第二十四話
夢を見た。
母さんが死んだ。
友達も死んだ。
父さんが死んだ。
暗い檻の中でまた死んだ。死体がまた増えた。
死体は喋らない。死体は笑わない。死体は動かない。死体は温かくない。死体は落ち着かない。死体は怒らない。死体は遊ばない。死体は何も食べない。
俺は眠っていた。自分は眠っていた。
気付いたら、そこは既に檻では無かった。
そこでも、死んだ。皆死んだ。私の様に死んだ。私の為に死んだ。でも、誰も私を見ない。私と話さない。
...待て、俺は死んでない。
...でも、今から死ぬ?
......冷たい、見えない、聞こえない、触れない。
.........独りだ、俺は。
............孤独だ、私は。
紅く輝く瞳。所々皮膚が無いものの、驚異的な速さで治った右目からソルの透明な魔力が吹き出している。
透明な角。大きく伸びる一本角は、右のこめかみから伸びているようで、僅かに後ろに傾斜しながら存在を主張する。
宙に浮かび背後に結晶を浮かせたその姿は、翼こそ無いものの既に誤魔化せるものではない。角蛇さえ、微かに萎縮する威圧感を放つその姿は……
「あ、悪魔……? しかし、彼の瞳は水色だったはずだ……」
「ヒュー、本領発揮? でも、失敗作ならなんとかなるんじゃないかなぁ。」
ラダムを完全に無視した嗜虐は、ソルに向けて魔法を放つ。
しかし、ソルは結晶を盾にする事でその魔法を無効果する。ソルの結晶は変化など無くそこに固定されていた。
「ありゃりゃ。物体の繋がりを消した筈なんだけど。壊れないね?」
『繋がりなど無い。私は独つだ、そう言ったが?』
「それじゃ、普通に斬ってあげるよ! 足がいい? それとも腕かなぁ!?」
剣を構えた嗜虐がソルに真っ直ぐに迫る。邪魔な柱を避けて突き進む嗜虐にソルが数百の結晶を叩きつける。驚愕に目を見開いた嗜虐が後ろへと跳ぶが、その先にあった柱が破裂し嗜虐に傷を負わせる。
「うっそ、どんな出力してるわけ!?」
『それは疑問か? ならば形で答えよう。』
次々と破裂と創造を繰り返していく結晶に、嗜虐は思考の全てを避けることに割いた。とてもではないが敵わない、名持ちは伊達では無いのだろう。何故、これ程の悪魔が魔人生成実験に立候補したのか。その力を実感した今、改めて疑問に思った。
『では答えだ。』
「今のじゃ無いの? 呆れたねぇ!」
結晶の弾幕が一瞬途切れた瞬間に、嗜虐は剣を構えて突進する。全ての抑止力を全力で打ち消していき、ソルの前に到達する。
「何が来ても打ち消してやる!【統制消失】!」
『【具現結晶・破裂】。』
剣を振るう嗜虐の目に見えたのは、美しい紅。紫に縁取られた無色透明な炎の様な魔力が吹き出す、こちらを見据える冷たい瞳。
次の瞬間には、嗜虐は戦陣の外まで吹き飛んでいた。集落さえも飲み込んでいた、円形に広がる結晶の聖域に魔力が吸い出されていたのが止まる。
「あぐっ、何が?」
『貴様の腹に結晶を叩き込んだだけだ。吹き飛んだ様だが。』
「っ!?」
いつの間にか目の前に浮いているソルは、嗜虐の腹部を指し示す。大穴の空いた腹から漏れる魔力が、嗜虐には死の気配として這い寄ってくる。
「な、何でこんな事になってんだよ! 僕がこんな、こんな……」
『それは貴様の言われ続けた事か? まぁ、私にそれを責める資格は無いが。』
「知らないよ、そんな事! 責める? なに勘違いしてんの? 僕はあいつらの感情の集合体、代弁者。アイツらはアイツらが望んだ事しかやらない! 僕はアイツらから生まれてアイツらの我慢を外してやっただけだ! 責められる訳が無いだろう!?」
『……所詮、悪魔か。』
ソルがゆっくりと手を向ける。嗜虐は、ソルに対して剣を振るうが、宙に浮くソルは欠片も体を動かさずにその全てを届かせない。魔法陣が光り、結晶が嗜虐に放たれる時だった。
「っぐ、避けろ! 魔術師!」
『っ!』
ラダムの叫び声に上に飛んだソルの下を、巨大な黒い体躯が過ぎる。戦陣の中から出ていっていたために、ソルは把握していなかったが、ずっと機会を伺っていたのだろう。
「ッア、ギャアアアァァァ!」
『……不味いな。』
無惨に喉の奥に呑まれていった嗜虐。その大口の持ち主が、ゆっくりと変化する。少し縮んだ体躯が今まで以上に硬質で艶やかな光沢を見せる。真っ白な角は大型化し、傷さえもみるみる癒えていく。右目の傷は治りきらなかったものの、手負いとは言えない様になった角蛇がゆっくりと振り向く。
『せめて、戦陣の中に戻るか。』
吸収したエネルギーを回収するにも、悪魔を呑み込んだ角蛇を討伐するにも、戦陣に戻らねばならない。後ろへと下がるソルと、距離を変えないようにゆっくりと詰めてくる角蛇。戦陣にソルが入った頃には、角蛇はソルとの距離を数メートルに縮めていた。
『分からないとは思うが、最後に聞く。退く気はあるか?』
ソルの問に、鎌首をもたげて角を黒く染めていく事で答える角蛇。次の瞬間には、無数の結晶と黒い鱗が煌めいた。
数瞬で辺りを覆っていく結晶に、混乱したのはその場にいる全ての生き物……では無かった。
「マカさん、ライさん! 魔術が解けます!」
「わぁ! なにこれ! 氷!?」
「これ、ソルのか!? 魔術まで解けるのかよ、アイツの結晶……」
新しく「風纏い」をかけようとページを捲っていくシラルーナに、最も大きな個体が襲いかかる。虎型がその牙を閉じたとき、シラルーナはギリギリでしゃがむ事で難を逃れていた。
しかし、急な動きで取り落とした本が結晶を滑り遠退く。それには構っていられずに虎型から距離をとるシラルーナは、当然支援の魔術は放てない。半分は獣人の彼女だが体力は高いとは言えず、撃退するのも厳しい。
「シラルーナちゃん、こっち!」
家屋の中に避難したライがシラルーナを呼び込み、虎型の前で勢い良く扉を閉める。すぐに中にいたのだろう数人の獣人が扉を抑えた。
シラルーナが見渡せば、そこには幼いものや負傷者、何人かの若手が集まっている。
「ふう、間一髪だったな。ここはあんまり焼けて無いから、そうそう壊れねぇ筈だ。」
マカが扉の前に大きな木材を立て掛けながら言った。その上に次々と壊れた家具などが置かれ、立て籠ることに成功した。
「他の人達は?」
「訳が分からない物が一瞬で辺りを覆ったからな。皆一回退いたと思うぜ。僕とライほど鮮やかな引き際は無いけどね。」
「つまり真っ先に逃げたんだよな?」
「違うわ! 負傷者を守ろうと思ったんだよ、薄情モン!」
「そーだそーだ脳筋!」
からかおうとした獣人が二人から好き放題言われて引っ込んだ。若干気の毒に思いながらシラルーナは外を警戒する。あまり音が聞こえないが、どうやら外で動くものは少ないらしい。
結晶がエネルギーを吸収しているせいで少し肌寒い。家屋の中にいるため直接取られははしないが、獣人達にも影響が出ている。この規模の戦陣をシラルーナは見たことがないが、ソルが隠している理由が無いだろう。
(……もしかして、何かあって力が暴走したの?ソルさん……何処に。)
外に出ようとするシラルーナに気づいたのか、ライがシラルーナの腕を掴む。振り向くシラルーナにマカが首を振ることで答えた。
「シラルーナちゃん、今はでない方がいいと思う。虎型が後6頭は残ってるし、今はベテランの人達も退き始めている。危険だよ。」
「ライの言うとおり。結晶はソルのでも、他になんもない訳じゃ無いんだから。安全ではないでしょ?」
双子の言葉にシラルーナが反対しかけたその時だった。嫌な音が辺りに響き、次に木片が飛び散った。
土煙の中から、獣特有の低い唸り声が聞こえる。
「虎型だ! あの一番でかいやつだ、怪我人やガキは奥に引っ込め!」
「全員で囲め!」
「やっば! シラルーナちゃん、この話は後でね! 本、落としちゃったんでしょ!」
「絶対無事でいてくれよ? 僕、ソルに怒られたくねぇかんな!」
駆け出す獣人達が爪を出し、牙を剥く。それに囲まれた虎型は、堂々と構えた後に咆哮を上げる。空気を震わしたその声に、何人か僅かに下がる。
重心の下がった彼等に、虎型が飛び掛かる。隣の者が引っ張る事で難を逃れた者もいたが、更に数人が負傷者となる。勢いづいた虎型は爪を振るい、牙を鳴らす。その度に、獣人達は撥ね飛ばされ、後ろに下がりと翻弄される。
「あー、もうっ! 攻めるとこがねえ! 体力お化けめ!」
「マカ! もうちょい退かねぇと危ねぇぞ!」
ここにいるのは負傷者以外は若手数人と女子供。人数が減っていき、段々と包囲が雑に広がっていく。
遂に包囲を抜けた虎型が、目の前の獣人に走る。大きく開けた口を向けられた子供が悲鳴を上げる。
「危ないっ!」
「ライさん!」
子供を突き飛ばしたライに、深く牙が刺さる。小さな子供を狙った牙は、ライの足を砕き赤く染める。
痛みに叫ぶライに、勢い良く下ろされる爪をマカが横から打ち据える。それた爪は床を壊し、木片を巻き上げる。
「くそっ、口開け魔獣!」
虎型の頭を叩くマカだが、意にも返さない魔獣はその顎の力を強めていく。
「どいてください!」
家屋に立て掛けてあった石の斧。それをもったシラルーナが目一杯に高く掲げる。慌てて飛び退いたマカの目の前で力一杯に振り下ろされた石斧が虎型の頭に刺さる。
大きな鳴き声で仰け反った虎型からライを引きずって離れる二人。それを援護するように出遅れた獣人達が虎型に立ちふさがる。頭を割られた虎型は怒りに満ちた目でシラルーナを睨み、飛び出した。
「くそっ、無視すんな!」
「意地でも止めろよ!」
互いに怒鳴りあうことで恐怖を誤魔化す獣人達が虎型と正面からぶつかり合う。傷だらけでも、動けなくても、動かなくてはいけないと言い聞かせる。
また一人倒れ、虎型の吠え声が響いた時だった。
「これで最後だな?」
突如、窓から別の虎型が飛んできて大きな虎型に当たる。体勢を崩し、下敷きになった虎型。
窓から入る土煙の向こうには、鋭い目をしたアジスが立っていた。