第33話
最近は抑えられた嗜虐心も、無くなった訳では無く。少し意地悪を繰り返して戯れる。頬を膨らます彼女の幼さに、仄温かい物を感じ、それを掴もうと内心では必死だ。
今思うとこの少女、リツともかなり奇妙な縁である。
ショックで記憶が消えているとはいえ、己は親を奪った国の崩壊に関わり、自分と友人の感覚を斬って誘拐した犯人なのだ。罪悪感も無いわけでも無く、こうして面倒を見ているが。
本人を考えるなら、国の施設にでも預けるのが良いかもしれない。だが、アルスィアには人の感情を会得するために、触れ合う対象が必要だった。結局、誘拐である。
その割には、かなり懐かれたが。時々帰りたくないのか、と疑問にも思うが、帰す気は毛頭無いので聞いていない。
「今日はどーするの?」
「そうだね……そろそろ移動する? 南に行けば、商業都市が近いから、活気があって良いかも。」
「また、冒険? 準備してくる!」
前向きな奴だ、と半ば呆れるアルスィアを他所に。本当に楽しそうに、リツは鞄に色々と詰め始める。
それを尻目に、アルスィアも外套の影に物をしまう。肉体を得て、安定した存在。魔力もかなり回復が良く、多少なら無駄遣いが多くても問題無い。
「こんなものかな。」
「私も準備できたよ!」
「うん。なら……あー、待って。僕のお客さんだ。」
彼がそういうのは、決まって血を見る時。薄々、どういう物か察しているリツは、すぐに離れていく。
「裏の道、まっすぐ行った広場。」
「うん!」
荷物を抱えて走る彼女の先には、敵は無い。影によって索敵をしたアルスィアは、ボソリと呟いた。
「三、か。いつも通りだな。」
外套を広げて足下に影を作り、そこから妖刀を抜き放つ。光を一切排して、漆黒の影を切り取った様な、そんな一振。
それは何も無かった様に柱を通過し、軽く押してやれば滑り始める。勿論、家屋は倒壊を始める。
「散会しろ!」
「何処から出」
「報告しろ! 生きているか? ……おい?」
返答はすぐにかえってきた。ただし、言葉では無い。口が無事でも、肺と繋がっていなければ無意味だ。転がされた首と、後ろで倒れた下半身。咄嗟に武器で防御を試みるも、いとも易く通過する。痛みさえ、訪れない。濃厚な死の気配だけだ。
「あ……」
「絶望に堕ちて行きな、片道だけどね。」
瞬時に三人を殺した……訳では無く。最後の一人は、触覚と視覚のみを絶つ。
「質問に答えてくれるかな?」
「な、何が聞きたい。」
気丈に振る舞ってはいるが、呼吸は浅く、質問には答える前提の返答。既に心は折れている。
影から現れ、何処へとも無く去る。その跡に、絶望を振り撒いて。教団の中でも、それは有名だ……有名になった。本部で一部の者に追われたので、壊滅させたからだ。
「なんだって場所がバレたのさ? 僕はこれでも、隠密行動には自信があったんだけど……」
「わ、私達には悪魔の位置を、把握できる指輪が与えられている。」
「え? そんなの無かった筈……いや、見た目が同じだけで、機能付きは一部の人物か。てことは、君ってお偉いさん?」
二つに別れた男と、首を失った女性を見下ろしながら、アルスィアは溜め息を吐く。
面倒な。帰らなくても、問題になる可能性がある。まぁ、その時はその時だと、妖刀を翻す。
いとも易く、あまりに簡単に一つの幕を下ろし、彼は崩れた家屋を振り返る。人が集まって来ている。すぐに移動しなくては。
繋がっており、道になる影を探す。【路潜む影】はあくまでも、高速かつ無重力の道を作るだけで、人が通れる大きさは必要なのだ。
「無いし……目立つ格好ではあるから、普通に移動したく無いんだよね。」
とはいえ、魔法の生命線の影を手放す気はなく。外套は暑くとも、怪しくとも取らない。風だけでは、まだまだ頼りないのだ。
「ん~……まぁ、子供一人で放置もねぇ。仕方ない、行きますか。」
フードを被って角を隠し。視線を感じながら、彼は歩く事にした。
が、すぐにその認識を改める事になる。迷う必要等、無かった。降り注いだのは、火球。町全体に広がるそれは、混乱を招く。
「嘘、モナク……な訳ないか。絶対に自分から動かないし……火が苦手みたいだったし。別の悪魔……あれかな? これの護衛かな?」
どうせ適当な契約で繋ぎ止め、他の事も頼もうとしたのだろう。悪魔はそれを嫌う。望むのは欲望を、悪感情を生む隠さない願いだけだ。契約と宣ってはいるが、取引とは根底から違うのだ。
なので、こんな死に様を晒したのだろう。間違えてはいけない。悪魔とは、気まぐれな奇跡の執行者であり、万能な味方ではない。
「とにかく急いで合流しよう。この混乱なら、僕の事も記憶に残らないでしょ。」
風を纏って走るアルスィアは、あっという間に広場へとたどり着く。広がるのは、影に呑まれ、燃え盛る空き地。
木々も建物も無く、ただ広がるのは、地獄絵図。その中央で佇むのは……
「恐怖の悪魔……!」
「アァン? んだぁ、てめえは……いや待て、その魔力。お前、絶望か。」
「アルスィアだよ。」
眉を潜めながら返せば、炎を振り撒く影の悪魔は、高笑いをした。
「カハハ! 未だに小言の多い奴だ。また組むか?」
「全部持っていかれるじゃないか。断る。」
「恐怖ってのはな、鮮度があんだよ。終わったらどうなる? 絶望だ。悪い話じゃ」
「僕を悪魔と、同列に語らないでくれるかい? 別の道もある。」
「……ハッ、変わったな。自惚れんなよ、絶望に溺れたがってた溺死体が!」
恫喝、そして攻撃。並の生物ならば怯えるだろう、しかしアルスィアにそんな事を求めてはいけない。
彼の半身は、感情を殺し、密かに血を浴びるのが生業だった。そしてもう半身も、恐怖よりも深く濃い、仄温かい暗さを知っている。
「【切望絶断】。」
「ちっ、火じゃ駄目か。」
「なんだって火なんて会得したんだい?」
本来、悪魔の特性は一つだけ。生命体と違い、彼等には感情が一つしか無いからだ。他の特性は、一般的に百としてもほんの僅かなバラつきがあるのみ。大概の場合、一にさえならない。
その為の、魔人実験でもある。感情と肉体。それは、悪魔にとって足りない多様性で、進化の可能性の塊だ。
「オレの力はデカくなったんだよ、絶望。マモンやアラストールが動きだして、恐怖は世界に広まった。何処に行っても溢れてる。」
「説明になってないよ。」
「あぁ、お前は知らねぇか。魔術って技術らしい。アスモデウスによ、悪魔用に作って貰ったのさ。魔力を操れりゃ、面倒な道具も要らねぇからな!」
得意気に語る悪魔は、自分の変化を心底楽しんでいるようだ。ソルかマギアレクがいれば、あまりの効率の悪さに溜め息をつくだろう拙い技法。
しかし、それでもこの規模なのは、魔力量の膨大さを知らしめている。アルスィアにも、ぼんやりとだが理解できた。
「それで? 別の道とやらを見せてみろよ、絶望! 肉体があっても、飛べないんじゃ邪魔なだけだな!」
安定を求めての肉体は、短期間の戦闘には向かない。むしろ邪魔だ。それはアルスィアとて、非常に実感していた。だが、それで負けるとも思えない。強敵上等、喰らう餌が旨くなるだけである。
「じゃ、君が降りてきなよ、【矢となる風】!」
湾曲させる矢が、四方から恐怖を襲う。斜めでは間に合わない。後ろか、前。無論、後ろだ。
距離が開けば、それだけ隙が生まれる。影には影の、闘い方がある。暴風に乗り、恐怖に飛んだアルスィアは、外套を広げて魔法を発現させる。太古から変わらぬ、深淵の底への門を。
「呑まれろ、【故郷に還る影】。」
影。それは、離れる事なく、いつもそこにあるもの。
それを仮想世界とし、魂を閉じ込める魔法。その中では、世界そのものが影であり、アルスィアの手足である。
(とはいえ、それは相手も同じ……僕が他の悪魔に勝るのは、影の濃さくらい。ここで勝負せざるを得ないとはいえ……良い手では無いかな。)
恐怖も影の特性を持つ悪魔である。互いに、決定打を得やすいという事だ。
「だが、固有魔法がある。そう考えてんのか?」
「負けない自信なら、あるけども?」
「俺は潜むのが苦手だがな……これ以上無い程の、決定打は持ってるぞ!」
黒布の様な翼を広げて、恐怖は影の荒野を飛び回る。ヌラリとした腕から爪を伸ばし、それを地面へと叩き落とした。
「囲め、【蛮勇なる影】ァ!」
「くっ!」
予想を越えた出力で、全方位から影の暴力が迫る。呑まれれば、脆いアルスィアは簡単に終わりだろう。すぐに同じ魔法で迎撃する。
しかし、その隙が大きい。早々に姿を眩ませるつもりが、立ち止まったのだから。妖刀さえ、まだ取り出せていない。
「死ね、絶望。【戦々恐々】!」
恐怖の伸ばした腕。それと同じ軌道で、全く別の所から腕が伸ばされた。骨に出来かけの肉を纏わせたような、細い腕。しかし、圧倒的な畏怖を抱かせるそれを、アルスィアは暴風で吹き飛び回避する。
目が離せない。近づけば近づく程に、汗が吹き出し、呼吸が荒くなる。掴まれたら終わりだと、漠然とした不安だけが、心臓を鷲掴む様に襲う。
「余所見してて良いのか? えぇ!?」
恐怖が【剣となる影】で攻撃を再開する。気も漫ろだが、アルスィアよりも大雑把な剣技は、易く防ぐことが出来た。
しかし、腕の進撃は止まらない。影に溶ける間もなく、恐怖の猛攻が続く。掴みかかる腕からは、大きく距離を取らざるを得ない。本能がそうさせるのだ。
「どうしたどうした! 最初の威勢はよぉ!」
「いちいち怒鳴らないと、会話が出来ないのかい? 恐れってのは、静けさから来るんだと思うけど?」
「てめぇがオレを語んじゃねぇぞ!」
まともに攻撃も出来ない。一撃の元で殺す魔法も、当たらないならば意味が無いのだ。必殺の瞬間を、狙えないのならば作らねば。
最優先であの腕を、と考えてアルスィアは止まる。隠し、侵食し、引き込むのは影の基本だ。この感情に、【躊躇いの影】で擬似的に眠っていた時の様な、強い侵食感を僅かに感じて。
「最適解は、これか!」
影の荒野、全てを使い。辺り一帯を過去の恐怖へ。
「【躊躇いの影】!!」
「んなっ!?」
膨れ上がった影は、辺りを包み。アルスィアの世界を、更に魂の根幹へと深く沈めた。




