第十五話
そこは静かな林の中。夜の闇の中で、艶やかな鱗が土を擦る音が響く。空を飛ぶ獲物を見つけた角蛇が、首を伸ばして牙を閉じる。
哀れな鳥は悲鳴ひとつ許されずに、その生涯を閉じた。
「やれやれ、そんな小物さえ許せないのですかね? 全く、手当たり次第ですねぇ、嫉妬の魔獣は。」
唐突に降り注ぐ声に顔を上げた角蛇は、ぐるりととぐろを巻いて、頭を守る。本能がソレに警鐘を鳴らすのだ。
木の上から翼をはためかせて降りてきたソレは、特徴的な羊の角を撫でて言った。
「そう怯えなくて良いですよ。私は実験が終わったついでに遊びに来ただけですので。『安心して顔を上げなさい』。」
赤い目を向けて語るソレをゆっくりととぐろをといた角蛇が見つめる。
「そうですよ。それでいい。私は彼がどれだけ安定し、本来の力を使えるのか、自然に近い状態で見たいだけなのですから。彼なら、きっと知っていたらここに来るでしょうからね。まあ、来なければ似た所で繰り返すだけです。『そのときはまた着いて来なさい』。」
赤い目の角蛇が、頷き夜の闇の中に下がる。
「さて、見物ですね。獣人達には少し悪いでしょうが、人間よりは孤独を感じる環境にいるのが悪いのですよ。」
うっすらと嗤いを浮かべたソレは再び飛び上がり、その身をくらませた。
走らなくては。もっと速く、もっと遠くに。絶対に、ボスもアジス兄貴もライも守らなくては。
「でも、流石にしつこすぎでしょ!? いや、都合いいけどさぁ!」
ボスから離れるように必死に走り続け、段々と無尽蔵な獣人の体力も尽きてきた。元々、狐はあまり体力は無い。人間からしたら無尽蔵でも、獣人からすれば劣る種類だ。
走り続けて弱ってきたマカを、蛇達は追い詰めるように囲い始めた。先ほどのボスに刻まれた傷から、侮らずに疲れるのを待つ選択にしたようだ。魔獣にしてはかなり頭が回る。
「うわっ、危ないってぇ!?」
急に足下に鋭く舌が刺さる。もし、走り続けるために足を上げていなければ串刺しだ。更に危機感を勘で悟ったマカが加速すると、後ろからジュウッと音が聞こえた。
「ひゃー、本格的に狩りに来てるってぇ!? OK、話し合わない? 僕ってば話の分かる男だから君らの悩みとか聞いてっ、はい! 無いですよね、そうですよねぇー!?」
ぎりぎりで避けられたが、目の前を噛む牙から滴る毒液に冷や汗が止まらない。
そんな緊張が続いたからか、足下に潜んでいた石に気づかずに一瞬体勢を崩す。その一瞬で、蛇の尾がマカを叩き飛ばした。
(あー、ここまでかな。ライ、ごめんな。ボス、もうちょい近づきたかったっす……)
仰向けに転がったマカが、起き上がることも出来ずに荒い息を吐く。骨がいくつか逝ったようだが、もはや痛みさえ感じない。
早朝に猿型魔獣の退治に出掛け、終われば蛇とおいかけっこ。昼まで頑張って、ボスが来てくれた。けれど、先輩が死に、ボスが倒れ、今度は一人おいかけっこ。いつも隣にいた半身のライさえいないのは何気に初めてかも知れない。今は既に日が沈み始めているのか、空が少し薄暗い。あと一時間もたたずに綺麗な夕焼けが見えるだろう。
「でも、林からケッコー離れたぞ。ざまぁみろ。爬虫類。」
勢い良く首を上に上げた蛇を見て、遅い来る酸の吐息を覚悟する。
「……いや、まて。氷?」
蛇の下顎にめり込む透明な物体が、キラキラと輝いて霧散する。
彼の後ろで足音が聞こえた。
「そこの狐さん。宿を教えてくれたら、飛びっきりの肉を食わせてやるよ。知ってるか? 蛇って上手いんだぜ?」
「あの、お怪我大丈夫ですか?」
赤いバンダナと、グレーの頭巾を被った人間が、彼の前に立つ。
「あんた、達は……?」
「旅をしている魔術師だ。以後、ご贔屓に。」
振り返った少年が、紅い瞳を片方閉じて名乗ったのを最後に、マカの意識は途絶えた。
草原を風が走り、蛇がソルを睨み付ける。その目に込められたのは、怒りか警戒か。考えてもしょうがないことだな、とソルが意識を切り替える。
「【具現結晶・防壁】。シーナ、彼?彼女?の治療お願い。」
「分かりました。」
抱えていた本を開き、そこに作られた魔方陣を起動させるシラルーナ。彼女達を壁の後ろに匿えた事を確認して、ソルは歩を進める。
鎌首をもたげ、低い声で威嚇する蛇の片方はズタズタになっているあげく、先ほどソルが咄嗟に放った結晶も首に刺さっていた。
「蛇か。こいつら、しつこいんだよなぁ。時間があればもっとしっかりした結晶刺してやったのに。」
いい放ちながらソルは魔力を集めていき、一つの魔法を完成させる。あの時ほど広範囲でも、全能感を感じる把握力も無いものの、同じ物には違いない。時間を掛けて劣化番とは、少し悲しいと感じるソルだった。
「【具現結晶・戦陣】。及び吸収。さて、始めますか。【具現結晶・武器】。」
周囲が結晶の地面と柱に包まれ、片刃の剣を握るソルが進む。具体的に驚異を認識したことで、先程とは一転して攻勢に転じる蛇達。
鋭く飛んでくる舌を剣で払い、走り出すソルに酸の吐息が襲いかかる。魔獣には珍しい見事な連携だったが、強く地面を蹴ったソルは酸の霧の上を飛び、蛇の後ろで向きを変える。
「一体目!」
動きの鈍い吐息を吐いた蛇の結晶を拡散させ、怯んだ拍子にがら空きとなった首筋に刃を滑らす。気道を潰す様に血が結晶化し、蛇が悶える。
もう一体の蛇はと言えば、自由に動ける今を攻撃に使わずに、ノロノロと戦陣から出ていこうとする。魔力と熱が奪われ、思考が朦朧としはじめたのだろう。魔力切れにはかなり早いため、低体温が原因か。爬虫類には相性が良いようだ。
「【具現結晶・狙撃】。実践協力、御苦労様。引き続きよろしく。」
剥がれた鱗の一枚が、結晶ととって変わる。ほんの僅かにソルの魔力を引っ張るソレをつけたまま、蛇は元来た方角へと帰っていった。
「よし、回収。」
結晶に集められたエネルギーがソルの魔力や活力として還元される。役目を終えた結晶は破片を散らして霧散した。
「こっちも回収率は悪いけど問題無いな。」
「ソルさん。この人、治療終わっても目が覚めないんですけど……」
「疲れたんじゃないかな? あの蛇、もう追跡範囲の外まで行ってるし、あの二匹引っ張ってずっと走ってたんならぐっすり眠れるよ。夢さえみなきゃ。」
「随分と具体的ですけど、小さい頃に経験あるんですか?」
「三回程。」
「お、多いですね……」
シラルーナが呆れていると、遠くからトコトコと、レギンスが追い付いてくる。荷物の多いレギンスは遅いので、何かを襲っている蛇が見えた瞬間には置いてきていた。救助が間に合わなくては困る。
「しかし、大きいな。魔界にならゴロゴロいるだろうけど、ちょっと遠過ぎるぞ、ここ。」
「しかも、もっと離れていってますよね?」
「来た方向と逆だからな。何だってこんなのがあっちに?」
疑心に満ちた会話とは裏腹に、次々と蛇を捌いていくソル。夕飯時と言うことも手伝い、食欲には勝てない。それを止めないシラルーナもなんだかんだ毒されている。
この辺りならばこの大きさの魔獣は珍しい。加工は大変だが、それに見合う性能を保証する魔獣は、生きているときは大変な驚異なのもあり、討伐すればかなりの名声が得られる。綺麗な死体となれば更に目を剥くような大金付きだ。
「さて、食うか。料理している間にそいつの目も覚めるだろ。」
「じゃあ、ソルさんは材料切ってて下さいね。」
「あいよー。」
ソルの味付けは保存優先だ。食べることは簡単だが、美味しいかと聞かれても場合によるだろう。怪我人も居るなかでソルの調理はあまりいただけない。
持ち物の食材と、魔術によって高速血抜き処理をした肉が、次々と美味しそうな料理に姿を変える。旅先と言うこともあり簡素にまとめてあるが、柔らかく煮込んでいたり、油を少し拭い取っていたりと配慮の伺える品々だ。
空腹を刺激する香りに、マカの鼻がひくついた。
「……飯っ!?」
「うおっ!? ビックリした。さっきまで死にかけてたのに元気だな。」
「ちゃんと、狐さんの分もありますよ。」
ガバリと起き上がったマカに、シラルーナがそっと椀を差し出す。顔、椀、顔とみたマカは、訝しげに訪ねた。
「すまないが、人間がこんなところに何のようだ? 逃げだしてきたのか?」
「えっ……あ、そっか。頭巾被ってたから。」
「獣人の所に行くんなら外しててもいいかもな。白い事は肌とか目でバレちゃうし。」
頭巾を脱いで、耳が見えるようにしたシラルーナ。それに驚いたのはマカだ。
「はっ!? お前、混血か!」
「その言い方は少し……」
「あ、あぁ。すまない。ちょっと驚いて……」
「ちょっとか? 今の。」
ソルからすれば獣人の方がよほど珍しい。しかし、半獣人の数は本当に少ない。
なぜなら獣人と人間は戦争中だ。ソルやシラルーナのような第三者となる特殊な境遇が珍しいだけで、いがみ合う獣人と人間が出会うことは先ず無い。あっても戦場だ。
過去の知人が獣人になった人物でも、軍事国家であった獣人の国が他の国の知り合いというと全体数が少ない。あげく、わざわざ悪魔の手痛い反撃のきっかけとなった獣人に、大変な思いで会いに行く者となれば皆無だ。
さらに……
「驚くっての。人間とくっつくような物好きがいたなんて。」
「そうか?」
「だって、鼻は低いし、毛が極端に薄いし、爪も無い。目も耳も悪くて、弱っちいだろ? 正直、変態じゃねえ?」
「あ〜、そうなるのか……」
遺伝子レベルの書き換えは、価値観の違いももたらしたのだ。元が人間なので細かい判別はないが、同種で集まるのはそういう理由もある。結局、自分の種族からかけ離れると別種の生き物に見えるのだ。
「それで、半獣人なのは分かったんだが、結局なんでこんな辺境に? やっぱり逃げてきたのか?」
「いや、役に立つから置いてくれねぇかなって。」
「……さっきの魔術師って奴か?悪魔だってんなら断りたいんだが。」
怪訝なマカの視線がソルと真っ直ぐにぶつかった。