第46話
翼を失った悪魔は飛べるのか。答えは否だが、それは対局を変えることは無い。アルスィアは飛べず、そして自罰にとっては大地こそ自らの領域なのだから。
後ろに回った絶望の魔人に、悪魔が腕を振り回す。大きな音を立てながら迫るそれに、振り切った後のアルスィアは反撃できない。せっかく距離を詰めたが、影に溶けて逃げるしかない。
「やはりすばしっこいな、この闇夜の中では。」
「朝まではまだあるし、もっと楽しもうよ。」
「ふん、その余裕も今のうちだ。生き物は地から逃れぬが、影は常に変わり、去る。」
「不器用で鈍臭いだけなのに、まるで変わらない事が偉いみたいな口ぶりだね。自信家って死にやすいらしいよ?」
軽口を叩きつつ、如何に【切望絶断】を叩き込むか。それを考えながらユルユルと歩き回るアルスィアに、地を引っ掻くように腕を振り上げる。
物理的に巻き上がる土煙にまざり、【蛮勇なる岩】が地を駆け墓地をひっくり返す。地面を覆うような魔法の範囲に、逃げられる箇所は上しか見出せない。影に隠れて空を駆け、上空から奇襲をかける。上段に振りかぶった妖刀を、金属質の光沢を持つ悪魔の腕へと振り下ろす。
防ごうとも、防御ごと切り裂いてくる一撃は躱すしか無い。動くことに意識を裂けば、相手の攻撃範囲、移動先の状況把握、前後の変化。反撃まで考える隙はアルスィアには無い。
「スットロいよ、自罰!」
地面を斬り裂いた勢いでその影に溶け、一瞬で超低空の姿勢へ以降し横へ薙ぐ。
回避すれば地から離され、立っていれば足を絶たれる。選択肢は迎撃一択。速攻で魔法を展開し、自分の周囲の地面を爆ぜさせる。
飛び散る岩石がアルスィアを押し上げ、高くへと打ち上げた。皮膚の下で血管が破裂する痛みが、魔人の顔を歪ませる。
「まだ生きているか。」
「この程度ならね、特性の相性もあるし。」
纏っていた風を払い、肌を少し切り裂いて溜まった血を流し落とす。筋肉の隙間に入り込み、痛みを起こすよりは流しきってしまった方がいい。
貧血が目眩を引き起こすが、傷自体は小さく、すぐに塞がる。動くのに支障は無いだろうし、酸欠は魔力のバランスを弄れば多少は相殺できる。
「待っててくれて、ゴクローサマ。続ける?」
「ふん、動けば魔法が飛び出る仕掛けだろう。鎖か?」
「教えると思う? まぁ、そっちが来ないなら僕から行くよ。」
どれだけの魔法を重ねようと、アルスィアの勝ち筋は一つ。核の破壊しかない。その為には魔力抵抗が関係ない程の距離で、直接核に【切望絶断】を叩き込む。
必殺か、否か。有効打や致命傷などは存在せず、如何に固有魔法を切り込めるか。その為に必要な絶対条件は接近だけだ。
「さぁどう出る? 【矢となる風】!」
「影を使わぬか!」
「言ったろ、相性があるってさ。」
なれない特性だが、単純に込める魔力量が変わってくる。影で土の魔法を相殺するには、より高出力でより緻密にする必要がある。異様に高い特性を持つアルスィアなら簡単ではあるが、消費魔力量は増えるのは変わらない。温存はしたいところだ。
湾曲しつつ迫る高圧の螺旋回転の空気の塊。鋭いそれが己を穿つには十分な速度を持つのは分かる。地を踏み抜いて地面をひっくり返すが、大した障害にはならずに着弾する。
しかし、本命は魔人当人。土煙の中を突っ切るアルスィアに、迎撃の魔法を放つ。
「喰らえ、【食い千切る岩】!」
上下より迫る艶やかな岩肌は、あまりに硬質で鋭利。引きちぎり、すり潰すための幾層もの歯が岩壁と共に襲い来る。
「食事になるのは君の方だ、【苦痛刻む乱気流】!」
当然のように重ねられた固有魔法も相まって、縦横無尽に吹き荒れる高圧と真空の刃が全てを切り刻む。魔法も、悪魔も、墓地も、広がる竜巻が全てを塵へと返していく。
当然のように巻き込まれるシラルーナだが、軽い体重のおかげで刻まれる前に吹き飛ばされた。形を失いつつある岩の蕾のそばで、転がって赤を広げる。
「あ、シラちゃん。無事?」
「ベルゴ……さん? 何処に……」
「見えてない感じ? あちゃ〜……これ、無事に許してもらえるかなぁ。」
ベルゴが見上げるのは、光の鎖と結晶に包まれた大聖堂。今も続いているところを見ると、ウーリという男は死んだのか着いていけているのか……などとどうでもいいことを考える。
少しずつ広がっている戦陣がここを捉えたが最後、あの魔人が飛んでくる。それまでにシラルーナの傷を誤魔化して隠そうと、焦りがあるのだろう。悪魔相手にしては攻勢的だ。
「私の……扇。ソルさんに、貰った……!」
「はいはい動かない。ここにあるから、飛ばされてきたから拾っといたよ。」
「あ、ありがとう……ございます。」
蹴飛ばされたのは反対だったはず、などという疑問はこの嵐の中では無駄かもしれない。それより傷を塞ごうと、薄れる意識の中で魔術を行使する。
広がっていた暴風の拡大がとまり、段々と内側に流れ始める。
「しつこいぞ、絶望!」
「それは自己紹介かい? 君こそいい加減……消えなよ!」
全てを刻まれ、収束した竜巻に捉えられている悪魔が、強引にそれを振り払う。その隙を見逃す訳もなく、再び核を切り捨てて悪魔を殺す。
「どうせ、また出てくるんだろうけど……」
息を長く吐き、全ての魔法を解除して歩いてくる。降ろされたリツが周囲を見渡しながら着いて歩き、シラルーナを見てギョッとする。
「お姉ちゃん……大丈夫?」
「今から大丈夫にするけど、見てられないだろうから目ぇ逸らしときな。」
「何を……する、んですか?」
「石のまま生きるかい? 君の心を切り落とすとモナクが怒るし、肉で良いだろ?」
「それも怒られると思うけどねぇ……」
蕾の中から転げ落ちるように抜け出したベルゴが、土埃を払いながら呆れを吐く。
「よく生きてたね、君。殴られたんじゃ無かったの?」
「色々と修羅場もくぐってまして?」
「それで、君はどう誤魔化すのさ。」
「いや、代案は特にないけど。」
「なら黙りなよ。」
「私の選択肢、無いんですか……?」
勝手に斬られるのはごめんだと扇を開いて構えるが、対抗出来るはずもなく。数瞬の後には【鎖となる影】で縛り上げられる。
「動くと狂うから、じっとしてなよ。」
「嫌です、やめて下さい。」
「嫌だよ、僕がモナクに怒られる。」
「切り落とされてても怒られるんじゃない?」
「直せないの?」
「そんなに深く、治せるわけ無いじゃないですか。」
「魔術っていうのは、そう万能でもないのか……」
どうしようか、と悩む魔人がシラルーナの腕を叩く。コンコンと、硬質な音を返すエメラルドグリーンの鉱物。
「腕の部分は表皮だけだし、指も二本くらいなら……」
「嫌です。」
「あ、そう。なら足は? まぁ、骨の髄まで行ってそうだから切り落とすけど……」
「もっと嫌です。」
「そりゃそうか。」
パッと鎖が解かれ、シラルーナが放り出される。これ以上怪我を増やされては堪らないとベルゴが受け止めれば、アルスィアは鼻で笑った。
「良く考えれば、僕は悪魔の足止めだし。勝手に飛び込んできたその子が何しようと、君の管理不行き届きだし。」
「俺の責任!?」
「いえ、私が……弱かったから……ごめんなさい。」
「囮にはなったし、役には立ったよ。」
それはどうだ、というフォローを挟みながら足元から影を濃く侵していく。自罰を探して影へ解けた魔人が何処へ行ったのかは分からない。
しかし、リツを置いていったという事は故郷を使う気だろう。悪魔がシラルーナを狙うより早く、アルスィアが捉えれば。ここは安全になる。
「あとは……朝になるまでに決着が着くかだねぇ。」
「それより、ソルさんが心配です。」
「いやぁ、あっちより君でしょ……」
見上げた聖堂は、さっきよりも結晶に覆われている。ソルが籠城を始めた時点で、魔力切れまでのカウントダウンだ。
それより片足が潰れ、腕の一部が鉱石化した彼女の方が重症だ。ソルには治せないだろうし、アルスィアのやり方は本人が拒絶している。
確実にソルは怒る。問題はその怒りが何処へ行くか。自分じゃ無いといいけど、と他人事のように考えるベルゴだが、思い出したように立ち上がる。
「どうしたんですか?」
「いや、結構な数の石像が飛んできたでしょ? これ全部生きてるんだよなぁって思うと、気味悪くて。」
「こ、怖い話!?」
アルスィアが一部の感情をカットしていたのだろう、今更のように石像を怖がり始めた少女に、ニタリと緑髪の男が張り付いた。
「そぉ〜だよ〜、オバケの集会さぁ〜?」
「きらい!」
「っづぅ!?」
振り回された腕が、鼻っ柱に直撃した。血こそ垂れていないが、痛みは相当のものだったらしく、涙を浮かべるベルゴだが、自業自得故に誰も気にしない。
「……戻ってみればどういう状況だ、これは。」
「ウーリ、さん?」
「そうだ……目が見えないのか?」
「指輪が消えてしまって……」
「よく分からんが、あの悪魔に腕をやられた事と関係ありそうだな……」
シラルーナを抱えあげる彼が、地面でのたうち回るベルゴと泣きじゃくるリツを見る。その顔にはありありと面倒くさいと浮かんでいたが、それを見咎める者はいなかった。
「これはどうする?」
「いえ、あの、下ろしてください。」
「そうはいかん。あの魔人を説得せねば、墓守様が殺されかねん。こう言うと申し訳ないが君のそれは幸いだ、墓守様ならば解除する事が出来るからな。」
「私は鍵であり人質ですか?」
「そうなる。君もそのままというのは御免だろう? ……まぁ、戻った時の足の痛みは、相当の物だろうが。」
履物の状態を見れば、その中も分かるというものだ。心底、悔しげな声にシラルーナも僅かばかりでしかなかった抵抗を止める。
危害を加えるつもりはないというのは、本当らしい。それが分かれば、この状態で抗う気力が分かなかった。魔力も薄れ、意識も遠い。血も流しすぎた。
「コイツらは……置いておくか。」
とりあえず、彼女の汚れを落とそう。墓地の中にある井戸へ歩く男を、止める者はいなかった。