第69話
結局、ソルが引き出せそうな情報は何も持っていそうに無いらしい。自罰の悪魔を潰せたのは、シラルーナにとっては良かったのかもしれないが。
しかし、それも過去を払い傷を癒せるものでは無い。何より、傷を増やし、意識を失ったあとの消失に、安心を実感するのは難しいだろう。
「それらを聞く為にタフォスへ来たのですか……? 私の関心はあの街にしかないと、広く言われておりましたが。」
「傷の男が塔に出入りしてたんだよ。現状を知りたかったんだ。」
「ウーリが? ……もしかして、その塔とは見張り台の事でしょうか。彼の父が、過去に南方の戦を経験していた時に記した見張り台と、酷似していたと。」
「俺がその見張り台が分かんないけど……」
「天を着くような高さで、頂上は透明な壁があり、円形の石造りの建物です。中身は居住区らしき備えがあったようですが……外観は酷似していたと。」
「あ〜、それっぽいな……なんで見張り台?」
マギアレクの趣味なのだろうか、それとも元々あったものを利用したのか。だとしても、もう少し選択肢はあった気もするが。
「その建物でしたら、今は放置されていると。施錠の跡は無いので、中は魔獣の巣になっているそうですが。」
「なんか腹立つな……こじ開けといて飽きたら放置かよ。」
「貴方には由来のありそうも無い場所ですが……そうでもないのですね。」
「色々あってな。中の様子とかは聞いたか? 資料とか、素材とか……」
「散乱していたようで、詳しく調べる時間はなかったそうです。彼は悪魔の気配を持っていたとはいえ、長く魔獣を威圧できるほどではありませんから。」
「そういうもんか……」
今、どれほど魔界と呼べる程の変異地域が広がっているかは分からない。塔も呑み込まれているのなら、中に住み着いた魔獣も相応に手強い奴である可能性も高い。
広がるということは、中心にいる奴らの生息環境が増えるということであり。天敵から逃げた外へ、魔獣の生息域は広がっていく。当然、魔界が広がれば呑み込まれた地域には溢れ、変異した強力な魔獣が移動する。
魔人であるソルは肉体を修復することが容易だ。溶け込み、混ざりあった悪魔には自分の魔力のように細胞へ指示が出せる。人体の持つ能力を、停止させることも集中させることも。だが憑代でしかなかったウーリは違ったのだろう。多少は自罰の悪魔が弄れようとも、死ぬ時には易く死ぬ肉体だ。深入りは避けたのだろうか。
「悪魔の出入りは暫く絶えているだろうとは話しておりました。魔獣の巣があったそうです。あのような変わり果てた身とて警戒心のある野生の生き物、巣をこしらえるには外敵の侵入があっては去るでしょう。」
「なら、欲しいもんは取ってった後か、全部覚えたのか……あんまり無事じゃねぇかもなぁ。」
旅に出る前、荷物の殆どは塔においてきた。運べるものには限りがある、大事なものと必需品を精査したものだ。
無くなって困ることは無いが、ソルにとっては何年も暮らし、しっかりとした記憶の大半を過ごした始まりの場所でもある。人間とモナクスタロが合わさる前の記憶は……朧気で遠く、人伝の夢のように思う時もある。
そういう意味では、あそこは「ソル」という魔人の故郷なのだ。感傷的な性格では無いが、何も思わない程でも無い。どうする事も出来ないが、モヤモヤとしたものが残るのは気分は悪かった。
「……貴方を誤解していたかもしれませんね。」
「うん?」
「悪魔と一体になるような者など、どうせろくでもないクズだと思っていましたが……感傷に浸り、情を持ち、過去を想う……貴方は、人の在り方に近い。それも、善性を感じます。持つものの余裕を。」
「俺の評価は置いといて。悪魔がクズだってのには、賛成だな。」
急に褒められたことで、ふいと顔を逸らして黙り込むソルに、キョトンとした墓守が反応を待つ。双方が動かない時間が少し過ぎ、先にソルが折れた。
「あー、とりあえず何をするとかあるのか? これから。」
「あの街は落ち、守るべき民も死に絶え、私を慕ってくれた者も居なくなりました……磨くべき墓石も、全て斬り捨てられ、砕かれています。」
「最後の件についてはぶん殴っていいぞ、俺も手伝う。」
「仲間ではなかったのですか?」
「冗談、消耗品の武具くらいにしか思ってないよ、アイツも俺も。」
「……あぁ、白い獣混ざりの仔が居ましたね。彼女の家族がいると、ウーリから聞きましたが……その事で怒って?」
「シラルーナ、な。その呼び方、あんまりいい気分しないから避けてくれ。」
「名前や呼び方に拘るのは悪魔らしいですね。」
「単純にいい意味を感じないからだ。」
悪魔と同じにされたことで、ソルがムッとして言い返すが、彼女は何処吹く風だ。本気で蔑称や嫌味という気が感じられない。というより、関心がない。
「……死ぬ気か?」
「なぜ?」
「生きたいって態度が見えない。あんたからは……虚無を感じる。」
「そうですね、それもいいかもしれません。ですが、自分で幕を下ろしては皆の元に行けることも無いでしょう……これでは彼と変わりませんね。」
「彼?」
「南の亡国の義足をつけた、矢のように飛ぶ自殺志願者の事です。」
「あ〜……煩くて口悪い男?」
「攻撃的で粗暴な癖に綺麗好きなら、それでしょう。会ったことが?」
「殺り損ねた。」
「そうでしたか。彼はまた終わり損なってしまったのですね。」
仲が良いのか悪いのか。同じになりたくないというような発言も散々な評価も下すが、願いを応援はしているらしい。
というより、互いに認識している事に驚いた。ヴローヒと言ったか、雨を呼び操る男は他の幹部格を知っている気配は無かったが。
「そうだ、シーナの。足だけでも治せないか? 今全部治しちまうと、心がヤバいらしいからな。」
「あの悪魔の呪いですか。本人の消えた今、私でも張り合える程の強度にはなっているかもしれませんが……彼女の自己への糾弾が私の心を上回るなら、戻る事は無いかと。」
「そういうもんか。」
「魔法は感情の具現化、奇跡の体現ですから。」
「押し合いで負けること、そんなに無くてね。分かんない感覚だ。」
「……なるほど、貴方が追われる理由が少し分かりました。」
そんなに珍しいだろうか? ソルの魔法は力場の特性であり、固有魔法は魔力にもマナにも直接干渉するタイプ。相性負けしにくい特徴しかない。ここまで揃うならば珍しいが、どちらか片方でも十二分に押し負けないという状況にはなる筈だ。
……いや、目の前の女性は悪魔憑きだ。それも光の、かつ一つの魔法に特化した。相性の善し悪しに左右される形であり、それを悪魔への有効な対抗手段として認識しているなら、ソルの力は反則に思えるのも理解はできる。
だが、それは契約者から見た話。悪魔からみれば力場の悪魔に力押しで勝つなど無謀だ。故にソルが追われているのは、純粋にアスモデウスに目をつけられたからに他ならない。どうせ、魔人としてどうやって生き延びたのか知りたいだけだ。
「ま、とりあえず頼んだよ、シーナの件。あと、契約の陣も観察はしたいかな。」
「要求が多いですね。」
「断るか?」
「いえ……それほどでは。私に出来ることならば致しましょう、でなければ私が彼等と離れ、息をしていることに意味が無くなってしまいます……」
「彼等ってのは、タフォスの人達か?」
「えぇ、そうです。私を慕ってくれた者、私を頼ってくれた者……そして、私の家族。みな、私の手をすり抜けていきました……」
なんと返せばいいのか。こんな時にかける言葉など、ソルはマギアレクから教わっていない。と、言うよりも、自分にとっては当たり前過ぎて、理解できないのだ。幼かったこと、悪魔が混ざったこと、様々なことにより吹っ切れてはいるが、知り合いがいつまでも生きていることの方が珍しい。
もちろん、みすみす失ってやることはしないが。今のソルには、それに抗う力がある。喪失や孤独に、叛逆する力が。
「生きる意味が、貴方にはありますか?」
「宗教勧誘ならいらないぞ。」
「いえ、逆です。私は失ってしまいましたから……また、標が欲しいのです。」
「標、ねぇ……そういう意味なら、俺は英雄だな。」
「随分と大きく。」
「そうだって言ってくれる人がいるからな、そうなんだろう。期待は裏切れないだろ?」
「……愛、ですか。」
「そんな大それたモンじゃないよ。空っぽな器に入れるのにちょうどいいもんだったってだけだ。」
「随分な器なのですね。」
「俺は魔界の災害、らしいからな。載せかえるもんも相応にしないとだろ。」
孤独の悪魔・モナクスタロ、全ての悪魔を結晶化して己としていく、統一性の概念的災害。きっと消えるまでは、ベルゼブブ程に恐れられていたのだろう。なにせ、やっていることは特に変わらない。こちらから出向くことが少ない、というだけだ。
「貴方では、相談にはなりそうもありませんね。私とは格が違いますから。」
「……そう、かもな。」
「え、なになに? ソルくんセンチメンタル?」
「うぜぇ。」
「いてぇ!?」
鼻っ柱を殴られたベルゴが悶える。見ずに振り切った為、少し想定外なダメージを与えてしまったが同情の気持ちが湧かない。何故だろうか。
「その粗野でいい加減な男の苦しむ様は胸がすくような心地ですね。」
「お前、なんでそこまで嫌われたの?」
「知らないよ……ソルくんも俺に酷いしさぁ、アルスくんも俺の事は魔法の本くらいにしか思ってないしさぁ……リツちゃんもご飯くれる人くらいに扱って来るし、この人は俺の事ゴミを見る目で見るし……」
「少なくとも最後は自覚しろよ、拉致監禁からの薬物常駐措置は恨まれるだろ。」
「あの場から連れ出してあげて、なにか起きても疑われない状況まで作ってあげたのに!」
「うん、方法な?」
いい側面ばかり吐き散らかして、自分の要望はカードを着る時に初めて話す。だが嘘も言わなければ助けない訳でもない。やりにくいことこの上ない手法は、疑いは晴らせども嫌悪を募らせるばかり。よく商人として生きていけたな、と呆れを越して感心がくる。
「よぉし、これは放置してシーナのとこ行くぞ。先に言っとくけど、やったことは謝ってくれよ。どんな目的があろうが、シーナの家族を壊したのを許してはないからな。」
「それが望まれているならば。きっと、拒絶されるでしょうが。」
「え? 功労者なのに、俺……」
足を結晶に閉じられたベルゴが、いつ脱出が出来るのか、それはソルの気分次第だった。