第53話
タクスージ交錯路。道とは名ばかりの、大きな発展を遂げた拠点。南はエーリシの街から、北へはメガーロまで。東は伸ばす必要は無いが、西はケントロン王国の街まで。南北に長いアナトレー連合国の心臓とも言える街であり、ここから行けない都市は無いと言える程だ。
最南端の街となったエーリシに行くのなら、余程南で無い限りはここに寄ってから向かった方が早いと言える。移動手段もだが、長旅になるであろう準備を整えやすいのだから。
アナトレー連合国のありとあらゆる物が、一度ここに集まる。物も、情報も、人も。暫し留まるものも、すぐに発つものも、忙しない交流と共に道端のテントに寄っていく。
「……久しぶりだな、此処も。」
「ん? お前さんは……オルファか!? どーしたんだ、こんな所に。」
「まぁ、ちょっとな。それより、子供用のブーツはあるか? 出来れば可愛いのが良いんだが。」
「おいおい、どうしちまったよ、あの守銭奴が。卸に行く途中の積荷を解くんだ、相場の倍くらいは」
「構わん、たかが旅靴一足だろ?」
「……まぁ、お前さんが良いなら良いが。」
怪訝な顔を浮かべた男性が、可愛い可愛い……と呟きながら荷を漁る。包装紙から取り出されてはしまわれる靴が、二桁を超えた時。短い導火線が燃え尽きた。
「だァー、もう! いつまで探してんだ、クソオヤジ! テメェの商品じゃないのか!?」
「キレんなよ、若造が。その言葉使いと傷がなけりゃ、顔は別嬪さんなのによ。」
「は、煽てたくらいで上乗せはせんぞ。」
「なんだ、嬉しかったのか?」
バシ、と音を立てるほどに顔へと投げつけられた袋には、相場の九割増で硬貨が踊っている。
「おい、足んねぇぞ!!」
「道端に値札やルールがあるか、ケチケチすんな。」
「ったく……」
ヒラヒラと手を振って人混みに紛れた彼女は、休憩するキャラバンの馬車やテントを通り抜け、視界の効かない裏の方へ回る。
積荷や箱の多い、人通りの目立たないその場所で。灰の頭巾を深く被る少女と、その近くで寝ている青年に合流する。
「なんだ、疲れてたのか?」
「いや、別に……ただ魔力過多でキマってたもんだから、それが抜けたら眠くてよ……三日くらいしっかり寝てねぇから……」
「だから、ちゃんと休みましょうって言ってるのに……」
「急がないと、ベルゴやアルスィアが何しでかすか分かんないだろ?」
閉じていた瞼を開け身体を起こしたソルが、オルファの手から包みを浮かばせて中身を飛ばす。
ソルの手に収まった靴を簡単に眺めて、付与をかけてからシラルーナに手渡した。
「履けるか? ちょっと大きいけど。」
「え? 大きいか?」
「えっと、その……オルファさん。ご期待に添える成長じゃなかったみたいで……」
「いや、悪ぃ! オレが確認を怠ったせいだ……大丈夫か?」
不安そうに覗き込む彼女は、まるで親の顔を伺う子供のようで。逆にシラルーナが慌てる始末だ。
靴紐を伸ばして靴に付けていたソルが、シラルーナの足に布を巻き付け、ブーツを被せる。少しキツめに結べば、ズレることは無さそうだ。
「まぁ、移動は俺が浮かせてるんだし、これでも問題はなそうだな。ほら、デザインとかはシーナにも合ってるし。」
「そうですよね! 可愛いなぁって思ってて、流石オルファさんです!」
「え? そ、そうか?」
すぐにニヤニヤし始めた彼女は、もう機嫌が直ったらしい……これでは、どちらが保護者か分からないが。
崩壊したタフォスの街で聞いた、二人の思い出話……それとは真逆なような気がした。
フラフラと二〜三歩歩き、グラりと傾く。鉱石になった足は重さも違い、感覚も無く動かせない。足首の普段の働きを改めて噛み締め、どうにかバランスを保てないかと再び立ち上がり……また傾いた。
「っと……起きたのか、シーナ。」
「ソルさん……ごめんなさい、私……」
「はいストップ。こんな事なるなんて、俺も思わなかったって。それに、謝るなら俺の方だ。」
抱きとめたシラルーナのザンバラに切られた髪を見て、冷たく硬い手を握る。倒れた原因に至っては、遠目からも違和感の大きい輝きだった。
何があったのか、察して余りある。強力な魔法とはいえ、相手は契約者。下手を踏んだのはソルなのだ。自分の結晶に囚われるなど、恥でしかない。
「でも、私は……力になりたくて着いてきた、はずなのに……」
「悪魔相手じゃ仕方ないさ。爺ちゃんだって下手打つこともある相手だろ? 今回の遠出は獣人のテリトリーから本番なんだしさ、頼りにしてるぞ、シーナ。」
不服という表情だが、とりあえずの納得はしてくれたか。少し落ち着いたらしい彼女は、口を閉じて俯いた。ソルが自分でも治せないかと、【具現結晶】や付与を重ねてみるが、鉱石を硬質化させた所で戻るわけも無い。
「無理か……」
「やっぱり、あの人に頼むしか無いんでしょうか……気は進みませんが……」
「アルスィアか? ん〜、切り落としても治る訳じゃ無いし、アイツに感情面を斬らせると何するか分からなくて怖いしな……少し【煌めく超新星】について研究してみるよ。「闇の崩壊」の原理も応用すれば、魔法式だけを安全に分解、巻き戻しも出来ると思うし。爺ちゃんにも、手紙出しとこうぜ。」
それまでは俺が浮かせて……と次の予定を立て始めるソルの声を聞くシラルーナの頭に手が置かれた。ぐちゃぐちゃになった髪の毛を更に掻き乱す手は、そのまま彼女を抱きしめる。
「久しぶり、チビ助。」
「その……声……!」
勢いよく振り返ったシラルーナと、頭がかち合って鈍い音を立てる。耳をそばだてていたソルが、周囲の水分を凝固させて氷を作り始める横で、目の前の女性に勢いよく少女は飛びついた。
「オルファさん……!! 生きてたんですね……!」
「おいおい、酷いな。オレがそう簡単に死ぬ奴だと思ったか? ……大きくなったなぁ、もうチビとは言えないな?」
「オルファさんは、少し痩せましたか? ちゃんと食べてますか?」
「あっは、変わんないねぇ。オレよりアンタを心配するべきだろ、痛くないのか?」
シラルーナの手を取る彼女は、嬉しそうな顔から一転、本気で心配そうな顔を覗かせる。感情の変化が忙しいやつだな、とその急変ぶりを意外に思うソルに、シラルーナが振り返る。
「ソルさんは、オルファさんのことは……」
「いや、さっき襲……顔を合わせただけだ。知り合いなんだよな、塔に来る前の?」
正直に話そうとしたのだが、少し泣きそうな顔で頭を振る彼女に気圧されて言い換える。まぁ、シラルーナの態度を見れば、ソルに襲いかかったことをよく思うはずは無いと察するのは難しいことでは無い。久しぶりの再開に水を指すのも気が引けるというものだ。
シラルーナの話題転換には触れることなく、逆に彼女に質問を返すことで深堀したソルが、自分の予備のグローブを手渡した。予備というか、マギアレクが左右セットで作っていたモノの片方、というだけだが。ソルの左手は人間の物にしか見えないので、隠していないのだ。結晶に触れる役目もある。
左手にそれをはめて、具合を確かめながらシラルーナが考え込む。何か言いにくい事でもあるのか、チラと視線をさ迷わせてから、オルファを見上げる。
「ん? 大きかったのか?」
「いえ、鉱石が少し膨れてるので、手袋はちょうどいいんですけど……その、オルファさんのこと。」
「あん? ……あぁ、そういうことか。別に隠すような事じゃないし、アンタから言えばいい。彼、信頼してるんだろ?」
「……はい!」
首を捻るのはソルばかり。まぁ、それも今から聞けるだろうと、ゆっくりと腰を据えることにして、楽な姿勢を取る。
「その、彼女はオルファさんと言って……私の恩人の方なんです。私がメガーロに流れ着いた時に、庇って下さった人で……」
「オレが取り付けた取引の積荷に、こぉんなこの子が紛れ込んでてね。まぁ、放り出すのも忍びなくてさ。」
「そんなに小さくないですよ!?」
二本の指で何かをつまむようなジェスチャーをするオルファに、シラルーナが怒りながら服を揺すっている……ここまで素直に接しているのも珍しいな、と見守っていたソルだが、少しモヤモヤとした想いに促されるままに二人を引き離した。
「ん? どうした?」
「いや、話の続き。シーナが言い淀んでたくらいだ、なんかあんだろ?」
「えっと……私も長く面倒見て貰ってる間に察する形で知ったんですけど……オルファさんは、私と同じなんです。」
「同じなモンか。アンタが泣きながら話してくれたご両親の事は温かかったよ。オレのは……ミセモンだからな。」
腹立たしそうに頭を搔く彼女の髪が揺れ、ふと側頭部が顕になる。ちょっとした違和感だが、シラルーナで慣れているソルにはすぐに気づけるものだった。
「耳が無ぇ……ハーフか。」
「んな気取った言い方しなさんな。獣混ざりでいいよ、ケントロンが正式にそう言いやがったからな……悪い、この子の知り合いがそんな言葉は選ばんか。」
悲しそうな気配を察したのか、シラルーナの頭を撫でる彼女だが、半獣人だと一目で分からなかったのは理由がある。
「耳と尾は? 頭骨と脊椎が、遺伝的に獣の特徴を残しやすいって聞いたけど。」
「切った。」
「あぁ……そういうこと。」
「オレにとっちゃ、自分の血を感じるモンは嫌なモンでしかなかったしな。隠し続けんのはリスクがあるし、それなら根元からごっそりと。」
平然と言い放っているが、骨も通っている部位を切り落とすのだってリスクが伴った筈だ。それに彼女の言い方を聞けば、それがある程度昔のことだという事も分かる。それほど歳を重ねているようには見えないので、当時は幼いと形容できる子供だったと思える。
自分の体を切り落とすという行為が、容易だとは思えなかった。これ以上の言及は避けるべく、ソルは次の疑問を考え、口にする。
「シーナを助けてくれたのは嬉しいけど、メガーロの中で人って匿えるものなのか? なんつーか、武力管理って感じだったけど。」
「まぁ、バレても咎められる気風じゃなかったってのもあるな。だが、根無し草で彷徨いてりゃ、可愛い顔したガキがどうなるかなんざ、銭袋を開かなくたって分かる。だから、オレの商品だって事で手元に置かせて貰ったのさ……何となく、他人事と思いたくなくてね。」
そう言ってシラルーナの髪を梳く彼女の手つきは、雑なものではあったが優しさを見て取れるようなもの。ソルの記憶にはほとんど存在しないが、母親という存在が浮かぶ。いくつもの街を移るなかで、見ていったその関係を、目の前の二人に当てはめても、違和感は無かった。
「オレはさ、人間と鉄錆と死骸の臭いばかりする街で、男所帯の浮浪者の集まりで育ったんだ。だから、人間でもねぇ、人殺しでもクズヤローでもねぇ、そんな女の子は珍しくってさ。オレはクズヤローにはなっちまったが、人間にも男にも成れるわけじゃない。何となく、自分の代わりになっちゃくれねぇかなってよ。」
「アンタだって、まだ変われるんじゃねぇの?」
「そうじゃねぇよ。薄汚れたり欠けたりしねぇで生きてくれねぇかなって思ったんだよ。オレの未来はオレが決める。でも過去を弄くんのは悪魔だって難しいだろーさ。」
「あ〜……まぁ、そうだな。」
辛うじて記憶に残る悪魔たちの顔を思い浮かべていくが、過去に干渉するような魔法の持ち主がいなかった……と思う。
後悔を無かった事にしたい。人間、思う事はそんなに変わらないらしい。
彼女は、自分には差し伸べられなかった手に、自分がなることにした。ソルはアラストールという戦火が、何も燃やさないように消す為に……アルスィアやベルゴにも、そういうものがあるのかもしれない。早々に先に行った者たちが、少しだけ気になった。