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結晶の魔術師  作者: 古口 宗
第4章 墓場の街
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第45話

 前屈みの獣のような立ち姿、しかし元々の体格が巨大である為、むしろ威圧感を増している。片方の翼が落とされようと、そのシルエットは彼女の見たどの悪魔より大きい。前に立つものが居なくなり、睨まれたシラルーナがたじろいだ。


「ほう、白い忌み子か。悪魔の心臓があれば、鞍替えしたものを。」

「俺では不服か。」

「不服でなかった試しは無い。その感情を感じることも無いのだがな。」


 軽く腕を振りあげれば、大地の蠢きがシラルーナに迫り、彼女の下で破裂する。咄嗟に爆風に乗り飛び退いた彼女だったが、その衝撃の全てを殺すことは出来なかった。


「シラちゃん!」

「大、丈夫、です……」


 破片が当たったのだろう、ジワリと真っ白な髪が朱に侵されていき、長く伝った先で垂れた。


「自罰、彼女は」

「貴様の願いは聞かん。あの女と契約してくれ、それで貴様は代償を受け入れた。それ以上を望むなら、邪魔でしかない。石になりたいか?」

「……いや、忘れろ。」


 チラをシラルーナを見たウーリが、街へ走る。させるものかと扇を開くシラルーナだったが、その前に自罰が立ち塞がった。


「あ……」

「ほぅ、貴様は……いいな、自分を責めずに居られぬ性分か?これを逃がそうなどと……あの男はやはり、信用ならんな。」

「ねぇ、それって本当に自責の念ってやつかなぁ。」


 手を伸ばす悪魔の横から、緑の髪が頬を擽った。その距離に近づかれたことで、反射的に殴り飛ばした自罰の悪魔が、舌打ちをして呟く。


「しまった、殺したか……」

「いや生きてるよ! 生きてるけどさぁ! めちゃくちゃ痛いんだけど!?」


 土煙と瓦礫の中から叫ぶ声に、今度は驚愕する。土の特性を持つ悪魔は、重く硬い。制空権を得がたい代わりのように、単純な打撃が驚異になりやすいのだ。もっとも、大概の悪魔は金属をねじ曲げ、へし折る膂力を持っているので、強かろうが弱かろうが人間には関係ない領域なのだが。

 それを受けたはずのベルゴが、叫べる程にピンピンしている。目の前の小娘がなにかしたかと視線を落とすが、怯えと絶望の顔色に驚愕が追加されているだけだった。


「貴様、何なのだ……姿を見せろ!」

「いやだよ、だって絶対また殴るもん! もー絶対出てかない、ここにいる! 暴力反対!」

「何をしに来たんだ、貴様は……」


 わざわざ出てきてしたことと言えば、囁くのみ。そういえば、なんと言っていたかと記憶を探り、自罰の悪魔が疑問を投げる。


「先の問、どういう意味だ。」

「だっていま、シラちゃんが自分を責める必要無かったじゃん。そんな状態で石になっても、諦めとか恐怖とか……そんな石像。君としてはどうなのかなぁって。」

「どっちの味方なんですか……!」

「強い方!」


 身も蓋もない。何とか起き上がらねばと身を捩る彼女だが、その大きな耳がふと、音を聞いて止まる。


「……だから、名持ちの魔人かなぁ、って?」

「【統制(コマンド)……消失(ロスト)】!」

「何!?」


 影の鎖に縛り上げられた悪魔が、魔力抵抗を失って不安定になる。揺らぎ、揺らめくその身体は数秒で戻るだろう。だが、それだけあれば十分過ぎた。


「素敵なショーだったよ、岩人形。おかげで少し早く動けるようになった。」

「絶望……この娘の感情か!」

「【切望絶断(エルピスコーノ)】!」


 核まで切り裂いた魔力体は、その形を失い霧散する。その濃密な魔力を浴び、みるみると傷の癒えたアルスィアが恍惚と息を吐く。


「演出がいまいちだったかな、あんまり取れなかったけど……悪魔を貰うのも慣れてきたね。」

「お疲れ様〜。」

「いつまで隠れてるつもりだい?」

「いやぁ、だって……終わってそうにないし?」

「霧散までしといて? 」


 振り返ったアルスィアが墓地の影を探るが、悪魔の影は無い。悪魔が死んだとして、その爪痕は癒えること無いので、石像が並んでいるのは違和感にはなりはしない。

 ベルゴは何を見つけたのかと鼻を鳴らせば、シラルーナの耳がピクりと動く。


「下です!」

「そういう事か……!」


 空へ跳ぼうとしたアルスィアの足下が、巨大な手となり包み込む。妖刀を振るおうとした彼の右腕が、巨大な腕から飛び出した悪魔に掴まれ、宝石へと転じた。

 取り落とした妖刀が岩を切り裂く事は無く、あっという間に握りつぶされる。脱出した悪魔が空で拳を握り、更に魔法を重ねる。


「【捕らえる岩(ハイレイン・ペトラー)】!」


 幾つもの腕がせり出し、握り潰す。何層にも重なった手が、圧壊するほどに。

 それを見届けると、悪魔はシラルーナへと向き直る。慌てて扇を展開した彼女だが、爆ぜた足元の土に吹き飛ばされ、悪魔の前に転がった。


「なんで……いき、て……」

「危ないところだったが……憑代とは器であり身体だ。だが悪魔の心臓は核に近い性質を持つ。即ち、核を二つ保有する悪魔の誕生だ。魔力さえあれば記憶も力も保ち、すぐに蘇る。そして、ここは我が領域。自罰的感情は非常に多い!」

「そん、な……」


 憑代と悪魔の同時撃破か、魔力の枯渇。それを狙うことなど、並大抵の事ではない。周囲の魔力が無くなるまで悪魔を撃破し続けようにも、この場にある石像を全て排するか、回復するより早く撃破を続けるか……人間にできる事では無い。


「勝てないという事を理解して貰えたのなら、無駄な足掻きは……止めるといい!」


 手が伸ばされていた扇を蹴り飛ばし、翡翠色のそれが回転して暗闇の中へ消えていく。


「貴様がこんな所に来なければ、こんな目に合わずにすんだろうに……貴様は、ここを知っていたのではないのか? お前だけが! 止められただろう。」

「いやぁ、行くって言ったの俺っち……」

「貴様は黙れ。」


 瓦礫の群れが花を閉じるように集まり、ベルゴの声が途絶える。ジクリと心の痛む感覚にシラルーナが顔を歪めれば、目の前の悪魔は満足そうに微笑んだ。


「そうだ、貴様なら止められた。この街が昼間に騒がしかったが……あれで怪我人が出ていたな。食いあぶれた乳飲み子もいたか。あれも貴様が起こした騒ぎだろう?」

「私は、そんなつもりじゃ……」

「現実を見ろ。貴様が行った事は何人かの明日を無くしたのだ。それに、貴様は……七年前になるか、ここから親を置いて逃げ出した、あの娘だろう?」

「っ……!」


 聞きたくない、そう体現されたかのように伏せ、曲がった耳が髪に埋もれ、流れる血に濡れる。引き結んだ口と見開いた目を逃がさないように、髪を掴み取り顔を寄せ、岩の擦れる音と共に口を開く。


「貴様がいなければ、獣人の男はここから逃げ出せただろうな。貴様がいなければ、人間の女は北の地で生きていただろうな。貴様さえいなければ、死なずに済んだものが、傷つかずに済んだものがいたろう……その身が、何を運んでくるのか。自覚が無いわけではなかろう?」

「それでも……それでも、私は、生きて……」

「誰も貴様を責めやしない、だが罪が無いと言えるのか? 貴様だ、貴様が運んで来た崩壊が、今! 目の前にあるだろう!」


 釣り上げられ、引き抜かれた毛髪の痛みが目を閉じさせる。次に開けた時には、目の前に広がるのは墓所。圧壊した岩の掌、閉じられた岩の蕾、逃げ惑う姿で固まった石の像達。

 この最悪の奇跡の数々が、シラルーナがここに来なければ起こらなかったと、そう囁く悪魔の言葉は、重く、深く、のしかかる。自分なら、回避させることが出来たものが、この中にある。それだけで、彼女は悪魔にとって上質な贄に仕上がった。


「それでいい……【地縛罪業(ケイマロティア)】。」


 呟いた悪魔の腕が、僅かに輝きを持つ。その瞬間、握られてる髪の毛から石化していく。自分の身が侵食し、塗り替えられていく感覚は毛髪越しでも耐え難いもので、痛みなど二の次とばかりに暴れる。

 四肢を振り回す彼女の腕が、悪魔の腕を叩いた。その一瞬で柔らかな肌は無機質な鉱物へと姿を変える。ひきつるような感覚、確かに感じる冷たさ、だが異物ではなく我が身……月明かりに透ける濃い緑の石から、僅かに骨が見えた。


「ひっ……!」

「ほう、宝石へと転じるか。悪魔でも無いのに珍しい。」


 髪から手を離し、その場へと少女を落とした悪魔が足を踏み抜いた。ゴキリ、と嫌な音が響くが、感覚が帰ってこない。それがかえって恐ろしい。

 ゆっくりと視線を向ければ、血肉で赤くなったのだろうブーツの傷から、人体とは思えない煌めきが除いていた。


「やはり、末端でも肉体はそうなるか。悪魔と縁でもあるのか……或いは貴様も魔人か?」


 声というにはあまりに酷い悲鳴を聞き流し、自罰は暫し思考する。余所者のモノだろうと、別に構いはしない。だが、手を出せば不味い相手というのもいる。まして、今宵は風がうるさい。

 土の特性を持つ自罰の悪魔にとって、風の特性は天敵だ。アルスィアも目の前の少女も使うそれ、近くに風の悪魔がいるのではと勘ぐったのだ。


「少し調べる必要が」

「【蛮勇なる(バーブレス)……(スキアー)】!」

「なっ!?」


 半身を消し飛ばされたその魔法は、魔力を膨大に持っていく。こんな事ができる魔法を持っているのは……


「いつの間に抜け出した……絶望!」

「この闇夜で僕を捕えられる訳無いだろう。削ぎ落とした腕が戻るのを待ってただけだよ。それより……随分と惨めじゃないか。無様に這うことしか出来ないのかい?」


 下卑た笑み、ソルが嗜虐と呼んでいた面が出ている。言葉を返す気力も無く、浅く呼吸を繰り返すシラルーナをつまらなそうに見下ろして、悪魔に向き直った。絶望感も枯れ果て、嗜虐心も満たせなかったらしい。

 ついでとばかりに土まみれになった扇を放って寄越し、自身は影より妖刀を切り出した。


「せいぜい死なないように、自衛くらいしてなよ。必死こいて約立たずの脳みそに酸素でも送りながらさ。」

「それより貴様の心配をしたらどうだ。傷は癒えても流れ落ちたものが戻る訳では無いだろう?」

「君の庭弄りのおかげで、魔力には困らないけどね。君と違ってコスパは良いんだ……よ!」


 風を切って振るわれた刀から、不可視の歪みが放たれる。高速で悪魔に着弾したそれは、当たりを切り刻みながら旋回、拡大して収縮していく。

 土を、岩を、全てを巻き込んでいく竜巻は、石像も幾つか巻き添えにした。腕を重ねて防いでいた自罰が、足元に転がってきた己のコレクションを見てアルスィアを睨みつけた。


「貴様がその気なら良いだろう、意地でも潰し殺してやる。」

「出来るならやってみればいいさ、君ごときに捕まえられたらね。」


 影に溶けた絶望が瞬時に後ろへ表れ、残った片翼を落とすまで、瞬きの一つも必要なかった。

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