第二十六話
朝。既に高い日差しが射し込んだ瞼が開かれ、水色の瞳が覗く。すぐに昨日の記憶を思いだし、幾分かホッとして起き上がる。その瞬間にソルは目を見開いた。
「あっ、目覚めたみたいだよ?」
「だなー。今あんだけ大声で叫ぶのはアイツだけだろ。」
「あのケガじゃねー。」
「なー。」
寝具に座るライの横で四苦八苦しながら果物を剥いていたマカが、溜め息を吐きながら椅子から立ち上がる。果物を置いて、近くで眠っていたシラルーナを揺すりながら声をかける。
「シラルーナちゃん、ソル起きたよ。」
「……んぇ? ……朝ですか?」
「うーん、起きる時間には遅いけどね。後ソル起きたよ。」
「……甘い匂い。」
会話にならないシラルーナは置いておいて、マカは再び果物を剥く……かなり雑に。
「勿体無いから貸してってばー。」
「怪我人は寝とけって! これくらい僕だって出来るって。」
およそ皮ではない音で落ちるそれは、果肉も多いだろう。だが、マカは意地でも自分で剥き続ける。正直、ここから出たくない言い訳にしてもいる。
そんなマカの後ろからひょいと剥きかけの果物が取られ、かじる音がする。マカが振り替えればアジスが丸ごと果物にかじりついていた。
「食料を無駄にするな、マカ。」
「僕らはアジス様程口大きくないですから。」
「いや、剥いて食うなとは言っていない。お前が剥くなと言っている。」
遠回しに下手くそはやめろと言われて若干落ち込むマカを尻目に、アジスはシラルーナを振り返る。
「起こしに来たんだが……あれは起こす必要がないのか?」
「多分もうちょっとかかりますね。」
ボーっと虚空を眺めるシラルーナを、心配するように見るアジス。シラルーナの寝起きを知っているマカとライは慣れたものだ。
「しかし、あの者も関係者だ。ボスも来て欲しいと言っている。正直会話にならん。」
「ソルは寝起き良いですよね?」
「痛みで途切れ途切れに喋るんだ。」
「あぁ、治療ですか。それは多分すぐに行きますよ……頭が働きだしたら。」
「だろうな。」
アジスが最後の一口を口に放り込みながら頷く。そんなアジスにライが控えめに声をかけた。
「あの~アジス様。私も聞きたいな~なんて……」
「まだ歩けんだろう。」
「で、ですよね……」
シラルーナを心配そうに見ながらライが俯く。年の近い者が少ないどころか、同性となれば皆無だったライだ。大方シラルーナを妹のように感じているのだろう。まぁ、仲の良いことは悪くない……今回は少し複雑だが。
「おーい、シラルーナちゃん。目ぇ覚めた?」
「……マカさん。おはようございます。」
「おー、覚めてきたみたいね。後ソル起きたよ。」
「……っ、本当ですか!」
「うわっ!? ってぇ~。」
急に立ち上がったシラルーナに驚き、仰け反ったマカが柱に頭をしこたま打ち付けて悶える。
それを見て昨日の勇姿はどこへやら、オロオロするシラルーナ。あんまりな片割れの姿に笑いを必死に堪えるライ。
「……何をやっているんだ、全く。」
アジスの溜め息が重く溢れた。
「む、アジスが戻った様だな。」
「そう、か? ……あぁ、本当、だ。シーナの、魔力が、ってて。」
「無理して喋るな……魔法で誤魔化していたようだが、あの霧を最初に受けたときに既に動けなくてもおかしくなかったのだぞ。」
「いや、治っ、てるって。ほら、動くっ!? っつ~~。」
「ハァ、流石に無理があるだろう。治療しないところを見ると、魔力とやらも残っていないのだろう?」
図星だ。ソルは観念して黙ることにする。もっと治療できる特性ならいいのにと、僅かに回復した透明な魔力を恨む。
そんな事をしている間にアジス達が入ってきた。真っ先にソルに駆け寄り治療を始めながらラダムに挨拶をするシラルーナ。礼をしてから入ってくるマカ。最後にライを小脇に抱えたアジスだ。
「ただいま戻りました。」
「ご苦労だった……それで何故ライが?」
「どうしてもと言うので。こちらの寝具に寝かせても?」
「あぁ、構わないが……」
私は荷物じゃ無いよ……とぼやきながら顔を覆うライを見て、ラダムが戸惑いながら許可をだす。一方のアジスは何事もないとばかりに椅子につく。実際、足に負担が掛かりづらく楽だからといった理由だろうが。
マカがそっとしておいてくれと首を振るため、もうその事には誰も触れずに話を始めた。
「それで、魔術師……君は悪魔か?」
「半分正解だ。ただ、今の俺は魔術師。それ以上でも以下でも無い。」
「あのときの君は?」
「一応、俺と変わらない。」
随分あっさりと話すが、要領を得ない返答のソル。それもそうだろう。ソルにも自分がなんなのか今一よくわかっていないのだから。モナクスタロの記憶にも、こんな状態になった実験台は見ていない。
その他にもいくつか話をして、一通り納得がいったのかラダムが頷く。
「そうか……ならば今一度感謝を。君達のお陰で助かった。」
「それなら、って言うのもなんだけど。俺達を獣人達の中心地へ案内してくれないか? 元いた所だと、文化的な生活が出来なくてな……」
「それは……すまないが力になれないだろう。悪魔を恨む獣人は多い。恩人として俺は君を信用しているが、他の氏族の者は……」
「まぁ、そうだろうな。と言っても、ここにいたら結局誰かに頼った生活なんだよな……」
まぁこれからの事は少しずつ考えるか。とソルが纏めた。取り敢えず怪我が治るまではここに滞在して良いと、ラダムは告げて出ていった。集落の再建で忙しいのだろう。
……彼も動けはするが怪我人なのに良いのかと、ソルはアジスに視線を向ける。アジスは諦めた顔で目を閉じ果物を頬張っていた。何も見ていないと言うことにしたいらしい。
「里の奴らは取り敢えず歓迎とはいかなくても認めてくれたみたいだぜ。まぁ若いのの中には悪魔なんざ知らんってやつも多いしな。」
「そうなのか、んじゃしっかりと休むかな……」
「ぜひそうしてください。」
鎮痛や簡易接合等の出来る治療を終えて、本を閉じたシラルーナがソルに言う。どうやらかなり心配をかけたようでご立腹だ。ソルとしては、シラルーナの左腕に巻かれた包帯に目がいくのだが、突っ込んだら危うい気がする。
これ以上この話を続けても不利だと考えたソルは、話題を変えた。
「ところで、マカと会う前に俺達が目指してた集落がここなんだけどさ、ここは何でこんなに壊れてるんだ? 俺じゃないよな?」
「それなら心配要らない。これは悪魔の仕業だ。我々より一月程前に襲撃を受けたと聞いた。」
「一月前か……」
ソルの脳裏には一月前に自分の手で殺したかつての同胞が浮かんだ。と言っても、同じ檻の中にいた奴と同じ実験台になった奴と言うだけだと考えているため、たいして感慨深くもないかと結論づける。
「何でも消えない炎を使う悪魔だそうだ。ここから北北東……人間の町の方に行ったらしい。」
「アラストールっ……」
ソルが顔を伏せて呟く。何か知っているのかと思うアジスだったが、そのただならぬ気配に今はよした方が良いだろうと考えた。
「……獣人の中心地はどっちにあるんだ?」
「あぁ、ここから西にいけばある。お前達の来た南の事は良いのか?」
「魔界が広がってるからな。帰ろうとも思わないよ。」
「魔界が? ……一度、王の元に戻るか?」
独力で獣人を説得するのは厳しい。シラルーナだけならば、ラダムの立場次第でどうにかなりそうだが、魔人のソルは問答無用だろう。
ならばそれより優先したいことが出来た。復讐とはいかなくても、せめて邪魔してやりたい事が。
「次の目的地は決まったな。情報くれて助かったよ。」
「いや、助けられたのは此方だ。それはいいんだが……」
アジスがソルの隣に視線を移す。その横にはソルを睨むシラルーナが座っている。
「ソルさん? まだ本調子では無いですよね?」
「ちゃんと休むって。」
「次は何処に行くんですか? 明らかに危ない事しようとしてませんか?」
「いや、それは今度話そう? な?」
「……無理しないって言いました。」
「えっ? 言ってないと思うんだけど……」
「言いました。」
もはや何を責められているのか分からなくなってくる。シラルーナが涙目で言うので余計に混乱してきた。とにかく打開策がほしくてソルは視線でマカに助けを求めた。マカと目があうと、マカは口を開く。
「アジス様、ボス手伝って来ますね。」
「そうか、俺も行こう。」
「置いてかないで~。マカ背負って~。」
次々と退出する面々にソルは心の中で裏切り者! と叫んだ。
三日後。驚異的な回復力で体を治したソルは、集落の外れにいた。朝日の昇らないうちからそこに集まった面々は、代表と関わりが深いものだけだ。角が隠れるように少し大きめに直した赤いバンダナを巻いて、ソルが集落に振り返る。
「じゃあ、達者でな。終わったら迎えに来るから、それまで頼む。」
「死ぬなよ~ソル。」
「元気でな結晶の。」
アジスとマカが、ソルに一声かけて手を振る。後ろから近づいてきたラダムが、ソルに何か手渡す。力強く彫られた紋様が見事な木彫りのメダルだ。
「これから行くのは人間が住む北北東の町だろう? 獣人の作った持ち物は、もしかしたら邪魔になるかもしれないが……俺達の故郷では戦場に向かう者に渡す御守りだ、持っていってくれ。」
「故郷って……南にあった国か。ありがとう、大事にするよ。」
ソルがメダルを懐にしまい込んでラダムと強く握手をする。
「中心地に行くんだろ? これから大変だろうけど、頑張れよ。」
「君こそ俺たちより大変だろう。くれぐれも気を付けてな、魔術師ソル殿。」
二人は手を離すとそれぞれの住むべき場所へと進んだ。獣人の国と悪魔の巣食う戦地へと……