第28話
夜が明けた空から、一つの結晶が降りる。ここは今から一年程前に、エミオールの【無限虚空】で渓谷となった山脈の手前だ。
開拓が進めば、山脈同士の間に大きな領地が出来そうだ。ケントロン王国との国境となる、もう一つ向こうの山脈は、そこそこの距離がある。
とはいえ、それは未来の話。今は手前の土地さえ、手付かずが多い。輸送を楽にする意味でも、王都から一直線に村が点在するからだ。適度な距離を重視している、補給地点の意味合いが大きいのだろう。
「ふう、最後の村か?」
「そうみたいです。渓谷には安全を確保できるまで、踏み入れないってポイエンさんに聞きましたから。」
「……王様、怒られてそうだな。」
「た、多分……でも山の中には、村は建てられませんし。」
精一杯のフォローをするシラルーナを置いて、ソルは村の中を歩く。かなりの速度で飛ばしたので、距離は稼げただろう。国境線の山脈までは、半分は進めた筈だ。
北にいく程に互いに離れる山脈は、間の盆地も南に比べて、かなり標高が低い。視界が通る地形はありがたい、魔獣には隠れる知性は無いのだから、単純に見つけやすくなる。ソルならば、飛んで逃げられるので障害物は邪魔なだけだ。
「ん? あんたぁ、誰だい?」
「傭兵です。東に行くのですが、道がね。」
話しかけられたソルは、深くフードを被ったまま応対する。追われ、ハブられた者達の多いテオリューシアでは、別段珍しくも無い行為に警戒はされにくい。
「へぇ、若そうなのに傭兵たぁね。苦労してんなぁ。」
「性に合ってまして。ケントロンなら、今は荒稼ぎのチャンスとか、耳に挟んだもんで。」
「そうなのか? その手の物はさっぱりだな。まぁ良いや。俺でも知ってる道で良いなら、教えるぜ。」
「ありがたい。お礼はさせて貰いますよ。」
少し口調を変えて、ソルは男から道を聞いて行く。とはいえ山の中を通る道、あまり詳しくは分からない。
ソルが採取に来て知っている情報と、あまり変わらない物が得られる。まぁ、最近の変動が無いからこそと思えば、無駄ではない。
「そういえば、つい最近に毒虫が出たとか。王様のいる街の方の、すんげぇ方でもぶっ倒れるような、かなり強い毒みたいだから気をつけると良いぜ。死んじまったら元も子も無いからな。」
「え、えぇ。ありがとうゴザイマス……」
何を隠そう、被害者一号である。つい声が固くなるソルは、バレないうちに退散する。
「シーナ、虫除け持ってきたか?」
「持ってますよ。でも、効果があるんですか?」
シラルーナが鞄から、二~三種類の香草を摘まみ出す。火をつければ、手に乗る程の小さな生物は寄らない匂いをだす。
ざっくりと言うなら、弱めの痺れ薬の材料の一例である。空気中にも、成分の飛散するタイプだ。量を必要とする薬だが、体が小さければ効果抜群である。逆に人程の体重のある生き物には、毒にはならない。
「俺はサボってたから分からん。」
「いや、ちゃんと焚いてください!」
「火種を持ち歩いて無いんだよ……」
ソルは魔術でも、火だけはどうにもダメダメである。少し温める位の付与は出来ても、水さえ沸騰しない程だ。
万が一、億が一でも火事になったら。そう思うと、持ち歩く気がしない。他人が使うのと、着いた火を管理するのは、大きくなければ平気だが。
「それで熱を出したら、ダメじゃないですか……私がついて来なかったら、どうしたんですか?」
「そこはほら、山ん中はずっと【加護】で。」
力業であった。
一方の王都では、数人を除いて上層部が混乱していた。
「今、常駐部隊は何名!」
「はっ、各村に五名、各街に二十名となっております、陛下。」
「王都に五十で、残りは休暇……仕方ない、王都と付近の街以外倍増して。」
「西の地区は大丈夫だけど、南はそんな余裕無いわよ!?」
「作るしかないじゃんか!」
「……君達、少し落ち着かないかい?」
「ノエルマフ卿、巻き込まれたくないなら、黙っとくんじゃ。」
「「マギアレク!」」「クソジジイ!」
「「「説明!!!」」」
「……ほらの?」
ため息を吐くマギアレクだが、誰も彼の肩を持たない。当たり前だ、「推測じゃし。」と堂々とのたまい、ソルの、テオリューシアの最大の防衛力の旅立ちを伝え無かったのだから。
急な知らせに、調整や采配を変更し続けている王城は、今日も忙しい。祭りの喧騒が去る暇も無い。
「儂も知らんと言うとる。ソルは自分の事は、魔術に関わらんと話さんからのぅ。」
「師弟揃って……!」
「なんじゃ、アルキゴス。人の過去を詮索するなど、誉められんぞ?」
「憶測でも何でも、話し合った上で知らせろ! 一人で動いてはいないのだぞ!」
「ソルはそう思っとらん。儂もお前も、等しく他人じゃ。」
机を叩くストラティに、舞い散る書類を眺めながら、マギアレクは落ち着いた態度を崩さない。
「勘違いしとるようじゃがの、ソルはこの国に立ち寄っとる立場じゃ。恩恵はここでも無くとも良い物、縛られる必要は無い。」
「それは知っている! だが、連絡はしろと」
「ストラティ、そこまで……マギアレク、教えてくれなかったのは、訳があるんだろう? 君はここから去るつもりも無いのだろうし。」
掴みかからんばかりの勢いで立ち上がるが、エミオールの片手でやんわりと諌められる。じっと此方を見つめる瞳は、マギアレクをしっかり捉えている。彼はそれを受け、一枚だけ書類を取り出した。
「それは?」
「儂らの事が書かれておる。ノエルマフ卿、お主の事もじゃ。」
「……つい最近も含め、知られていると?」
「待って、誰に?」
「アゴレメノス教団じゃ。付近に居った者に貰った。」
ストラティの目が細くなり、直後に部屋の温度が下がる。しかし、その寒気の元は彼では無い。
エミオールが冷たい声音で、部屋の空気を揺らす。
「凄く不愉快な、仮説を聞いてくれるかい? マギアレク。」
「御主の話を、儂が拒んだ事なぞあるかの?」
「それは、僕らに話した事がアレに伝わる……と言っているのかな?」
「動き等もあるが……そうじゃな。確実な情報が伝わる恐れがある、と言うておる。」
マギアレクが、驚き硬直するノエルマフから、紙を取り上げて燃やす。その目はしっかりと王の瞳を見ていた。
『俺様をご指名か? ご老人。』
「主の介入は疑うとらん。じゃが、筒抜けな理由は知らんかの?」
『聞きたきゃ、聴力と引き換えだぁ。』
「やらん。」
エミオールの目から聞こえる声に、マギアレクはそっけなく返答する。
「落ち着いてください、テオリューシア王。内通者等いなくとも、悪魔の契約者なら安い芸当かと。」
「ならば。ソル殿の動向、筒抜けだろう。」
「いや、情報は城の周辺だけじゃ? ソルはマークされとらん。一番の目的の筈じゃがな。」
人一倍、魔力抵抗は高い。その為か、ソルの情報は城の周辺、断片的だった。
「防衛力を誤認させる為もあるが……今は自由に動かせてやりたくてのぅ。ソルは、あの子は奇妙な縁がありそうじゃからのぅ。」
「……ティポタス?」
『ん、まぁそれぐらいなら。あるにはあるぜぇ? 自由……悪くはねぇな。』
「……我々には理解の、とても及ばない次元でしょう。それよりも、対策を取らなくて良いのですか?」
『けけっ! 当事者があんたの目の前にいるけどなぁ!?』
「あっ、ちょっとティポタス!」
ケタケタと笑いながら、瞳を飛び出した悪魔に王が手を伸ばす。捕まえた手は虚空を掴み、一室に静寂が訪れた。机に突っ伏した王を皆が見つめる中、舞い散った書類が床に落ちる微かな音だけが聞こえる。
「……アルキゴス卿は部隊の整理と調整、エルガオン侯爵も全体の資材繰りを。」
「はっ!」
「承ります、陛下。」
気を取り直した様に指示を出すエミオールに、二人は返答を返す。その後、マギアレクに視線が向いた……少しズレているが。
「移動可能な魔術師は?」
「軍の補助位なら出来るのもおるが……新しく兵団でも作るかの?」
「魔術師団として、国で正式に雇うよ。希望者を七日以内に纏めてくれ。」
「急じゃのう……」
犯人が何かのたまうが、スルーされる……いや、真犯人はその弟子だが。ソルに至っては、そんな懸念さえ抱いていなかったのかもしれない。ここ数年の魔獣の活性化は伝えたのだが、とマギアレクは頭の中で言い訳を零しながら立ち上がる。
「プネレウマス卿、貴方には意見を伺いたい。」
「弱小者の浅知恵で良ければ、いくらでも。」
「御冗談を……さぁ、行動を開始してくれ。」
魔獣、教団、盗賊。様々な脅威の防衛力を、再び練り直す為、三大侯爵が動き出す。事前に一人の魔術師に頼らない体制ぐらい、考案はしておくべきだったと悔やまれる。
三人の頼れる協力者を送り出した王は、一人呟いた。
「……自由、か。」
「後悔ですか? テオリューシア王。」
「いや、僕の夢見た事はここにある……ただ、ぶつかり合わないと良いな、と思ったんだ。僕にはあまりに広すぎて、この世界は間違えてしまいそうだから。」
「……ケントロンの知識で良ければ、導として私が照らしましょう。」
「うん。ありがとう、ノエルマフ……あっ、すまない。」
驚いた顔をする彼に、王は失言に気づいて苦笑する。照れた様にはにかむ王に、ノエルマフは肩の力を抜いた。
「エルガオン侯爵の言う通りですね。」
「へっ? 彼女が何て……」
「さて、ケントロンでは予期せぬ襲撃で、急に国力の落ちた際には」
「ちょっと、気になるじゃないか!」
テオリューシアにも、一陣の風が吹く。
「……寝坊したなぁ。」
「大概、貴方の所為。」
「はいはい、どーせ俺はそうですよ。」
「行くの?」
「行かないと思ったの?」
「追い付けないと思う。」
「でも、あれはヤバいよ。」
「……貴方は、何で」
「聞かない方が良い。新しい悪魔でしょう? 君の半身は。無関係……に近いよん。」
「……でも、今には関係してる。」
「わぉ、オトモダチって思えてるんだ?」
「……ごめんって、そんな顔しないでよ。」
「なら言い聞かせれば?」
「バレてた?」
「ほんの欠片でも、お父様の力。」
「……ふーん、ほ~ん。まぁ良いけどね。」
「あっ、俺の事は口外無用ね?」
「あの顔無しも黙ってるし、私は言わない。」
「そっ、よかった。」
「……約束、守らせて。ソル、お母さんの所に、着いてきてくれるって、言った。」
「う~ん、我が兄妹ながら、依存させる才能がある……」
「……兄妹?」
「じゃ、お兄さんは行ってくるよん。」
「ねぇ、兄妹って」
「あっ、そだ。一つ訂正。』
「……なに?」
『オイラが面倒くさがり屋さんなのは認めるけど、幼女趣味はないからな?』
テオリューシアから、一陣の風が吹いて去った……