第59話
「買い取って貰えるならありがてぇ! だが良いのか? こんな不詳なモンを口にするなんざ……」
「魔獣と言っても、お肉ですから。きちんと処理したら食べられますよ。」
「え、シーナって食べたことあったっけ?」
「ラダムさん達と居た時は、貴重なお肉でしたし……それに塔でも何度か料理しましたよ?」
「え……どれだ?」
首を傾げ始めたソルの横で、処理なんて知らないとばかりに骨から肉を剥がしているオルファが、吹き出した血を被る。巻き添えを食らったソル含む数人が、大慌てで水を探しに走り出した。
急な成長と、質量を補う為に捕食した様々な動物の混ざりもの。臭いが凄い。僅かな腐臭さえある。
「オルファさん?」
「わ、悪ぃ悪ぃ……でも、解体なんてこんなもんだろ?」
「……手順はある。どけ、俺がやる。吊るせんデカさだから血抜きは難しいが、事前に血管を切っておけば飛び散ることは無い。この一角は汚しても構わんな?」
「えぇ、この有様じゃ建て直すような余力もありやせんから。我々は、他所へ移ることになるでしょう、この土地は好きにしてくだせぇ。」
許可が出るか早いか、御者の男は肉に刃を突き立てていく。筋をバラし、皮とともに削ぎ落としていく横で、オルファが残った産毛を焼きはらう。
この分ならば、ソルも手伝えば明日には解体が終わってそうだ。焼き上げたり燻たり、それでも総出でやれば三日程だろうか。
「火の維持は大丈夫ですか?」
「もう干し草も食う子はおりませんから、焚べてしまいます。散乱した畜舎の材木も含めれば、四〜五日は燃え続けるはず。暖を取るのも獣を避けるのも困りますまい。」
「それなら良かったです。ソルさん、オルファさん、村の人達が移動する準備も手伝ってあげられませんか? エーリシに行く人も多いと思いますし。」
「ん〜、俺は先行すると思うけど……ほら、墓守とやらが逃げる前に捕まえとか無いといけないからさ。」
裾を絞りながら答えるソルの返事は、あまり賛成派ではなさそうだ。彼女に話を聞きたいのはシラルーナも同じであり、素直に引き下がる。
ただ、ソルの本音を言えば、アルスィアの一人勝ちが気に入らない、になるのだが。墓守から聞ける悪魔の動向も、契約によって得ただろう力も、ソルには魅力的な情報だ。
今頃、ベルゴとアルスィアが聞き出している頃だろう。その情報次第では、アルスィアの利点が変動してさっさと去るかもしれない。シラルーナが呪われた事を思えば、何もせずに逃げられるのは腹立たしい。
「……それなら、俺が彼らを送り届けよう。彼女を休ませるのにも、しばらく滞在したいと思っていたところだ。エーリシに入れば、また忙しくなるからな。」
「後ろ盾が居るんじゃないのか? 」
「……色々とあってな。」
ふい、と顔を逸らした彼からは、内心を伺うのは難しい。だが、あの街で長く滞在する気は無さそうだというのは伺えた。
「……話の分かる強者と敵対はしたくない。また会うことがあれば、対話のできる関係を望むとしよう。」
「それはこっちも同じだ。ここまでありがとな。」
差し出された手を、水気を払った手で取り、そのまま視線をずらしてシラルーナへと移す。その意図を察して、村の人と少し話をした彼女が頷いた。
「二人も先に出るみたいだな。肉の切り分けが出来たら、お別れだ。」
「……先にお前達の分を調達するといい。俺や村民の物は、荷造りや行先の選定をしながらでも作れるからな。」
「助かるよ。」
持ち運べる荷物は限られる。残りの荷を考えて、どの程度を詰め込めるか見てみようと振り返るが、延焼させてアタフタしているオルファが居るだけだ。
「……アイツは今まで、どう生きて来たんだ?」
「多分、脅しと腕っ節かな……あと勘?」
「……知っている訳ではなさそうだな。」
「ま、ちょっと複雑でさ。シーナ……あっちの小さい子の知り合いなんだよ。俺も彼女も。」
真空の被膜で消火していくシラルーナと、そんな彼女に謝るオルファと。だが、魔獣を相手にする中で認めるところがあったのか、御者がオルファを見る目は戦士のそれだ。
「……ほぅ? 意外に侮れんな、あの少女は。帝国の戦士といい、不可思議な西の技術といい、南の獣人と共に居た事といい、北の出身であることといい……大抵のものでは無いだろう。」
「そう並べられると、シーナって凄いのかもな……もう少し、頼ってみても良いか。」
タフォスの街の事を思えば、気が引ける部分もある。しかし、魔力の急な減少でソルがダウンしていたこの道中も、今の後処理でも、彼女はかなり力になっている。
あの街で何があったか、何を見たのか、ソルは知らない。シラルーナがウーリと呼ばれていた死んだ男に、あまり良い思い出がなさそうな知り合いらしい、というくらいのものだ。
それを乗り越えて立っているのを、大丈夫だと断ずるつもりは無いが。塔で過ごしていた頃の彼女と、同じようには考えられないらしい。大きくなったのは、身体だけでは無いようだ。
「……だが、少し無理をしているようにも見える。何があったか聞きはしないが、気を配ってやるといい。まだ幼いのだろう?」
「それは分かってるよ。でも、シーナの場合は……あんまり俺が全部やっても、気にしそうだから。」
「……難儀なことだな。」
「まったくな。」
知らない。思うよりも、自分は彼女のことを。
話してくれと言えば、話してくれるのだろうか。だが、彼女が話したいと思わないものを聞き出すことも、したくない。
せめて、これからの彼女を見逃さないようにしよう。自分が悪魔ではない「ソル」で居られるのは、シラルーナが望んでくれたから。そうでなくては、早々に人の世界からは外れた場所で生きていた筈だ。
「いつの間にか、戻ってたかもな……テオリューシアの一人暮らしが、爺ちゃんと二人だった頃に近かったのかな。」
「……まだ取り返しが着くのだろう? 変わりたいと願うなら変われば良い、失う前にな。」
「あぁ、そうする。」
筋にそって、手際よく切り出されていく肉を見ながら、これからの予定を考える。
墓守から聞き出せそうなのは、塔の現状や悪魔達の動向。運が良ければ、直近のアラストールの動きも分かるかもしれない。自罰の悪魔と取引をしていたのだ、それをソル達がめちゃくちゃにした以上は少々難航するだろう、せっかくだからエーリシの顔馴染みを尋ねても良い。
その後は、どちらにせよ南下する。獣人のテリトリーを通り、小休止を挟んで魔界へ。マギアレクに頼まれていた、現在の魔界の規模も確かめておきたい。
「今が寒いから……暑くなる頃には、帰りたいけど。ベルゴがこっち来てた方法があるなら、それで戻れたら早いかな。」
ソルの飛行も織り交ぜての行程よりも早く移動していた彼の方法。それが折り返し可能な方法ならば、用が済んだ後が楽になる。
「おーい、魔人サマよ! なぁに悩んでんだ?」
「帰り道。」
「気が早えなぁ……なんか大変なことするんじゃねぇのか?」
「そっちは悩んでも悩まなくて変わらないからな。魔法の特性上、生き残れば俺の勝ちで決着前に燃えたら俺の負け。それだけだし。」
「……おチビのこと、置いて逝くんじゃねぇぞ?」
「当たり前だ、死にたい訳じゃない。最悪、逃げ延びるくらいはできるよ。守るとこまで手が回る保証は出来ないけどな。」
何しようとしてるんだ、と呆れた声を出す彼女は、テオリューシアまで着いてくるのだろうか? おそらく二度と東へ帰る機会は無くなるだろうに、良いのだろうか。
彼女にとって、シラルーナは取りこぼした過去そのものであり、彼女が幸せになればオルファにとっても、自分にもそんな可能性が許されていたと思える希望。それを見届けたい気持ちは分かる。
だが、それなら何故、離れたのだろうか。シラルーナが一人で南下したことを、まさか知らなかった訳でもないだろう。幼い彼女に出し抜かれた……可能性は否定できない気もするが。
「おい、なんか失礼なこと考えてるだろ。」
「別にそんなことは無いって。というか、さっきシーナに怒られたばっかりだろ、火から目ぇ逸らすなよ。」
「え? あ、わりぃ。」
あぶられていた木片が、チリチリと煙をあげた段階でサッと松明を除ける。ジトっ、とシラルーナに見られているが、木切れを蹴り飛ばした彼女が笑って誤魔化している……誤魔化せてはいないが。
「……まぁ、エーリシで捕まらないようにな。」
「そう願うよ。」
久しぶりの再会、知らない地。タフォスの街で襲われた時の冷静さを感じないのは、そういう所もあるのだろうが。
それでも、少し空回りが過ぎる。過剰に場を盛り上げようという意気さえ感じられる。ソルに対する警戒を隠したり、シラルーナの気を逸らそうとしたり……そういった意図を。
「オルファさん、柄! 柄が燃えてます!!」
「え!? ウソだろ!」
「なんで松明を下に向けて持っちゃうんですか!」
「……捕まるなよ?」
「本当にな。」
やっぱり素かもしれない。出発までこれが続くのかと、少しうんざりした。夜までに片付けと燻肉の完成が間に合えば、飛べば翌朝には着くはずだ。
久しぶりのエーリシの街、少し羽根を伸ばせれば良いと、夕暮れの迫る空に思った。
赤い、紅い空。地平線に近づいた太陽と、その彼方まで続くような火の海。二つの光に照らされる空は、どこまでも赫い。
地上の海で、火に包まれた同胞の中で呻く獣は、人の形。その前を歩く男は、二本角が飾るその頭髪が燃焼していた。
「貴様……どこまで……!!」
「それは嘆きか? それとも叛逆か?」
「貴様は、必ず、俺がぁ……!」
「夢は寝てから見るものだ、大願を抱くなら抱ける器にならねばな?」
口から垂れる血が量を増している。ギリギリと歯がなるほどに震える顎に、悪魔が足を振り上げた。
「どうした? もう、その舌は回らないか?」
「何が狙いだ! ここには悪魔と契約をするものも、敵対するものもいなかったでは無いか!」
「狙い? ふむ、言わなかったか? ただの食餌だよ、君らが目の前にいた以上の狙いは無いな。」
復讐の恨みが、怒りに塗りつぶされて消えていく。また、ダメだった。感情の緩急の制御とはなんと難しいのか、そんな嘆きとともに、獣を喰らう。
灰さえ灼けたその地に、足跡は一人分だけ残る。それもまた、風に撫でられ熱に絆され、消えていく。数日し、発見されたその跡地に、また悪魔に対しての恨みが……復讐心が、その地に広がっていた。