第51話
大きく、重く、堅く。だが、その巨躯は一歩の大きさをたしかに広げている。四肢を用い、獣のように戦陣の中を跳び、駆ける自罰の悪魔が、長い腕に備わる爪を振りかざす。
「【貫通】、【狙撃】。」
「させねぇよ!」
「チッ……【牢獄】!」
突き出される結晶を、身を捩って回避した自罰にそのまま射出するが、それは【戦々恐々】が掴み取る。力はある腕だ、その身を犠牲にすれば巨大な結晶も止める。
そのまま迫る自罰には、拡散して散らばった結晶で覆われて貰い、恐怖には剣を作って射出する。結晶自体に殺傷能力は無いため、それを掴み取った恐怖が投げ返す。
「触れても害の無い魔法は、やりやすくて良いなぁ?」
「なら身体に刺さってるもんも増やしてみるか?」
「うるせぇな、外せよコレ。」
今なお抜けていないものは、核にまで根を伸ばしたクォーツだ。悪魔にとって少しずつとはいえ、魔力が目減りするなどという感覚は中々お目にかかれず、恐怖も焦りとも呼ぶ感覚を理解する。
小さな結晶も、少しずつ成長している。つまり、核に触れているモナクスタロの魔力が増えている。魔法に変換するのに十分になれば、核に直接叩き込まれることも有り得る。
「恐怖、ボンヤリするな!」
上から落とされる結晶の剣に、自罰が岩斧を投げつける。フォローはそれに任せ、【戦々恐々】を強引に増やしていく。
視界を埋めるほどの、醜い未成熟な腕。死臭の漂うような、溶けきった白い肉を纏うそれが、ソルの周囲を飲み込むように放たれた光線に焼き切られた。
「ん? どこいった。」
結晶の燐光が全てを照らすこの空間には、影はほんの僅かにしか存在しない。【路潜む影】は使えない筈なので、単純に移動したのか、実体の形成を止めたのか……とにかく、視認に頼るのは厳しそうだ。
それならと、瞑目して結晶の吸収に意識を集中する。悪魔の膨大な魔力は、周囲のマナ量にも大きく影響する。結晶の吸収量の変異が、悪魔の位置を知らせてくれる。
「……あ、上か?」
すぐに空へと飛び出したソルが、上へ上へと戦陣を広げていく。宙に浮く結晶が増えていくにつれて、悪魔の位置が正確になっていく。
「くそ、照らされた!」
「やはり力場の特性相手に飛んで逃げるのは無謀だぞ、恐怖よ。」
「うるっせぇんだよ、上が比較的空いてたんだからしょうがねぇだろ! こんなのとマトモにやり合ってられるか!」
「だが、ここで逃げても結晶は残るぞ。」
「どっちにしろ、あの結晶郡から離れねぇと!」
黒布のような翼を大きく羽ばたかせる恐怖だったが、四方八方から結晶の礫に襲われる。握りつぶされるような圧迫感と奪われる魔力に苦悶の表情が顔に浮かんだ。
「力場の魔法は、結構しんどいんでね……帰ってもらう、ぜ!」
上に回り込んだソルが、【牢獄】の球ごと【破裂】で打ち抜く。硬質な硝子の割れるような音を響かせ、恐怖の悪魔は地上に叩き戻される。
空中では明らかに動きの鈍い自罰には、逃げる選択肢は無い。迎撃の手段となる土も岩も、ここには無い。結晶が無い場所は既に街には見当たらず、恐怖は戦陣から出てこない。
自由落下に任せてソルに掴みかかるが、空中でソルを捕まえるのは至難の業だ。スレスレで躱し、合わせて振られる剣と爪がかち合って火花を散らした。
「さらばだ、モナクスタロ。」
「あ、地面に……ったく、めんどくさいな。」
チラと戦陣を視認し、もう少し時間がかかるのを確認する。恐怖の拘束は解けているが、自罰との合流を優先するようで襲ってはこない。
まだ街まで戦陣は広がりきっていない。岩の上に立った自罰の悪魔は、存分にその質量を増している。石化の固有魔法を持つアレは、岩石の操作においては他の追随を許さない程だ。
「【罪の獣】じゃないだけまし……とも言えないか。あの岩は実態だもんな。」
「待たせたな、モナクスタロ!」
「うるっさ……!」
空にいるソルでさえ掴み取れそうな巨躯になり、腕を振り回していく自罰。その両の手に少しでも触れれば、表面から鉱物に覆われていくのは想像に難くない。
空中制御に関しては自信はあるが、この姿の自罰の手札を知らない以上は大袈裟に回避するしかない。腹立ちまぎれに放出したエネルギーは自罰の足を貫くが、すぐに岩石が集って再生した。
恐怖の魔力を探れば、戦陣からは抜け出しているらしくぼんやりとしか感じられない。また叩き戻すのも面倒だが、中に戻ってもらわないと困る。
「出来上がるまでもう少し……計算しながら逃げ回るのも難しいんだけどな。」
「何をボソボソと!」
「愚痴くらい言わせろよ、悪魔とやり合うつもりで来たんじゃねぇってのにさ!」
回避が間に合わないと踏んだソルが、左右から迫る腕を焼き切る。放出されたエネルギーが数瞬ほど夜空を照らし、すぐ近くに迫っていた恐怖の悪魔を影から引き離す。
「クソが!」
「探す手間が省けたなっと!」
すれ違いざまに【破裂】を叩き込み、共に戦陣内へと突っ込んでいく。着地と同時に恐怖の悪魔を突き刺し、固定する。こちらを睨んで手を伸ばす悪魔に、放出した光線が顔を消し飛ばした。
「自罰は……思ったより早いな?」
その巨躯は一歩の大きさが計り知れない。僅か数歩で到達した自罰が、戦陣を砕く勢いで爪を振り下ろす。
だが、ただ大質量なだけで砕けるのなら「気紛れな奇跡」などとは呼ばれない。悪魔の魔法とはそういうものだ。
魔力はかなり大きく失うが、【捕らえる力】で巨大な自罰を握り、戦陣へと引き寄せる。
「何を……!」
「発動しろ、「闇の崩壊」。」
戦陣に浮かび上がったレリーフが輝き、光の筋を伸ばし始める。警戒を最大にする二柱だが、その光は遅く、そしてか細い。
「魔方陣を大きくしたところで、大して変わんねぇか……必要魔力が増えただけだな。」
「なんだ、こりゃあ!」
「迂闊に触れん方が良いだろう、恐怖。妙な気配を感じる。」
指の一部を切り離し、岩石として飛ばした自罰がそう断ずる。物体である岩にはなんの反応もせず、透過するだけで進む光景は、悪魔の魔法でも滅多に見ることは無い。
対象を限定的な魔法は、強制力が強い傾向にある。すなわち、本来の魔力が持つ抵抗を無視しやすいということ。それはエネルギーの節約に繋がるのだが、この魔術に使われた魔力は膨大だ。
「ハッ、こんだけトロいなら問題ねぇだろよ。こんなのが奥の手かぁ? 孤独の悪魔も堕ちたもんだな!」
「マモンにも同じこと言ってみろよ、劣化版ヤロー。」
「あぁ!?」
「遅い腕なのは事実だろう。それよりも奴を壊す事に注力しろ。」
「オレに指図すんな木偶の坊が。」
何度目かになる【戦々恐々】の出現だが、接近した途端に光の筋が折れ曲がり、巻きついていく。中へと侵入したそれが数秒後には、腕を破壊して次の獲物を辿り始める。
「オレの魔法が!」
「あ〜……そっか、対象選んでる訳じゃなかった……」
「モナクスタロが操作している訳では無いのか。ならば距離を置けばいいだけの事、囮は多いのだからな。」
「おい、オレの腕を囮って言うな。クソ、露払いなんざやってられるか! オレが掴めねぇならこんな場所にいる気はねぇ!」
「恐怖! 逃げるな!」
伸ばした手をすり抜けて、恐怖の悪魔が影に溶ける。一柱になった自罰がソルへ向き直るが、その時には眼前に孤独の魔人は飛んでいた。
「とりあえず、そのデカブツから出てこいよ。【具現結晶・極破裂】!」
打ち付けた掌底、岩石の中を縦横無尽に駆け回った衝撃が結晶化し、ソルの手の中で花開いた。砕けた岩人形が地上に降り注ぐなか、翼を開いた自罰がソルを掴まんと死角から飛来する。
「悪いけど、この中で遅れを取るほどではねぇんだよ。」
地上から射出された槍が翼を撃ち抜き、姿勢が崩れた自罰に足を振り下ろす。力場の特性を存分に活かし、空中とは思えない馬鹿力が悪魔の頭を打ち抜いた。
ガクンと高度が落ちた自罰のすぐ側には、迫る光の筋がある。目を見開き、距離を取ろうとする自罰だが、見えない手に潰される様に硬直する。
「ぐ、ぬ……!」
「前回は逃げたらしいけどな、今度は逃がさねぇよ。何もわかんねぇけどさ、シーナがお前に怯えてたんだよ。だから、許さない。」
「無茶苦茶だ!」
「それが悪魔だろ? 俺も半分はそうって事だ。」
「モナクスタロォ……目的も、理性も、目標も、何も無い空虚な貴様には! ふざけた行動理念しか浮かばぬ貴様には! いつか報いが訪れる! 全て、全て己の罪だと知れぇ!!」
中身を全て吐き出して行くようなその叫びに、光の筋が割って入る。ぐるぐると体内を掻き回し、辿り、探り、障る。
核に触れたそれが、グルリと回り、潰し、散らした。魔力の大部分を、エネルギーの集合力を散らされ、自然に霧散していく。ぶちまけられた水が蒸発していくように、その姿は薄れていく。
「これが……貴様の、奥の手か……」
「いいや、人類の奥の手だよ……何年か後だろうけどな。」
「く、くくく……人類だと? 貴様の口からそれが出るほど……滑稽なことも……な…い…」
消えた悪魔を見届けて、広大な範囲の戦陣を全て回収する。更地となった墓地に転がる二人は、意識を失っているが魔力欠乏というほどでは無い。睡魔と疲労による昏睡だろう。
シラルーナに着ていたコートローブを被せ、アルスィアを少し蹴り転がし、座り込む。過剰な魔力は一人の肉体には多すぎて、少しづつ漏れ出ている。勿体ないとは思うが、こればかりは仕方ない。
「眠気がこねぇ……朝まで長いな、こりゃ。」
動くモノの消えたこの街で、孤独の魔人は呟いた。