第31話
街に入った二人は、夜になる前に宿屋を探す。人に聞くと身バレの危険が増すため、足で探すしか無い。
一応、角も耳もフードと魔術で隠してはいるが……ソルの光の魔術は、お世辞にも上手いとは言えず。警戒に越した事は無いだろう。
「しかし、何だか木造が多いな。石材不足って訳でも無いだろうに。」
「木材なら、冷えにくいからかもしれませんね。」
「なるほど、それでか……」
窓から暖炉に灯る炎を見つけ、そういえばと時期を思い出した。少なくとも、暖かいとは間違っても言えない。
「お、あった。空いてるといいけど。」
「ゆっくり寝たいですものね……」
疲労気味の二人は、早々にチェックインを済ませ、それぞれ部屋へ直行する。
ソルは軽く室内を見渡して、ふぅと息をつく。
「とりあえずは安全そうか。この辺りは……ケントロンの二割は横断したか? 南下してたからなぁ、どちらかと言えば。もう少し進みたかった。」
照らし合わせるのは下手でも、地図を読み取ることは出来る。街の名前は覚えていたので、それで道を探っていく。
「ん~、アナトレーなら少し暴れても……いや、あれはエーリシが商業都市だったからだっけ? でも、王都に近づきたくないんだよな。」
復興中の王都は、魔界進軍もあって緊張状態だろう。魔人の身で近づく物ではない。
「アナトレーの北、どうなってんのか……近づきながら、情報収集かな。」
シラルーナの耳便りだが。一人ならば、ひとっ飛びともいけるだろうが、乱暴な移動は彼女が耐えられないだろう。とりあえず、疲労を癒さねば。ソルは寝具に身を横たえて、すぐに寝息をたて始めた。
夜中、少しの音が気にかかり、ソルは目を覚ます。耳慣れないその音は、階段を降りていく様だ……いや、音だろうか。
「これ……なんだ? 眠気が……」
僅かに聞こえるのは、音楽の様だ。誰かの歌声だろうか。
「……っ! 魔力がのってる。催眠系の契約者か?」
一度壊れた大聖堂は、求心力を失っている。悪魔が来てもおかしくは無いが……マナを直接、捕まえている感覚は無い。魔法では無い。
ならば契約者だろう。ケントロンに魔術師が、いる筈も無いのだから。無論、一般の人の契約者も。
「狂信者どもか、な~に企んでんだか。」
アラストールの行動も、推測は出来ても把握は出来ない。情報を知るために、取っ捕まえても良いだろう。
部屋を出たソルは、「影潜り」で夜闇に溶けて後を追う。
(こっちは……領主館の方か? 意外な潜伏先だな。離れたくなるもんだろうに。)
歌い続ける声を頼りに、ソルは夜の街を進む。月明かりだけの薄暗い街は、魔人の目でも把握しにくい。影が多いのはありがたいが。
(お、見えた。四人……何か担いでんのか?)
潜伏先を特定してから、全員を取っ捕まえた方が良い。情報源は多いに越した事は無いだろう。
そのまま追跡を続けるソルは、目の前の出来事に怪訝な顔をする。領主館に狂信者が入っていくではないか。
「さって……ここに忍び込むか?」
流石に不味いのはソルにも分かる。とは言え、契約者と思わしき人物を放置するのは、それこそ面倒になりそうだ。
「一度帰って……ん、これは?」
彼等の落とした物だろう。拾い上げたのは、硝子のように透明な……魔方陣。ソルの手の中で霧散するそれは、惑わして隠す物。
「ケントロンってのは、人拐いしかいないのか……?」
青筋を浮かべたソルは、僅かな理性で領主館を吹き飛ばすのを押さえる。代わりに門番には強引に寝て貰う。
「【捕らえる力】。」
「何もっ! ぐ……」
首を掴む様に魔法を使い、そのまま壁まで投げ飛ばす。頭を打った彼等は、そのまま気絶した。
夜影に溶けて扉の前まで、堂々と歩く。足を扉に当て、【精神の力】も使い鍵ごと蹴り破る。扉はしっかりと浮かし、音は最小限だ。
「表から入ったんだ、関係者以外はいねぇよな。」
とりあえず目につく部屋を、片端から【具現結晶】で塞いでいく。上も同様に。
それを終えたソルは、一階に戻り、辺りを見渡す。
「やっぱり地下か?」
どうせ隠されている。勘が良かったり、場所を知る力があれば、隠し階段でも探すが。そんな事はしない。ソルは強引に「切削」で下に穴を開けた。
「おっと、外れ。」
当てずっぽうでは、床が無くなるかも知れない。段々と塞いだ扉が騒がしくなる。バレたらしい。
「静かな所だよな、犯人が入ったなら。」
来るのは分かりきっているだろう、待ち構えるのが自然。ならば扉を叩く必要は無い。パニックでも落ち着かせるだろうから。
「まずはここ……誰もいないな。」
三部屋目で飽きたソルは、屋敷を【戦陣】で覆う。どうせ狂信者と繋がった奴など、ケントロンでは犯罪者。多少の無茶は許されるだろう。ちゃんと外からはバレないように館の内側だけ、問題は無いと信じよう。
「さてと……この部屋か。地下無かったな。」
無駄な穴を開けた事に、理不尽にも怒りを増しながら。ソルはその扉に手をかけ、押し開く。
「はぁっ!」
「【貫通】。」
斬りかかって来たのは流石だが、ここは戦陣の中。魔法でも間に合う。
腕を貫かれた男は、滑りながら転げ、奥の方に蹴り飛ばされた。
「よぅ、右足と左足、どっちを良く使う?」
「両足で貴様を捕らえる!」
飛び上がりつつ、蹴りを放つ男。彼は私兵なのか、狂信者の服装ではない。
無関係かもしれない為、力場の魔法で飛ばすだけにとどめる。不可視の拳に殴られたかの様に、彼は壁に飛ばされた。
「何故、眠らない……!?」
「知ったことか。」
視界に映るのは、制圧したものも含めて五人。先程の四人と、眠るシラルーナ。
いや、違う。一人は服装からして、重要人物。恐らくは領主。
「って事は……」
反応を確かめ、ソルは振り向き様に一閃。【戦陣】の中では、不意打ちも無意味だ。
「ちっ、相変わらずバケモノめ!」
「あっ? ……ん、見覚えあるな。」
「そのままくたばれ、裏切り者が!」
「思い出した。家に忍び込んで来やがった、捨て駒の一人だ。」
正面から捨て駒と言われて、男は激昂して斬りかかる。再び剣同士がぶつかり合い、ソルは魔法を展開した。
「二度はねぇ、【貫通】。」
「あがっ!?」
腹を貫いた結晶は、そのまま男を縫い付けておく。散った返り血はそのままに、ソルは後ろの二人に向き直る。
「良く見りゃ、お前も人形手繰りを運んだ一人か。アスモデウスとでも、契約したか?」
「お前を殺せるならば……!」
「仇討ちのつもりかよ。」
「養父は死んでいない! アスモデウス様が救ってくださる!」
「っ! あれに遺体をやったのか!」
剣を握る彼女に、ソルは驚きながら唇を噛む。
アスモデウスにとって、契約とは己の戯れだ。壊れる寸前の者と、曲解しても良いとさえ思える程に追い詰められた者と契約する。彼の悪魔には、人情が有りすぎるのだ。歪んだ愛が、命にしがみつく欲求が。
「私が……私がなんとかしなくては!」
「……手遅れなんだよ、悪魔憑きになった時点で。」
大上段からの一撃を、ソルは動くことも見ることも無く、【捕らえる力】で握り止める。
覗き込む瞳は、真っ直ぐに、歪みなく。狂気に駆られていた。
「もう……それしか無いんだっ!」
「馬鹿がっ……!」
救いを。分かりやすい程に清々しい救済を。彼の悪魔は用意する。依存し、囚われ、貪られ。そして搾り取られる。それが、アスモデウスの、【色欲の悪魔】のやり方である。
「せめて安らかに眠れ、【破裂】。」
一瞬のうちに、心臓を穿ち。背中から結晶がつき出す。脊髄さえもぐちゃぐちゃにしたその傷は、痛みさえ与えないうちに、絶命に導くだろう。
「この……人殺しが! 我が屋敷で何をするのだ!」
「あぁ!? 煩ぇから黙ってろ。」
死の感触を思い出して気分が悪くなったソルは、少し乱暴に言葉を叩きつけて。目の前の二つの遺体から、残る魔力を抜き取る。
(少し、アスモデウスの魔力がある。見られたか……? まぁ、根こそぎ取れば、弄ばれる事も無いだろう。)
テオリューシアの王ならば、この二人も救っただろうか。せめて魂は、あの地で怯えること無く、眠れば良い。自己満足の域を出ないと分かっていても、祈らざるを得ない心情である。
後の二人は知らない。死んでないのだ、勝手にどこかに行くだろう。足を洗うも良し、尽きるも良し、だ。ソルは他人の選択に責任を取るつもりは無い。同情と、共感。傲慢な思考で、殺した二人には身勝手な情けを押し付けているに過ぎない。
「ハハハっ! 油断したな、魔術師。この獣混ざりの娘が惜しければ、私の言う事を聞いて貰う!」
今しがた事切れた契約者の歌は、まだ有効な様で。目を覚まさないシラルーナをかかえ、男が此方を見下ろしている。
黙るソルに、男はナイフを回しながら、要求を突きつけた。
「北の地では、何一つ手柄なぞ立てられやしない。救心教の教えなぞ、ただ甘ったれた戯れ言よ。力だ、力がいる! 貴様、私の為に働け!」
「……とりあえず手を離せよ。」
「離して欲しければ、頭を垂れて頼むのだよ。聞いているのか!」
シラルーナの胸元に、ナイフを滑らせ男が喚く。孤独の魔人の領域へと、外から土足で踏み込んだ。
その瞬間、ソルの中で一つの箍が取れる。悪魔と同じように。明確な敵を見つめる目に変わる。
「なんだ、その目は!?」
「シーナ、起きてるか? ……寝てるみたいだな。」
ソルの中でも、やはり区切りは存在する。悪魔と子供の価値観のままに、あまりに残酷で無垢な分別。
名前を覚え、代えの効かない大切な人。
立場を覚え、尊重する自分以外の他人。
殺意を覚え、救えない程に見下せた物。
今、彼は者から物になった。ソルの中で、会話さえする価値の無い、それに落ちた。
「な、なんだこれは!」
明確な反逆の意思を持ち、ソルは魔力を行使する。紡がれたそれが、彼の手足を包み、結晶となり。十字架の如く空中に張り付けた。
いつもならば、自己暗示の様に余裕と冗談を挟むソルは、紅い瞳を冷たくして見向きもせずに作業する。冷たい程に透き通る魔力は、形になるまで己に迫る死に気づかせる事は無い。
「宿から荷物を取ってきて……夜のうちに、飛ぶか。アナトレーまで魔力が持つと良いけど。」
「ぐ、あぁ!!」
広がり続ける結晶に、関節の方が悲鳴をあげ始める。八つ裂き寸前の男は、懇願を開始しているが……その鳴き声は言葉として、ソルに受け取られない。
他人の意思を踏みにじるという事は、他人に己の意志を捨てさせる事なのだ。孤独の魔人の領域に踏み込む行為とは、即ち死線を踏み越える事なのだ。孤独となるか、排他されるか。二択に一つのみ。
「さて、遺体は……まぁ、良いか。置いといて。」
二人の亡骸の目だけはそっと閉じて、白い少女は抱き抱え。ゆっくりと青年は立ち去る。屋敷から光の移ろいが消え、赤が床へと染みていった。