第41話
街の門が見えるか見えないか。遮蔽物も無い場所で、身を隠すことはできない。アルスィアが一人で座っている場所に、ソルが飛んできた。
「なんでお前一人なんだよ。」
「さぁね、どう思う?」
「まさか街に……」
「あ〜もう、悪かったよ。ここにいる。あんまりにもトロトロ走るものだから、故郷に招待しただけさ。」
「あぁ、あの魔法か。器用だよな、お前。」
「どうでもいいよ。君もそうするかい? 身を隠すには便利だよ?」
「何人も無理だろ、そろそろ限界の筈だ。」
「残念、それなら場所を移そうか?」
立ち上がろうとしたアルスィアの前で、ソルが瞳を紅く染めて手を握る。凄まじい音と小さな揺れと共に地面が陥没し、僅かな水分が湯気となって立ち上る鉱物の塊がゴツンと落ちる。
「え、何それ。」
「この辺だとアルミとか石英とかじゃねぇの? 砂漠も近いしな。」
「いや、そこじゃないよ。何でそんな出力……いや、もう良いや。何も聞かない。どうせ僕には意味の無いものだし。」
諦めたように首を振ったアルスィアが、外套を開いて影の世界を開く。ソルが握り潰した穴へ放り出された三人が、悲鳴を上げて穴へ落ちた。
「もう、アルス! 乱暴!」
「なんで俺ちゃん、毎度クッションになってんのさ……?」
「ごめんなさい、ベルゴさん。大丈夫ですか?」
「いーじゃん、私達はミニマムなんでしょー!」
「謝ったじゃん……もうヤダ、女の子こわい……」
情けない声を出す彼に、アルスィアが追い討ちをかけるように踏み台にして飛び降りる。流石に心配するシラルーナの横に、ソルは空から降りてくる。
「大丈夫だったか?」
「気分は最悪でしたけど……なにかされるようなことは無かったです。」
「ずっとしてたよ? 怪我の有無とか、持ち物のチェックとか。あの世界、ソル君の戦陣よりも感知力に長けてそうだねぇ。」
「なぁんで、お前にそれが分かんだよ。」
「勘?」
適当な事を宣う彼に、アルスィアが睨みつけながら宝石を放り投げる。幾つか足りない気がするのは、回収してやった駄賃ということなのだろうか。
「それで? こんな目に合わせてくれた説明は?」
「子供の前で話す事じゃないでしょ、君も望まないんじゃない?」
「……はぁ。リツ、少し戻ってて貰える?」
「えー? 私も聞く!」
「君には早いよ。」
「また子供扱い?」
膨れている彼女が、アルスィアを下から見上げる。その姿は子供以外の何者でも無いのだが、彼女は不満らしい。
「私と一緒じゃ、いや? またお話しよう?」
「させると思うかい? 君にも聞きたいことはある。」
親切心からなのだろうが、シラルーナのその提案はアルスィアには逃げる方便に聞こえたらしい。冷ややかな目を向ける彼に、毛が逆立っているシラルーナ。少し爪が食いこんだのか、少女が身をよじる。
「今じゃなくていいだろ、どうせ聞きたいのは俺とベルゴが探してる情報だろ?」
「まぁね、君が丸め込まれるなんて、その塔って何かと思ってね。あとは彼女の行動かな? この街とかあの契約者について、随分と過剰反応するじゃないか。」
「アルスィア。」
「分かったよ、後でいい。」
視線を遮るようにシラルーナの前に出たソルが、双眸を紅くして睨むと彼も諦める。ここで折れても結果は変わらない、少し待つことになっても構わない。
何かあった時の為に二人を影の世界へ包み込み、二人を向き直る。これで人質を取った形なのだが、ソルは気にしていないようだ。アルスィアが裏切ることは考えていないらしい。それとも、何かする前に殺せるという自信だろうか。
「さて、お気楽さん達は何を求めてるんだい?」
「お前も聞いたら協力したくなるもんだよ。魔術が生まれ、育った地。全ての魔術と魔界の知識を書き記した書物庫で……俺が、人として育った家だよ。」
「へぇ……? 詳しく聞きたいね。」
何故か遠くまで目の通る、あまりにも暗い荒野。アルスィアが故郷と評したそこは、死の大地と形容するに相応しい。
しかし、凍えも不安もない。仄暖かい闇に包まれ、光は無いのに視界は良好。何処かフワフワとした心地にさえなる、殺風景な地には似合わぬ甘美が満ちた空間。すぐに逃げなければと叫ぶ理性と、ここに居座りたいと脱力する本能が争う世界。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「うん、まだちょっと慣れてないだけ……」
外で話している三人の内容も気にかかるが、彼女の事も気にかかる。随分とアルスィアを慕っているが、シラルーナにはそれが不思議だった。少しソルに似ているかもしれない、と思う部分はある。だが、他の部分は正反対だ。
しかし、それを聞くにははばかられた。この世界では、何時でも、すぐそこに、アルスィアがいる。現実の肉体と此方の精神体、何方も同時に存在しているのだから、この魔法を維持している難易度は想像しがたいものだ。
「なんか、お姉ちゃん達と会ってからアルスが冷たいんだ。私の事、忘れちゃったみたいにするし。」
「そんなこと無いと思うよ?」
「そーだよ、だって私、邪魔かなって思っていい子にしてたのに、結局寝るまでお話してくれないんだもん。」
「嫌いじゃないの?」
「ん……ヤだけど、それもアルスだし。どっか行っちゃいそうなら、捕まえればいいし。私、そこで大人しく待って上げるほどいい子じゃないもん。」
この子もこの子で、強かというかなんというか……人目見た時の消えてしまいそうな儚さは無く、話せば話すほどに彼女の幼さが消えていく。
一目見た時は、その体調もあり心配が勝っていたのだが……きっと、彼女は色々と知った上でアルスィアに着いてきているのだろう。他の居場所が無いというのも本当なのだろうが。
「お姉ちゃんは、アルスが怖いの?」
「ん……うん、怖いかな。」
「じゃあ、私に協力して! アルスが怖くなくなるように。多分ね、怖がりで寂しくて、不安なだけなんだよ。それで許される事じゃないんだろうな、っていうのは分かってるんだけど……いたっ。」
「誰が怖がりだって?」
少女の頭を小突いたのは、いつの間にかすぐ横に来ていたアルスィアだ。外の話は済んだのか、話しながらなのか。だが、なんとなく機嫌が良いように感じる。交渉事でも上手くいったのか。
ソルが何かを頼むとは思えない、極力一人ですまそうとするのだから。なら、相手はベルゴか。
「お話、終わったの?」
「まぁね。やらなきゃいけない事は、出来るうちにしとく事にしたよ。獣人のとこに行こうと思うけど、平気かい?」
「獣人さん達のこと、よく分からないけど……私は大丈夫だよ?」
「それなら良いよ。とりあえず、死なないでね。」
影の世界で外套を広げ、内側の「外の影」に二人を呑み込む。視界が暗転した次の瞬間には、外の世界で岩場に座っていた。目の前のアルスィアが踵を返して、ソル達から離れて寝そべった。
「じゃ、そういう訳だから。おやすみ。」
「まだ暗くなるにゃ早ぇけど。」
「暗い中で動くんだろう? なら今から寝る。君もそうすれば? 隈が酷いよ。」
「余計なお世話だ。昨晩は誰かさんのせいで快眠とは行かなかったんでな。」
「僕は君と違って、簡単に死ぬからね。睡眠中の自衛は必須だろ?」
今も寝かせる気などサラサラ無いことが露呈したが、それはそれ。いっそ襲ってやろうかとも思ったが、どうせ起きるので止めておく。寝ると言っても、目を閉じて呼吸を浅くする程度の休息だろう。
隣に転がってもう寝息を立てている少女を見下ろし、その落差に嘆息する。アルスィアを使うならこの子も着いてくるだろうが、護衛対象が増えるのは面倒だ。英雄ならきっと見捨ててはいけない、だがそれを心から思える程、ソルは英雄では無い。
「どんなお話になったんですか?」
「あぁ、魔術と人間の暮らし、あとじいちゃんが勝手に書いてた俺の観察記録の資料、興味を示してくれたよ。アラストールの討伐も考えてはいたみたいだし。」
「あれは分かりやすい脅威だからねぇ。分かりやす過ぎて、対処せざるを得ないのは、きっと原罪以外の全員だよ。」
「原罪の悪魔は違うんですか?」
アラストールの事は、あのソルが警戒する、くらいの認識しかないシラルーナの問。きっと焦土を広げるあの悪魔を知るものの総意だが、ソルの返答はシンプルだった。
「だって驚異にならないからな、猛禽類と犬のじゃれ合いで死にはしないだろ?」
「ソルくんはどれくらい?」
「イタチくらいではありたい。」
「う~ん、分かりにくい。シラちゃんは?」
「あぁ……ウサギ?」
「食べられちゃいますね。」
哺乳類であるだけマシかもしれない。アラストールの猛威を前にするなら、ほとんどの生き物は鷹を前にした羽虫に等しい。獲物ですら無い、触れれば墜ちるだけのエキストラ。少なくとも、そこまでの差は無いらしい。
だが、あくまでも逃亡と僅かな自衛が出来るかもと言う程度。逃げろと言われているのは変わらない。
「でも、良くそれで挑もうと思ったね? ソル君ってば最初から死ぬ気?」
「イタチだって、毒でも塗った武器を持ち出せば大鷲を狩ることもあんだろ?」
「秘密兵器って奴ね。どれ?」
「ここ。」
こめかみをたたいて話を切り上げたソルは、チラとアルスィアを見てから空へ行く。
「ソレ、お前の事を警戒してるみたいだし、シーナのこと頼んだ。さっきの騒ぎで悪魔が出張って無いか、ちょっと見てくるからさ。」
「返って刺激しないでよ?」
「分かってるって。魔法は使わないで、高空から軽く見渡すくらいで済ますっての。」
魔方陣を鞄から取り出し、「飛翔」を起動した魔術師が空へ行く。彼を見送った緑髪の情報屋は、力を抜くように息を吐き、紅い目をキラリと光らせた。
「それじゃ、俺はソル君みたいに待ってあげないので? お話しよっか、シラちゃん。」