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結晶の魔術師  作者: 古口 宗
第3章 結晶と断絶
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第35話

 そこは暗かった。リツは闇の中を、腕から逃げ続ける。

 恐怖は感覚を麻痺させて、ここに至る全てを否定させる。怖い、恐い、こわい。何が怖いのかも、もう分からない。


「お父さん、お母さん……!」


 幼いながらも、もう会えないのは理解している。それでも、求めてしまうのが、親という存在なのだ。

 やがて、更に濃くなった影が。恐怖の腕も、リツ本人も覆い隠す。何処か温かく、そして恐ろしい程に冷たい影が。


「いやっ……!」


 全てを諦めてしまえと、それは囁く。怯えるリツを、優しく、妖しく、誘う。恐怖が終わる時。そこにあったのは絶望だ。

 肉体と本能は未来の死に怯え、しかし心は今が恐ろしい。持たない。狂おしいほどに締め付けてくる幻影は、容赦や情けとは無縁で。


「わた、しは……」


 何故、生きているのだろう。何をする為に? 生きる意味は……何処なんだろう。もう、友達も親もいない。全て、悪魔に呑まれていった。国も、家も、人も……残らずに。

 彼女の思考では、己の存在を赦してもらう為の、微かな希望を探っていた。何でも良い、訳の分からないこの焦燥に、抗う意思を。


「死にたく……ない……!」


 恐怖はそれを否定する。生きる為の意思を、真っ向から折りにくる。

 少し意識を失っている間に、全てが無くなっていた。何一つ出来ない自分が、何故生き残ってしまったのか。何も、無いのだ。何か出来る事を、成せる事を。

 ただ、笑えるだけの日々を、ずっと過ごしたい。その気持ちだけでは、出来る事は無い。無駄なのだ、生きるだけ。


「どう……して……」


 闇は彼女を覆い、仄暗い温かさで包む。このまま、楽になれと。

 浮かび上がった白い腕に、そっと手を伸ばす。恐ろしく、おぞましい、引き延ばした胎児の様な手に。


「……【切望絶断(エルピスコーノ)】!」


 突如として、より暗く、より黒く、より深い闇が。影を裂いて目の前に道を作る。

 それは、辺りを見回して。立ち上ぼる腕の林を睨む。


「ア、ルス。」

「ふぅ……あの程度の小物に、そんなに怯えなくても。」


 街を覆う火を生み出した悪魔を、あの程度と言いきり。アルスィアはその妖刀を身の丈どころか、建物よりも高く伸ばす。それは、彼の重み。暗く深い、過去の影だ。


「君の隣には、僕がいるんだよ?」


 一薙ぎで、その全てを斬る。人の記憶に寄生した残滓など、彼の前には霞の様な物だ。


「……なんで、来てくれたの?」

「来ない理由も無いでしょ?」

「でも……私が生きていても……何も。私を助ける意味なんて……」

「……? らしく無いなぁ。それってそんなに重要かい?」


 周囲を【鎖となる影】で縛りつけ、アルスィアはリツと向き直る。真正面から見つめる目は、不安に揺れて朧気だ。間に合った、とは言い難いらしい。


「……ねぇ、リツ。僕は生きるのが下手でね、自分に嘘をついて、溺れて、誰かの何かを叶える様に生きてきた。」

「アルス……?」


 しっかりと肩を捕まえて、少し卑怯とは思いつつも、彼女に自分を刻み付けるように。しっかりと、声をかけていく。


「もし、そんな生き方でも良いのなら。僕の生き方を拒絶しないなら。

 僕が君に理由を与える。何時でも、何度でも。」


 鎖を引き裂いた腕が、二人へと殺到し。アルスィアはリツから目を逸らして、妖刀を一閃する。

 恐怖の波を引き裂いて、影は道を象る。生きる為の道を。妖刀をしまい、振り返る彼は、たった一本の左腕を伸ばす。


「ねぇ、リツ? それでも良いなら、僕と来るかい?」


 差し伸べられた手は、今度は温かく。頼もしく、誇らしい、血の通った命の腕。


「……うん!」


 少し滲む視界で、まっすぐにそれを見つめて。

 悲しそうな、消えてしまいそうな、彼を離さない様に。寂しく見えたその姿を、少しでも支える様に……そして、頼もしい大きな背中に、少しでも触れていたくて。

 彼女は心から、その手を握り返した。影の様な彼を、際立たせる光である為に。




 目を覚ましたのは、アルスィアが先だった。強引に割り込んだとは言え、主導権も渡り方も持っている。当然と言えば当然だ。


「ふぅ、疲れた。まさか、あそこまでガードが固いとは。」


 斬り込んだ代償の様に、左腕に黒い痣が広がっている。少し痺れるような痛み、暫くは抜けないだろう。治るにしても、数週間はかかりそうだ。


「ここまでするなんて……らしくないのは、どっちだか。」


 自嘲気味に笑うと、引っ付けていた額を離し、座り込む。石畳に倒れていたせいで、体が痛い。


「リツが起きたら……リツ? 起きてるね?」

「ひゃい! 今起きました!」

「なんで敬語……?」


 少し顔を赤らめた彼女を見て、子供には刺激が強かったか、と自分の肉体を思う。整った顔が触れる位置にあれば、仕方ない。まぁ、ここで弄り倒すのも一興だが、今はそれよりも離れなくては。メガーロ中央都市の軍もだが、彼が警戒するのは、別の存在だ。


「ア、アルス。あの悪魔は……?」

「ん? あぁ、あれね……ほっとけば?」

「え?」

「だって、僕の出る幕ないし。結構疲れたから、休みたいしね。」


 疑問を顔に出す彼女を急かし、彼はすぐに移動を開始する。寝起きに火に囲まれていれば、確実に逆ギレをする存在を、彼は知っているからだ。




 アルスィアの予感は、当たっている。剣以外の結晶を回収し、【加護】と【武装】を纏った魔人は、腹立ち紛れに魔法を展開する。


「【具現結晶・戦陣クリスタライズ・フィールド】!!」


 家屋を破壊しながら、辺りを覆っていく戦陣は、あっという間に空中まで広がる。


「っ!? 危ねぇ!」

「ったく、夢見も悪けりゃ寝覚めも悪い……シーナ、離脱準備。八つ当たりが終わったら南下しよう。」

「治療とかは……」

「してたら死体が増えるぞ、俺は殺したくない。」

「……はい。」


 ここはアナトレーの中でも、軍事国家に近い。規律が尊重される風土であり、半獣人や魔人は、討伐対象となる。


「くそ、ベラベラと……何モンだぁ! てめえ!」

「煩い、頭に響くだろーが。」


 戦陣で吸収した魔力をそのまま流用し、多様な【具現結晶】を次々と叩き込む。【剣となる影】と【戦々恐々】で、必死に防ぐ恐怖だが、如何せん消耗している。押し返せない。


「くそ……なんでさっきから、怯えねぇ奴らばっかり……!」

「なんで他人の為に、感情動かさないといけないんだ、かったるい。」

「あぁ!? とち狂ってんのか……待てよ、お前まさか……!」

「めちゃくちゃ失礼な思い出し方だな。」


 知らず知らずに、火に油を注ぐ悪魔に、ソルは急接近して踵落としを叩き込む。宙から地上に落とされ、結晶に触れる恐怖。

 恐怖の権化が、今もっとも恐怖している。失敗作とはいえ、名持ちの悪魔と相対しているのだから……アルスィアは日も浅く、知名度が無い。悪魔も殺した数はかなり少ない事もあり、脅威とは思われていない。


「く……【戦々恐々(アゴンロモス)】!」

「掴んで恐怖心を直接引き出す手か。近いだけでも、結構来るな……」


 感情の操作は、悪魔にとってもっとも有用な物だ。人から感情を得るも良し、余計な感情をまぜて魔力を乱し、魔法を狂わせるも良し。

 悪魔ならば恐怖という感情自体ないが、その時はどうなるのか? おそらく、訳の分からない不調が襲うのだろう。悪魔は人の生態を精巧に象られている。動悸や眩暈が起こる筈だ。


「うん、邪魔。」


 しかし、ソルの【具現結晶】は、魔力の塊。引き出す感情も何も、本体から離れているので、端から無い。勿論、不調が結晶にある筈もない。

 殴り飛ばす様に、一ヶ所に固められ。放出を受けて散る。


「強度は程々か。なぁ、強めの遠距離攻撃があれば、それって意味あるのか?」

「ば、バケモノめ……」

「否定はしない。【具現結晶(クリスタライズ)】。」


 乱発出来るソルが異様なのだが、それはさておき。【狙撃】を連射し、恐怖を追い詰めて行くソル。あまり時間をかけたく無いので、不得手ではあるが急ぎ気味だ。

 しかし、無数の手を飛ばし、剣を振り回す恐怖は倒れない。【具現結晶】の真骨頂は、戦場支配と防衛。戦場そのものがエネルギー源であり、周りのエネルギーを奪う。

 つまり、耐久なのだ。付与や魔術で補えど、悪魔を屠る一撃は【破裂】か放出くらいの物だ。


「くそ、「闇の崩壊」が取られてなけりゃな。」

「だぁ! 「火災旋風」!!」

「魔術!?」


 風は無く、強引過ぎる手立ての魔術。だが、目眩ましにはとても有効で、ソルの周囲を炎が襲う。

 グローブに仕込まれた魔方陣を繋ぎ、炎を払うソル。彼の周囲を押し出される様に、球状に炎が避ける空間が広がった。マギアレク渾身の「炎払い」は、意外に大きな範囲を払え、少し驚く。


「試せたのは良かったか……って、逃げられたか。」


 唐突で驚いたが、魔力を操れる悪魔なら、量でごり押せば魔術を使える。特性や魔方陣の有無も、数十倍の力量で覆せる。人には無理だが。

 しかし、悪魔にも魔術を使う者が出てくると……特性での相性も一辺倒では無くなる。警戒する分野が増えて、より疲れるだろう。


「あいつだけだったかな……火の特性の悪魔も、いると思ったんだけどな。」


 結晶に触れる魔力は、人間ばかり。脅威は去った、敵が消えた訳では無いが。

 火が収まり始めたことで、人が動き出している。早々に撤退せねば。


「すぐにシーナと合流しないと……あ~、数刻も休めなかったぞ、クソ。」


 結晶を回収し、シラルーナの場所を探って飛行する。幸い、軍に囲まれている事も無かった様だ。

 少し周囲が焼けている。扇を閉じて、シラルーナは深く息を吐き出した。


「シーナ。無事か?」

「ソルさん。そちらは終わったんですか?」

「逃げられたけどな。さっさと逃げよう、復興は勝手にするだろ。」


 肩をすくめるソルに、少し複雑な顔をして。シラルーナは頷いた。


「あの、ありがとうございます。」

「どうした?」

「すぐに逃げても良かったのに、撃退してくれて。」

「……別に。ただの八つ当たりだって。」


 人と言うのは、中には異なる思想を持つものもいる。アナトレーにいたシラルーナは、思うところもあったのだ。まったく助けが無いのなら、幼い少女が生きられる世界では無いのだから。

 顔を逸らし、荷物を背負い直して歩く不器用な英雄に、相棒は隣を目指して走る。


「そういえば、扇はどうだった?」

「少し練習したら、実戦でも大丈夫そうです。連続で使う時に、切り換える速度とか……初心者には難しいかも知れません。」

「まぁ、そっちは想定してないからなぁ……使えるようなら良かったよ。」


 混乱に乗じて、二人はメガーロを抜け出した。疲れは完全ではなくとも癒えている。寒さの増す気候を感じつつ、南を目指して旅を再開した。

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