第61話
怒号、何かのぶつかる音、調味料と肉に火が通る匂い。そして、なりより酒の匂いが、扉越しでも伝わる。
やけに新しい店舗には、そぐわない古びた看板が下げられており、掠れた文字はよく読めない。だが、その傷と焼け跡だらけの看板も、見慣れていれば良い目印になる。
「こんなに騒いでるなんて……街の雰囲気も関係してんのかな。」
酒の席での盛り上がりなど、祝い事か空元気くらいのものだろう。祝い事をするにしては、夜なことを考えても静かすぎる。
門に傭兵が居ること自体、非常時の証だろう。衛兵では手が回っていないということだ。
「久しぶりだけど、以外に覚えてるもんだな……というか、部屋空いてるかな。」
背中で眠るシラルーナを、ちゃんと眠れる場所で下ろしたい。流石に、このままベルゴ達を探す訳にはいかない。疲れる。
それに、アルスィアに至ってはマトモな場所に居るとも思えない。これだけ発展した都市なら、ちょっとしたたまり場くらいはあるものだ。そちらの方が可能性がある。
面倒だな、と独り言ちるソルが扉を押し開ければ、カランと高い音が響いた。
「はい! いらっ、しゃ……ソルくんだ!?」
「あ、相変わらず元気ですね……リティスさん。」
「えー! わー! 久しぶり! 大きくなったねぇ。新婚旅行?」
「なんで、そんなに俺を既婚者にしたがるんです?」
「あ、もう誰かに言われてた? ごめんごめん。」
ラッキーな報告に飢えてまして〜、とメニュー表を手渡して後ろに下がっていく彼女だが、今欲しいのは料理では無く宿だ。
また出てくるまで待つにも、とりあえずシラルーナを下ろしたい。空いてる席を探そうと視線を回せば、静かになった食堂のメンツの注目が集まっていた。
「……ってんめぇ! 便りも無したぁいい度胸じゃねぇかよ!」
「うぉい! 誰かミフォロスを抑えろぉ〜!」
「机を抑えろ! メシが転げちまう!!」
「こうなるかぁ〜。」
「ケントロンでのことだとか、西の無法地帯でドンパチやってるとか、山を貫いただとか、島を作っただとか、海を干上がらせただとか、教団を壊滅させただとか!」
「何個か絶対に嘘だから、それぇ! ……嘘だよな?」
酷い騒ぎように、唖然としたソルだけが追いつけない。
「魔人サマ、意外に愛されてたんだねぇ……」
「自覚の無ぇ奴あ、本人様だけってこったなぁ……」
既に出来上がってる二人のジョッキだけが、静かに傾けられていた。
「んで? 落ち着きましたか、暴れん坊や。」
「はい、すいません……」
「そっちの呑んだくれ共は?」
「「「片付け終わりました!」」」
「じゃ、ソル君の弁明は?」
「ちょっとバタついてて忘れてました……」
年端もいかない少女に、揃って正座させられている男共、プラス一名。ここでは割と見慣れた光景だ。
「なぁ、これオレが座らされてんのなんで……?」
「静かにしてなぁ、新入り。この姉ちゃん怒らすと、あとが面倒くせぇ。」
「はいそこ! 聞こえてる!」
騒ぎには混ざっていなかったということで、罰は免れたトクスとオルファだけが、隅で座らされている。止めもしなかった彼らは、邪魔にならないように退けられ、すっかり酔いも覚めてしまった。
「はぁ、まぁご飯も無駄にした訳じゃないし、物も壊れてないし、今日は不問にしときます。ただし、三日間お酒は提供しませんから。」
「そんな殺生な!」
「お慈悲を!」
「煩い! というか、夜になったらお酒ばっかり! 私の料理が食べられないって言うの!?」
「だってあれが来てから、リティスちゃん値上げしたじゃん……」
「コスパ悪いと商売上がったりだからって、抱き合わせ大盛りで値上げしたりもするから、手が届かねぇんだよォ。」
「なら稼げば? 大の男が情けないこと言わない!」
相変わらずなのは、テンションだけではないらしい。物理的に潰れた店の再建もあっただろうから、その意向は理解できるが……
「あれって?」
「厄介なデカブツが出たの。衛兵の半数以上を送り込んだ討伐隊は壊滅的、残りは近隣の集落の護衛、余力のあるウチの防衛は、領主様が傭兵を長期雇用して賄ってるの。」
「怪我は負わせたんだ。だが、そのせいで引っ込んじまって何処にいるのか分からん。あれが縄張りを上げたせいか、獣人共まで出張って来やがったからな。手一杯だ。行商人も輸入ルートも幾つも消えた。」
苦虫でも噛み潰したような顔で、左腕を掴むミフォロスが吐き捨てた。恐らく、討伐隊は傭兵達も参加したのだろう。
中でも、魔獣相手のやり方に慣れたミフォロスは、先陣を切る存在だった筈だ。失敗を自分の責任とでも思っているのだと、初対面のオルファでさえ察することが出来た。
「大方、今までは南に居た奴らが抑えてた部分もあるんだろう。耳の早い奴らの噂程度だが、結構な被害もある上に主力の一部はケントロンに行ってると言うじゃねぇか。そりゃ変わってもくらァ。」
「魔界の様子も気になるしな。」
「ソル、お前さんがこっちに来た理由と関係あったりすんのか? 便りもなしにフラッと寄るにしちゃ、時期が時期だ。あの時も何かを追ってたろ?」
ミフォロスが、どうなんだと先を促せば、彼は肩を竦めて流した。ソルとしては、関係も何もそれを知りに来た身だ。迂闊にあるとも断言できない。
「とりあえず、南下する予定だからその準備をする間は居るさ。物資もだけど……」
「なんだ、訳ありか?」
「悪魔を寄せない程度には、リラックスしてもらわないとな。」
「あぁ、そういう事か……」
見上げる視界には天井しか映らないが、この場で新しいランタンの話をしていると思うものは居ないだろう。空き部屋で寝かされている少女のことだと皆が分かる。
「あ、ソルくんもう一部屋取るでしょ? 先に滞在分をまとめて払ってくれたら少しマケとくよ。」
「それ、何泊分です?」
「慣れてきたな、坊主!」
ケタケタと笑うトクスにお盆が落とされ、頭を抱えて黙る。
旅立つのが何時か分からないのに、過剰な日数を泊まるつもりも無い。毎朝払うことにしておいた。ちなみに、まとめて払う場合は三十泊分が記されていた。
「でも、ここがこんなに静かになるなんてな。ケントロン程じゃないけど、人が多かった記憶あるんだけど。」
「そんだけ厄介な奴なんだよ、大型な上に特異種だ。しかも見た事がねぇタイプでな。」
「どんな奴なんだ?」
「羽のねぇ鳥さ。オマケに夜行性ときたもんだ。」
「……飛ばねぇの?」
「いや、飛ぶ。魚のヒレみてぇな皮膚が腕にあるんだ、比べ物にならないくらい広いけどな。あと、奴の近くにいると定期的に目眩が来る。」
「それで特異種か……」
羽が無いと聞いたので、脚でも発達した変化型かと思ったが。どうやら翼ではなく羽毛のことらしい。
頭の中で、動く焼き鳥が羽ばたいたが、多分違う。説明を聞いても正体が分からないので、考えるのをやめた。
「空にいるんじゃ、俺にはどうにも出来ねぇから、地面に引きずり下ろす必要がある。それがまた手間でなぁ……」
「その皮膚を破れば落ちてくるんじゃねぇの?」
「バタバタ動いてるそれを破るのが大変だっつー話なんだよ。それに、地上に降りても弱いわけじゃない。飛ぶ割には頑丈だしな。」
結構な苦労があるらしい。そんなのがここまで出張ってくるということは、既に獣人の領土は魔界に侵食されつつあるかもしれない。
そうなれば、潤沢なマナの集まった地でアラストールとぶつかることになる。どれだけ戦陣を広げようと、ケントロン王国でマモンと対峙した時のような手は使えないという事だ。
(そもそも、アルスィアとアラストールが存分にマナを使ったとしても、ミゼンのあの一撃ぐらいでかい消耗にはなりそうに無いしな……)
それを凌いだマモンの生きしぶとさに、今更ながら辟易する。魔力を奪う魔法、二度と相手にしたくない。
だが、アラストールはそれを喰らい、抑え込んでいた悪魔だ。相性や幸運もあるのだろうが、あの時以上に死闘になるだろう。
「やっぱり、獣人のとこに着いたらシーナには避難して貰う方が良いかもな。」
「なんだよ、魔人サマ。アンタが寝てる時にも、凄い張り切ってたってのに。あの子の覚悟を無駄にすんのか?」
「無駄にはなんないだろ。巻き込まれそうなとこがあれば、シーナに先導してもらえたら俺も助かるし。」
独り言に口を挟むオルファに、どっちの味方なんだと拗ねたように返すソル。彼としては、シラルーナの無事を祈るという意味で味方だと思っていた。
そんなソルを横からドツキながら、ミフォロスが揶揄う。
「その子はお前さんを助けたくて頑張ってるんじゃねぇのか? 死にそうだから。」
「そういや坊主、初めて会った時は蠍のやつに刺し殺される寸前だったか。」
「その後もぶっ倒れるし、マモンの奴にだって……」
「そういえば、街が大変な時にソルくん、上の部屋で血まみれだったなぁ……」
「あーもう、その話は良いだろ別に! そんな不安定だった頃の話されても」
「んじゃ、その後は順風満帆かよ? 危ねぇ橋は渡ってねぇって?」
「……そん時よりは。」
酒が回っているのだろう、やいのやいのと楽しそうにソルを詰めていく人数が段々と増えていく。
鬱陶しいな、と逃げようとしたところで、宿屋の扉が蹴り開かれる。何事かと集まった視線の先には、青い顔の青年。
「み、皆さん……西門に悪魔が!」
「はぁ!?」
すぐに立ち上がったのは、当直だったトクス。次いで隣にいたオルファと、呑んでいないソル。
「状況が分かるまでは、他の奴らは避難の準備でもしてろ! 水浴びとけよ!」
「悪魔ってそんな頻繁に来るもんなのか?」
「んな訳ねぇだろ、お嬢ちゃんよ。南っつっても、契約者がひっそりと取引するもんだ、門で目撃されるかよ! 坊主、助力頼む!」
「自衛はしてくれよ。」
相手が分からない以上、大丈夫などと断言はしない。オルファにシラルーナを任せ、トクスに着いて飛び出す。走ってきた若者は、折り返す体力は無いらしい。
代わりとばかりに後に続いたミフォロスと共に、三人が街中を疾走した。