第二十二話
姿を見せない一団と聞いたラダムが真っ先に思い付いたのが下克上だ。弱い頭はいらない。獣人にとって憧れであると共に、責任の重い士族長の立場。
今回の失態は引きずり下ろされるには十分だった。無論、ラダムとて自分を超えられぬなら士族を任せるつもりは無いが、それでも胆力のある挑戦者に全力をもって応える気持ちはあった。
「行くぞ、俺達の仲間の恨み!」
しかし、現実に起こったのは反逆。守るためではなく、八つ当たりに近い集団リンチ。しかも近くにいただけの同胞や恩人も巻き込んで。
「これ以上堕ちぬよう、俺が止めてやる。」
四方から襲いかかる彼等。
ラダムは一人を掴み、足を払いながら投げ飛ばす。その先にいた一人を潰して倒れる彼には見向きせずに裏拳で一人を沈める。
姿勢を下げつつ足払いで一人を倒しながら振り返り、迫る一人に掌底を打ち込む。腹を抑えて踞る彼を飛び越えて最後の一人に膝を叩き込むと、残ったリーダーに振り返る。
日頃の落ち着いたラダムからは考えられない荒々しい力業の数々はまさしく獣人の戦いかたと言える。
「終わるか? それとも続けるか?」
「くそっ、里を壊した癖に!」
「責任はあれど俺が壊した訳では無いのだが……」
もはや記憶さえおかしいのではないかと思う言動に、流石のラダムも止まる。しかし、その隙に怪しんだラダムに見向きもせずにシラルーナに走る獣人。
「えっ?」
「ヤベッ!」
焦るマカが咄嗟に間に入るが、体の大きさが違いすぎた。シラルーナの腕を掴んだ獣人が、集落の外に走り出す。
「うおぉ、ソルに怒られる!」
「待て、彼女を放せ!」
追いかける二人の上にふと影が落ちた。
シラルーナを掴んだ獣人は、その大きな体躯の影に隠れてしまう。
「いつもいつも最悪のタイミングだな!」
「なんだよ、こいつ!」
叫ぶ獣人の声から、向こうも道を塞がれているのが伺える。ぐるりと彼を囲んだ蛇型が、その大きな口を開け噛みつく。
「「鎌鼬」!」
シラルーナの叫び声と共に、蛇型の口に裂け目が出来る。蛇型が仰け反る間に追い付いたラダムが、その跳躍力で蛇の包囲する中に入る。
「無事か?」
「な、なんとか。」
本を強く抱えたシラルーナは地面にへたりこんでいたが、獣人の方は虚空を見つめて突っ立っている。シラルーナと獣人を抱えたラダムに、蛇の噛みつきが襲いかかった。
自らの体で逃げられないようにして、噛みつこうとしたり、突き刺そうとしてくる蛇の攻撃を丁寧に捌いていくラダム。二人を抱えたままでどう脱出するか考えるラダムに、抱えられているシラルーナが声をかける。
「次にチャンスがあったら跳んでください! 風で加速させます!」
「信じよう! 頼むぞ!」
次々と遅い来る蛇の猛攻。その僅かな息継ぎの空白でラダムは思い切り地面を蹴った。
「「爆風」!」
蛇の包囲の真ん中から、強い風が吹き荒れる。それに飛ばされる様にして、ラダムは包囲の外に戻ってきた。
「ボス! 大丈夫ですか?」
「あぁ、問題無い。マカ、二人をつれて一度退避。アジスに連絡をしてくれ。蛇の襲撃だ、とな。」
「はっ! シラルーナちゃん、走れるか? これは俺が引きずってくから。」
「私は大丈夫です。ラダムさん、頑張ってください。」
シラルーナが本を開き、ラダムに体の疲れをとる魔術と体を軽くする魔術をかける。周囲に風を纏い、動きを手助けしてくれる魔術だ。
「ほう? これが魔術か。」
「ご無事で。」
「無論だ。」
獣人を少し乱暴に引きずるマカを、シラルーナは追いかける。その後ろ姿をちらりと確認したラダムは、意識を蛇へと戻した。
急に獲物が消えたことに戸惑っていた蛇も、ラダムの殺気に気づいたのか此方へ振り向く。
「今は少々機嫌が悪くてな。悪いが少し攻撃的に行かせて貰うぞ。」
風を纏うラダムの爪が、光を反射して蛇に向けられた。
「ヘックション! ううむ、寒いな。」
草原に一人転がっていたソルはむくりと起き上がると、朝日を眺めてぼやく。
「そろそろ様子見に行って見るか。俺の方も大分くっついたし。」
僅かに固定して治療魔術をかける事を繰り返して、一通り元通りの状態にはなった。まだ折れやすかったりするだろうが、付与をすれば大概は問題無いだろう。
「シーナなら、そろそろラダムって人も治せてるだろうし……取り敢えず交渉出来る人だといいけど。最悪、マカに丸投げしよう。」
レギンスから荷物引っ張り出してくれば良かったと後悔しながら方向を確認するソルは、ふと違和感を感じて足下を見る。
「……溶けてる? 少しだけど草って溶けないよな?」
溶けた草。見たことはあるが、ソルが首を切り飛ばした蛇の吐息の物だ。大きさ的に舌を伸ばしてくるもう一方が吐息も吐けるとは思えない。あれにだって専用の器官があり、舌を伸ばせるような筋肉量の奴がそれも持っているのは少し無理がある。
「……いや、デカけりゃ持ってそうだな。風で少し飛んできたのか。」
風上は集落の方角。既に襲撃があったのだろうか。ソルは具現結晶・付与を自身にかけて、宙に浮く。少し距離を取り過ぎたことが悔やまれる。
「間に合えよ!」
突如響いた轟音に混乱する集落の中でアジスは、叫び声を上げた。
「静まれぇ!」
ラダムに最も近い存在であるアジスの一喝。それは周囲を黙らせるのに効果的な物だった。現在員を確認したアジスは、隅に一人でいるライを呼びつける。
「マカはどうした?」
「はっ! ボスと共に彼方にいると思われます!」
「……成る程な。となると、魔獣か悪魔か。」
「それとも我々か。」
突然入り込んできた声に振り返ると、同じ里の仲間が爪を振るう。微かに皮膚を掠めて血を飛ばす腕を、欠片の容赦もなくへし折るアジス。
「あがぁっ!」
「俺はボスほど普通じゃないんだ。死ぬか、全てを吐いて懲罰か選べ。」
「こ、怖ぁ~。」
ライが軽く引いていると、リーダー格の獣人を引きずったマカがその場に走り込んでくる。
「アジス様、蛇型です! ボスが交戦中! 後、こいつボスに喧嘩売ってのされました!」
「角蛇も近くにいるかもしれん。俺はボスの元に向かう、それとこれは吊り上げておけ。後で俺が話をする。」
「はっ!」
走り出すアジスを見送りながら返事を返すマカ。彼に追い付いたシラルーナが息を切らして言う。
「他に、この人達の、仲間が、いないんですか?」
「いてもこの数相手は無理でしょ。」
一ヶ所に集まった彼等は百名をこしている。何人いるのか分からないが、今ここで動くバカは流石にいない。
……理性がある獣人ならば。
「魔獣だぁ!」
「虎型、だと。」
「十頭も居るぞ!」
アジスもラダムもいない。虎型で大型ではないとはいえ、その異常に発達した牙と前足は確かに魔獣の特徴だ。何人かの獣人が立ち上がり、指揮を取り始めた。ラダム同様に、30歳をこえた人間の時代があったベテラン達だ。
「六人毎に組め! それぞれ隊長を決めて散開!以後の指揮は隊長が担え!」
「前足から狙え! 正面に立つな!」
「女、子供は無事な家屋に退避!」
次々と陣形を組み上げる先輩達に習い、マカとライも黙って隊に加わる。上手くまとまっている今、余計な事を言って混乱するのを避けたためだ。
「援護します! 「高圧弾」っ。」
高い圧力を持った空気の塊が、接近しすぎていた魔獣に素早く飛んでいき、その動きを阻害する。その間に陣形はまたひとつ組上がる。
「総員迎撃!」
戦いの火蓋が切って落とされた。
その戦いはもはや戦いとは言えなかった。
伸びる舌、硬い鱗に覆われた大きな体躯、毒を持った鋭い牙、しなる尾。その全てがラダムには届かない。逆にラダムがその力を持って振るう爪が蛇を切り裂くのみ。
回避が攻撃と同時に行われ、更に動いた動きは踏み込みとなる。踏み込んだ先で振るう爪が鱗を引き裂き、落ちてきた反撃も切り裂くのみ。移動も、回避も、その全てが攻撃に繋がっている。
(いつも以上に体が言うことを聞く。より速く動ける。もう少し攻めても回避が間に合う……成る程、悪魔が驚異な訳だ。)
子供の放つ魔法の真似事でこれ。悪魔が無造作に放つ魔法とはどれ程なのか。
しかし、今はそれを考えても意味が無いことだ。既に死に体だが、強大な魔獣が目の前にいるのだから。
「はぁ!」
勢い良く踏み込んだラダムが、蛇の喉笛に爪を突き立てる。反応の間に合わない蛇が気道を潰されて怯んだ。
追撃を仕掛けるラダムだったが、すぐにその場を飛び退いて距離を取った。すんでのところを舌が貫き、空気を切る音が僅かに届いた。
「お出ましか、角蛇。」
白かった角を鱗と同じ真っ黒に染めた角蛇が、ラダムを睨み鎌首をもたげていた。
「交代します、ボス!」
集落から飛び出したアジスが、蛇の胴を凪ぎながら叫ぶ。頷いたラダムが、離れるように走り角蛇に向き合った。
風を纏うラダムが構えれば、角蛇も隻眼を細めて待つ。両者が今ぶつかろうとしたその時だった。
「あー、ストップストップ! そうじゃ無くてさ~。もっと楽しんでくれなきゃ。直々に僕が来た意味がないじゃ~ん?」
場違いな声が空から響き、翼をはためかせた影が蛇の頭に降り立つ。
「こいつもせっかく調教したんだしさ? もっと努力の成果ってのをくれよな~。君達地面に這いずって暮らしてんだしさ? そのまま頭下げて僕の言うことも聞けよ~。」
好き放題言いはなった悪魔に対して、蛇は黙って頭を踏ませたまま。しかし、角蛇はそれを良く思わなかったようで強酸の吐息が悪魔に吹き付けられる。
「うわっ、危ないな~。惜しい惜しい、もうちょっとだったよ~。でも虐めていいのは僕だけ。君じゃな~い!【統制消失】」
何がおかしいのかケラケラと笑う悪魔が、角蛇に向かって手を向けた。その手に輝く魔法陣が消えたとき、角蛇は地面にしっかりとその身を付けて伏せている。
「うんうん、それがお似合いだね。永遠に滑って土下座しときなぁ~。手足ないけどね!」
「何が目的だ? 悪魔が。」
牙を剥き出して唸るラダムが悪魔に問いかける。相手が悪魔である以上、短慮な戦闘は死を招く。アジスもラダムの元に並んではいるが、その殺気は隠せていない。
「あれれぇ? なんか僕ってば嫌われちゃってるぅ~? まっ、そうしてんだけどね!」
「我々と事を構えるつもりは?」
「ないよ~。」
ひとまず悪魔と魔獣を同時に相手にするという、最悪の事態は免れたかと安心するラダム。しかし、ニヤリと口許を歪めた彼は、絶望の始まりを告げた。
「だって、君達はオモチャだもん。この「嗜虐の悪魔」が君達で遊んであげるだけだからねぇっ!」
影から真っ黒な剣を作り出し、嗜虐の悪魔がそれを嘗める。
背後の集落から戦闘音が鳴り出し、悪魔はよりいっそう嗤いを深めた。