第39話
タフォスの街。細長いアナトレー連合国において、東の端に位置し、大砂漠の入口の一つである街。そして、東の地に置いて掃き溜めでもある街である。
メガーロが帝国だった時代、戦争に明け暮れていたこの地に置いて、近隣の街は異様に少ない。交易や外交の薄い土地はインフラに劣り、物資に枯渇し……人々は離れていった。そんな場所へ残るのは、訳ありや移る力も無くなった溢れ者ばかり。どんな街になるか、想像に難くはない。
「そんで、そんな所なモンだから南にも北にも居場所が無くなった人が、一か八かやって来るって訳。北は狂信者や寒さ、湿度。南もエーリシを過ぎたら魔獣に獣人にと物騒だし。」
「何処も似たようなモンだろ。」
「人間には、これが結構ちがうんですよ。」
分かってないなぁ、と指を振る彼を蹴飛ばし、荷物を担ぎ直したソルが後ろへと振り向いた。
「で、結局来るのかよ。」
「どっちみち、僕の狙いはその荷物と知識だし? 西なら遠いけど、手が届く今なら見逃す気は無いよ。だから、身を隠すか、こうして後ろを歩いてるかの違いしか無いでしょ?」
「手ぇ出したら殺すからな。」
「恩の押し売りでもしておくよ、君なら精算せずにいることも無さそうだし。」
知った顔でシラルーナへと視線を流したアルスィアに、これ以上投げる言葉もないと諦める。悪魔は契約を守る、だが確約していない事にはいい加減な事を吐く。話半分に聞き流すくらいでちょうどいい。
「え〜っと……続けても?」
「何をだよ?」
「タフォスについて。どんな街かは話したけど、それで俺が怯えるような危険を感じた?」
「うん。」「えぇ。」
「いや、えっと……ソル君の護衛付きで。」
「しねぇけど。」
「してよ!?」
三人のやり取りを後ろから眺めていたアルスィアが、呆れ果てたように口を開く。
「話が進んでないよ、何が危険なのさ?」
「というか、なんでお前は女の子おんぶしてんだよ。甘やかしすぎじゃね?」
「は、な、し、を! 進めなよ。」
「はいはい、すぐに言うって、睨まないでよ。」
八つ当たりされたベルゴがカッコをつけてクルクルと回り、そのまま後ろ向きに歩きながら講釈を垂れる。
「あの街には、他には無い奇妙な風習が確認されていてね。なんと定期的な生贄文化。不思議なのはその後に」
「石像が増える……」
「ん? シラちゃん、知ってたの?」
「えっと、少しだけ。」
少し引きつったような笑みを返すシラルーナに、ベルゴが質問を重ねようとした時だった。
「自罰だね。」
「誰だっけ、ソイツ。」
「なんで君が覚えてないわけ? 奴の根城を壊したの君だよ。」
「あ〜、ん〜……」
「罪悪感を煽って、その感情を体表で鉱物として具現化させる魔法を使う奴だよ。」
「居たっけ……」
悩み続けるソルは放置し、アルスィアがベルゴへと視線を戻した。
「モナクなら驚異とは思えないけど。」
「孤独の悪魔ならね。でも、今のソルくんは人間だ、しかもそれなりには良識的。」
「それなりってなんだよ。」
「似た系統の魔法だから、対抗したり防いだりは難しいかなって思ってね。まして、治したり戻したりは無理。でも君なら……」
「そうだね、感情や記憶を切り捨てれば良い。治る保証はしないけどね。」
消火活動のようなものだ。火を消すのに燃料も炎も意味は無いが、水や砂ならば重宝する。アルスィアが自罰にとっては、消火剤になる。
「という訳で、お守りよろしく!」
「廃人になりたいの?」
「そこは器用に、罪悪感だけとか、そう感じちゃってる記憶だけとかさ。」
「戻らないかもよ。根源から断つなら、切傷を入れるのとは訳が違う。」
「命と人徳なら、命じゃない?」
なら行くなよ、と口に出しかけてその言葉を飲み込む。自分が必要である要件の方が、彼にとっては都合が良い。勝手に相手が、こちらの手札を増やしてくれるのだから。
何がソルとベルゴをそこまで駆り立てるのか、アルスィアには理解できなかったが。
「なぁ、それって対象は生きてんのか?」
「対象って?」
「探してるやつ。」
「欲しいのは情報なんだろ?根源の感情と体表の鉱物さえ切り落とせば、生きてるさ。止血なんかは君の得意分野だろ?」
「いや、なんで拷問みたいになってるのさ。普通に生活してるよ、だって生贄にはなりそうも無いからね。」
「なんで。」
「事実上の統治者だから。」
そんな立場の人間と、何故会えると確信しているのか。彼の経歴に興味が出てきたソルの視線に、ベルゴは強引に話を逸らす。
「そ〜いえば、アルスィア君だっけ? こんな所で何してたの?」
「別に。何処かの誰かさんに邪魔されて、ケントロンじゃ大損だったからね。黒衣の奴らに協力でも貰うかと思って訪ねたら、襲われたから斬ってきただけだよ。」
「おい、まさか俺の事に恐怖が来たのって……」
「君もアレらには狙われてるだろ? 第一、連れてきたのは僕じゃ無くてその後ろをコソコソしてた奴なんだから、恨まれる筋合いは無いよ。僕の行先に君が居たのが悪い。」
「お前、南に用は無いだろ。」
「北にも無いよ、寒いのは嫌いなんだ。」
互いに睨み合う二人だが、魔力の昂りは無い。口喧嘩で済むうちは良いか、とベルゴは目的を果たして前へと向き直った。
「その、ベルゴさん。その街にはどれくらい居るんでしょうか……」
「ん? そうだなぁ……忍び込んでお話してくるだけだから、一晩もあれば?」
「いや、知り合いじゃねぇのかよ。」
「別に人間がどれだけ来ようと問題無いでしょ。」
「え? 人間というより悪魔憑きだよ?」
何を当然な事を、という顔で振り返ったベルゴに、呆れ果てた顔のソルが結晶を投げつけた。
「先に言えよアホ。」
「契約したのは何なのさ。」
「偽善の悪魔……痛い……」
「うっわ……最悪。」
アルスィアが存在しない右腕を思ったのか、顔を歪ませる。だが、聞きたいのはそこでは無い。
「悪魔憑きってことは、魔法が残ってるんだろ? 偽善の奴はケントロンに居たんだし。」
「僕が殺したけどね。あれの魔法なんて、考えるまでも無く想像が着くよ。ろくでもないってね。」
「そこまでは知らないけどさぁ、でも強そうだなって。アゴレメノスの幹部格らしいもの。」
「もうお前、脳みそ揺すって全部の記憶ぶち撒けてやろうか?」
「なんで!?」
ポロポロと情報が漏れてくるベルゴが、どこまで隠しているのか。意図的で無いにせよ、腹立たしいものは腹立たしい。
「まぁ、そういう訳だから長居はしないよ。シラちゃん、何かやりたい事でもあった?」
「いえ、少し気になっただけなので。復讐の悪魔……でしたっけ。それも、急いだ方が良いんじゃないかって思ったので。」
「アイツはすっトロいし、多少なら問題無いよ。」
「君が規格外に速いだけだけどね。」
力場の特性。翼で風を掴むより、余程速い。多くの悪魔はこれを併用するが、強すぎる特性は他の特性の弱さでもある。ましてや、アラストールは飛ぶのが苦手だ。
力場の悪魔は、その魔力を存分に移動に費やせる。羽ばたく翼を持たず、飾りのようなそれで悠々と高みへと飛んでいく。とは言っても、二柱しか確認されていない悪魔だが。
「まぁ、夜まで待ってサクッと訪問して聞くこと聞いて。それでスタコラ! が理想かな。」
「街の中で待つのかい?」
悪魔憑き、魔人、子供、魔人、半獣人。アルスィアの目が捉える者は、とても人の街に立ち入れるメンツでは無い。外の方が気楽だ。
「大丈夫だよ、もっと酷いの居るから。」
「何が?」
「部族を追われたヤバい獣人とか、アゴレメノス教団の人とか、国家転覆罪を問われて逃げおおせた人とか、ケントロン王に面と向かって罵倒した人とか……」
「だから何が?」
大丈夫の基準が何一つ伝わらない。正確に言えば、懸念を別の懸念で塗りつぶされた。塗料塗れの壁に塗料をぶち撒けて、ほら綺麗! と言われた気分だ。
「モナク、君こんなのに付きまとわれてるの?」
「毎日では無いけどな。」
「初めて君に同情するかもしれないよ、僕は。」
「アンガトよ……」「え、なんで?」
心外だ、と言わんばかりのベルゴだが、誰もフォローを入れてくれない。つまり、そういう事である。
「ま、とりあえず中に入ってから考えようよ。甘味あるかなぁ。」
「言っとくけど買わねぇからな。つか、ここの街ってテオリューシアの硬貨使えんのか?」
「無理だと思いますよ、メガーロの周辺は独自の流通があるので……物々交換じゃないですか?」
「お、お兄さんの得意分野だね!」
「まだ宝石持ち歩いてたのか、お前。」
ジャラジャラと音が鳴る袋の中身は、むしろ一年前よりも増えている気がする。中から放り出された大粒の煌めきに、ついアルスィアの視線が流れる。
「……報酬、上乗せしよっか?」
「いや、いいよ。施しを受けるほど落ちぶれてない。」
サッと視線を逸らして、遠くに見え始めた腐りかけの門を見るアルスィアが、片腕で背負うリツを前に抱き直した。
さっきから目が覚めないが、アルスィアが夢に捕らえているのだろうか? それとも、既に体力が無いのか。魔術師の二人には、悪魔の魔法の痕跡が見えているために、余計に分からなかった。
「貴方は良くても、その子はどうでしょうね。」
「なにさ、君ごときが僕に指図するつもりかい?」
「ソイツが死んで困るのはお前だろ、いちいちシーナを脅すなよ。」
「敵意には敵意で応えてるだけだよ。君も似たようなものだろ? モナク。」
鼻で笑う彼に、一緒にするなと無言で睨みつけ、ソルも街へと視線を向ける。死臭と腐臭の漂う街は、怒気や殺気よりも諦観や絶望に満ち溢れている。
「こりゃ……悪魔が住むわけだ。」
「ふぅん? 悪くない場所だね、やっぱり自罰の奴とは気が合うかも。」
「お前は大概の奴と合うだろ。で? 入るのか、ベルゴ。」
「あれ? 初めて呼んでくれたような……? まぁいっか。とりあえずご飯にしようよ。あんまり味には期待できそうに無いけど、さ。」
存在意義の怪しい門を踏み越えて、五人は最果ての街へと足を踏み入れた。