第二十七話
揺れる馬車から降り立った彼女は、今しがた着いた町を見渡す。活気に溢れる人間達が、石畳を踏みしめて歩き回る。
「ここには、無い。」
何かを探していたのだろうか。黒い外套に身を包んだ少女はフードを深く被りなおして裏路地に入っていく。その小さな体をどんどんと暗がりへ運ぶと、露天売り場が見えた。こんなところに構えるくらいなのだから、商品のルートも推して然るべき物だろう。
「……いくら?」
「……今日の予定は?」
「何の事?」
「ちっ、帰ってくれ。」
何かの符丁だったのだろう、男は不機嫌な様子で少女を追いやる。少女は「少ない。」と呟いて更に奥へと進む。
まっすぐではあるものの、土地勘のない事が分かる足取りに少し男は違和感を抱いた。
「……そういやあんまり臭わなかったな。この辺の浮浪児じゃねぇのか? だったらガキ一人でなんでこんなとこに……?」
男が後でもつけてみようかと腰を上げかけた時だった。
「すいませんねぇ。これはいくらか教えてもらっても?」
白衣を羽織った男が、いつの間にか露店の前にたっていた。慌てて男は座りなおして問いかける。
「……今日の予定は?」
「家の犬に水やりをしようかと思いましてねぇ。」
「それなら3万だ。」
「どうぞ、『払いましたので商品をください』。」
白衣の男が石ころを手渡すと、露店商の男は商品を渡した。何処で手に入れたのか、黒く光るそれは白衣の男の知るものだ。
(心臓の一部……今回は助かりましたが、彼らにはあまり流さないように言っておかねば。)
懐にそれを納めると白衣の男はそこを去っていく。ふと、露店商の男が手に持った石を見つめてポカンとした。
「……なんで石だよ!? くそっ、金払えっ!」
誰も居ない裏路地に男の声が響いた。
焼き払われた石は黒く光り、朽ちた家屋は原型を忘れさせる。町の関所のあった壁の中は、地獄と呼ぶに相応しい破壊の跡があった。
足に当たった物を拾い上げると長く、先端が枝分かれしている。分かれた枝が五本あることを確認してそれをそっと地面におろした。
「炭で残ってる。直接食らってないとすると……ある程度満足して町ごと燃やした時の犠牲者だろうな。」
そんな跡地を歩くのは紫のコートに身を包み、赤いバンダナを巻いた少年。
一週間ほど飛んでたどり着いた町は、既に手遅れ。それもそうだろう。ここが襲われたのは一月近く前の筈だ。
「せめて襲った理由位見つかると思ったんだけど...あっても見つけるのは大変そうだな。」
足取りを追うのは難しそうだ。若干の落胆を見せた後、少しでも何か掴めないかと辺りを捜索する。崩れた家屋や散乱する炭になった様々な物が多く、探索は捗らない。
「……うーん、まず何を探してるのか分からないんじゃな。そうそう幸運は訪れないか。となると、この辺りの町が残ってればそこから情報を買うか。」
幸い、アジスの仕留めた蛇型の鱗や牙を持ってきている。頑丈なそれらは上手く加工すれば良い工具や砦になる。武器や防具にする事も出来る。需要があるのだから、然るべきルートで売れば良い値が付くだろう。
角蛇の素材は流石に騒ぎになりそうなので遠慮しておいた。悪魔として生きてきた記憶のあるソルには、原罪達の戯れに造られた原罪の魔獣がいかにすごいものか知っている。まず人間に御せる物ではない。
「さて、そうすると次の町は……あっ、しまった。レギンスから地図抜き取るの忘れてた。」
一切の荷物はレギンスに載せてある。ほとんどが食料やシラルーナが魔術に使う媒体、薬と調合用の道具なので置いてきたのだが、それが裏目に出た。今あるのは蛇型の素材とラダムに貰ったメダル位である。食事の干し肉もそろそろ無くなりそうなのであまり時間はかけたくない。
「しょうがない、石造りの建物に地図が無いか探してみるか……最悪、方向さえあってれば飛んで行くんだけど……」
結局、断片なんかを集めて読み取れる地図が揃ったのが夕方の事。一番近い町と言える規模の物で、飛んでいけば半日位だろう。明朝に出ればまだ関所の働いている時間には着く計算だ。
崩れかけた廃屋でその晩を明かすための準備を初めたソルは、近い町が無事ならそこで買うべき情報を整理する。
一つ、アラストールの行き先。
二つ、最近の軍の動向。
三つ、マギアレクの布教度合い。
取り敢えず、これだけあれば困らない筈だ。ソルは明日に備えて休息を取るのだった。
明朝、ソルが目を覚ますと辺りが少し騒がしい。こんなところで集まっている者は国の調査団か火事場泥棒位だろう。どちらにせよ、見つかれば面倒になるのは間違いない。
前者ならば、不審人物として調べられれば角が見つかる恐れがある。後者は言わずもがなである。
「さて、どうやって出るか……」
「親分、新しい足跡が!」
「ちっ、俺たち以外にも気付いてたか。今回で最後にするぞ。」
外から聞こえてくる会話で公の組織ではないのは分かった。どうやら独占できていたらしいこと、何度か来ていることも。
(つまり目ぼしいものがあったなら知ってるってことだよな。聞いてみるか。)
具現結晶で片刃の剣を創り、自身には念のため付与をかけておく。獣人にはかなり劣ったが、常人からは離れた動体視力を持つソルならば、人数次第では一人で黙らせることも出来る。
眠っていた二階から飛び降りて、手近にいた男を一人斬り伏せ……ようとして峰打ちに変える。質問するのに仲間を殺しては不味い。第一人殺しは気分が良くない。
「て、敵襲!」
「気取った言葉使ってんじゃねぇ! ネズミは一人だ、密集して囲め!」
「了解!」
不意を突かれてもすぐに立て直す辺りが手慣れている。荒事も多く経験している集団の様だ。集団戦はラダムの氏族でしか見たことのないソルだったが、楽に終わらないだろう位は感じ取れた。
剣を構えながら、ソルは親分と呼ばれた壮年の男に問いかける。双方できれば被害を被りたくない今、話し合いに応じてくれると思ったからだ。
「俺は旅の魔術師だ。魔術師って知ってるか?」
「いや、聞かねぇな。それより何だってこんなとこにいた?」
「知りたいことがあった。お前達に聞いても良いと思って出てきた。」
「それはなんだ?」
「この街について。正確にいえばこの街に来た悪魔について。」
「知らんな、そんなもの。」
会話をしてくれてはいるが、ソルに目新しい情報は入って来ない。ただ、ここには悪魔が来たのだけは確定で良いようだ。彼が嘘を言っていないならそれだけは聞けるだろう。
「悪魔ってのは消えない炎を使う奴か?」
「仇討ちか? 止めとけ、死ぬぞ。」
「有難い言葉だな。試してみるか?」
実際今のソルにはアイツに勝つ手段が見つからない。しかし、これ以上聞けない彼等から少し素直になってもらうのにちょうどいい言葉だった。
腰を落としたソルに、彼等は緊張を強める。子供一人がこんなところにいる時点で怪しさしか無い……数人を除いてその事を警戒していた。
(魔術師……魔術師だと。西の方で悪魔の秘術を広めてる奴と同じか? 与太話と思っていたが……魔法を使う人間か。)
耳の早い者は組織には数人いるものだ。親分含めてそんな何人かは悪魔と相対したような警戒を抱いていた。
「それじゃ、負けたら洗いざらい吐いてくれよ。行くぜ、おっさん!」
「そっちが本命か、クソガキ!」
明確に敵対を表明したソルに、ナイフを取り出して構える彼等。「飛翔」を交えて駆け出したソルは、振るわれるナイフをくぐり次々と剣の峰で打つ。中には他とは格の違う鋭い突きもとんできたが、付与のお陰で傷つくことはない。コートは多少痛んだがソルは傷を負うことなく駆け続ける。
(やっぱり首や顔に冷たいのが走ると怖いな。殺意がはっきり伝わってくる。)
ソルからしたら彼等は今から情報をくれる者達であり、少なくても喋ってもらう必要がある。しかし、彼等は違う。悪魔の焼け跡にいる怪しい子供を殺す気でかかってきている。
「……分かった、降参だ。それ以上動くなよ、お前ら。」
ソルが半分程を地面と友達にしたところで、相手方の親分から降参の声があがった。動かずにずっとソルを観察していたのだろう、鋭い視線はピタリとソルに張り付いて離れない。
「俺としては助かるけどいいのか?」
「起き上がらなくなるまで大人を叩きのめす力にも驚いたが、それだけ激しく動いて息一つ乱れてねぇ。続けても無駄だ、無駄。飽きて、その剣をひっくり返されても堪らんしな。」
事実、魔力によって飛びながら走り、剣も「飛翔」によって力を込めずに加速させているソルなので、あまり体力を使っていない。これ以上は被害が出る。自分達に関わらない情報を喋るだけならば問題無いと判断したのだろう。
「なら、悪いようにはしないからさ、色々正直に話してくれよ? えっと……」
「クレフだ、街に行けば顔写真も配ってる。」
「有名人だな。」
「モテる男は辛いね。それで、何を聞きてぇってんだ? 乱暴なクソガキ。」
無精髭を撫でながら睨むクレフの顔は、値踏みするような観察の色が強い。端から隠す気が無いのだろう、ソルにもそれが伝わる。
「簡単だ、この街で悪魔の気を引いた物がある筈だ。そいつを知りたい。」
「こんなとこにか? ここは人間の生息圏の最南東だぜ?」
「でなきゃアイツは動かない。何か無かったか?」
「何か、なぁ。悪魔を知らん者に聞くかね、それ。」
「おっさん達も盗賊団なんざやってんだから、故郷無くした類いだろ? 知らんわきゃない。」
「踏み込むねぇ、クソガキ。分かったよ、こっち来い。あの噂が正しけりゃ多分あれだろ。」
クレフが部下に周囲を漁っておくように指示して、奥へと歩いていく。ソルは暫く使うことになるだろう剣を、少し時間を掛けて【具現結晶・固定】で霧散しないようにし、即席で創った鞘に入れて腰に差す。処理を終えると、足早にクレフの後を追った。