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結晶の魔術師  作者: 古口 宗
第5章 南下
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第54話

 新しいブーツの心地を確かめるには、タクスージ交錯路は都合がいい。人も馬も犬も馬車も、様々な足が踏み慣らしたその土地は平坦で頑丈になっている。

 人混みの中を三人が歩けば、その耳には多種多様な声が届く。しかし、その中に獣人の声は無い。

 アナトレーは小国の寄せ集めであり、今は亡き南の軍事国家に対する防壁がしっかりとしていたのは、同じく武力で地位を気づいていたメガーロくらいのものである。自然、三十年前の獣人の暴走の被害者は、ほとんどがアナトレー連合国に居を構える者達であった。

 自然、獣人に対する恐怖は大きく、ケントロン以上の排他的な姿勢があるのだろう。


「……チラチラと狂信者共は見えるんだけどな。」

「アゴレメノスの奴らの事か? 金だけは持ってるからな、アイツら。太客なんだろ。」

「追い出せば生活が立ち行かなくなるって事か。」

「そこまでは知らん。」


 考えているのかいないのか、それとも実体験でしか生きてないのか。というか、どこまで着いてくるつもりなのだろうか。


「ブーツは調子も良さそうです。底が厚いから、この足でも何とか歩けますし。」

「杖とかあった方が良いか? あとは、包帯とか……」

「オルファさん、大丈夫ですから……ちょ、ちょっと近いです。」

「なんか、あったら俺が飛ばすから大丈夫だよ。それより……」


 ソルが差し出したのは、ごちゃごちゃと並んだ文字列であり、横に数字が並ぶ。


「なんですか、これ。」

「そこに並んでたチラシ、一枚パクったんだけどさ。行先と定員らしいんだけど、どれがエーリシ行か分かんなくてよ。」

「あぁ、これ団体様の名前か……オレも分からんな。」

「なんのためにここまで来たんだ、アンタ……」

「そりゃ、チビ助が心配で。悪魔の被害に合ってるなんて想像して無かったからよ。」

「もしかして、ずっと着いてくる?」

「……? おぅ、そうだな。」


 シラルーナに視線を向けると、苦笑いが帰ってくる。聞いてはいなかったが、反対という訳でもないらしい。というより、反対するだけ無駄なのだろうか。

 強く反対しない以上、自分の身を守れる人物ではあるのだろう。しかし……それは幼い身の上で守ってもらっていたシラルーナの思い出によるズレはあるかもしれない。


「……一つ、約束してくれるか。」

「悪魔の契約ってやつか。」

「睨むな、違う。というか悪魔じゃない。」


 自罰の悪魔が消える前に吐き捨てた言葉を思い出し、つい強く反論してしまう。少し怯えた彼女に、あんなのと一緒にするな、とだけ呟いてから心を落ち着け、言い直す。


「契約じゃなくて約束、お願いみたいなもんだ……シーナの前で死んでくれるなよ。」

「……当たり前だろ、魔人サマよ。」


 そんなに真剣な顔も出来るのか、と言うような顔で頷く彼女は、左手で己の右肩を叩いてみせた。

 本人がその気なら、わざわざ止めるつもりも無い。危険となる程の驚異も感じないし、何よりシラルーナ本人が警戒していない以上、何も言うことは無い。彼女はソルよりも数倍、敵意や害意に敏感だ。護衛が増えるのはソルとしても助かる。


「しかし、エーリシか……また大変な時期に来たな。」

「なんかあったのか?」

「あぁ、ハグレだよ。帰るつもりもねぇ、かと言って黙って死ぬ気もねぇ。そんな奴らや、単純に恨み辛みを晴らしたいだけの奴らやら……虎を筆頭に獣人どもが集まって、賊してやがるんだが。それが派手に動いてる。」

「へぇ……でも、そんぐらいなら、すぐに鎮圧しそうなもんだけど。」

「そんぐらいって言うけどな、獣人の膂力や走力は悪魔にだって匹敵する奴らもいんだ。それが徒党を組んでみろ、被害は免れない。誰も私財を投げ打って兵を集ったりしねぇよ。掃討戦より戦闘のなかった護衛任務の方が、安上がりだしな。」

「そうなのか?」

「私もハグレって呼ばれる人達とは会ったこと無いので……」


 振り返り、シラルーナの顔を見て問いかけるソルに返ってきたのは、困ったようなはぐらかした笑み。正直、ソルの知る獣人達は上澄みだ。そこから外れたもの達が、孤立しつつ生きていく。そこに必要とされる技術、水準をソルは知らない。


「まぁ、それくらいなら俺でも対応できると思うけどな。急がなくても良いし加減しなくても良いんだろ?」

「死んで困るような奴らなら、わざわざ国から出てかねぇだろうしな……良いんじゃね?」


 物騒な話題を飛ばしながら歩く二人だが、すっかり忘れていることがあった。それを思い出したのは、隣から降ってきた会話である。


「助かったな、なんとか南に行く馬車に間に合って。」

「少なくなってるからなぁ、次は季節が回ってもおかしくないもんな。」


 ガラガラと太く重い車輪の音。何を運んでいるのか、踏み固められた土さえ押し下げている。金属部品さえある頑丈さを見せつけるような風体のソレが遠ざかる。


「南って……エーリシの方角だよな。」

「次は季節が変わってるってよ……」

「他の馬車は出てそうにないですね。」


 ソルの魔法に頼る移動は、本人の疲弊が懸念であり、かつ目立つ。エーリシではソルの事は知れているが、道中はそうも行かない。

 徒歩や乗馬で移動しようとすれば、シラルーナの足がネックだ。


「……オルファ、だっけ? どっちが止めに行く?」

「オレが追いつくのはちとツレェけど……アンタは休んでろよ、そろそろ目付きがヤバいぞ。」

「そんなにか?」

「少し……」

「そっか。じゃあ、任せた。歩いて追いつくから。」

「人任せな魔人サマだこって!!」


 腰が深く落とされ、飛び出した彼女はあっという間に小さくなっていく。高身長ではあるが、女性の体格の域を出る程では無い。しかし、極端な前傾姿勢と大きな歩幅は人の速度の域を飛び出していた。


「バランス感覚、スゲェな……」

「虎の血筋みたいです、苦手なことがあんまりないんだって言ってました。」

「虎……魔獣でもレアだよな、あんまり見ないし。」

「そうなんですか?」

「ベルゼブブの眷属って共食い始めるから……」

「虎って暴食の悪魔の系譜だったんですね。」


 人の地において、あまりに被害も伝承も少ない原罪の悪魔。しかし、土地や生き物が軒並み消失した事件において、その原因として名前が上がる不気味な悪魔。

 だが、魔獣と獣人は異なる。原理は同じらしいのだが、人間の感情が悪魔の基である以上、人間は他の生物より悪魔の影響を受けづらいのだろう。

 まして、彼女は半分だ。悪魔の影響は皆無と言っていい。食われる心配は無い……筈だ。


「お腹空きやすかったりするんですかね。」

「シーナは? 嫉妬したりすんのか?」

「ひ、人並みだと思いますけど……」

「そっか。あ、追いついたみたいだな、止まってくれてる。」


 馬車の上の人物と、何やら言い争っているらしいが。早めに行った方がいいかもしれないと、少し急ぎ足にする。

 ソルより先にシラルーナの耳が動き、顔を顰めている。あんまりいい知らせでは無さそうだ。


「だぁかぁらぁ! ンな銭があるわけねぇだろ!」

「あのなぁ、見ず知らずの武装した人間乗せんだぞ? 見返りもなくそんなリスク犯せるかぁ?」

「だからって家でも買える額を出すわけねぇだろうが! 護衛も兼ねてやるっつってんだよ、多少の戦力でも欲しい場所だろ?」

「はぁ……だから信用しねぇって話をしてんだよ、その分の上乗せだよ。分かるか? 頭悪ぃな、お前。」

「てんめぇ……!」


 殴りかかりそうなオルファにシラルーナが縋り付き、止めている間にソルが乗り込む。

 睨みつけてくる男に、鞄から包みを取り出して開く。そこに転がる中から、取り出した一つに、男が目を見開いた。


「第二席の……!? エーリシの街の領主様の認可勲章じゃねぇか!」

「俺と一緒に入ると、ちょっとばっかりお得だったりするかもな。」

「俺はそこまでは行かねぇが……おい、どうする?」


 流石に判断に困ると感じたのか、後ろの御者席に振り向く。この馬車の持ち主なのだろうか?

 深く被った幅広の帽子のせいで、顔は確認できない。屈強なその男は、ソルの手元を見た後、その横で唸るオルファと後ろに隠れるシラルーナを一瞥する。


「……目的は。」

「知り合いに会いに行くんだ。エーリシの街を拠点に傭兵をしてる。」

「……魔獣狩りか?」

「大剣を担いだデカイ男なら、多分それ。」

「……そっちの二人は。」

「ツレ。」

「……お前には聞いていない。」

「でも俺に着いてきた子と、それに着いてきた護衛だ。目的は同じなんだよ。」

「……お前は乗っていい、駄賃もいらん。そっちの小汚い浮浪児共は捨ておけ、獣臭い。」


 その一言で、ザっと周囲が戦闘態勢に入る。反射的に構えてしまったシラルーナを見て、ソルとオルファは肩を竦める。この言葉で構えれば、自分が獣……獣人との縁者だと言っているようなものだ。

 だが、その心配はそもそも必要が無かったらしい。言い分を聞くより早く飛んできた矢を、オルファが掴んでへし折る。


「随分な歓待だ、嫌いじゃないよ。」

「……止まらないと降ろす。全員だ。」


 好戦的に笑った彼女が、獲物を指の間に挟んで握りこんだのをゆったりと見届けてから、御者が声を落とす。

 低く、静かで、だが耳に通る底冷えのする声。全員が行動を静止し、注目するには十分だ。


「……彼女の前で荒ぶるな。」

「彼女?」


 誰のことを言っているのか、何人も訝しげに周囲を見る。まさか、とオルファに目を向ける者もおり、手も首も振って否定する彼女と視線が合うことになった。


「……彼女の機嫌を損ねれば……この馬車が動くことは無い。」

「もしかして……」


 ソルが前に周りこめば、随分と体格の良い白馬が一頭、馬車に繋がれている。大きさは見事なものだが、流線的で柔らかそうな筋肉は、牝馬の特徴にも思えた。

 ソルの方を興味深げに見るその馬に、左手を差し出してやりながらソルが御者を見上げた。


「この子の事か?」

「……そうだ。彼女は獣を嫌う。」

「あの二人は獣人って訳じゃないんだ、ダメかな。」

「……彼女が許すなら構わん。」

「おい、危ないんじゃねぇのか?」

「……危機ならば、彼と俺が一番の脅威だろう。そんな木っ端が二匹増えても脅かされる事は無い。」


 今のソルは結晶の剣を携えてはいない。少し特殊なコートローブを羽織るだけの、少年にしか見えない筈なのだが。


「……並べてくれるとは光栄だな、南までよろしくやろうよ。」

「……あぁ、好きにすればいい。彼女が迎えるのなら、俺に是非は無い。」

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