第30話
山脈を越える間、特に襲撃があるわけでも無かった。
アゴレメノス教団も、ずっと監視していたから気づけただけで、ソルの位置を特定はしていないらしい。
「そろそろ、ケントロン王国で買った地図で、辺りが分かる筈……」
王国全土の地図を、さりげに失敬していたソルが、それを広げつつ呟く。山脈が大きく、特徴を見るのに少し苦労するが。
「結構、北だな……少し南を目指して進むか?」
宿無しは避けたい所だった。北は魔獣や悪魔の被害が、皆無と言っていい。狂信者達も、最近はテオリューシアに集っているので、厳重警戒とは行ってない筈だ。人里で泊まるのは、不可能では無い筈。
「大丈夫でしょうか?」
「ん~、ケントロンではあるけど……そんなに張り積めて無い筈だ。せいぜいが、寒いくらい?」
「テオリューシア王国よりは、寒く無いですよ。お金、ありましたっけ。」
「あるぞ。確かケントロンでも、取り扱ってる硬貨だったよな? これ。」
「えぇ、ありました。」
その時、山頂の風が、二人の体温を強烈に奪う。咳き込んだソルが、苦笑しつつ下を指差した。
「とりあえず、降りてからにするか。」
「そうですね。森、ですか?」
「まるで海みたいだな……迷うなよ。」
「ソルさんが飛べるので、平気ですよ。」
とにもかくにも、山を下らねば。慎重に……なる筈も無く。
塔を飛び降りる様な奴である。山も同じように、翔びはねて降り、危なくなると「飛翔」で体勢を立て直す。
「シーナ、行けるか?」
「絶っっっ対に無理です!!」
ソルが背負う事になるのに、時間はかからなかった。
「シーナも大きくなったな……」
「ソルさん、それ何で判断しました?」
背中にかかる重さに、とは流石に言わず。返事を濁しながら、山の斜面を結晶で覆い、滑り降りた。
急な山道も、ソルが降りれば、ただの短い道のりだ。力場の特性で良かった思える、数少ない瞬間である。
「と……危な。」
「思ったよりも木が密集して……降りられますか?」
「流石に見たこと無い植物に、突っ込みたく無いしな。少し飛んでみよう、斜面が緩やかなら、隙間ぐらいあるさ。」
岩肌までみっちりと、その枝を伸ばす木々。毒性があっては困るので、シラルーナを背負いながら辺りを飛び回る。
「お、あった。」
「この辺りは麓が緩やかですね。」
岩の上では木も生えない……とは言いきれないが、ちょうど良い隙間だ。下まで降りたソルが、シラルーナを降ろして辺りを見渡
「キャッ!」
……そうとする。苔で滑ったらしいシラルーナを、【捕らえる力】で掴み、地面に下ろす。
「結構じめじめしてるな。」
「ありがとうございます……そうですね、地面も少し濡れてるような。」
「日が届かないからか……」
頭上は葉に覆われ、僅かな木漏れ日がある程度。昼間だと言うのに、かなり暗い。木を一本程切り倒しながら、ソルがボヤく。
「目印もねぇな……地図も山頂から見渡した結果、このくらいだろうってのが描かれてるだけだ。」
「どうしますか?」
「とりあえず、方角は分かる。日もあるし、切り株の年輪も差はちゃんとあるみたいだ。」
「南東、ですか?」
「あぁ、それで行こう。」
日が暮れる前に、抜け出した方が良さそうだ。獣と遭遇しないことを願いながら、ソル達は足元に気をつけて歩きだした。
日が傾き、急がないと不味いと焦る二人の前に、木々の疎らになった所が見えてくる。蔦も苔も減り、人の出入りが伺える。
火も光も準備が乏しかった二人は、途端に顔を明るくして走る。無論、足元には細心の注意を払って。フードを被り直すのも忘れない。
「出たぁ~! やっとだよ……」
「地図もあるし、南の方だったとは思うんですけど……想像以上に広かったですね。」
見渡した二人は、その場所に疑問符を浮かべる。そこは、町と言うよりは……
「兵舎?」
「何でこんなところに……」
二人が困惑していると、後ろから剣が突きつけられる。ソルの首筋にピタリとつけられた剣は、持ち主の意向を明確に表していた。
「隊長ー! 不審者ー!」
「呼び方、雑! 不審者……?」
歩いてきたのは、一人の女性。鎧で身を包み、此方を弛く睨む。
「確かに、ここにいる等おかしいな。見たところ、若いね。」
「とりあえず、顔を見せるのだー! 隠すのは失礼じゃない?」
どうやら、騎士団の駐屯地の一つらしい。訓練場の様な物だろうか。
どうするかとソルが考えていると、後ろの騎士が、素早くフードに手を伸ばす。
「ほい! ……あれ?」
「顔は、少し怪我がありまして。見せたくは無い。」
口元の皮膚をバレないように剥がし、服の下の「飛翔」でフードをずらすに留まらせる。
血は中で押さえているため、生々しい傷跡に見えるだろう。
「それは、すまなかった。ほら謝罪。」
「申し訳ありませんでした……」
「いえ、怪しいのは承知しています。一応、許可証は持っていましたが……何分、方向音痴で。」
少し血を逆流させてしまい、本当に具合が悪くなったソル。青い顔色が見えて、焦ったのは彼女達だ。
「少し休むと良い。街まで送ろう。」
「いえ、お構い無く。」
「そうも行かない。監視の仕事もあるし、何より行き倒れたりしたら大変だ。この辺りは人も居ないぞ。」
男所帯の中だ、それなりにおっかないかと思えば……結構お人好しである。配属部隊の紋章もあるが、ソルには見ても分からなかった。
「ベッドを二つ、開けてやれ。私が話をする。」
「はいはーい。」
先程の騎士が、兵舎に走る。今更だが、女の子なのか。少し驚くソルに、目の前の者は笑う。
「彼は若いが、立派だよ。度々、変な物を持って帰るが……」
「彼……」
見た目で判断してはならない。一つ学んだ。
休む間に、角を隠す魔方陣を創る。光で惑わす魔法を、アスモデウスから借りる事にする。返す気は更々ない。
同じように創り、【具現結晶】でシラルーナにも渡す。彼女の場合は耳だ。色は流石にどうしようも無い。目でも閉じていて貰う。
「気分はどうかな?」
「かなり。ありがとうございます。」
「いや……と、部下達はいないか。」
扉を開け直し、隠れていないかも探る……日常的に騙されているのだろうか、嫌われてはいないようだが。
「さて……何処に消えたと思えば、突然に現れるなんて。隊長も驚くだろう。」
「貴女は?」
「私は中隊を任されているよ。一年程前なら、王都で尽力していたけど……暇を貰ってね。今はここで羽を休めてる。貴族には好かれてないんだ。」
一年。それは、ソルの記憶にも大きな出来事を、思い出させる。
「あの時、王都に?」
「やっぱり、それを知ってるなんて。君が「飛来する結晶」だね? 少し背が伸びたか……あの時は助かったよ。」
頷く彼女は、普段は中央勤めなのだろう。その証拠に、少し過度に厚着だ。寒さに慣れていないらしい。
「隊長っていうのは、騎士団長だよ。私は彼直属だった事があってね。我が国に何の用だったんだい?」
「……はぁ、バレてるなら良いか。広めないでくれ、通過するだけだから。」
「成る程、東か……そういえば、君は魔獣狩りの為に、各地を回ってるんだったか? 供がいるとは思わなかったが……魔術師、だったか?」
アジスの伝えた話は、思ったよりも広がっていたらしい。あながち間違ってもいないので、そういう事にしておく。
「ならば、見られる訳にはいかないのか……私が送った事にしておこう。すぐに発つと良い。なに、部下は悪戯はするし、弄り倒してくるが。隊長の命令は無下にしないさ。」
「助かる。」
とは言え、もう暗い。一度飛べば、ケントロン内部で降りるのは難しい。見つかる可能性が高すぎるからだ。
軍隊と鬼ごっこをするつもりも無く、一度は街で休む事にする。
「ならば、紹介状を書いておこう。君が素通りする限り、手出しは禁物、と。騎士には有効だ。」
「……本当に助かる。」
「恩返しだよ。光に灼かれるか、影の中で死ぬか、化け狐に潰されるか、悪魔に呑まれるか。あのときの騎士団は、かなり戦々恐々としていたのだから。」
隊長に見送られ、ソル達は宿舎を去る。暗がりに乗じて離れていけば、ふと声が聞こえる。
「ヤッホー。ねぇ、君、魔術師って奴だろう? フードを引いた時に変だったし、アゴレメノス教団は三人以上で動くし。騎士団抜けるから、連れてって?」
「やだ。」
「えー……残念。じゃ、今回はこれあげるだけにする。じゃぁねー。」
箱を放り出し、彼女……彼は宿舎に戻る。箱を開けると、紙バネで手紙が飛んできた。
「痛っ。」
「えっと……白紙?」
「……なんだよ、それ。」
紙をしばし弄って見たが、裏に「残念でした」としか書かれていない。隊長の苦労が偲ばれた。
箱に戻して返してやろうとしたら、箱のそこに文字が。
『東に抜けるなら、南にいく方が良いよ。アナトレー連合国の北は、最近きな臭い噂を聞くからね⭐』
「全力で意趣返しされた?」
「さぁ……でも、情報はありがたいですよね?」
「いや、そうだけど……ケントロン王国はあれだな、面倒くせぇ。」
個性的な人間は、ソルにとって体力を使う相手でしかない。箱を処分するにも、火なんて持ってない。
手持ちのゴミ袋に放り込み、ソル達は林に入る。方向は分かっているし、人の手が入ったここは、さっきと違い視界も良好だ。
「街までどれくらいだったか……?」
「そろそろ疲れて来ましたね……宿、あると良いですけど。」
地図をグルグル回すソルに、シラルーナは辺りを見て。ここだと思う所で止めた。
「……こっち? か?」
「林の中なので、分かりにくいですけど……多分。」
目的地を目指す、というのが経験不足な二人。本当にこの先、大丈夫なのか。少し、不安になるのだった。