第71話
食事中ではあるが、ソルは宿屋の裏を借りてシラルーナと墓守を連れ出した。簡易的に防音の風域を作り、その中で座り込む。
「さって、塀は高いし、これでそうそう大事にはなんないだろ。シーナにかかってる魔法はどんな感じだ?」
「私には、見ても分かりません。私の授かったものは、この杖だけですから。知識も目もありませんので。」
「試すしか無いって事か……」
「ソルさん? なんでこの人に……?」
疑問をぶつけていくシラルーナは、悪魔の魔法についてはそれほど詳しくない。星の魔法の特性については、魔術に落とし込めていないからマギアレクの蔵書には無かったのだ。
どう説明するか、ソルが記憶を探りながら口を開いた。
「この杖は、魔法に形を与えて呼び出す召喚物なんだろう。契約した偽善が好んでたのが、それだからな。力を願ったから、得意なもんで叶えたんだ。」
「その魔法が、ソルさんが言ってた【煌めく超新星】っていう魔法なんですか?」
「そういうこと。この魔法の真髄は、斥力と分解。バラバラにして吹き飛ばすって魔法だ。発動されれば、まず助からない魔法だよ、スっとろいけどな。」
「それを弱めて発動を早め、自由性を高めた魔法発動の触媒……っていう事ですか?」
「そう。だから、きちんと準備して使えば、術式の分解だけに集中できる……はず。」
「できますよ、断言してもよろしいです。貴女の感情に適うかは分からないですが……試しますか?」
杖を呼び出した墓守に一瞬警戒したシラルーナだが、本当に敵意が無いと分かると、ゆっくりと息を吐く。
「慣れてはきましたけど、まだ何も無いところでコケちゃうくらいですし……治せるなら、治したいです。あの人に頼むより、よほど良いですし。」
「あの人?」
「アルスィアだな。そういや、アイツ殴るの忘れてたな……」
「あぁ、そういう事でしたか。」
彼女はアゴレメノス教団の一員ではあるのだ、アルスィアの行った襲撃くらいは聞いているのだろう。その容赦のない凄惨さも。あれに体を預けることはしたくない、どう切られるか分からないのだから。
「この魔法、分解したらどうなるんだ?」
「簡単ですよ、鉱物が骨肉に戻ります。ただ、潰れた怪我は私にはどうにもなりませんが。」
「こう透明だと、具合が分かんないしな……一気に戻して大丈夫かな。痛みなら、俺でも鈍化は出来るけど。」
「お医者さんではないので、確証はないですけど、動かなくなることはないと思います。潰れきっちゃう前にあの悪魔の魔法に固定されたので。」
淡々と自分の状態を語るシラルーナは、随分と冷静だ。痛みがないとはいえ子供の表情とは思えない顔に、墓守が不気味なものを見る思いを顔に出す。彼女の思う子供とは、完璧と幸福を頭に同居させた生き物だ。不満か不信を世に吐き、打開を諦めて恩寵を貪る宝物。しかし、シラルーナのあり方は大きく異なっている気がする。魔人ならば、悪魔の記憶と経験がそうさせるが、彼女はそうではない。
「ん? どうかしたか?」
「いえ、なにも……」
責務を果たすのには関係のないことだ、と頭を切り替えて杖を呼ぶ。ゆっくりと魔法を展開し、杖先をブーツをとったシラルーナの足に向ける。鉱石が発光により透けて見え、生き物の部位には到底見えない。その異様な景色に目を閉じる墓守。ソルの腕で慣れている二人だけが、経過に目を光らせている。
「シーナ、治療いけるか? 鎮痛と圧迫は俺に任せて、癒着と異物の除去に集中して。」
「すいません、お願いします。」
ソルの探知は結晶だ。体内に埋め込む訳にいかず、目視確認しかない。少しずつ芯から肉体へ戻っていく中で大きな異物を見つけ次第、マークしていき少しずつ表面へ引っ張り出していく。力場で行うため、あまりに細かいものや液状のものは残ってしまうが、膝下の感覚の遮断や血管や筋繊維の圧着も行う中で全ては取り切れない。
細かいものはシラルーナが通り除く。風の特性が強いとは言え、治療に慣れている彼女は多少の水の魔術なら得意だ。何分、使い勝手がいい。慣れてくれば魔術も馴染んでくる、洗い流すものは簡単な術式なので、尚更だ。
「少しでも違和感を感じたら、すぐに止めてくれよ。痛みとかは固めて止めてるけど……感情の方とかな。」
「分かる違和感なんですか?」
「俺はそういう魔法を食らうこと無いから分かんないけど……多分、分かるよ。」
色欲のように精神干渉を主とした魔法ではないので、違和感は残るはずだ。よそからの干渉によって一つの感情を引き出されているのだ、それが消えたときの心の揺れは無視できるものではないだろう。ソルがそれを体感するときは、きっと孤独を振り切れたときだけだ。
もっとも、統合を進めているソルの肉体と悪魔を分離するのは、そう出来ることではなさそうだが。
「私は続けていればよろしいのですか?」
「できれば目は開けていて欲しいけどな。俺はそういう魔法使わないから、おかしい現象が起きても対処が遅れるかもしれない。」
「すいません、石像のようなコーティング的な物なら慣れているのですが、中身が見えるものは……荒事は任せておりまして、血肉には慣れていないのです。」
「束縛とか消滅とかになるもんな、その魔法だと。」
少し青い顔色を見れば、嘘では無い事は容易に想像が着く。このご時世では珍しいとは思うが、仮でも悪魔の統治下だった土地の指導者だ、そういうものかもしれない。なにせ、争いになる余力の無い住人に、防衛力として申し分無い後ろ盾。悪魔の庇護下とはそういう事だ。
彼女には今のペースの維持を頼み、自身は鈍痛と圧着に専念する。筋繊維ならば多少は後で治せるが、神経と骨は気を使う。それに細かく把握して掌握しようとすれば、一歩間違えれば結晶化しかねない。肉体ならばソルに解除が出来るが、自罰の魔法を結晶化してしまえば悪魔二柱の呪いとなる、まず解除は不可能だ。
「骨の位置がおかしいな……シーナ、少し動かすから痛むぞ。」
「体内のものに干渉出来るのですか?」
「シーナの体質もあるし、心で許してもらえればある程度はな。」
「白い者の特質ですか。」
「忌避感が薄いんだな、アンタは。」
「弟もそうでしたから。」
「今は違うんですか?」
「御期待には添えませんよ。生きていないでしょう、という意味ですので。」
「あ、ごめんなさい……」
「いえ、構いません。過去のことですから。」
ぶれている杖先をそっと戻し、ソルが魔術を用いて骨を動かした。肉の噛み込んだ破片が動き、その違和感にシラルーナが顔をゆがめる。やはり、結晶化の応用では感覚の遮断は完全ではないらしい。
「集中できないくらい痛かったら言ってくれよ、中断する。」
「中断して大丈夫なんですか?」
「臣民の解呪のときは、一気にやっていましたが……治療の術があるのなら、分けてもいいのではないでしょうか。そもそも、部分的な石化は、処置をしなくては鬱血して腐り落ちることが問題ですので、そうならなかった貴女は小分けにしてもいいでしょう。むしろ、発狂の危険が下がる可能性もありますから推奨いたします。」
「発狂ですか?」
「罪悪感を引きずりだしている状態から、急に他の感情が湧き出しますから。多くの人は、急激な変化に耐えきれず、衝動的に変貌しますね。大概は、自分の責任や罪の意識が相対的に低くなりますから攻撃的、他責的になります。軽度なら、怒りやすくなったり何もないところで涙を流し続けたりしましたね。」
「とりあえず面倒になりそうなのは分かったよ。発狂っていうより、自制制御が利かない感じみたいだな。」
シラルーナの顔が一瞬こわばったのを見たソルが、墓守の説明を適当に聞き流しながら返事をする。ブーツをとった履かせ始めたソルに、墓守は不思議そうに尋ねた。
「それを狂うというのでは?」
「俺の知ってる狂気はもっと、こう……静かなんだよ。自然体だと本人は思ってやがるから。」
「そういう悪魔でも知ってるんですか、ソルさん。」
「そういう悪魔っていうか、悪魔ってほとんどそういうっていうか……」
「人の模倣ですからね、アレは。違和感を感じるでしょうが、狂気というのでしょうか。」
「光の特性を持ってる悪魔に会えば分かるよ。偽善はかなりマトモだったけど……表面上は。」
あれの特異性は大事なものほど切り捨てるということにある。切り捨てるその時まで本当に大切にするので、ほとんどの場合はその異常性には気付かないだろう。
「ごめんなさい、止めちゃって。もう大丈夫なので」
「ダメだ、痛みが出るくらい繋がったんなら、少しでも慣らしてからにしよう。」
ソルの頭によぎるのは、ベルゴの言葉。時間をかけて、少しでもシラルーナの心が今を受け入れてから解呪していきたい。どうせ目的のアラストールに大して移動能力はない。ここで少しくらい時間を潰しても結果は変わらない。獣人の軍や悪魔でも焚べられない限りは。
もっとも、それを懸念するならテオリューシアでの準備など出来たものではない。炎にはどうせ押し負ける、その上で押さえつけて捻じ伏せる一手を用意するまで。力押しには限界がある、相性で勝れば消せる見込みは十分……のはずだ。別に力場も付与も相性がいいわけではないので、ソルが勝るなら魔術的要素に偏るが。
「ここに滞在するのですか?」
「しばらくはな、俺も目的のために準備もあるし。」
「アラストールとやらの為の魔術ですか?」
「そー言う事。だからシーナも気負うなよ、どっちみち時間は余ってるからさ。」
「別に焦っては……」
「とりあえず、嫌じゃなかったら髪直してもらったらどうだ? 気になるんだろ?」
結晶で創った鋏を投げ渡し、ソルは宿へ戻っていく。取り残された二人は、所在なげに視線を交わすだけだった。




