第十四話
林の中では犬顔の獣人がボスと分かれ部下たちを捜索していた。
「……これは。」
犬顔の獣人が見下ろすのは半分になった死体。先ほどまで共に戦っていた部下の物だ。無造作に噛みちぎられているが、直接の死因は心臓を貫かれた事だろう。
「この大きさ…「角蛇」ではない。もっと小さな個体だ。それに……唾液の後が濃いな。舌、か?」
一口に齧ったせいか、あまり唾液はないが心臓だけはやけに臭う。近くには地面が陥没している部分がある。抉られた痕的に同じ位の個体の齧り跡だろう。もう一人以上は生存が絶望的と見て良い。ボスさえ、ぎりぎりの不意打ちに対応出来るのはこの辺りにはいないだろう。
一体、何体の巨大蛇型魔獣が集まってるのか。それを考えて憂鬱になる彼だった。
ゆっくりと距離を詰めていた蛇が、突如向きを変えて口を開く。
その先には牙を突き立てる犬顔の獣人がいる。気付かれた事を悟ると、彼はすぐさま飛び退き蛇の噛み付きを回避した。自らの体すれすれを通り、蛇がガチンと空を噛む。
「いまだ! 二人とも撤退! ボスに救援を!」
「えっ、でも」
「はっ!おい、行くぞ。」
狐顔の男は、相方を引きずり、すぐに動いた。足手まといが二人いるより、確実に、そして僅かでも早く救援を呼ばなければいけない。
「里まで最短で進むぞ。急ぐ事が先輩を助けることにも繋がる。」
「……分かってる。急ぐよ。」
踵を返して進む二人の行く手を、蛇が尾を叩き付けて塞いだ。そのまま振り回される尾に、二人が吹き飛ばされる。
「くそっ! 無事か!」
「い、生きてはいま~す。」
「お、同じく。」
かろうじてと言った様子で手を上げる二人に頷き、犬顔の男は反対に走ると思い切り息を吸い込んだ。
「ワオオォォォーーーン!!」
辺りの空気を揺るわせる咆哮が、蛇の気を引き付ける。上手くいったことに安堵しながら適度な攻撃を加えつつ、後退する。こうなれば、ボスに気付いてもらうのを生きて待つしか無いだろう。
幸い、獣人の身体能力は高い。それは運動能力に限らず、自己治癒能力にも顕著に表れる。体を打ち付けはしたが、しっかりと受け身を取ったあの二人も直に動けるようになるだろう。
「その間は精々相手をしてくれよ、爬虫類。」
「マカ、生きてる? 私は大丈夫だけど。」
「ライこそ、動ける? 僕は余裕だけど。」
狐顔の双子が、ゆっくりと立ち上がる。先ほどの咆哮は林にも届いたはず。ボスが先か、魔獣が先か。ならば、グズグズしていられない。
「「じゃあ、行きますか!」」
二人は声を揃えて蛇の方に駆け出す。どのみち、こんな状態で魔獣が集まっているであろう林は、抜けられない。ならば、僅かでも力になるべく動くだけだ。すばしっこい二人は、注意を逸らすことぐらい出来るだろう。
「ヤッホー!」
「先輩、攻撃お願いします!」
「なんで此方に来る! 逆だ!」
「魔獣いそうなんで怖いです。」
怒鳴られた声に平然と返して、蛇の前をうろちょろする二人。視界が開けたここなら、お互いにフォローすれば体力の持つ限り生き残る事は出来そうだ。
しかし、犬顔の男も無傷では無い。あげく蛇の傷は鱗一枚二枚。差は歴然だった。
「いつまで持つんだ、お前たち!」
「全力で走ってるんで分かりません!」
「子供の時は昼間中走り回ってたって言われました!」
「欠片も参考にならん!」
噛み付き、尾を払い、霧を吹く。蛇の攻撃も段々と過激に成っていく。朝から追いかけられたというのに今はもう日も高い。相手の体も暖まっているのだろう。
「先輩、喉は?」
「無理だ。そこまで潜り込めん!」
「頭は追い付けないって。胴体を地道にっ!?」
狐顔の女、ライが突如つんのめり地面を滑る。その足下には溶けた地面が形成する沼がある。片足が酸に焼ける独特の臭いと共に激痛を届けた。
「アァっ!く、っう~。」
「ライ!」
当然そんな隙だらけの獲物を襲わない者はいない。鎌首をもたげた蛇が鋭い牙を剥いて狙いを定める。
「……隙だらけだな、魔獣。」
赤い目を潰された蛇がのたうつのを、頭を蹴って離れたボスが睨み付けた。
「ボスっ!」
「ひゃー、おっかねぇー。って言ってる場合じゃ無かった。ライ、傷は!?」
すぐにボスの隣に動く犬顔の男と、双子の片割れに走るマカ。僅かにどちらに食い付くか悩んだ蛇に、ボスの牙が食い込んだ。そのまま首の一部をちぎり、吐き出したボスに蛇は激昂の眼差しを向ける。
「流石に魔獣だな。喉は気づかれそうだったから手前にしたが、随分と硬い。」
「ボス、奴は酸の吐息を吐きます。威力は辺りの沼を作るほどです。」
「そうか、ならば気を付けよう。お前はもう下がっていて良い。ご苦労だった。」
「はっ!」
ボスに後を安心して任せて、犬顔の男は双子へと駆ける。
「どれ、傷を見せてみろ。」
「あっ、先輩。これ酷い怪我で……って先輩も傷だらけですけど!?」
「さ、先に先輩の怪我を。」
「放って置けば治る……水を持ってきてるな?それを掛けて洗い流して、これとこの薬草を貼っておけ。応急処置にはなる。」
「はい! 水です!」
「それとこの布を使っておけ。止血の助けになる。」
「あ、ありがとうございます。」
後ろのやり取りを聞き届けたボスが、蛇に集中する。力が入り、より驚異的になっている蛇の攻撃は大振りだ。持ち前の反射神経と五感を生かし、回避と共に爪を立てていくボス。力は最小限に、向こうの力で傷を入れては引くボスは他の追随を許さない速度で蛇を翻弄する……していた。
突如、林の中から何かが素早く飛び出す。それに気付いたのは蛇と犬顔の男だけだった。
「……ボスっ!」
「なにっ!?」
「「先輩!」」
伸びるソレが彼を貫き、失速する。振り返ったボスが回避する貴重な一瞬だったが、蛇もその一瞬を得ていた。僅かに届かずに噛みちぎれはしなかったが、ボスの腕に牙を突き立てた。
「ぐっ、痺れて……毒かっ!」
ゆっくりと鎌首をもたげる蛇。
舌をしまい林から出てくる蛇。
二体の蛇が三人の獣人と一人の遺体を取り囲んだ。
「この規格のバケモノが二体、か。毒も回った今、逃げることも厳しいな……」
「っ、お前らこっちこいやぁ!」
唐突に立ち上がったマカが、叫びながら草原を走る。倒れている三人よりも動く者に興味が出たのか、蛇達はマカを追って去っていった。
「……俺は、無力だな。すまない……」
毒の回ったボスが意識を手放した数分後、犬顔の獣人が見つけ出し、彼等は里へと救援された。死亡者三名、重傷者二名、行方不明者一名を出して……
あれから三日が経ったが、マカは見つからず蛇の寝床さえ定かではない。更に、猿型の魔獣の代わりに蛇の魔獣が彷徨く林の中を狩りに出ることも出来ない為、食料が乏しくなってきた。元々、増えすぎた魔獣が縄張りを此方に近づけてきた為に獲物を守るため、度重なる出撃だったのが更に拍車をかけていた。
「ボス、具合はどうです?」
「……アジスか。すまないな、お前の部下が全員死ぬことになった。」
「気にしないでください。元々死にたがりの集まりですよ、軍隊なんて。ルーツが全員それなんですから、謝られる事ではないです。特に今回の場合は。」
「そうか……この体の良いところは、死に寛容になることかもな。俺達は戦いの中でしか生きられない。」
「魔獣に近いですからね。しょうがないでしょう。」
てきぱきと食事と薬の替えを置いた犬顔の獣人、アジスはボスに振り返り姿勢をただす。
「では、本日の報告です。捜索に出ていた者達は猿型の魔獣に襲われ六人が負傷。地形から見て、蛇達が集まっている訳では無いようです。食料は果物が僅かに回収出来ましたが、もって後二週間位でしょう。」
「傷の程度は?」
「蛇に折られていた木々を盾にした様で、直に治ります。完治まで三日前後と思われます。」
「そうか、ご苦労だった。」
「はっ!」
三名。これ以上犠牲は出したく無いが、せめて里を移すにしてもあの蛇の動向を探りたい。そのためには寝床か、良く通る狩場位は把握したい所だった。しかし、寝床はおろか狩場さえ見当たらないとは、それができもしないほど急な移動だったのか……
「ライはどんな様子だ。」
「狐はもうあの二人だけですからね。しかし、少しは持ち直した様です。口数は減りましたが、おおむねいつも通りに振る舞えています。足も一週間立てば走る事は出来るほどに回復しますよ。」
「そうか……アジス、今回の件はどう思う?」
安堵の息を吐いたボスの纏う空気が優しげな憂いのある物から、張り詰めた戦場の物に変わった。長く彼の側にいるアジスでも、ゴクリと喉がなるほどに。
「やはり、異常ですか? 今回の動きは。」
「異常、どころでは無い。仮にあの光によって魔界が広がったとしよう。」
「魔界がですか!? それは……」
「最悪のケースだ。しかし、それでも今回の件は説明がつかない。一度見たことがある。魔界の辺境でも、あれほどの者はいない。」
「あれほど……「角蛇」ですか。」
「そうだ。」
魔界に掛かってしまえば、ここも暮らせる土地では無くなる。魔界に掛からずとも現に今がそうなのだが、局所的な変化は異常だ。例えば数個体や、一種類のみの劇的な変化、だ。
自然に起こるならば勘の良い獣や魔獣があれほど慌てるだろうか。第一、そういう類いの勘ならば獣人の彼等も多少は効く。今回は本当にいきなり来た変化だった。それこそ、あの強大な個体に遭遇するまで。
「随分と作為的だが、正直あいつは人の手に余る。」
「ならば、これは悪魔が噛んでいる、と?」
「目的も不明なただの勘だがな。だが、すぐにでも移動しなければならんだろう。全員が動けるようになったら出発だ。それまでに捜索と休息を調節しておけ。」
「はっ!」
アジスが皆に伝えに家屋をでる。ボスは牙が食い込んだ腕を掴みながら、毒の回った体に薬と食事を流し込む。狼の顔の中で、本来ならば捕食者の瞳が鋭く開かれる。
「もしもいるならば姿を見せてみろ。その喉笛を噛みちぎってやるぞ、悪魔め。」