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結晶の魔術師  作者: 古口 宗
炎と飾り
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第80話

 今なお煌めいている戦陣の吸収は、着実に熱を奪っている。ブーツ越しに受けるアルスィアより、素足で踏みしめる獣人の方が体力の消耗が早いことを狙ってか、彼の刀はいつもの身の丈よりも長いものではない。

 それだけ、自分の一撃が届かないことを懸念する相手らしい。ソルの結晶を頼るなど、アルスィアにとっては屈辱だろう。


「獲物は三つ……少々手に余るか?」

「どうしたよ、逃げんのか?」

「狩りとは確実に勝てる相手を選ぶものだ。」

「僕らだけなら勝てるみたいな言い草だね、腹立たしい。」

「勝つとも。死に逼迫する事こそ望みであり、超えることは望まない。もうヒリつけぬではないか。」

「なんて身勝手な……! 僕の嫌いなタイプだ。」

「類は友を呼ぶっていうしな。」

「殴り飛ばされたいの?」


 さっそく標的が切り替わりそうな魔人達だが、炎が間を裂けばそうもいかない。分断の間に狩れると判断したのか、アルスィアにむけて疾駆した獣人が両手の爪を振るう。裂かれた空気が熱を帯び、紅い空気が揺らめいた。


「起点は爪か……いや、離れた物も発火してた。それだけじゃないね?」

「お前も細かいのか、つまらん奴だ。」

「自分の力さえ把握して無いのかい? 早死する特徴だね。」

「獣に落ち、剣を捨て……三十年を獣として戦地に費やした。まだ死ねないらしいが、早死といえるかね?」

「思ったより老兵だったね、めんどくさい訳だ。」


 牽制の意味も込めて刀を振りかざす彼だが、間合いを測るような振りが当たるはずもなく。むしろ間を抜けるように肉薄され、牙が首を狙う。避けた彼の肩が噛み砕かれ、治り始めていた肉が抉られる。


「あぁ、右肩が……結構な痛みだね、痛覚はまだ治しきってないのにさ。」

「ふん、不味い血肉だ……渇きが癒えん。」

「ご生憎、食われることを考えて健康なんて気にしてなくてね。毒草でも食っとけば良かったよ。」

「貴様ごときが耐え切れる毒にやられるとでも?」

「こう見えて毒には強いんだ、よ!」


 投げられたナイフを易く爪で弾き、回転をかけて振り回した脚をアルスィアの側頭部に叩き込む。腕のない右側では防ぐことは出来ず、直撃を食らって転がる。

 それが止まるより早く貫かんとする爪が振り下ろされるが、空中でその動きは止められた。


「起きて早々に……なんでしょうか、この状況は。これは止めてもよろしかったので?」

「やぁ、寝坊助さん。助かったよ、危うく腕をもう一つ失うかと思った。」

「腕の一つで済むとでも? 一度戦場で舞うならば、死するまで終えず踊るがいい!」

「なら君の命を払って終わるとしようか!」


 鎖で吊り上げられた獣人に刀を振るが、届くと思うその一瞬に鎖を合わせ、一肢が自由になった途端に蹴り飛ばされる。疾い、あまりにも。

 アルスィアとて遅い訳では無い。だが、たとえ早く動こうとも、間に合わないだろうタイミングでも対応してくる。動体視力と勘が異様に良いのだろうか。


「どうした、黒枝よ。それで我が命貰おうとでも?」

「誰が枝だよ、そこまで細くないって!」


 撹乱になるかとナイフを投げ続けるが、必要最低限なものを掻い摘んで対処させるため、対して効果は無さそうだ。疲労の蓄積にさえなりそうもないし、ナイフに何かを仕込めているわけでもない。


「夜なら……いや、せめて風が使えれば……」

「期を間違えたのは其方、言い訳など見苦しい。」

「悪かったね、それなら目でも閉じてれば?」

「ふむ、大して変わらんが……多少の余興にはなるか?」

「は?」


 本当にその瞼を落とした獣人は、そのまま爪に火を宿す。舐められている、その事実がアルスィアを慣れない感情の海に沈めてくる。


「ほれ、どうした。来ないのか?」

「言われなくても……!」


 突き出した刀が頬を掠め、散った血液が地面を染めて炎の花を咲かせた。ペロリと舐め取り、舌で躍る火を呑み込むと、獰猛に歯茎をむき出して男は嗤う。


「なるほど、影の武器は風鳴がせんか……耳ではなく、悪寒に頼る方が正解だな。」

「避けといて何を……!」

「ふん、腕を振るからだ。肉体は空気を押し出し、風を切る。耳や肌が慣れれば、目より雄弁に物語るものよ。」

「知ったこっちゃないね、僕には暗闇の方が余程に語ってくれるよ。」


 それならばと影の刀を投げつけるが、今度は掠めることも無く躱される。霧散していく刀を視界の端に収めながら、アルスィアは外套を羽織なおして腕を隠す。


「どうした、終いか?」

「なら、どうするのさ。」

「無論、狩る。」


 新しい一振を抜刀するより早く、獣人が肉薄する……否、抜刀されるものは無かった。代わりに抜き放たれたのは、どこまで暗く黒い門、呑み込む道。


「ようこそ、故郷へ。【故郷に還る影パトリードシィ・スキアー】!」

「何!? なんだこれは!」

「私も……!」


 外套が閉じられ、影の世界は現実と分かたれる。深く溜息を落とした招待者は、空を見上げた。


「うん、あっちは任せていいか……集中しとかないとヤバそうな相手だし、肉体の方は休眠させとくかな。」




「多連【具現結晶(クリスタライズ)狙撃(ショット)】!」


 数十、数百の結晶の槍が飛び出し、バタつく蝙蝠の飛膜を傷つける。物量で押し切れば、上書きのインターバルを無視できる。

 とはいえ、大きなものを何百と創れば魔力が底を尽きる。戦陣を空に広げようと、上書きされて消えては供給源として期待できないからだ。故に槍は小ぶり、蝙蝠を殺すには至らない。だが、それが狙いでもあった。


「こうしてりゃ、釣り出せると思うんだけどな。あのアスモデウスがこんなレアものを回収せずに捨てるとも思わないし。」


 付与の特性。それはソルも他に一柱しか知らない、滅多に見ない特性だ。というのも、汎用性が高い分、元の物質に頼る部分も大きく。精神体である悪魔と相性が悪いのだ。

 ソルも自分の肉体に付与は与えられるが、己自身には不可能。異物として混ざり込むことで効果を発揮する為、自分の魔力には重ならない。モナクスタロの特性が最初から付与であれば、具現結晶をこれほど多様に使うことは出来なかっただろう。


「どっかに居るはずだ、護衛の悪魔……!」


 今、フリーな悪魔にとって脅威なのはアラストール。遠征中のレヴィアタンや奔放で怠慢なベルフェゴールとは違い、身近にあり動く恐怖。

 それから守ってくれるアスモデウスに嫌われる事は、雨の中で屋根を失うようなもの。かけられた期待には応えるはずだ。

 もしいないのならば、アスモデウスにとってコイツはさほど重要では無い事になる。この街に本体が赴く程に関心を寄せていた割に、同行者がそうだとは考えにくい。アレは大事だと思う案件ほど、一人で動く方が好んだ筈だ。悪魔の心臓の実物や移植方法を誰も知らない事も、それを物語っている。知恵を共有しないのである。


「そんな奴が自分で動く案件に引っ張り出すなら、やりたい事があったはず……これの特異性を考えりゃ、俺達の観察には不向きだし意図しない再会だった筈だ。役目まで生かして置きたいだろ? なぁ!」


 聞こえているか知らないが、薄ら笑いを浮かべる山羊角の悪魔を思い浮かべながら叫ぶ。

 本体はとっくに帰っているだろう故に、居るとすれば傀儡か端末くらいのものだろうが。それでもそれを叩き潰す。少しでも邪魔をしておかなければ、南にいくのに不安が残る。もしサタンの覚醒と重なれば……30年前の歴史が、その結果を教えてくる。


「もし、関係なかったら無駄骨だけどな……」


 どちらにせよ、エーリシの街をそのまま捨ておくつもりは無いが。孤独の因果に叛くならば、居場所は少しでも多い方が良い。魔人の身を持つソルに、居場所はさほど多くない。危機に瀕している際に出逢えば恩の押し売りも出来ようが、そんなタイミングは多くはなく。大概は悪魔の真似事人形等は追われる身だ。

 それが分かっているから、アルスィア等は潜む。潜み続け、逆らうものを屈伏させる力を得るまで接触を最小限に留めている。今もソルの影に隠れているからこそ、街中に居るのだ。


「来ないな……仕方ない、落とすか。」


 少しでもアスモデウスの情報が欲しかったが、ツテがないなら不可能だ。このまま物量で押し切るしか無いので時間はかかるが、落とさせてもらおう。


「待ちたまぁえよ、そう焦る必要はあるかぁな?」

「……よりによって。」


 姿は見えないが声はする。その不可思議に対して、あるのは困惑でも焦りでもない。冷静に周囲を探れば、馴染んだ色彩の魔力が見える。よりよって付与を知った「孤独」と当たる想定はしていなかったらしい。


「まさか、この俺様を差ぁし置いて? 好き勝手しよぉうとでも?」


 地面の炎がゆらりと広がり、徐々に人の形を取っていく。上半身が出来上がった頃に霧散し、中から炎のように揺れる頭髪を持った男が顔を出す。

 なるほど、今はあんな感じか、と一人で納得するソルの前でそれは手を掲げ炎の剣を現した。


「それ以上の狼藉は……復讐のアラストールの名において処け」

「放出。」

「いぃぃい!? ウッソだぁろ、なんで!?」

「本物なら、こんな優しい挨拶しねぇよ。」

「そうなぁのかい? というか、我様のことを知っていぃるね?」

「噂だけはな、虚飾の悪魔。」


 虚飾。体裁、見栄、威嚇。いわば欺く事。欲望から遠い理性的な感情であり、本能に忠実な欲深さも持つ。そんな感情が悪魔になればどうなるか。魅せる、その一点しか無く、始点も終点も無いその感情は……悪魔に本質を失わせた。


「曰く、本体のない悪魔。あれの護衛にゃうってつけだな、消えることが無い。」

「そうかぁな? 消えるかぁもよ?」

「無いもんが無くなるわけないだろ。」

「面白ぉいね、キミ。それなら目ぇの前の我様はなぁんだい?」

「悪魔じゃなくて魔法だろ、お前は。アラストールと同じだ。」


 正確にはその体が、だが。偽り、飾り付け、見せかけていく虚ろな張りぼて。その魔法はいつしか、悪魔の中身を消した。おそらく、ソルの結晶を埋め込んだところで消せることもない。

 アラストールは燃えているだけだが、目の前のコレは虚ろ。無いものを消せるとしたら……虚無の悪魔であるティポタスくらいのものだろうか。もしくは、魔王の再臨に巻き込んで、ぐらいか。


「参ったな、手駒を減らすつもりだったのに、減らせないなんて。」

「もう蝙蝠くぅんは、勘定から外れてるねぇえ? 哀れだなぁ、もっと見てあげなぁよ?」

「お前みたいな目立ちたがりばっかりでもねぇかもよ?」

「我様を捕まえて? 目立ちたがりだぁなて失敬だぁね!」


 ふ、と悪魔が腕を振れば、辺りを暗闇が包んだ。

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