第81話
僅かな光もない。目をやられたかと触れてみるが、傷はない。
「どうしたんだぁい? まさか目だけが頼りでも無いだぁろ?」
「肉体が無いやつには、この不便が分かんないか?」
「肉体のある不便なら、想像はできるけぇどね。」
ピン、と張り詰めた音がする。何事かと戦陣を広げるが、ものに当たらない。振動か。
「次は何が欲しいかぁな?」
「空気にも干渉できるのか。」
「悪魔相手なら難しいけぇどね。五感がある分、迷うでぇしょ?」
「それで、それだけか?」
「もう少し欲しいのかぁい?」
悪魔の動く気配がある。結晶の吸収率から魔力体の動きを察して、ソルは剣を創り出して迎撃する。
しかし、瞑目に耳鳴り、まともに狙いがつくはずもなく。空ぶった剣の懐に気配を感じた瞬間、凄まじい勢いで腹に一撃が入る。もし【加護】が無ければ、背骨が折れていたと確信できる一撃。
「ふぅむ……? 人の肉体にしては硬ぁいね、同じ特性かぁな?」
「雰囲気程度だけどな、結晶を見れば分かるだろ。」
「なら、こぉいうのはあまり効果も無いかぁな?」
数瞬の後、ソルの顔を冷たいものが触れた。テオリューシアに行くまで、ソルの見た事の無いもの。雪である。
「寒冷か、凝結か……どっちだ?」
「人の言葉で言われてぇもね。我様の魔法は、我様のモォノさ。思う形になればいい、そう願えば世界が叶う。」
「固有なのか付与なのか分かんねぇな、これ……」
「凡夫の区分など知らなぁいよ。我様の望みなら、それは全て同じだぁよ?」
「感覚に寄りすぎだろ。道理で名さえ唱えない訳だ!」
痛みを訴える胃腸の神経に鈍化を付与し、【武装】を纏って突貫する。相手のやり口がステゴロだとわかった以上、下手に引くと危ない。逃げるものより襲うものの方が殴りにくい。
それに、攻め手を緩めて付与を増やされても厄介だ。寒さなら「防寒」の魔方陣を服の下に忍ばせれば害は無いが、付与の真骨頂は性質の変化にある。空気に毒性、己の虚像に引力、ソルの結晶の統一化に抗う付与だってある。魔力を潜り込ませるという性質上、ある程度の抵抗は無視できるのが付与の強みだ。ソルとて例外ではない。
「急に暴れるじゃなぁいか、見当外れだぁけどねえ?」
「お前が虚像だから……だろうが! 薄っぺらいんだよ、反応が!」
「我様を薄っぺらなぁんて、キミくらいしか言わないだろぉうね。」
だが虚飾の魔法がある以上、見えていようが聞こえていようがきっと変わらない。今だって、傍から見れば虚空に向けてソルが剣を振っているように見えていても不思議じゃない。
危機感に衛星を固めれば、それ越しに大きな拳がソルを殴り飛ばした。
「くっそ、それが悪魔のやり方か!?」
「我様に触れらぁれて嬉しいだぁろ?」
離れた勢いのまま更に上空へ飛び、強引に力場でもって辺りの重力を増す。急な変化に対応が遅れた悪魔と距離を取り、自分に簡易的な「闇の崩壊」を使用する。
範囲の指定などできない為、【加護】も【武装】も解けてしまうが必要経費と割り切る。晴れた空に目が慣れるより早く、聞こえるようになった耳に蝙蝠の悲鳴が聞こえる。そういえば放置してしまっていた。
「まだ残党がいたかぁな?」
「というより新手、だろうな。」
翼膜を貫いてソルの高さまで届く槍を投げるなど、出来そうな者は一人しか思い当たらない。というか、何人もいて欲しくない。
「ふぅむ……そう何度も投げるのは難しそうだぁし、当たるのもマグレのようだぁね。人に落とせるものでも無いし、アレは置いておこうかぁな。」
「そうか、よ!」
結晶を刃に這わせた槍を突き出せば、悪魔は悠々と避ける。いや、避けるように見える。たとえ刺しても見えている魔力分のダメージしかないのだ、そんなもの、付与をかけ続けて降雪を維持しているこの空間で槍を振り回しても大差ないダメージだろう。
だが、それでいい。ソルの戦陣は成長しているし、虚飾だってソルを殺し切るのは難しい。付与だけでは手間が多すぎるのだ。ソルにはそれを引っペがす術があるのだから。
「ところで、お前ならアラストールも驚異では無いんじゃ無いか? なんでアスモデウスのご機嫌取りなんてしてる?」
「……我様の真意を伺うのであぁれば、相応の対価を払いたまぁえよ。」
「えらそーに。ならくれてやる、よ!」
空中に叩きつけた掌から、魔方陣の結晶が広がる。同時多発的に起動した「闇の崩壊」が、緩くか細く、細い光の糸を伸ばしていく。
何本も伸びるそれは網目のように交錯しあい、慣性にも似た惰性で離れ、広がっていく。本体のない悪魔の、魔法によって満たされた空間で、起動する場を探して彷徨い続ける。
「こぉれが、対価かぁい?」
「触れてみれば良いんじゃねぇの?」
「うぅん……断っておこうかぁな。」
遅い動きでは捕らえるのは難しく、悠々とそれから距離をとる虚飾を、結晶の槍が取り囲む。
「おや。」
「【狙撃】。」
悪魔に突き刺さる結晶は、触れた魔力をすぐに取り込み始め、大きく成長しようとする。
しかし、そっと触れられた瞬間、それは成長を止めた。
「消すことまでは難しいようだぁね。」
「停滞させたのか……くそ、これじゃ目印にもなりゃしない。」
「リンクも切れているのかぁな? 不思議な物体だ……面白い魔法だぁね。」
「うるせぇよ。」
ふ、と己の体を霧に変え、置き去りにされた結晶が落ちる。戦陣による感覚を頼りに追うが、一向に引っかからない。
「どこ行った……?」
消えた。おそらく、自身の虚像を「魔力の発生しない霧」へ変えたのだろう。こうなると、もうお手上げだ。奴がそこに居ないと言えば居ないし、居ると言えば居る。
本当に厄介な魔法である。付与であれば魔力反応は残るが、奴のそれは「自分を好きなものに見せる」魔法。魔力が無いと奴が定めれば、他はそう認識せざるを得なくなる。
認識を誤魔化すだけなので、結晶の吸収自体はつづいているのだろうが……吸収量を感知できない以上、総量で見るしかなく。吸収するものなど、構築しているソルの魔力に比べると誤差だ。分からない。
「おかげであの蝙蝠は殺せるか……? こうも簡単に逃げるなら、アスモデウスにとってもそこまで大事でも無かったか?」
どうしよう、と少し悩むソルだが、そもそも自分がイレギュラーなだけである。本来なら付与の特性相手はやりづらい。慣れ親しんだ自分の物が変わっていくのだから。
それを看破する知識と抗う特性、その上に悪魔殺しに特化した固有魔法と機動力の力場、魔術による引き出し。虚飾の悪魔にとっては、せめて何か一つ欠けていればと思わずにはいられないだろう。
だが、それを引き合いにしても逃げたのは事実であり。蝙蝠を守るよりも優先すべき事が虚飾にはあったのだろう。それが何なのか、それはソルには分からないが。
「と、それを考えてるほど暇でもないか。」
魔力に関しては強力な蝙蝠だが、魔法だけがソルの手段でもない。力場の特性がありがたいと思う事があるとは思わなかったが。
「そら、よ!」
槍を振りかぶり、中心目掛けて全力で発射する。たとえ蝙蝠の意に介さない魔力をかき消されたとて、飛んで行った槍が消えることは無い。止まることも無い。
だが、カッコをつけて投げたのが失敗した。心臓を狙った一撃だったが、肩を撃ち抜いて地面を穿って止まる。
「やっべ、返し損ねたか。武器無しで戦えるのかな、ミフォロスのやつ。」
動きが悪くなった翼では、上手く滑空もできないらしく、地面に降りた魔獣はそこで暴れ出す。一方的に鳴き声を浴びせるよりは良いかもしれないが、あれはあれで被害が大きそうだ。
「ミフォロスはデカイから目立つけど……他の人は分かんないな。十一人編成か、ここで御者の人と合流するつもりのメンツか?」
焼け焦げていたが。そういえば、助かったのだろうか。オルファなら重いから無理だった、とはいかないと思うが。
とりあえず助太刀を急ごうと、地上に降りて魔法陣を展開する。【加護】が全員に行き渡ったのを確認し、湖に向けて幾つかの結晶を射出した。
吸収、統合する魔力と熱から察するに、もう湖の中には居ないらしい。離れたか。
「そういえば、墓守サマはどこ行ったのやら……まぁ良いか、居なくてもしんどいだけで、対処法が無いって訳でもないし。」
「おう、ソル! お前、投げるの下手だな!」
「うるせぇよ。返してやったんだから良いだろ!」
「帰ってきてねぇんだよ!」
「だぁもう! ほらよ!」
地面に埋まった槍を魔法で引き抜き、そのままの勢いでミフォロスに飛ばす。なぎ払われる翼爪を回避しつつ槍を取り、首を目掛けて投げつけた。
突き立ったそれに悲鳴が轟くが、ソル以外の全員は動きを止めずにその足元へ切り込んでいく。
「なんッで、この煩い中で……!」
「あぁ!? なんだって!?」
「あぁ、これ兜の中になんか詰めてるな……」
聞こえてなさそうな面々を見れば、その対応策に察しは着く。聞こえなくて危なくないのだろうか、ただでさえフルフェイスの兜は視界が悪そうだが。
それでも、攻め手に欠けるとも言えそうなその陣形は、危なげなく展開している。大きな一撃を貰うことなく、少しづつ傷を増やしていくその様は、狩りと呼ぶに近い。
もっとも、狩りに大盾など使いはしないだろうが。あの大質量をどうやって受け止めているのだろうか。ソルのように力任せでないことは確かである。
「あんまり邪魔しても危ないか……アルスィアのやつ探しとくか?」
落ちた以上、デカイだけの生き物ならミフォロスが慣れている筈だ。魔法魔術を定期的に消してくる以上、ソルの支援は意味をなさない。せっかくの【加護】も、ほとんど消えているようで、後衛の数名が維持している程度だ。
「なんだ、貴様……燻っているのか?」
「……早いんじゃないか、もっと休んでても良いだろうに。」
「くく、休め? それを我に言うのか? こんなに滾る場は久しいと言うのに!」
「アルスィアのやつ、何してんだよ……!」
踏み鳴らした衝撃が伝播し、結晶化していく。下から広範囲を貫きあげる結晶郡を、簡単に蹴っていきソルの真上へ飛んだ獣が牙を向いた。