第十三話
「ぐっ、少しバランスが崩れたか……まだ生きているのか? マモンめ。」
赤い髪を揺らめかせ、胸を抑えるアラストールが悪態をつく。燃え盛る街の中心で地獄の王もかくやといった様のアラストールは、不機嫌に任せて炎を撒いた。それによって地獄絵図は再び広がりを見せる。
「流石に原罪だな。こんな時にも強欲に生きる人間が多いとは……仕方ない、少しは骨のある奴を探すか。」
恐怖に打ち勝ち、復讐心を燃やしてくれる人間を探してアラストールは歩き始めた。黒いコートが靡き、影を作る。
「全く、襲って回ればいいとはいえ、集めにくい感情だな。原罪など、歩いていれば出くわすと言うのに。」
強欲の感情が見える人間を見つけては、それ以上バランスを崩さないために焼き殺す。骨さえ灰になっていく人間を踏み越えて地獄を歩く。
「さて、どいつにするか。今回の復讐劇の主役様は……」
叶える気など更々ない復讐をさせるため、目ぼしい者の元へと歩を進めるアラストール。炎に包まれたその笑みは悪魔と呼ぶに相応しい物だった。
「そっちに散ったぞ!」
「はっ、右の三匹いけます!」
「よし!頼んだ!」
林の中を駆け巡るいくつもの影が、声を掛け合って連携を取る。
「こっち仕留めたよ! 次は!?」
「これで最後だ。」
狼の顔をした男が、猿型の魔獣を地面に叩き伏せて言った。爪をしっかりと頭に食い込ませて離さない。
「フュー! 流石に速いね、ボス。」
「あんたじゃ一生追い付けないわね~。」
「隊長ー、最後尾がうるさいデース。」
「なによ!」
ケンカを始める二人は若い男女の様だが、その顔はやはり獣だ。狐だろうと思われる二人を押し退けて、犬の顔をした男が数匹を連れて割って入ってくる。
「こっちの三匹も終わりました、ボス。しかし、この猿達の巣が見当たりません。」
「何?乳飲み子の匂いもあるが?」
「恐らくこの規模で移動中です。何かに怯えているのではないかと。」
犬顔の男は汗の臭いからそう判断し、告げる。
「それって……」
「ちとヤバくねぇ……」
「だろうな。お前たちは気を抜かずに撤退し、報告しろ。俺とこいつで周辺を見て回ろう。」
「お供いたします。」
犬顔の男を連れて狼の男が林に飛び込んでいった。残された五人は顔を見合わせる。
「撤退、」
「するしかないよな。」
林は、暗い雰囲気に満ちている。張り詰めた空気を裂いて、ボスと呼ばれた男は疾駆する。その爪が獲物を捕らえるために伸ばされ、猿型の魔獣の顔を捉えた。
「やはり、縄張りがおかしくなっているな。」
「恐慌状態。あの魔物が、ですか……」
仲間が死のうと、危険な罠だろうと、真っ直ぐに突っ込み襲いかかって来るのが魔獣だ。それが逃げ出すのは……
「馬鹿でも分かるほど危険ということか。」
「それほどなら、ボスも逃げ出すんじゃないですか?」
「俺を何だと思ってるだ、お前は。」
真面目な顔で軽口を叩く犬顔の男に、睨みを聞かせて抗議するボス。本気で言っているような顔なのでもう放って置くことにした。
前を向き直り、せめて痕跡を探そうとするボスが突如上を向く。
「出やがった! 上だ!」
「なっ!?」
飛び退いたボスは間一髪でその襲撃を避ける。襲撃者はチロチロと舌を出し入れしながら深い木の上に帰っていった。
「まさか、竜……?」
「いや、角はあったが蛇だろう。しかし、赤い目と角……か翼があれば今刻み殺してやりたいな。」
「ボス、顔に出すぎです。魔獣も逃げますよ。」
「……とにかく帰還だ。奴も朝方からすばしっこいのと遊ぶ気は無いようだ。」
変温動物である爬虫類の魔獣。その上、かなりの大きさだった。胴回りだけでも大人四人分はある。明らかにただ者ではない。
(何故こんな所に……?)
この林は、魔界からそこそこ距離があるはずだ。だが、あの魔獣は少なくとも魔界の中腹で見るような奴だろう。
(何かが起こっている。一月前の光の柱が原因か?)
彼ら、獣人の里を賑やかせた魔界から登った光の柱。あれが原因ならば今度は何が起こると言うのか。
かつて、魔界にて地震が起きたときは若かった親や幼い友が獣に堕ちた。親の覚悟の誇りなのだと思うことも出来るため、獣の体に是はない。しかし、一時は理性さえも消されたものだ。更に根本的に変化したのか、子供達も獣人として生まれてきた。
(何事もなければ良いが。)
いつの世も、たとえ追い詰められた世の中でも、畏れられるのは変化である。
ボスが木々によって巧妙に隠された道を通り、崖を下る。その崖の下にはクレーターのような土地があり、見事な里が築かれていた。
「あっ、ボス。お帰りなさーい。」
「成果、どうでした?」
ここには狼と犬を中心とした者達が集まっていた。別に種族の違いと仲は関係ないのだが、元々同じ部隊だった者が同種だっただけの話である。散り散りになった後、新たな体や個人の趣味で住む場所、すめる場所が違った。それだけだ。
「うん? 俺の部下が居ないようですが。」
「三人いたな。それとあの双子も戻ってないな。」
「えっと、何か手違いが?」
その場の空気が段々険しくなる。眉間に皺を寄せたボスがもう一度確かめるように、出迎えの者に聞いた。
「俺達の前に、今朝でた者達で帰ってきたものはいないんだな?」
「はい、そうです……もしかしてはぐれましたか?」
「いや、危険そうでな。先に帰した。猿だけでは無かった。」
「まさか、他の魔獣も!? ここには猿以外いなかったのに。」
「それも、この辺りの魔獣なんて赤子とでも嘲るような奴だ……もし、遭遇していたらまずいな。」
「ボスに不意討ち喰らわせかけましたからね。」
犬顔の男が、今の情報を削り混んだ木の皮を出迎えの者に渡す。それを周知するように言うとボスに頷いた。
「俺達二人で捜索する。他の者は里を守れ。ただし、己を守れなくなるようなら逃げろ。」
「はっ!」
「お前は来い。行くぞ!」
「はっ!」
つい先ほど出てきた林へと再び走り出すボスの顔は険しさに満ちていた。
森を背後に構え、目の前の草原を見渡すのは大きな赤いバンダナを額に巻いた少年。紫を基調にしたコートを羽織り、肩や脛に甲殻の防具を着けている。皮のズボンは新しい様で、汚れの一つもついていない。
少しして、森から緑のローブに身を包んだ少女が出てくる。首にかけた灰色の頭巾は少し古ぼけているが、繕った跡のあるローブは新しい物だ。掌よりは大きい本を抱え、馬を引いている。馬の背中には荷物がどっさりと乗っていた。
「おぉ、遅かったなシーナ。」
「レギンスが疲れたみたいで歩いてくれないんです。頑張ってね、もう少し行ったら休めるから。」
シラルーナが馬の首を撫でてやると、渋々と言った様で馬は歩き出す。
「そいつ、結構歳だからなぁ。買ったのは、じいちゃんが五十になるか位って言ってたし……今十五才位か?」
「馬って何年位生きるんですか?」
「じいちゃんは二十年は生きるとは言ってたけど。」
「お年寄りに近いですね。」
精一杯背伸びをして、労るように頭を撫でるシラルーナ。そんな気配を感じたのか、少し機嫌を良くしたレギンスは元気に歩き出した。因みに命名はマギアレクである。
「とりあえず、この辺りの集落を目指そう。出来れば獣人の、な。」
「そうですね。御師匠様の置いていった地図だと……こっちです!」
「よし、とりあえず休憩できそうな場所探しつつ進みますかね。」
獣人の集まりを探すのは、同じ悪魔の被害者という事で人間よりは話がつきそうだからだ。マギアレクはある朝、気づいたら書き置きを残して人間の街にとんぼ返りである。一応ソル達も書き置きは残して来たが傷が癒え次第、早々に塔を出た。
「一体どんな奴らに出会えるか……楽しみだな。」
「私はもう楽しいですよ。誰かとお出かけするの、初めてです。」
「そういえば俺も久しぶりだなぁ。十一年ぶりかな?」
「じゃあ目一杯楽しみましょう!」
「ちゃんと目的も忘れるなよ?」
ピコピコと動く耳を押さえながらソルが呟く。ソル達の立てた目的とは、獣人達に魔術について知ってもらうこと。そして、あわよくば魔術もろとも受け入れて貰うことだ。
元々が軍人の多い獣人ならば、どこかに本隊のような大きい集まりがあるはずだと考えて、そこに腰を落ち着けたいのである。
「さて、それじゃあ未知の世界へ行ってみますか!」
「はい!」
林の中をひたすらに駆ける集団。最初は五人はいた集団も今は三人に減っていた。
「ヤバいヤバいヤバいってぇ!」
「知ってるてーの!どうにか出来ませんか!?」
「静かに走れないのか? 体温を上げるな。蛇の様に見えたぞ。」
騒ぐ狐顔の双子に落ち着くように言い含めながら、隠れる場所を探す。本当に蛇ならば何処に隠れるべきなのか……彼は分からなかったが。
頭上から迫った口に一人が飲み込まれた事から始まったこの逃亡は里までもう少しという所だった。応戦した所、硬い鱗は爪を弾き牙に毒まであるようだった。もう一人はぎりぎり避けたが、数秒後に苦しそうにして倒れたのが証拠だ。幸い、あの辺りの猿型の魔獣は一掃した後なので、回収できるだろう。
慌てて里から離れるように走り、そろそろ林も終わるところまで走ってしまった。この先は草原。探知能力が互角な両者ならば、障害物が無くなる分、巨大な奴が有利だろう。
「不味いな……」
「草原だと、見えやすくて良いんじゃ?」
「お前らより俺は鼻が効くんだ。見なくても問題ない。」
「ずっりー!」
「っ!? 右から来る!」
「マジかって!?」
狐顔の男が咄嗟に加速して木影に隠れる。次の瞬間にはその木に大きな衝撃が走った。慌てて離れた彼の後ろで、口が閉じられる。
「危ねぇ! 死んだと思ったぁ!」
「くそ、せめて里からもっと離すぞ!隙を見て散るしかない。」
「できる気がしねぇー!」
叫びながら草原に飛び込み、三人が散開する。その真ん中に胴回りが大人二人分はありそうな巨大な蛇が躍り出る。艶やかな光が全身を舐めてその体を讃えるようだ。
「こうして見るとまんま蛇ですね……」
「目が赤いな。猿の魔獣はこれから逃げてたのか?」
「のんびり分析してる暇ねぇんじゃないかね、お怒りっぽいじゃん?」
狐顔の男が指摘した通り、鎌首をもたげて揺れる蛇は怒っている様にも見える。次の瞬間には頭を大きく上に上げ、振り下ろす様にして霧を吹き付けて来た。
「散開!」
「「言われずともぉー!」」
距離を取った三人の足元に、溶けた草花と土の沼が出来た。そんなものをものともせずに這い進む蛇はゆっくりと三人を睨みつけた。
「毒に強酸の霧まで……こんなのがこの森にいたのか……」