第47話
三日月が照らす墓地は暗く、間を縫って歩く石像は顔がよく見えない。たまに転がっている幼子に、ジクリと腕が引き攣る感覚が広がった。
「痛むか? あまり自分を責めない方が良い、侵食が早まる。」
「やっぱり、広がるんですか。」
「時間がかかれば、骨まで到達するだろう。そのうち全身に回る。あの悪魔がこれ以上力をつけ、ここから去っても事なのでな、それは避けたい。どうやら、君にご執心らしい、きっと力を付けるのに余程、効率的なのだろう。」
「私が……」
「おそらくな。きっと君の心は素直で、故に染まりやすいのだろう。悪魔には好条件なのかもしれん。」
嬉しくない。ムッとした彼女の気配を察したか、一言謝罪を零す。
井戸に着き、水を汲み上げたウーリがそれを渡す。
「桶はこれ、タオルがそこ……いや、見えないのか。」
「眩しく感じるだけで、このくらいの明かりならそれほど。形は分かりますから。」
「そうか、ならいい。とりあえず血と土を落としてくれ、俺が殺されかねん。」
「ソルさんはそんな人じゃ」
「人では無い、魔人だ。半分は悪魔なのだということを忘れるな、人であっても相手が変われば態度も対応も変わるのだからな。彼が俺を羽虫のように処理しても不思議は無い。」
生きてきた環境が違う。そう思うには十分だった。
追い立てられ、除け者にされる事は多かったが、幼いシラルーナに危害を加える者はいなかった。何も利がなかったから。稀には、助けてくれる人さえいた。
だが、彼は違ったのだろう。騙し、騙され、傷つけ、殺しあってきた。この街に居るという事は、きっとそういう事だ。裏を想像できるようになってしまえば、人を信じることがどれだけ難しいのか、理解は出来ずとも想像はできた。
「……水と布、ありがとうございました。」
「あぁ、その辺に置いておいてくれ。」
生返事を返し、転がった石像を起こして回る彼は、何を考えているのだろうか。それは分からなかったが、何となく寂しそうだった。
「あの……私」
「ここにいたか、小娘。」
足下の土が渦巻き、あっという間に盛り上がったと思った時には、全ての傷を癒した悪魔が顕現していた。首を捕まえられたシラルーナが、呼吸をしようと足掻く横で、ウーリが悪魔の手を掴む。
「自罰、事を急くな。」
「ふん、貴様の贖罪など聞かん。」
「そうでは無い、あの孤独が来ている。その子にご執心なのは変わらない。」
「好都合だ、あれを野放しにすれば延々と成長する。向こうから来るならば願うところ、今のうちに潰す。」
この悪魔に怒りや恨みという感情は無いのだろうが、身をもって体験した脅威を排除したい気持ちはあるらしい。それならばと、掴む手に更に力を込めて彼は語気を強めて叫ぶ。
「違う、交渉の為には希望が残っていなければ自棄を招く。有利に事が進む方がお前も良いだろう。」
「……一理あるな。この小娘一人、手中に収めようともすぐに力となる訳でもないか。あれに勝るなら万全を期して余りある。」
完全に石にしてしまえば、たかが悪魔憑きに出来る事は無い。戻せないのなら、そもそも交渉材料になり得ない。
そこまで把握し、手を離した悪魔から少女がずり落ちる。受け止めたウーリを岩の檻に閉じ込め、悪魔は後ろへ振り向いた。
「こう何度も斬られては警戒もする……出てこい、どうせまた呑み込むつもりだろうが、そうはさせん。」
どこから集めてきたのか、大量の光石をばらまいた自罰が桶をひっくり返す。水と反応し、蓄光したものが溢れ、辺りの影を払う。
「時間はそう持たんだろうが、影を封じた貴様に詰められる程では無い。」
「ふぅん、それで勝ったつもりっていうのはお笑い草だけど。」
影を払われ、その姿を晒すことになったアルスィアだが、慌てることなく外套の影から妖刀を引き摺り出す。即座に展開する魔法陣は、風のもの。
「【蛮勇なる風】!」
「そう何度も同じ手は食わん!」
復活した翼で風に乗り、空へと回避した後にアルスィアの足下を隆起させる。接近するなら好都合だとそのまま乗り、一撃の間合いを見計らう。
「簡単に掴ませるか! 【矢となる岩】!」
矢と呼ぶにはあまりに大きく無骨なそれに、鋭く絞った【矢となる風】で穴を開け、吹き飛ばす。集中力は削がれるが、これくらいでタイミングを掴み損ねる事は無い。
「【切望」
踏み込み、振り出したその一瞬、身体が宙に放り出される。足下の上昇が、止まった。
悪魔を深く切り裂いた魔法だが、核には一歩、届いていない。次の魔法を展開するより早く、悪魔の一撃がアルスィアを殴り落とす。
「【地縛罪業】、束縛せよ。」
一瞬とはいえ接触した以上、鉱石化することは避けられない。頭の右側が樹脂質な黒に変質し、視界の喪失に酔う。翡翠色の星が浮かぶその鉱物に、自罰は残念そうな顔を見せた。
「悪魔の割には低質だな。」
「悪かったね、混ざり物で。」
「労力の割に旨味が無い、貴様のような不完全な魔人でも生き残れている理由かもな。」
「何度も消された君が言う?」
「腐っても名持という事だろう、な!」
長い腕を地面に叩きつければ、岩石の腕がアルスィアを取り囲む。そう何度も捕まってやるかと切り払うが、死角となった右側の何本かを切り損ねる。影もないこの場では、アルスィアの感知能力は無い。
「【捕らえる岩】。」
「が……! チッ、鬱陶しい!」
巨大な手に握り潰された脚を斬り捨て、即座に風を纏って駆ける。片脚でも跳びかかる事くらい出来る、一気に距離を詰めて爆風を起こし、体勢を崩させて斬る。
核までは届かなかったが腕を切り落とす事に成功し、それが地面に落ちるより早く風の魔法陣が展開する。
「【苦痛刻む━━」
「ぐ……【蛮勇なる岩】!」
「━━乱気流】!」
音より早く飛ぶ烈風が、手が触れる距離を翔る。直撃して拡散する暴風が、二柱の間を広げていく。縮小が始まる前に叩き消された魔法が、巻き上げていた土埃を吹き飛ばして荒れ果てた墓地を顕にした。
「我が庭園を……二度までも!」
「庭弄りが趣味? 年寄り臭いよ、石なんて並べるだけ並べちゃってさ!」
身の丈の妖刀を振り上げ、巻き起こった風が真空を生みつつ進撃する。
自罰が踏み砕いた地面も、その亀裂を広げ進撃する。二つの【蛮勇なる】魔法が衝突し、刻まれ風化した岩が土となり舞い散った。
「動けるか? 今のうちに離脱しよう。ここに居ても命の危険が続くだけだ。」
「ですが……」
「彼が心配か?」
「いえ、これっぽっちも。ただ、私を狙っている悪魔が、追いかけてこないとは……思えなくて。」
またジクリ、と肌が引き攣る。見るまでもなく、広がっているのだろう。
「頭に到達する前に、その髪は切った方がいいかもな……構わないか?」
「え、っと……はい、お願いします。」
この場にある刃物を考えると、あまり乗り気には成れない。それに、雑にバッサリと髪を落とされるのは、良い気はしない。そんな場合では無いと思いつつ、少し迷ってしまった。
案の定、出てきたのはワイヤー付きのナイフだ。何人の血肉に触れたのか分からないそれは、手入れされていても抵抗感があった。
身を固くする彼女の気持ちは理解出来たが、時間がない。石となった髪を上へ持ち上げ、出来るだけ長く残してやれるよう調整してから、バッサリと切り落とす。纏まって無事な髪も落ちるが、必要な犠牲だと思ってもらおう。
「整えるのはここを出てからやるといい。それと、この毛髪は君が持っていけ、忌み子の毛は俺の手に余る。」
「分かりました、すいません。」
「君の謝る事では無い。能は複雑で、君に被害が残れば俺が危ない。それだけの事だ。」
「そう、ですよね……」
責めるな、と言うよりも早く解除することの方が有効か、と片足の不自由な彼女を担ぎあげる。その場を離れようと駆け出した瞬間、地面が揺れ動く。
辺りの石像も倒れ、井戸にはヒビが入り、樹木が倒れるような揺れ。街の方を見れば、ボロな建物が傾き始めている。局所的にしようという、心ばかりの配慮なのか節約なのかは伺えた。
「止めてくれ、自罰! 街が壊れる!」
「知ったことか! 貴様もあれこれと鬱陶しい! 悪魔相手に何様のつもりか!」
小さく崩れ、挟み込むように閉じた地盤。そこにあったのはウーリの足だ。栄養不足を感じさせるドロリとした暗めの赤が、押し出されるようにパッと散った。叫びを噛み殺した彼の顔に、土と骨片の混ざった血が雫を作る。
口へと伝ったソレを吐き出し、とっさに庇ったシラルーナを突き放す。おそらく、悪魔の狙いが変わっているから。転がった姿勢から、片足で逃れられる筈もなく。首を掴まれた彼は、ゆっくりと両足が地から離れていく。
「我が意に反するなら動かしておく意味も無い。貴様の軽率さに永遠に苛まれ、悔やむと良い。【地縛罪業】。」
何度もナイフを振るうが、岩の肌を傷つける事も叶わない。喉から石になっていく彼が、最後にした事。それは己の心臓を貫く事だった。
「貴様!」
すぐに死なぬように傷口を石化しようと試みるが、その腕が切り落とされウーリに届かない。
このまま彼が死ねば、貴重な心臓は失われ魔力の相互供給も途絶える、それは阻止せねばと焦る。何より、核が一つで絶望の魔人や孤独の魔人とやり合いたくは無い。
「邪魔をするなぁ! 絶望!」
「アルスィアだ、二度と間違えるな。」
切り返して振られる二太刀めが、核を深く切り落とす。霧散する悪魔が復活するが、拳を振り下ろす前にウーリの首が飛んだ。
憑代を破壊され、姿を構成する魔力のバランスが乱れる。それを治す為の僅かな好きで、アルスィアが魔法を唱えた。
「伏せろ、【落とす暴風】。」
悪魔に膝をつかせる程の風圧は、地面にぶつかり裾野を広げる。その風に乗って離脱するアルスィアが、巻かれた水に目を向ける。
光石。蓄積した光を水分に反応し放出する鉱物。アルスィアの武器である影を、この場で奪っている物体。
「一つずつなんてやってたら間に合わないね、纏めて行かせてもらうよ。【渦巻く真空】。」
魔法というには粗雑な、力任せに巻き上げただけの突風。しかし、螺旋状のそれは継続して吹き続け、辺りの物を吸い込み、空へと巻き上げる。
光石や桶、瓦礫は勿論のこと、石像までも巻き上げていく。ぶつかり、吹き飛び、選別されていく中で、軽いものから外へ飛んでいく。例えば、水滴など。
「結構、魔力は喰ったけど……これで、また闇夜だ。おかえり、僕の世界へ。」
ニタリと笑う魔人が、ゆらりと影に溶けた。




