第73話
「さって、辛気臭ぇ雰囲気は終わりだ! 俺はそろそろお暇すんよ。カミさんも娘も待たせてる。」
「皆にもよろしくな。」
「おぅ、お前さんも元気にやれよ、ソル。」
椅子を杖代わりに立ち上がり、足を引きずりながら出て行くトクスを見送りつつ、空になった鍋に器を纏め始める。まだ食べているオルファの器だけ残し、厨房に持って行こうとしたソルを、裏手から戻ってきたリティスが止めた。
「ごめんソル君、ありがとうなんだけど、ここの厨房には入って欲しくないかも。それは置いといて、後でかたづけちゃうから!」
「ん? 分かりました、置いときます。」
「あ、あと向こうの片付けもお願い! 芝生の上に髪が散っちゃってるから、二人が大変そうで。燃やすのは無しね!」
「流石に人の敷地を燃やさないですって。」
ちょっと疲れるが、周囲に上向きの力を発動して、風で纏めればすぐに終わる。そう手間では無いはずだ。
狂信者も動いてるこの街で、白い忌み子の髪は手元にあるべきでは無い。自衛できる者ならまだしも、リティスはそうではない。
「……魔人サマよぉ、あの子の事どう思ってんだ?」
「どうって言うと?」
「大分、気ぃ遣ってんだろ。髪の処理ひとつ取ってもよ。手に負えねぇ、なんて思わねぇのかよ。」
「お前は思うのか?」
「まぁな。」
「正直だな……幸い、俺には地位も役割も無いもんで。あると言えば、殺しても死にそうに無いじいちゃんの話し相手と、シーナの兄弟子であることくらいだし。抱える手は余ってる。」
「魔人サマ自身は?」
「……飛べるもんで、抱える必要が無くってね。」
「ハッ、オレとは違うってか……悪ぃな、邪魔した。行ってやってくれ。」
グイッと器を空にしたオルファが、金だけ置いて上へと上がっていく。何が気になったのか分からないが、昔を思うようなことでもあったのか。トクス達の前では、多少は外面らしい。
(……俺なら良いってことなのか。シーナの知人には気を許すのかね。)
もしくは、ただの対抗心か。どちらにせよ、いきなり殺しにかかってきた初対面を思えば随分な変化である。それが良いことか悪いことかは、判断が難しいが。
ソルの根幹である「孤独」には、縁はあってはならないものだ。断ち切りたいと思う反面、排除したいモノを思えば……まだ必要だとも、思う。
「半端だね、俺も……アルスィアくらい吹っ切れてりゃ、俺の【具現結晶】ももっと……いや、いいか。特性ってだけの可能性の方が大きいし。」
そういう魔法である、と割り切った方が良い。可能性を期待すれば、アラストールの炎を結晶に出来ればとも思うが……強引な手段より理論を解して策を練る方が確実だ。ソルには苦手だが。どちらかと言えば、策を弄される側の立場が多い。
「ま、いいや。「闇の崩壊」さえ捩じ込む隙があればいいんだし。とりあえず人払いして戦陣を広げれば、そうそう押し負けることは無い、筈だし。」
さっさと考えを切り替え、裏手の扉を開ける。その瞬間、誰かの零した声と共にソルの脚がずぶ濡れになった。
「ごめんなさい!」
「間が悪いのですね、貴方は。」
「いや、まぁ……乾かせば済む話だし、別にいいんだけど……」
魔術で水流を作り、芝生の間の毛髪を流そうと思ったのか。簡単な壁と細められた出口、そこにかけられた網が、それを物語っている。もっとも、ソルが扉を開けた為にその水は室内に流れたが。
「扉は詰め物をしていたのですが……いつもそんなに強く開けるのですか?」
「手を使わないんだよ。調整に使う魔力が微量過ぎて、動いたかどうかで判断してたから開きづらくても気づきにくいんだ。特に考え事してる時とか。」
「何か悩むような事があるのですか?」
「魔方陣の復元作業中でね。計算式が多すぎて覚えて無いんだよ。」
「はぁ……」
そっちから聞いたくせに、とは思う態度だが。今更、腹を立てる程でもない。とりあえず当初の目的を果たそうと、ザッと魔術の範囲を指定して芝生を薙ぐ。
根を張っていない毛髪や、弱っていた芝が宙を舞い、風にあおられてソルの手元に集まる。ポッと灯った火が焼きはらい、チラチラと床に落ちる頃には燃え尽きた。
「火、慣れたんですか?」
「いや、今のは俺じゃ……」
「僕だよ、随分と呑気にしてるじゃないか。それで、リツは見つかったのかい?」
「お前さ……つくづく嫌味な奴だな。」
塀の上から見下ろしてくる仮面の男は、随分と特徴的な額をしている。もう頭は治ったらしい。
「このくらい、見てれば覚えるよ。」
「マジで殴っていいか? お前。」
「未完成品の君にできて、完成品の僕にできない訳が無いじゃないか。それに、器の地頭が違うんじゃないかい? 僕のコレは成熟した個体らしいからね。そんなことより、リツは?」
「喧嘩売ってるよな、それ。知ってても教えてやんねぇよ。」
狂信者から剥ぎ取ったのであろう仮面を取り去り、涼しい顔をしたアルスィアの額を観察する。多少、肉を寄せ集めたような痕はあるが、それと知って観察しなければ気づかない程度だ。表に気を使える程度には容易に処置できたらしい。
「脳の構造なんて、よく知ってたな。」
「いや、個体差が多くて分からなかったよ。ある程度は修繕して、細かいところはこっちで動かしてる。慣れれば、そう苦でもないさ。」
コツコツと角を叩く彼に、フルスイングで杖が叩き落とされた。鈍い音と共に、しゃがみ込んだアルスィアが刀を切り出す。
「女ァ……!」
「なんでしょうか? 疑問に思う行動とは思いませんが。」
「斬り捨てて回ったお前が悪いな。」
「モナク! 君も今、僕のこと止めたろ? その喧嘩、買ってもいいんだけど?」
「ここでか? 止めとけよ、庭が荒れる。」
「知らないよ、そんなこと。というより、責められる謂れはないよ。墓石代わりを殺したのは僕でも、死なせたのは自罰だろう?」
「だから一発ですんでんだろ、そうじゃなきゃ足の二本くらいは貰ってる。」
「意味が分からない……!」
「だから悪魔なんだよ、お前。」
「…………チッ、だから嫌いだよ、君は。」
影から切り出した刀を陽だまりに投げ捨て、ソルが取り上げた仮面を乱暴にもぎ取る。顔にそれを貼り付けると、墓守を一睨みして庭から出ていこうとする。
「お待ちください。」
「何さ、墓磨き。」
「何処へ行くつもりですか?」
「隠れるよ、僕はモナクと違って人に扮するつもりは無いし。僕は魔人になるつもりだけど、人間になるつもりはないからね。」
「そうですか。では、ここへ留まることをオススメします。」
「話、聞いてた?」
イラつきを隠さないアルスィアに、彼女は涼しい顔で続ける。
「貴方にとって死は身近すぎます。ここは彼の知った街、ここで殺し過ぎれば仲違いの理由になると思いますが。しかし、彼が前にいてその結末になるのなら、少なくない責任が分配されます。その時に彼が過剰な制裁を行うと思わないので。」
「……モナクが気にする? そんなこと。」
「別に知り合いでもないなら気にしねぇけど。」
「君の知り合いを知らないよ。そっちじゃなくて報復の内容が変わるのかって話しさ。」
「そもそも殺させねぇよ。」
「…………まぁ、対価を貰うまではご機嫌を取っといて損は無いか。僕がどこで見つかろうとカバーしてくれよ。煩いなら斬り捨てる。」
「大人しくしてんならな?」
「相手次第だよ。」
自分が原因になるなど露とも思わない二人の話は平行線でしかない。いつまでも続きそうな気配に、黙って聞いていたシラルーナが話に割って入る。
「とにかく、その人にはここに潜伏してもらうという話で終わりでいいんじゃないですか?」
「ん? まぁ、結果的にはそう、だな。」
「ずっとですか?」
「それは御免だね、人の建物は好きじゃない。」
「それなら、早く私の足を治すのと、リツちゃんと合流するのが一番ですよね。」
「でも、あの子の居場所はベルゴしか知らないぞ。俺、聞いてないし。」
「じゃ、あのノッポは?」
「お前も大概に高いだろうが。」
「下らない事に突っかからないでくれる? チビだから気にしてんの?」
「言うほど低くねぇよ。」
「ソルさん?」
「……ごめん。」
ピリピリとした雰囲気を感じて、大人しくソルが引く。余程にアルスィアが嫌いらしい。
「で、あれは?」
「ここに着いた頃には解放したし、その辺ほっつき歩いてるだけだと思うけど。」
「なんでアレを野放しにするのさ。」
「逆にここで大人しくさせといて利点あるか? どうせここを発つ時には合流するし、ほっとけばやる事はやるからな。」
「それ、僕がこの子を預かってても同じこと言う気かい?」
「え、潰すけど。」
「あぁ、そうかい、もうイイさ。どうせここに来るだろうからその時に吐かせるよ!」
木陰に溶けた彼は、その場から去ったらしい。マナの流れが自由になった事から、魔力体の減少を観測したソルがそう結論付ける。
光石をばら蒔いた部屋なんて、少し聞き回ればあっという間に見つかるだろうが、それはしない。単純にアルスィアにリツを渡す気が無かった。
感情を学ぶ、それは否定しない。しかし魔人である以上、共感は難しい。ソルにとって感情や欲望は、人間の肉体が覚えていたものが全てであり、子供の持つような稚拙なものしかない。解析して理解するものであり、それは……己の根幹を浮き彫りにする。
(下手に学ばせて、アレが魔人であることを諦めて魔王を目指すなら……消すべきものが増える事になる。それは手間だもんな。)
「ソルさん?」
「ん? どうした?」
「いえ、なにか怖い顔をしてたので……」
「シーナこそ、目つき鋭いぞ。」
「え!? ごめんなさい、そんなに変わってました?」
「短いから目元が見やすいだけか? 表情がわかりやすい気がする。」
「ちょっと恥ずかしいんですけど、それ……早く伸びないかな……」
覗き込むソルの顔を押しのけて頭巾を被り直す彼女は、暫くは顔を上げてくれそうにない。弁明を考えているソルの横で、墓守が杖を消す音が、シャンと流れた。