと思う。」
「いや、腹立つ。ちょっと表出ろよ。」
突っ掛かる短慮を焼き払い、アラストールは怯える二人を押し退けた。聞ける相手はアスモデウス位の物だが、あの性格からして確実に対価を求めてくるだろう。先に用意しておいた方が楽で良い。そう考えたアラストールは再び魔界の外へ赴いた。
数週間かけて子供をつれて魔界に帰って来たアラストールだったが、ふと強大な魔力を感じて飛んだ。それはほとんど勘に近い物だったが、足下がえぐれているのを見て正解だと知る。
「良いモンもってんな? それをくれよ、悪魔。」
「……マモン? 喰われたと聞いたが、生きていたのか?」
「うるせぇな、ソレとお前を寄越せっていってんだよ!」
「増やすな。」
強欲の悪魔・マモンはその力は驚異的だが、生物限定だ。触れた相手の魔力とその特性を奪う。魔法まで奪うその力も、物体には意味が無い。それにマモン事態は人間に近い身体能力で、今のアラストールの驚異にはなり得なかった。
「【処刑する炎】。」
大気を紅く染める大きな火柱が、魔界に満ちる魔力を伝いマモンのいる地面を熱する。数秒で溶岩と化した地面に呑まれるマモンを一瞥し、アラストールは城へと飛んだ。
「【強欲】!」
マモンの叫び声と共に、溢れる黒いオーラが溶岩ごと全てを呑み込み、マモンへと引っ込んでいく。先程より魔力の増したマモンを見て、アラストールは思考を巡らせた。
(俺の魔法はともかく、元々あった岩さえ持っていかれた? 自分の魔法が変質するほど奪ったのか?)
アラストールが様子を伺っていると、マモンが此方へ振り向く。その顔を喜色に満たしたマモンは、アラストールに手をかざした。
「貰うぞ、お前の特性と耐性も! 【強欲】!」
(そうか……ベルゼブブの【暴食】を、ベルゼブブごと、奪ったのか……それは、変質も、する、わけ、だ……)
薄れ行く意識の中で、アラストールは事の顛末を悟った。それと同時に強い感情も。
……許さない―赦さない。
喰われた奴がでしゃばりおって―俺を奪いやがって。
大人しく分解されれば良いのに耐性を奪いおった―悪魔なんざ他にもいるくせにわざわざ俺を狙いやがった。
ならば、どうする―それなら、どうする。
どうすれば良い―簡単だ。
……奴を喰らってしまえば良い。復讐の幕開けだ。
その日、魔界の一部が紅黒い焔に包まれた。その小さな太陽は七日七晩燃え盛り、そして消えた。
人類はこれから九年間、アラストールの被害を忘れる。ソルがマギアレクと出会う2年前の出来事である。
「……てやっ! 起きたか?」
「……起こしたのは貴様だ。なんの用件だ?」
「アスモデウス知らないか?会いに来たんだけどさ。」
「出ている。見れば分かるだろう?」
額を手で押さえながらゆっくりとその身を起こすアラストール。彼の額に軽い平手を打った青年は、諦めきれないのか部屋を見渡している。
「貴様が動くとは珍しいな、ベルフェゴール。」
「はー、アスモデウス以外に当たりがキツくないか? 一応、同格何だけどね。」
そう言って、怠惰の悪魔・ベルフェゴールは椅子に腰かける。すぐにだらける奴だ、とアラストールは眉を潜める。
そんなアラストールに、気だるそうなベルフェゴールは声をかけた。
「んじゃあ、お使い頼むからレヴィアタンでもいいや。何処?」
「何故俺が知ってると思ったんだ……」
「知ってそうなアスモデウスと仲良いから。」
「もういい。」
手を払う仕草をするアラストールに、ベルフェゴールがパチンとゆびを鳴らした。その瞬間、何か違和感を感じてアラストールは部屋を見渡す。
「おっ、勘がいいね。俺の友達を殺した時もその勘に助けられたのかな?」
「マモンと話す貴様じゃ無いだろう。それより何をした?」
「アスモデウスに貰う物があったんだけどね。面倒だから貰った事にした。いやー、結構疲れたよ。」
それを聞いてアラストールはベルフェゴールの手を見る。その手の中には、いつの間にか幾つかの宝石が乗っていた。
「それは?」
「ん? アスモデウスに預けてた俺のコレクション。これあると狂信者っていうのかな? 変な人間達から美味しいもの貰えるんだよ。」
「……美味しいものをその魔法で出せばいいのでは?」
「無理無理! だって、どれ上げたら貰えるのか、その時に聞かないと俺分かんないし。」
過程を省いてるだけだからねー、と呟きながら立ち上がるベルフェゴールは、アラストールに視線を向けて呟いた。
「マモンのこと、ほとんど残ってないみたいだけど。ベルゼの事は残ってるから君の力は使いどころ気を付けなよ。まぁ、一時アスモデウスと魔人実験そっちのけで調べてたし、知ってると思うけどね。」
「調べられていたの間違いだ。」
散々ペースを振り回された、せめてもの仕返しに一言言い返すと「グロッキーな君、面白かったよー」と笑いながらベルフェゴールは帰っていった。いつか燃やしてやろうかと考えながらアラストールは再び眠りについた。
「……おや? 宝石が無い。」
裏路地に入ろうとしていたアスモデウスは、自らのポケットに手を入れて呟いた。まぁ犯人は分かる。数少ない友人であるベルフェゴールしかこんなことは出来ないだろう。
「まぁ、いいですけどね。一人の男が不幸になるだけの事。」
さらりと嫌味の様な事を言って、アスモデウスは裏路地に行った。露店商の問いかけに「家の犬に水やりをする」と答える。
魔法でその辺の石を硬貨として認識させて、商品を持って更に奥へと行った。後ろから「……なんで石だよ!? くそっ、金払えっ!」と叫び声が聞こえたが無視である。
(心臓の一部は入手しましたが……魔人の失敗作やこれを流すのはいけませんねぇ。一度言っておかねば。)
憐れな狂信者の一団の未来が確定した所で、アスモデウスはピタリと足を止めた。
前を歩く少女に、見覚えがあったからだ。飽きたので暇をやって追い出した最初の成功体。そのデータを元に、本当に少しずつではあるが「悪魔の心臓」が完成へと近づいている。今は試作品で我慢しているが、やはり魔人の性能は落ちる。
(久しぶりに見ましたが……まさか悪魔の真似事とは。いえ、拒絶の悪魔の行動理念が強く残っているのでしょうか。)
何をしても反応の薄かった彼女は、悪魔と人間のどちらが勝っているのか良く分からない。それとも上手く相性が合って混ざったか。未だに良く分からない。
他人の拒絶感を求めて、奇人の様に浮浪児や裏社会の人間に声をかける彼女を少しの間見つめる。しかし、すぐに今はモナクスタロの事だと思考を整えたアスモデウスは、狂信者の用意した隠れ家に飛び立った。