第44話
影に溶けたアルスィアと、空へと消えたソル。自由な魔人達に落胆しつつ、ベルゴが背筋を伸ばして大袈裟に敬礼する。
「よぉし、少女諸君! 正直、怪我させちゃうとお兄さん後が怖いので待機でいいですか!」
「調べ物はどうするんですか。」
「いやぁ、だってさぁ……話の限り、悪魔と件の男は一緒に居そうだし。ドンパチ始まってからのが安全じゃない?」
「アルスが喧嘩始めても、多分、分かんないよ?」
「あ〜……うん、そだね。」
幼子に論破され、途端に項垂れる。本気でこの言い訳で通すつもりだったらしい。
「ベルゴさんが知りたいって来たんじゃないですか、サボらないで行きますよ。」
「あれぇ、なんかシラちゃん冷たい……」
「なにか?」
「いえ、なんでも……」
少し詰めすぎたかな、と内心で反省をしつつ先に行く彼女を追いかける。手練の魔術師とはいえ、彼女は温厚で甘い。半獣人の身体でも、発育不良な身では接近されれば抵抗も出来ない。
ウーリと呼ばれた男は、油断を許さない気迫があった。死というものを渇望するような、渇いた飢えを持っていた。無事とは言えないだろうし、リツを守れない。
二人のうち、どちらかでも怪我をすれば……ケントロンでマモンと争っていた魔人の力を思えば、歓迎しかねる展開だ。
「いざとなれば、【色欲】も切る必要があるかなぁ……あんまり多くないのに。」
アルスィアには、抵抗の確認がてら自己紹介で使ったが。簡単な暗示でも違和感を覚えるなら、きっと無意味だ。
ソルは確認するまでもない。憑依体越しとはいえ、本人の【色欲】が効かないなら無意味だ。
「おじさん、置いてくよ?」
「えぇ? お兄さん、そんな歳に見える?」
「うん。」
「子供って素直ねぇ……はいはい、今行きますよっと。」
障害が三つもあるなんて想定外。帰りたいなぁとボヤくベルゴを後ろに、シラルーナは路地をスイスイと進んでいく。暗くなった道だが、彼女には関係ないようだ。というより……
「ねぇシラちゃん、目的地知ってるね?」
「答える必要がありますか?」
「お兄さんは色々話したのになぁ……答えて貰えないと、ソル君から引き離さざるを得ないかな。」
「なんでベルゴさんが、そんな事を決めるんです?」
語気が強まったのに言った後で気づいたらしく、申し訳なさそうな顔を覗かせた彼女に、ベルゴが人差し指を突きつけた。鼻頭を抑えられ、たじろいだ彼女の目を覗き込み、緑髪の男が紅い瞳を揺らす。
「それだよ、まさにそれ。申し訳ないなぁ、悲しいなぁ、ってのも。恨み辛みも。全部、悪魔の好物だ。探してるのは復讐、だけど魔界に近づく以上、悪魔との遭遇率が高まるのは想像に難くないだろう?」
「それは……」
「ま、君がちゃんと気持ちに整理を付けるなら、言うことは無いんだけど。ソル君にくらい話しといたら? 少し滞在が増えるくらい、気にしないでしょ。」
顔に突きつけた手で背中を叩き、ヒラッと振って下げながらベルゴが前に出る。目的地をなんとなく察したからだ。
街の裏手に出るほど奥に行けば、一切の明かりは排されて暗闇が広がっている。三日月の僅かな明かりが照らすのは……不気味な石像群である。淀んだ空気を湛えたその空間は、この街の墓地も兼ねている陰鬱な場所。そこで一人の男が座り込んでいた。
「一日が終わるまで待てないのか……流石に来客が多いんじゃないか?」
「まぁ良いじゃない、お茶儲けを用意してる訳じゃないんだし。」
「そう言う訳にもいかない、此方にも歓待の準備というものがある。」
立ち上がった男の目は、紅く揺れている。ナイフを翳して此方を睨む彼は、既に話をする雰囲気では無い。
「穏やかな歓待が望みたいかなぁ。」
「人の命を狙っておいて良く言えたものだ。」
「えぇ? あ〜……彼かな。」
「そうでしょうね。」
「アルスがごめんね……」
おそらく、五感を切って拉致しようとしたのだろう。その場にいた悪魔と、きっと何処かで交戦中だ。もしかすると、既に故郷に引きこもっているかもしれない。
「信じてもらえるか分からないけど、俺たちって平和主義者なんだ。ナイフ、下ろしてくれない?」
「出ていけ、と忠告したはずだ……そこの君なら分かるだろう?」
ウーリの視線が向くのは灰色の頭巾を被る少女である。俯く彼女の反応を見れば、その言葉は的外れでは無いことが分かる。
「この街は、老人がいない。それまで生きられないと言うのもあるのだが……死んで心を失う前に、死の近い者は罪の記憶と共に石となる。不変の形、過去と歴史を刻む鉱物と共にな。だが人は足りなくてな、余所者はちょうど良い人柱になる。」
「それなら尚更、逃がしちゃダメでしょ?」
「……憑代とやらにされる程度には、罪悪感が募る男でな。今際の際の約束ぐらい、守ってやりたいんだ。この街では、その子に手は出したくない。その子の両親に、覚悟に敬意を示す、俺の唯一の方法だ。」
だから、と続けるのが先の言葉なのだろう。逃げてくれ、というのは彼個人の偽りない本心、心配と言うことか……というか。
「知り合い?」
「いえ、私は知りません……」
「だろうな、あの頃の君は幼かったし、俺は数いる実行者の一人に過ぎなかった。」
過去を思い出しているのか、少し目を細めて虚空を眺める彼は、心ここにあらずといった様子だ。捕らえてみようかと少し腰を下げて、飛び出そうとしたベルゴにナイフが飛んだ。
「止めておけ、お前は別にどうとも思ってない。」
「ねぇ、俺の扱い酷すぎない、この街?」
両手を上げて無抵抗の意思を示すベルゴの足下から、投げられたナイフが彼へ戻って行く。この暗闇の中では見ることは出来ないが、ほんの僅かな振動音と風切り音に、二人が正体を推測する。
「糸、かな?」
「その技法……帝国の人ですか?」
「生まれだけだがな。メガーロにはもう、俺の縁も所縁も残ってない。」
「俺の看破はスルーなのね、はいそーですかぁ……」
もういいや、と彼が座り込んだ時だった。街の方から極光があふれ、一瞬だが昼中のように辺りを照らした。
「墓守様……!」
「おっと、『止まれ』。」
「ぐっ、貴様も悪魔憑きか!」
数秒は停止したものの、擬似的な魔人でもある憑代には、魔力を操る力があるのだろう。すぐに呪縛を振り切り、走り出そうとするが……
「モナクスタロぉ!」
「誰が光なんて焚いたのさ! 逃がすわけないだろ、自罰! 【蛮勇なる影】!」
長大な刀を叩き付ければ、地面を荒れ狂う波が這い寄る。悪魔を狙う一撃は周囲も巻き込み、ウーリの進行を妨げる。
この暗闇で影の魔法は、制約はほとんど無い。悪魔は殺す、契約者は捉えるとなると、感情を切り離す魔法を重ねているのだろう。ベルゴやシラルーナも巻き込まれているのはわざとだろうか。
「リツちゃんもいるのに……! 「光球」!」
扇を広げ、羽を一枚展開して振るった彼女の前に、発光体が出現して影を払う。その後ろに隠れていたベルゴとリツが、周りを削り取っていった魔法の跡に背筋を冷やした。
「アルスの喧嘩、初めて見た……」
「危ないから下がってて、私が守るから。」
「やったぁ、かっこいい! シラちゃん頼もしー!」
「ベルゴさんはあの男性を捕まえてください、すぐに。」
「え、死ねと?」
「聞きたいんでしょ!」
「まぁ、ねぇ……命あっての物種だし?」
「もういいです、リツちゃんを頼みます。」
悪魔を制圧せねば、ソルの元へ言ってしまいそうだ。アルスィアは潜み、迫り、必殺を切り込むスタイルだ。逃がさないという手段はあまり持ってない。
今この場にとどまっているのは、憑代となっている契約者を守るためだろう。憑代と呼ばれるからには、彼の悪魔の存在維持に貢献している筈だから。
「自罰、まだかかるか?」
「何度も言わせるな、接触の必要がある。それさえ満たせばすぐに終わる。」
「なら、微力だが協力しよう。そう簡単に死にはしないが?」
「余計なことをするな、邪魔だ。貴様はこの庭園を守りつつ、生きていればいい。【蛮勇なる岩】!」
隆起する地震とでも言おうか、次々と生まれ迫り来る小さな断崖の波に、アルスィアは限界まで引き伸ばした妖刀を振るう。悪魔ごと切り裂かんという横凪の一撃だったが、空へと飛び上がった悪魔には届いていなかった。
三日月を背後に飛ぶその姿が、シラルーナの光球に照らされて顕になる。日本の角は無機質でザラつき、赤い瞳を取り囲む顔は厳つく硬い。人に岩を貼り付けたような全身と分厚く鎧のような翼だが、確かにその重そう石像は飛んでいた。
「これが自罰かぁ……当たったら痛そうだねぇ。」
「そんなもんで済むと思う? リツ、隠れてて。これだけ暗い夜なら、一回出られた以上【故郷に還る影】に拘る必要も無いからさ。」
「うん、分かった。」
「え、俺も」
「断る。」「ヤダ。」「協力してください。」
アルスィアに駆け寄った少女が、外套の中の影に溶ける。質量が消えるの訳では無いのか、存在しない左腕があるはずの空間が、僅かに膨らんだ。
「邪魔じゃない?」
「それに君、入ろうとしたけどね。問題ないよ、人間だって好き好んで重い衣服を身につけることがあるじゃないか。故郷にいる間は、影の隙間に入り込む性質が肉体にも適応される、僕の動きには支障ないさ。」
「ごめん、何言ってるか分かんない。」
「なら僕への報酬のことだけ考えてなよ!」
飛び込んだアルスィアが爆風と共に空へ舞う。光球を消したシラルーナが、援護するように真空の矢を追従させた。
「うわ、真っ暗!」
ベルゴが騒ぐ横で、ウーリがナイフで魔術を迎撃する。片目を閉じていた彼には、半分の視界とはいえ暗闇に瞬時に順応したのだろう。狙いは正確だった。
阻害を受けることなくアルスィアを迎えた悪魔は、岩壁を出現させて視界を塞ぐと、複数の岩石を生成して落とす。予測は着いていたのか、魔力の消費に構わず、広範囲を巻き込む【蛮勇なる風】で削り飛ばし、アルスィアが妖刀を振るった。
「【切望絶断】!」
「複数の特性とは厄介な。よりによって風だと……!」
幾ら強固な身体であろうとも、アルスィアの魔法には無意味。空中で吹き飛ばそうにも、風の特性の方が自由が効く。
「致し方ないか!」
切り捨てられる覚悟で長大な翼を打ち付け、二人して地上へ落ちていく。片翼となった悪魔が不服そうに睨み、腹の内蔵を潰されたアルスィアが吐血した。