第32話
空を飛ぶ結晶の上。二人の荷物を軽くチェックし、ソルは欠伸を漏らす。
「あ~、そろそろ魔力の低下なのか眠気なのか、分からなくなってきた……」
働きを拒否する頭を振りつつ、荷物から結晶を取り出して魔力を回収する。旅の途中でもコツコツ貯めて置いたが、テオリューシアに居た頃の物を含めても、そろそろ消えそうだ。
「一晩中飛び続けるとか、考えて無かったからなぁ。」
見えない程に高空を飛ぶならば、「耐寒」や「呼吸補助」、「風除け」等の付与が必須となる。特に「耐寒」は、ソルの苦手な火の特性も関わり、魔力の消費が大きい。
隣で眠るシラルーナにも、同じようにかけている。体外、つまり結晶に対して「飛翔」を行うのも、僅かではあれど消費が増える原因だ。
「ん……あれ? ここは?」
「おはよう、少し急ごうと思ってな。」
「ソルさん? ……分かりました。」
僅かに残る、錆鉄の匂い。しかし、シラルーナはそこには言及せずに、「風除け」を代行する。風の魔術での力業だが、ソルの付与より余程、効率が良いだろう。
「今、どの辺りですか?」
「え~と……あと半日くらいで、アナトレーの北に入れる筈だ。」
大陸の北は、ケントロンの領地も少ないのだ。樹海は無法地帯、そこから東は全てアナトレーだ。
南下すればケントロンの領地も増えるが……国境は河川や山、森などで曖昧に区切ってある。明確な違いは無く、その辺りで小競り合いのように互いの村が点在する。
「とりあえず、アナトレーに入っちまえば、救心教徒が少ないからな。少しは動きやすい。」
悪魔の魔法では無いが。魔術はやはり、受け入れがたいのだろう。いきなり栄養価も良いから虫食え、と言われれば拒絶する気持ちだ。習慣は変えられない。
閑話休題、アナトレー連合国はかなり自由だ。滅びないために寄せ集めた、雑多な国々。思想もバラバラで、縛るには余力があまりにも足りないのだ。
「エーリシも、元はエーリシ公国だったみたいだし……」
今思えば、公国の出身で第二席とは、ロルードはかなりのやり手だったらしい。
懐かしい勲章を取り出し、ソルはクルクル回して見る。
「それは?」
「ん? エーリシって商業都市で、去年の暑い頃に貰った……なんだっけ? これの名前聞いたかな。」
「あぁ、ソルさんが私を置いていった……」
「そろそろ許してくれよ。」
「フフッ、冗談ですよ。」
笑うシラルーナが、下を見下ろす。続く平原の先に、一つの大きな河川が見えた。
「あれですか?」
「確かな。こっからはアナトレーだ、多分、真ん中位だと思うんだけど……」
ケントロンの北側から、やや南に傾けての直進。ソルの見立てに間違いなければ、アナトレー連合国の中央都市、メガーロだ。
かつてはメガーロ帝国として栄えたそこは、帝王一人に権力の集中した国。ケントロン等の王国との大きな違いは、軍も含む全ての権力や政を、文字通り帝王一人が担っている事だ。
「たしか、帝王をやっていた人は、今は第一席として纏め役の一人だった……んですよね?」
「いや、知らないけど……とりあえず降りて良いか? そろそろヤバイ。」
すぐに頷いたシラルーナを見て、ソルは結晶を地上へと下ろす。忘れずに魔力を回収し、荷物を背中に背負い直した。
多少ふらつきはするものの、歩くのに支障は無さそうだ。幾つか結晶を携帯し、吸収と回収を繰り返して魔力の回復を早める。
「川を後ろに、真っ直ぐ進めば良い筈だ。」
「街道に出れば、歩きやすいんですけどね。」
「暫く無いだろうなぁ。こっちからケントロンに行くなら、もう少し南……ケントロンの王都よりも南で、だろうし。」
草原は脛程度の、少し高い植物が多く、ドレスローブのシラルーナはくすぐったいのだろう。
とはいえ、アナトレーは魔獣や悪魔の被害も多い。少しでも魔力を回復したいソルに、出来ることは無い。
「魔獣が出ないと良いけど。」
魔力切れの魔人等、ただの人間と大差ない。ソルの武術は付け焼き刃、魔獣を対処できる程では無いのだ。念のため、なけなしの魔力で剣だけは作っておく。
希望を抱いて歩くこと、半日。シラルーナの魔術もあり、時折出てくる小型の魔獣や野党を撃退していれば、ようやく街が見えてきた。
「みえた、中央都市だ。」
アナトレーを分断するように、東西に広がったメガーロは、ケントロンから一番近い街だ。
悪魔が猛威を振るうより前、人間同士の戦争の名残か。立派な防壁に囲まれた、大きな街。関所も、かなり頑丈に作られているのが分かる。
「シーナ、気を付けろよ。」
「分かってますよ。」
通行用の手形(前にアナトレーに来たときの物で、かなり古いが)に、受勲した勲章、そして少しばかりの誠意を手に待ち、ソルは関所に入る。
かなり怪しまれたが、ケントロンから流れてくる人も多いようだ。悪魔に襲われ疲弊したケントロンに乗り込んだのは、なにも商人だけでは無く。治安が悪くなっているのだろう。
つまり、細かく審査などしていられない。軍事力にもある程度、自信があるのも手伝ったのか。勲章は出さずとも、通行手形とお小遣いで通れた。
「うん、財力は偉大だな。」
「大丈夫なんでしょうか、この街……」
どちらも、フードに頭巾と怪しい二人である。シラルーナはともかく、ソルは体格もそこそこの物だ。警戒が緩い気もする。
とはいえ、好都合なので良し。ソルが気にすることは、何一つない。街中は活気に溢れ、多くの人が往来を歩く。しかし、その大半は兵士の様だ。
「訓練した人、ですね。」
「みたいだな。むしろ、そういうのに触れて無い人が、少な過ぎる様な……物騒な所だな。」
とはいえ、その風景は一般的な町並みだ。余程気をつけて見ない限り、気付くものでも無い。
疲れをとるために、一日はここで滞在する。今からは南下を行うのだ。獣人は血の気が多く、魔獣や悪魔等の論外も増える。体力は万全にしておいて、備えすぎという事もない。
「シーナ、じっとしておけよ。俺は見た目が誤魔化し易いけど、ここいらじゃ警戒に越したことは無いから。」
「はい、お願いしますね?」
「離れないでくれよ。」
頭巾を目深にし、下を向く。足下を見ているとはいえ、嗅覚や聴覚でも辺りを探れば、見失う事はない。
シラルーナと離れない様に、人通りの少ない所を選びながら、ソルは休める場所を探した。
立派な所は駄目だ。目端の効く人物と遭遇しやすい。他人に無関心で、人気が少なく、かつ余所者で溢れた所が良い。
前回アナトレーに訪れた時は、角も小さく一人の子供であった。しかし、今回はそうもいかない。第一、場所が違うのである。
「この辺りだと、別の意味で物騒だな。」
「足音が合わない……多分、癖ですよね?」
「まぁ、そういう生き方って事だろ……」
裏に入っても、喧嘩慣れした人物ばかりなのは確かだろう。しかし、その分野が違う。ソルは、クレフ達の事を思い出していた。足音を消して歩く様は、あちらの雰囲気だ。もっとも、血生臭い方面に傾いているが。
子供二人とは言え、ソルの腰にあるのは結晶の剣。少し血も拭いきれていないそれは、同じく透明な鞘から見える。特異種の魔獣を思わせるそれは、確かな力の証明だ。
「流石に物盗りも来ないか。」
「この辺りも、生活に困ってはいないみたいですよ? 食べ物の匂いもありますし、痩せてる人もいないですから。」
「へぇ……そういうもんか。」
その辺りは、圧倒的にシラルーナの方が詳しい。ソルの社会経験なぞ、傭兵見習いと自宅警備ぐらいのものだ。もっとも、見習い傭兵は大型や特異種を狩らないだろうが。
閑話休題、休める所である。今は来ないが、寝ている無防備な者がいれば、その限りではないかもしれない。ある程度は人を避けれる所が望ましい。
「……あ?」
「どうしました?」
「いや、今……気のせいか?」
僅かな魔法の跡。マナの動きを感じたソルがそれを確かめたが、それは既に感じられない。
悪魔ならば長く残るだろう、ならば誰かが強く祈っただけかもしれない。希に、そんな強い精神を持つ人間もいる。
「それより、休める場所を……」
適当に散策し、空き家らしき所を失敬した。埃が積もっているくらいなのだ、一晩くらいは良いだろう。
「寝よう、流石に疲れた……」
「おやすみなさい、ソルさん。私も少し片付けて休みますね。」
結晶を設置して、簡単に防犯を施したソル。軽く掃除を開始したシラルーナは、彼に叩いた毛布を被せた。
すでに寝息を立てているソルの髪を、そっとよけて。その角を露にする。
「……ふふっ。」
いつもは隠しているので、少し新鮮な姿。少しの悪戯心だ。バレないうちに戻しておき、彼女もまた、休息を取るのだった。
少し離れた場所、建物の影で一人の青年が息を吐く。一瞬、向けられた殺気は本物だった。
「モナクも衰えてないなぁ……当たり前だけど。」
肩口から無くなった右腕が残っていたなら、隠れる事も無かったろうか。本当に厄介な事を、と義に生きて消えた悪魔を思う。
ため息を溢しながら、絶望の魔人・アルスィアは妖刀を影に戻す。
「とりあえず片付けよう。」
襲ってきた男から、金品を失敬する。根こそぎ。どうせすぐに移動するのだ、後先を考えても仕方ない。
ここ、メガーロの北に進むと、アゴレメノス教団の本部がある。そこで支援を受けようと思ったのだ。あまりにも寒く、自分の知名度も低かった為に反応も芳しくなかったので、断念したが。
「しかし、モナクはなんで、こんなところに……西って聞いたから、東に来たのにさ。」
かなり、うろちょろしていたが。ケントロンの南に行ったり、アナトレーの北に足を伸ばしたり。マモンを殺った事で、狂信者にも狙われる事さえ出てきた。
ここ一年を思い返してうんざりしていると、気づけば隠れ家に帰っていたらしい。他人から快く譲って貰ったここは、今の所バレていない。
「アルス? おかえりなさい!」
「わ、っと。こけたら危ないよ?」
走り寄ってきた少女に対し、少しよろけながら抱き止めて。少し歪なものの、嘲るような冷たさを持たない、温かい笑みを浮かべる。
彼は、アルスィア。絶望を捨てる為に生きる、一人の魔人である。