第72話
巨大な皿に山と盛られた蠍。湯気を立てるそれは、美味しそうな匂いだが中身がない。
「こんなに入ってたか?」
「お、魔人サマ。用事は済んだのか?」
「まぁな、んでなにこれ。」
「あぁ、オレの手持ち。来るとき拾ってきたからさ。」
「……毒抜きとかしたか?」
「あったりめぇだろ、オレをなんだと思ってんだよ。」
「雑な奴。」
「ヒデェな?」
そんなにか? と食後のスープを啜る二人に視線を向けるオルファは、剥くのが面倒になったのか殻ごと囓っている。どう見ても雑だ。
「嬢ちゃんと別嬪さんはどうした?」
「あー、奥さんに言ってやろー。」
「何をだよ。」
「二人なら裏、髪直すかと思ってな。」
「大丈夫かよ、おチビとアレを。」
「大丈夫だろ、アレが持ってる鋏は俺の結晶だ。この距離なら何かする前に分かるし処せる。」
「あ、そうかよ……」
おっかねぇ、と蠍を噛み砕いたオルファが零れそうな中身を啜る。意外に肉厚な甲殻類だ。
「ねぇ、その蠍ってどこの? 美味しそうだね、何より栄養になりそう!」
「北の森ん中。」
「魔獣や獣人の巣窟じゃん……取りに行ったら死んじゃうよ……」
「獣人? 北上してきた奴らか。」
元々の土地を離れるというのは、未知への行軍であり過去への決別だ。三十年も前とは言え、獣人に転じた者たちは当時南に居た者たち。まだ離れ暮らすには早い。
となれば、仮拠点という所であり、居住区では無いはずだ。事実、ソル達の通った森に文明的な兆しは無かった。即ち、生きるのに必要な物資は他所から調達する必要がある。
「難儀だな、この辺りも。」
「西もやっぱりおっかない? 急に成長してるとは聞くんだけどさ、こっちでも。」
「食うもんに困らない肥えた土地と、過剰な防衛力と無難な労働力があるだけだよ。実際は魔獣が跋扈してるし、国庫だってばら蒔いてるからカツカツだ。一年でも飢饉や災害がありゃ、あっという間に崩れるんじゃ無いか? 備える余力を発展と進出と報奨に全部当ててるから。」
「ギャンブラーだなぁ、西の王様ってのはよ。商人共からはトンと聞かねぇ評価だぜ。」
「大衆に悟られてたら反乱起きてるんじゃないか?」
「それもそうか。」
そんな事をして人心を集めて、何になるのかとソルは思ったものだが。事実としてそれで国は発展している。悪魔の助力や王の不思議な力、天災の来ない豪運など、様々な不確定要素に頼っている方法だが、結果が出ている以上非難されるものでは無いのだろう。
「まぁ、結局は国なんてのは人の集まりでしかねぇし、端っこまで活力と希望があんのが一番って事かね。」
「でも、それが薄いって話なんだろ?」
「分かってねぇな、嬢ちゃん。ヒラッヒラの絵だろうが、向こうが透けなきゃ景色と同じよ。上手いこと先の展望見せられりゃ、人間は頑張れちまうのさ。」
「破れた時がおっかねえな。」
「それが破れる頃には築いてりゃ良い。実際、メガーロなんかそうだろ?」
「そうなのか?」
意外な地名に興味を失いかけていたソルが会話に戻る。ソルの為に新しく持ってきて貰った茹でサソリを齧りながら、トクスの方を向く。
「お前、よくそれ食えるな。パンとか香草とか無いとキツくねぇか?」
「魔獣の生肉よりは断然美味い。そんで、メガーロが上手くやったってのは?」
「何食ってたんだ、お前さん……」
飲んでいるスープが不味くなったような顔をするトクスに、不満気なリティスの蹴りが入る。軽く詫びを入れた彼が思い返すように虚空を見上げた。
「あそこは元々メガーロ帝政国つってな……一人の男が全てを握ってた。ソイツは常に戦争を吹っ掛けて、勝ちの美味い汁をずっと国内に垂れ流し続けてたんだ。」
「その割には領土が少ないな?」
「降伏させて要求すんのが、賠償金と物資、有利な交易条件だったんだよ。生かさず殺さず、それがメガーロの「商売」だったのさ。なぁ、嬢ちゃんよ。」
「けっ、血腥ぇ国だよ。オレみたいな余所者にゃ、無法な土地はありがたいがよ。」
余所者。生まれた土地での立場をそういう彼女から見れば、また近しい立場である下層の民からみれば、あの国は故郷でもなんでもないのだろう。
当たり前か、他者を獲物として扱う国で、育つ人間もまたそうなる。食われる側からすれば、獲物も住まう処刑場に他ならない。
「んで、ついに襲う国が無くなった。これ以上勝っても旨味がねぇんだ。そうなると、景気が落ち込む。暮らしが苦しく、助かるもんが助からなくなる。その恨み辛みは一人に向けられる訳だ。」
「帝王か。」
「ご名答。だが、おっかねぇのはこれからでな、処刑になった帝王は影武者、処刑した革命者こそ、当時から国を動かしてた男だって噂があんだよ。」
「……? それなら、何も解決してなくねぇか?」
「いーや、魔人サマよ。それがまったく違うんだよ。責任者がくたばって、実際わずかでも上向きになれば、それは代替者の功績って奴になる。だからあの国では、転換期を上手く乗りきって、今までで溜め込んできた交易ルールってのにガッツリ方向転換してんのさ。オレもそれに乗っかって生き延びたんだ。武力とメガーロの名でふっかけてく商売でな。アナトレーに連合する少し前の話さ。」
アナトレー連合のきっかけは、三十年前の「悪魔の呪い」事件。そこから十年以内に完全連合した筈だ。
となると、指導者はそこそこの年齢という事になる。もう老人と言って差し支えないか? 何度か世代が代わっていても不思議は無い。
「つか、帝王ってそんなに姿バレてなかったのか?」
「何年も前から活動してんだ、普通に知るやつには知られてたよ。だからおっかねぇのさ、いったい何年かけて仕込んだ策なのか、ってね。今もそうさ、北の森にはこことは違う民族がいて、目下交戦の種は豊富……だがメガーロが互いを守ってる。だけどな、超えたヤツの話はトンと聞かねぇ。居もしねぇ敵から守ってもらうのに、俺たちはメガーロに従っててもおかしくねぇよなって具合よ。それなら、この連合さえ、帝王閣下の思惑のうち……かもな。」
「豪運の持ち主か、よっぽどの切れ者か……って事か。」
「しかも、今のメガーロの統治者は誰も知らねぇんだよ。当然オレも見たことねぇし、お綺麗な服きて毎日飯を食ってる奴も話もしねぇ。」
「ん〜……まぁ、上手いやつなのはそうなんだろうけど、テオリューシアの王とは結構違いそうだな。」
参考になるかと思ったが、土産話としては酒の肴になるくらいか。恐ろしい君主だったとしても、今は老骨だろう。どれだけ跡取りに引き継がれているか知らないが、現在の姿を見ないと言うことは外交の余地は無いということ。知っていようといまいと、常識的な対処以外にすべき道は無い。なにより遠い。
北に何を見出して断絶したかは知らないが、アナトレー北部ならシラルーナが詳しいはずだ。それとなく聞いてみてもいいかもしれない。もっとも、何があろうとアラストールより優先するものでは無いだろうが。
「坊主にゃ難しい話だったか?」
「得手不得手よりは、向き不向きかな。ほら、一人でやる方が速くて楽だし。」
「その割にゃ、随分と沢山の旅路だな?」
「獣人と敵対する理由も無いからな。蹴散らすよりはシーナに取り次いで貰う方が良い。他の奴らはシーナの護衛と肉壁。」
「……いや、まぁ、俺がとやかく言うことはねぇけどよ。」
音頭を取る役割があるでもなく、しかし仲が悪い。不思議な一行という他ない。
「んで、魔人サマよ。ここにはどれくらい居るんだ? あんまり早くに準備しても、足の早いモンは傷んじまうからな。」
「出立なら……シーナ次第かな。行き先が行き先だし。」
「置いてくって言わねぇんだな。オレならそうすんのに。」
「たっぷり怒られたもんで。」
「はは、こりゃいい。悪魔を追っ払う英雄様も、頭の上がらん女がいるか!」
笑い始めたトクスに、何がおかしいのかとソルが蹴りでも入れようとした時、裏手のドアが開かれる。物音に皆の視線が集まれば、墓守が鋏を握りしめながらソルに歩み寄る。
「お返しいたします。良く切れますが、とても滑りますね。」
「あ、吸着の付与忘れてた。大丈夫だったか?」
「取っ手が独特なので、慣れれば握りこんで使えました。あぁ、それと宿主様、櫛があれがお借りいたしたく。彼女の髪を除かねば、切ったものが頭皮を突きますから。」
「あー、痒いもんね、あれ。私ので良ければ貸してあげるよ。」
「リティーがタダで物を!?」
「いや、流石に私も申し訳ないなって思ってて……」
「あ? お、おぅ……マジで金取らねぇのか。」
反論待ちだったらしい。子供のような大人にサソリをかじる音と冷ややかな視線が二人分向けられた。
「お前らな、あいつを知らねぇから。リティーは俺達が怪我してここに運ばれてこようが、キッチリと応急処置と寝台の値段取ってくんだぞ!?」
「当たり前じゃねぇの?」
「家族みたいなもんなのによ……寂しい娘だぜ……」
「甘えんなよ、オッサン。お小遣いだと思えば良いじゃねぇか。」
「あいつの依頼は俺達は金取った事ねぇのに……」
「それはそれでどうなんだよ、傭兵。」
それでも彼女のお願いを聞いているのだ。別に文句は無いのだろうが。
「結構、入れ込んでるんだな。ただの常連って感じじゃない。」
「ん? あぁ……まぁな。俺なんかは特にとっつく事も無かったから最近だが、一部のやつはここが出来る時に居たヤツらさ。うちの傭兵団の中じゃ、実家はここだとのたまう奴もいる。」
「宿の名前、似てるもんな。」
「似てるっつーか、当時の団長の悪ふざけだ。支店みたいなもんだとばかりに同じ看板引っさげたのさ。実際、最初は宿舎と受付だったんだよ、ここは。いつの間にか酒場と宿屋になったがな。」
「ふーん……そっか。」
東の果てでも歴史はある。前にここに来た時は、そこまで思う余裕もなかったが、ソルの知らない場所で、時間で、色んなことは起こる。
それを、少し勿体ないと思いながら、蠍の最後の鋏を齧った。




