第56話
街道に乗ったのなら、立ち往生やハプニングは稀になる。スムーズに進む馬車の中で、揺れに慣れ始めた面々が寛ぎ始めるのは、一夜を過ぎた頃だった。
昼になった景色は影が少なく、すっかり見なくなった草木の代わりに、岩が荒地に同化して見える。立体感の失せるような風景に、遠近感を殺されて目眩がするようだった。
「なぁ、アンタらは獣人ってどうなんだ?」
「あぁん?」
「暇つぶしだよ、暇つぶし。アッチの彼は随分と嫌ってるが、アンタらは、どーなのかなって。話そーぜ。」
「そりゃ嫌いだろ、アイツらが何したか知らんのか姉ちゃん。」
何を当たり前のことを、と怪訝な顔をして振り返る商人に、オルファはムスッとした顔を返す。
「戦争なんざ、どこでもやってんだろ。陰湿な後始末がねぇ分、オレは嫌いとは言わねぇかね。」
「変な拗ね方するやつだな……まぁ、アナトレーだと個人的に恨みがあるやつも多いだろ? なんせ襲われた立場だ、アンタも東の出身じゃねぇのか?」
「オレは二十四だ。」
「なら騒動後の生まれか、そりゃ知らねぇわなぁ……」
悪魔の呪い事件。世の中に獣人が誕生し、急な変化に追いつけず理性を失い、破壊衝動や闘争本能に呑み込まれて周辺の国々襲った事件。事実、その大打撃を受けた中央区の国々が壊滅し、相互援助の協力の元、アナトレー連合国が拡大したのだ。
ここ十数年で後処理も片付いて来たとはいえ、心傷が癒える訳ではなく、失ったものも戻って来ない。家族も、友人も、恋人も、故郷も、財産も、約束も、多くのものを失った人達が居たはずだ。
「もう少し歳食ってる奴らは、みんな被害者さ。仇なんだよ、割り切れる訳がねぇ。命が残ったのが幸運なのか不運なのか……旦那もその口だろうよ。」
「オレだって、何度か襲われはしたぜ? でも、獣の顔してようがそうでもなかろうが、結局は襲ってきやがるじゃねぇか。なんで獣人だけなのかなってよ。」
返答に詰まりつつも、やけに人間嫌いな発言を繰り返すオルファに、段々と怪訝な顔が深まっていく。
空気を察した彼女が、誤魔化そうと口を開く前に、御者席から声が降ってきた。
「……話が通じない状態の奴が北上してくるのだ、あれは悪魔や怪物と変わらなかった。だからこれは遺恨や仇討ちというより、駆除に近い。その見分け方が、姿だった。その名残だろう。」
「の割には、アンタは他の獣人も恨んでるのか?」
「……いや。南部に戻り、引っ込んでいる奴を探し出す気は無い。出てきたら殺す、俺たちに必要なのは棲み分けなんだ。」
「へぇ……そういう割には捕まえて見世物にはすんのな。」
「……それはバカだけだ。」
どうも嫌いな奴は同じらしい。それだけでオルファは随分と御者を気に入ったようで、前の方に移動して話を続けていく。
開放された商人が、ため息を落としながら取り残された二人に視線を戻す。昨日から考えれば丸一日近く寝ていたソルは、今はしっかりと目を覚まして結晶を創っては破壊している。術式解除に特化した魔術の作成中なのだが、傍から見れば何も分からない。
それを眺めるシラルーナも、特に理解はしていない。ただ他に見る景色もないので、次々と作り替えられる結晶を眺めているに過ぎない。
「アンタら、知り合い探してなんて言うが……魔術だったか? 悪魔の真似事が出来るなら、何も他人の車に乗り込まなくてもいいんじゃねぇの?」
「万能って訳でもないし、人間が使うには相応に疲弊もする。人と動いた方が安全なのは、そこらの傭兵と大差ないよ。」
「そこらの傭兵に、獣人達を一人で鎮圧するような旦那を止めるマネ、出来ねぇと思うけどな。」
「俺はすこし特別だから。普通はこうは行かない。」
「話す気があんのかねぇのか分からねぇ態度だな。」
「何が聞きたいか分かってないからな。ただの道連れだろ? 俺たちは。」
詮索無用の警告は伝わったのか、肩を竦めて男は黙る。おかげで馬車の上の声はオルファ一人のものになった。
「んなら、その黒い狼頭を探してんのか。」
「……そうだ。もういいだろう、この話は。アレは俺の獲物なんだ、大々的に探され、他所に討たれてはかなわん。」
「だぁから、教えてやるって。ほれ、旦那の名前とか所属とか吐けよ〜、どこに連絡入れたもんかわかんねぇだろぉ?」
「……鬱陶しい。少しは静かに出来ないのか?」
イライラ、と言うよりはうんざりとした声に、シラルーナがオルファを連れ戻しにかかる。忙しく動くのは得意でも、黙って待機しているのは嫌いらしい。
会話の内容に、知り合いの顔を浮かべては消しているシラルーナに引きずられ、後部へと戻されたオルファが膝の上に抱え込んだ彼女と共に揺れ始める。本当に落ち着きが無い。
「あー、もう! 鬱陶しいな! 横で揺れるなよ、髪が顔にかかるだろ?」
「そんなに長くねぇだろ、オレの髪。」
「そんだけ近いんだよ、自覚してくんねぇかな。」
「だってよ、チビ助をオマエから離してやんのも可哀想じゃん。寂しがり屋さんなんだぜ、この子。」
「いつの話ですか……」
ボソリとこぼされた反論は、オルファには届かなかったらしい。なんだかんだと気を回そうとするが、少しばかりから回っている彼女の努力は、傍から見ると少し滑稽でさえあった。
険悪になりかけていたソルと商人たちとの空気が、少しだけ緩む。これを狙ってやっているなら、凄いんだろうけど、と視線を向ける先には、キョトンとした彼女の顔。
「どうした?」
「いや、別に……それより、エーリシまでは遠いかな?」
「あん? いや、そう遠くは無いと思うが……普通、こんな荷を馬一頭で引いてりゃへばるが、夜寝る間しか止まってねぇからな、あの白馬は。」
「それなら数日もすれば着くか……」
「そんぐらいだろうな。それまで、そこの姉ちゃんがまてが出来れば良いけどな。」
揶揄されたことは伝わったらしく、歯をむくオルファに商人が肩を竦めて笑った。ここ数日で、随分と気を許したものである。
良くも悪くも裏表が無いオルファの感情表現がそうさせるのだろうか。これが彼女の素なら、隙を見せられないメガーロの空気はさぞや息苦しかったろう。もう、戻る気はないのかもしれない。
「……なんか、思ったより静かだな。」
「旦那が居るからじゃねぇかな。こんなデケェ馬車、襲いたいか?」
「魔獣なら、真っ先に来るだろ?」
「……それもそうだな。」
肉体の変質、遺伝子の崩壊、感情の極大化。不安定なその存在は、常に気が立っている。動くものがあれば、とりあえず襲ってくるものだ。例外は、肉体を変えたマナを自由に操れる、悪魔くらいのものである。
「何かあったのかね……」
「悪い知らせじゃ、無いといいけどな。」
「知り合いが居るんだったか、心配か?」
「ちょっとやそっとじゃ死なないよ……多分。」
「魔獣狩り、だっけか。変わりモンの傭兵を指す言葉だけど……最近は特定の一人を指すな。知ってるか? ちぃと前に大量に蛇の鱗が卸されたんだけだよ、それがでかいのなんのって! それが、でかい剣を担いだ一人の男の手柄だっていうんだよ。」
「へぇ……そっか、一人でねぇ……」
ソルが去る頃には、なんだかんだと面倒みの良さを発揮していた気もするが。若い四人組の傭兵も、気に入って指導していたように思えていた。彼らはどうしたのだろうか。
「ま、俺らには縁のない連中だよ、傭兵なんざ……雇う銭も無けりゃ、荒くれと飲む酒も無ぇしな。」
「それについては同感だな、オレもよ。」
荒れ具合は似たようなもんじゃないか、という思いが辺りで一致した気もするが、口に出さないそれは起爆剤にはなり得ない。
首を傾げたオルファだったが、スンと鼻が動いた瞬間に顔を曇らせる。遅れて頭巾を深く被っていたシラルーナも顔を上げ、南を向いた。
「この臭い……オルファさん。」
「あぁ、風下なのは幸いだったな……御者さんよぉ、ちと止まってくれるか?」
「……何故だ。」
「錆びた血みたいな臭い、毛と肉の焼ける臭い……理由はまだいるか?」
「……いや、構わん。だが止まりはしない、争いがあるなら、俺の目当てもいるかもしれん。」
今の発言を聞き、焦ったのは同乗する商人達だ。このまま進めば、自ら危険に飛び込むようなもの。
「ま、待ってくれ! そんなもんが臭ってくるなら、そう遠くないだろ? 歩いていきゃいいじゃねぇか。この馬だって火は嫌いだろうさ!」
「……彼女は争いが嫌いなんだ。俺が獣人を狩るのは許してくれるが、無駄な死人は好まない。人を乗せて走りたいはずだ。」
「避難ってことか? なら、俺たちを下ろしてくれよ。積荷だって無い方が良いだろう。」
「……構わん、だが急いでくれ。獲物が死んでいたのでは話にならん。」
我先にと飛び降り、荷物を引きずり下ろしていく。長い距離を移動するとあって、そんなに大袈裟な荷物は無い。御者が武器を取り出し、鎧を身につける頃には皆が降りていた。
「……一応、戻ってこよう。それまで待っているか?」
「無事な保証も無いし、俺たちは俺たちで向かうとするさ。馬は無いが、この距離なら不可能じゃない。世話になったな、旦那。」
「……そうか、ならば選別だ。」
荷台から燻製肉と乾パンを取り出し、包んで渡した御者が手綱を握る。慌ただしさに目を覚ましたソルが、馬車が走り出す前に空へ飛び上がる。
「先行する、いいな?」
「狼がいれば捕らえろ、俺の要望はそれだけだ。」
「ソルさん、気をつけて。」
「シーナもな。」
シラルーナの後ろでうなづくオルファに、チラと視線を向けた後で南へ飛び去る。風下とはいえ、まだ火の臭いも煙も、ソルには感じられない。それでも、街道がが南へ伸びている関係上、道に沿っていけばそのうち見える筈だ。
「でも、マナの流れに異変は無い……大きな魔法は使われて無いのか、それとも。」
警戒する程ではなかったかもしれない。煙が登っているのが見えてすぐ、燃えている村も目に入る。どうやら畜産がメインの村のようで、生き物の焼ける臭いの中には慣れた匂いも混ざる。
体力の温存の為に、加護や武装をせずに接近していけば、人が飛んでいることに気づいた周囲がざわめく。その中に悪魔は見えず、降りて事情を聞こうとしたソルの肩が穿たれた。