第74話
「ねぇ、遅いんだけど?」
「なんだ、結構待ったな。」
「一応は君の場所だからね、僕だって遠慮くらいある。」
「たまに殺気を向けてくるのが遠慮か?」
「君が圧殺を仕掛けてくるからだろ?」
「お前がシーナの部屋に忍び込もうとするからだ。」
「なら君の魔方陣とやらを見せておくれよ、僕はどっちの本を借りても良いんだから。」
「ヤダ。」
「なんでさ。」
はぁ、とわざとらしく溜息を落としたソルが、試行錯誤を纏めた手記を振る。
「仮にお前が俺なら見せんのか?」
「いや?」
「なんで?」
「気に食わないから。」
「よく分かってんじゃねぇか。」
「だからって圧殺しようとするかい?」
「骨外れるまで潰しただけじゃん。」
「人間は死ぬんだよ。」
「なら止めろよ、何回やったよ。」
「二十六回だね。」
「たった四日でやりすぎ……まて、二回知らないんだが。」
「安心しなよ、あの獣混ざりに殴り飛ばされたから。なんで僕の場所が分かるわけ?」
「知らねぇよ……」
質量は変わらないとはいえ、変幻自在で五感を遮断し、有り得ない速度で移動が可能。とても捉えられるとは思わないが、どうやらオルファは殴れるらしい。喧嘩しないように気をつけようと心に刻み、「闇の崩壊」の再構築に戻る。
魔獣の暴れていた集落で試した、「光煌星明」の術式。シラルーナの解呪に使うには危険だが、排除の為の「闇の崩壊」に組み込むにはちょうどいい。本質が近い為に邪魔な干渉を避けながら速度が上げられる筈だ。墓守の杖を間近で観察できたおかげで、より精巧になっている……攻撃性が減ることは無かったが。
「で、アレは?」
「飯ならまだだぞ。」
「違うよ、君じゃあるまいし。あのノッポが帰ってこないんだけど?」
「知らねぇよ、適当にほっつき歩いてるんだろ。」
「……本気かい? この街にはアスモデウスが来てたのに。」
「だから?」
「もしかして君、彼の正体に予想が着いて無いのかい?」
「はぁ? 正体ってなんだよ。」
「あー、コレ首突っ込んだら後悔するね……あれの目的は知らないけど、邪魔して許されるとも思わないし。」
「何をそんなに警戒してんだよ……」
自分の分からない事を、目の前でゴタゴタと言われても腹立たしいだけである。どうやって叩き出すか考えるソルの耳に、ノックの音が聞こえた。
「はい、どなた?」
「私です。リティス様より、貴方へ来客だと。」
「客ぅ……? あ、もしかして。」
「何さ、なんで僕を見るわけ?」
「いや、関係はあるって言うか……アスモデウスの野郎が帰ったあとさ、ミフォロスに会ったか?」
「いや……もしかして君、ろくな説明もせずに放置してたり……」
「忘れてたんだよ、仕方ないだろ。」
「なら、そう言ってくれば?」
ソルの頭骨が奏でた音を思い出し、関わりたくないという態度を惜しげなく出していくアルスィアだが、当然ソルが逃がすわけが無い。
どうせ必要な説明には、コレの目的や動向、意思も含まれる。本人がいた方が遥かに効率的だ。
「その手は何さ。」
「ぶら下げてるだけだろ?」
「見えない方だよ、掴まないでくれるかい? 君の魔法で掴まれると身の危険を感じるんだよ。」
「なら来い。アスモデウスの件もある。」
「…………僕からなにか話すと思わない事だね。」
「話すだろ、多分。」
話さなければ、勝手に此方で決める。それに従おうと従うまいと、【唯我独晶】と塔の知識を求めるアルスィアに独断行動の選択肢は無い。ソルが留まれば留まるしかないのである……ベルゴもそうするという嫌な確信も手伝い、アルスィアの行動は比較的、予想が易かった。
鞄に、広げていた紙と触媒液を乱雑に突っ込み、ソルは下に降りていく。一階では、片腕を吊ったミフォロスが燻製の塊にかぶりついていた。
「ん、おいてひあはっはか。」
「デカイな、んなもんあったのか?」
「ング、ぐ。今朝からな。昔馴染みが大量に運んできやがったのさ、移民と一緒にな。」
「へぇ、昔馴染みねぇ……」
よく見れば、色黒く繊維の方向が定まっていないその肉が、何の肉なのか想定はつく。どうやら世間は狭いらしい。
そういえば、次に会うことを確信している別れの挨拶だったと思い出す。
「どうしたのさ、モナク。」
「いや、知り合いって意外に繋がってんなって。」
「はぁ?」
怪訝な顔をするアルスィアを眺め、残りを丸呑みのような勢いで胃袋に片付けたミフォロスは呻く。
「あの状態から、よくまぁ戻ってくるもんだ……バケモンって言うにゃ十分だな。」
「聞こえてるんだよ、お互い様さ。」
「何がだよ。」
「普通、人間って魔獣の皮膜を破り去る勢いで、あんな大きさの鉄塊を投げ上げないんだよ。」
「鍛えてりゃ出来んだろ。」
「ねぇ、傭兵って語学を学ばないと会話が出来ないような低脳が多いのかい?」
「喧嘩売ってんのか、コイツは。」
あまりに分かりやすく見下されては、怒りより困惑が勝るらしい。そんな彼に、今度はソルが問いかけた。
「腕、どうしたんだ?」
「ん? あぁ……得物が投げたら歪んだもんで、代わりに古くせぇもん握ってたんだが……片手剣なんざ久しぶりで、リーチを見誤ってな。空ぶった勢いで肩が外れた。」
「ねぇ、本気で人間かい?」
「なんだよ、素人にゃよくある話だろうが。」
「いや、頭じゃなくて馬鹿力だよ。普通は自分を壊す前に加減が効くでしょ。」
「そうか?」
「さぁ。」
「僕がおかしいのか……?」
壊れると知って止めないのと、気づいたら壊れたのでは訳が違う。アルスィアにとって、目の前の二人が未知の生き物に感じた。
「まぁ、そんな事はどうでもいいんだよ。アレが戻ってきたなら、俺が無理に出しゃばる必要もねぇしよ。」
「アレ?」
「一言で言わせりゃあ、馬鹿力な堅物だな。」
「コレにそれを言われるようなのが人間だと思いたくないんだけど。」
「これってなぁ、なんだよ坊主。人目につくんなら礼儀くらい演じても損はねぇぞ。」
「すごいね、礼節を解かれてるはずなのに不敬の塊に感じるよ。」
「嫌いなんだよ、硬っ苦しいのは……二度と戻る気はねぇからな。」
「へぇ……?」
絶望の魔人がそそられる程度には、良くない記憶らしい。話を逸らしてやろうと、ソルが扉を開け放って言う。
「どうせ、アスモデウスの件だろ? 外で話そうぜ、ちょっと寒いけどな。」
「目立つよ?」
「そうでも無いさ、上なら。」
二人を結晶に乗せて、あっという間に高空まで運んでいく。
「落ちそうなんだけど?」
「滑るからな、気をつけろ。」
「どう気をつけるってんだよ……!」
「取っ手をつけてるだろ?」
「「滑るんだよ!」」
お構い無しに上昇し、数十秒。細かい雲と同じほどの高さに昇ったあと、壊れた門の方を見下ろしてみる。流石に獣の死骸は片付いたらしく、赤色のなくなった地面で石材を集めている人が見える。流石というべきか、この街にはまだ復興する力はあるようだ。
「こんなとこに来るたぁ、どんな話だ?」
「見えるか? 南の森なんだけど。」
「あぁ? 森がどう……なんだよ、ありゃ。」
「君の目にどう見えてるのか知らないけど……ドス黒いね、アレは。」
アスモデウスが去ってから、グッと増した悪魔の気配。まさかとは思っていたが、これほどとは。赤い、炎のような魔力。森というより大地を飲み込んでいるような、そんな幻炎。魔人の目にはっきりと見えるそれは、人の身にも感じるほど濃密だ。
ソルやアルスィアには記憶にもあるもので、嫌なものだ。特に、今から行こうと思う土地で見えている現象としては最悪である。それは前兆現象、爆発の前の延焼である。
「アスモデウスの奴がやりたいことって……」
「歓迎会の準備だとよ、魔王が起きるからな。」
「魔王って……実在すんのか。」
「人類の認識だとそうなんだね。魔界が広がるときは横暴が広がってるときだよ、アレの時にそこにいれば悪魔でも染められるさ。それで、歓迎には何を?」
「さぁな、成果としか……あとは俺の付与を気にしてるくらいか。」
渡された魔法陣については黙っておく。アラストールも使っている、やり合うのに必要なもの。十中八九、アルスィアにも使える切り札だ。易く渡す気はない。
「そういえば、僕も観察対象とか言ってたな……」
「それも影じゃなくて闇をな。」
「何か違うわけ?」
「あいつがじいちゃんの手記を読んでるなら……闇ってのは悪魔そのものを指すな。だから、本懐とか本質とかじゃないか?」
「ふーん……なるほどね。それに今回の薬の件、あれの言う成果って言うのは、多分……」
喋るのをやめて考え込むアルスィアの予想は、おそらくソルと同じもの。憤怒の魔王サタンが、休眠期間を持つ理由。
「おいおい、俺は置いてけぼりか? まるで分かんねぇよ。」
「アイツの目的は悪魔の完全な受肉だよ。水を溜める桶みたいに、肉体を得る事だ。それも悪魔が悪魔を超えるような、な。」
「肉体がねぇのは悪魔の強みの一つだろ?」
「そりゃ、霧は切れないし潰せない。でも風に吹かれれば散り散りになる。だから治せる器が居るんだよ、僕らみたいにね。」
「そして、悪魔の多くは相性に支配されてる。気にしないのは圧倒的な原罪級の奴らぐらいだ。固有魔法にも、特性にも、相性がある。その手札を増やせるなら、大きな利点だろ?」
剣、槍、弓、槌。創られて消された結晶郡に、ミフォロスは痛めた腕を擦りながら頷いた。
「使える得物が増えりゃ、色んな敵に有利を取れるって事か……だが、どう増やす?」
「感情だよ、悪魔に無くて人にある。だから、心を、魂を殺さずに魔王に迎合する物と手段を探ってる。例えば、意図して俺みたいに、少しずつ馴染ませるよう分離できないか、とか?」
「突然変異なのか、モナクの意思なのか。君の状況と経過を見たくて堪らないんだろうね。ある意味、理想系さ。」
「あとは、あの頃並みに【具現結晶】を使えれば完璧だって?」
「さぁね。どちらにせよ……弱体化無く器を得る、その現象が確立したら……例え悪感情なんて得なくても、何百年と変わらぬ力を振るう悪魔が誕生するんだろうさ。魔法が無くても殺せるようになるんだからいいじゃないか、なんて言う奴らに殺されない程度のバケモノが、さ。」
それが己だと言うように、人類を見下ろして嗤う影は。あぁ、たしかにバケモノであった。




